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はじめに
何事かにつけその本質を明らかにしようとする際には、論じる対象を突き放してみる視点が要求される。つまり、対象を「相対化」した上で分析的に考察する必要がある。このことは、対象を取りまく「外部」についての十分な知識を要するので容易くはないが、社会構築主義の積極的な側面は、このことを意識的に追求した点にある。こうした方法論の有効性が認識されて、「比較○○学」と称される様々な学問分野が生まれた。例えば、比較社会学、比較文学、比較法理学、比較経済学などである。
ある日、ロックバンドを組んでいるという学生の一人と音楽についてとりとめのない話をしていると、別の学生が割り込んできて「絶対音感ってすごいよね、あなたはどうなの」と言う。訊かれた学生は、「僕には絶対音感ないけど、そんなもの必要ないよ」と答える。私も、「西洋音楽を基準にしたものだから、音楽というものを広げる上ではかえって邪魔になることもあるんじゃないのかなあ」という意味のことを言った。その時思い出していたのは、小泉文夫(1927 - 1983)の「比較音楽学」(民族音楽学)である。
小泉は、30歳になる年にインドの音楽大学へ留学し、以降、56歳で急逝するまで、日本国内の各地を含め、世界中を駆け巡って民族音楽を収録し、徹底した比較研究を行なった。そのことによって、彼は、文明世界を席巻している西洋音楽を真に相対化しうる視座を確保した。ナショナリズムに発して西洋音楽より日本の伝統音楽の方が素晴らしいと主張するのとは根本的に異なる境地である。「比較音楽学」自体はもちろん小泉が始祖という訳ではない。欧米には著名な先駆者がいるし、何より、当時この学問分野の日本における認知度は欧米にはるかに遅れをとっていた。しかし、結果的には小泉ほど広く、世界の隅々まで歩いた者はいなかったのではないかと思う。
彼は、アカデミズムにこもる学者ではなかった。政府機関やユネスコの嘱託委員を務めるなど、あらゆる機会を捉えて民族音楽の普及に力を尽くした。14冊の普及書を世に出し、NHK FM「世界の民族音楽」ではホストを務め、また、多数のレコードを監修するなどして、彼自身が採集した音源の公開に努めた。以下には、私が若い頃に接したそれらの著作やテレビ・ラジオ番組での解説などを通して学んだことを、備忘録としたい。
音律と和声
まず、小泉文夫とは無関係な、基礎的なこととして、音律(音階構造)と和声(ハーモニー)について、関係することがらを整理する。
二つの異なる周波数 f1, f2(f1<f2)の音を同時に鳴らすとf2 - f1 = f3の周波数のうなりを生じる。このうなりf3は、さらにf1との間にf4の、またf2との間にf5の周波数のうなりを生じる。これらは、一般に音の濁りの要因となり、「ノイズ」として認知される。一方、f1 = f3なる関係が成立していれば、f4 = 0、f5 = f1となって、全てのうなりは知覚されずに音に濁りが感じられなくなる。すなわち、二つの音f1、f2は和して聴こえる。例えば、f1 = 440 Hz、f2 = 880 Hzのオクターブの関係にある二つ音を重ねると
f3 = 880 - 440 = 440 Hz
f4 = 440 - 440 = 0 Hz
f5 = 880 - 440 = 440 Hz
となり、全てのうなりは存在しないも同然となる。このことが、オクターブの音が究極の和音となる理由である。次に、f2 = (3/2)×f1の場合、例えば、f1 = 440 Hz、f2 = 660 Hzのとき
f3 = 660 - 440 = 220 Hz
f4 = 440 - 220 = 220 Hz
f5 = 660 - 220 = 440 Hz
となる。このとき、f3 = f4= 220 Hzのうなりを生じるが、これ自身はf1の1/2の周波数のオクターブの関係になっており、濁りというよりむしろ和して、音に独特の色あいをつけることになる。
一般に、f1に対して、その(m/n)倍(mとnは小さな自然数)の周波数を持つ音f2はf1と調和して響く。このような関係にある周波数の音列だけからなる音階構造を自然音律と呼ぶ。この自然音律の中から、一つのまとまりのある調感の音楽を奏でるのに十分な7音程度の音をそろえるように工夫してあみだされたのが純正調音律である。この純正調は、一つの基音から出発する周波数比の構造がオクターブ毎にくり返すが、どの音を基音とするかで音列構造が全く異なってくる。つまり、ピアノのような固定ピッチの楽器をこの音律で調律した場合、転調・移調によって曲調がすっかり変わってしまうという不便さがある。
