さつきのブログ「科学と認識」

福島第一原発、アンダーコントロールで、わざと昨年の2倍の放射能を放出か

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宗教について

 前回「科学信仰」について書いたが、このような議論は不毛だとの想いもいくらかあって、やや投げやりな書き方になったようだ。

科学もまた信仰であるかどうかについて、客観的な証拠(具体例)をもとに論理的に展開して説得的に語ろうとすることは可能だと思われるかもしれない。ところが、客観的な証拠をもとに論理的に展開すること自体が「科学の方法」に他ならない。この議論は、「科学の方法」そのものを相対化できなければ成立し得ない議論である筈なのに、相対化し、なおかつ分析的に取り扱おうとするその態度そのものが議論の対象となっているのである。

 だから前回の記事ではゲーデルの「不完全性定理」を持ち出して論理的な議論は不能であると書いた。私たちは、<他者との議論>に際して、無自覚に「科学の方法」に従おうとしがちなのかもしれない。前回、「科学の方法は、たとえ洗練されてはいなくとも、却って自覚を困難にするほど私たちの日々の暮らしの中に空気のように染み渡っている」と書いたのは、このようなことを指している。私には、ヒトのこうした習性は、その脳の構造に依っており、正常な社会生活を営む上で不可欠なヒトの「仕様」として獲得されたものに違いないとの漠然とした<予想>がある。

 件の議論は、お互いの主観的な感想を述べ合っておしまいにした方が良いと思う。誰でも、さしたる証拠もなしに確信することはある。宗教への帰依もそうした確信に依るのだろう。そうして、さしたる証拠もなしに確信に至りがちな人が、さしたる証拠もなしに「科学もまた信仰である」との感想を持つのは、ある意味自然な成り行きである。そのような感想に接した際には、その人となりを理解する手がかりと思うだけである。

 私は、そうした個人の主観に基づく意見を披露し合うことが無意味だとは思わない。また、特定の宗教への帰依を、一般論で一括りにできないことも知っているつもりである。むしろ、生きるために信仰を支えとしている者の心の内を、「科学への信仰」と同列に扱うのは安易すぎるし、大変失礼な議論だというのが私のホンネなのだ。

 これまでに読んだ数少ない宗教書に、林田茂雄氏の『般若心経の再発見』がある。その中で林田氏は、「できないことさえしたがらなければ、人間は、いつどこででも自由である」と書いていた。単に「人は自由にできる範囲で自由である」と言っているのではない。彼は、戦中、共産党員として獄中にあった。そこで『般若心経』と巡り会い、その徹底した唯物論と革命的発想に心をうたれたのだと言う。獄中で悟った境地を語る言葉として大変含蓄に富んでいる。人はこのような言葉と出会い、そこに別の救いを感じることもしばしばある。実行可能なことだけを問題としよう。そのためには、何が「できないことか」を見極める目を研ぎ澄まさねばならない。

 シャカの教えが元となった仏教が、世界宗教になるまでに広まることができたのは何故か。もちろん彼の哲学に、人々に熱く迎えられる力が備わっていたということもあるのだろう。しかし、苦行の末に獲得された深淵な思想が、庶民に容易く理解され・感動を与え、そのことだけでこれほどまでに広まっていったとは考えられない。私の知る範囲でも、シャカの哲学をきちんと語ることのできる仏教徒はほとんどいない。

 私が聞いた、古代仏教の専門家の見解はこうだ。
 シャカの死後、その死をあまりにも深く嘆き悲しんだ弟子たちが、その悲しみを乗り越えるために始めたいろいろな行為・手続きが儀礼として広まった。大衆化された仏教は、そうした身近な者の死の悲しみを乗り越えるための儀礼・儀式の体系として大衆に伝承されたもので、肝心のシャカの思想・哲学の方は、かなりデフォルメ・簡略化されたものが教義として付随して広まったに過ぎない。教義内容が、その素晴らしさ故に一人歩きするように広まることはあっても、それが爆発的に広まるためには儀礼は不可欠な要素であるらしい。事実、全ての宗教には儀礼の体系が備わっていて、しばしば、教義内容よりも儀礼様式の方が重要視される、ということのようだ。
 だから、宗教弾圧に際しては、その宗教固有の儀礼の禁止が一義的なものとされ、弾圧から逃れ、隠れて信仰を守る者は、その儀礼様式をこそデフォルメさせながらも守り伝えようとするのだろう。

 1981年2月、当時のローマ法王ヨハネ・パウロ二世が来日し、長崎の教会でミサを主催したことがあった。その際、江戸初期のキリシタン弾圧で九州の北西島嶼部に逃れていた「隠れキリシタン」の末裔達が、自分たちもカソリック信徒としてそのミサに列席させてほしいと願い出た。ところが、彼らの儀礼様式があまりにも本来の形からかけ離れていたので、再洗礼を条件に参加が認められたのだという。隠れるために長年に渡って儀礼をデフォルメさせながら伝承していく内に、本来の様式が忘れ去られてしまったのは無理からぬことではあるが、宗主としては、儀礼様式の正しさこそが主要な問題だったのである。

 「島原の乱」(注)で殉教した「キリシタン」は、3万6千人ほどであったという。この「乱」に参加した老若男女のほぼ全員が覚悟の死を遂げた。「覚悟の死」というのはつまり、彼らにとっては殺傷そのものが教義上許されないことだったからだが、それでも幕府軍にも2,000人ほどの戦死者が出ている。「乱」直後、天草諸島の中心部は「もぬけの殻」状態で、しばらくして幕府直轄地(天領)となった。赴任した代官は、そこに再びキリスト教が芽生えないよう、曹洞宗を手始めに、その後は浄土宗なども動員して仏教の布教に努めた。ある宗教に対抗するには別の宗教をもって制するほかないとの判断があったのだろう。そうしたことにニュートラルな科学にとって出番はないし、儀礼のパワーの前では、科学は実際上無力である。

 仏教だけでなく、おそらく全ての宗教は、教義の中で「死」というものの占めるウエイトが大きいし、死後の世界についての固有のイメージを