どの音から出発しても同じ周波数比の構造が再現されるのは、等比数列からなる周波数の音列である。そこで、オクターブの間に必要な音の数の2倍程度の音を等比数列の周波数に割り当てて予め準備しておき、その中から純正調に近い音を選んで用いるようにあみだされたのが、近代的な十二等分平均律である。具体的には、基音から出発して、2の12乗根(≒1.0595)を公比とする等比数列になるような周波数を半音間隔に割り当てる。こうすると自在な転調が可能になるが、これらの音からは自然音階のような美しいハーモニーは生まれない。しかし、音程のずれによる和声の濁りは<がまんの限度内>におさめることができる。
ここへ至るにはミーントーン、ヴェルクマイスター音律、キルンベルガー音律などの様々な折衷案としての古典音律があみだされ、バロック時代に限らず、ベートーベンの時代にもそれらの古典音律が用いられていた。そうした古典音律の晩年のものが「平均律」と称されていたために若干の誤解も生じているという。最終的に近代の十二等分平均律に落ち着いたのは、産業革命の時代にピアノが大量生産されるのと軌を一にしている。調律が容易だったのだ。
絶対音感と相対音感
世界中の民族音楽の中で、ハーモニーを重視するものは、先に述べた純正調を基本とした音律を採用している。西洋音楽でも、声楽などの世界では、十二等分平均律の音が純粋な和声とならないことが理解されているので、ピアノの音から基音以外の各音を少しずつずらすよう指導される。
小泉が最も美しい和声として度々紹介したのが、台湾南部の高地に住む高砂族(かっては首狩りの風習があった)の、特にブヌン族の合唱である。小泉は1973年に現地を訪れて高砂族の音楽を調査・収録している(注1)。この時録音されたものは、LPレコード『世界の民族音楽シリーズ 高砂族の歌』(キングレコード 1978)で聴くことができる。
彼等は、首狩りに出かける前に仲間の団結を確かめるため、渾身の和声で合唱した。まず部族の長老が基音となる音で唸り始めると、これに合わせて周りの男達がいくつかのパートに別れて自然音階の和声で音を重ねていく。こうして、谷間の集落に荘厳な和声がこだまする。この時、ハーモニーに僅かでも狂いがあれば、団結に乱れを生じている証とされ、反撃に打ち負かされる可能性が高いので、長老は首狩りの中止を決断したという。
その時の録音を東京芸大声楽科の院生達に聴かせ、はたしてこれで首狩りにゴーサインが出されたかどうかを訊いたところ、彼等のほとんどは、完璧な和声であるから、合格だったろうと答えたという。正解はノーだった。仲間の命を預かるブヌン族の長老は、ハーモニーの僅かの狂いを聴き逃さなかった。
小泉は、和声の原理を良く理解し訓練されている筈の芸大の院生達が、その狂いを察知することができなかったわけを、次のように説明する。すなわち、彼等は、基本的に十二等分平均律に割り当てられたピアノの鍵盤の音を、一つの記号として記憶している。世に言う絶対音感である。和声を奏でる際には、その音を基準に、少しずつ音高をずらすように訓練されるが、これでは最初から自然音階の和声だけを訓練された者にかなう訳がない。ブヌン族の男達は、長老がどのような周波数の音で唸り始めようと、その周波数に対して整数比となる周波数の完璧な和声を重ねることができる。
そこで小泉は、新しい時代のミュージシャンに求められるのは、地球上の多様な音楽と自在に交歓できる能力であり、そのためには、西洋の近代音楽にとらわれた絶対音感は邪魔になるばかりで、むしろ相対音感の方をこそ身につけるべきであると主張した(文献2)。今を遡る30年程も前のことである。
次回は、同様の視点から、「調」と「リズム」を採り上げ、「相対化」ということについて深めてみたい。
(つづく)
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注1) この時の調査は、高砂族の住む山岳地帯の谷間の集落を見下ろす丘の上にテントを張って、ゆったりと生活しながらコンタクトを重ね、信頼関係を築いた上で、彼らの音楽を収録していくというようなやり方だった。こうして、高砂族の10部族全ての音楽を収録するのに成功している。
文献1)岡田真紀著『世界を聴いた男 小泉文夫と民族音楽』(平凡社 1995) 末尾の年表には、小泉が音楽調査に出かけた場所と年・月が記されている。ところが、1973年の上記の高砂族の音楽調査のことは、どこにも書かれていない。何故だろう。
文献2)『おたまじゃくし無用論』(青土社 1980)
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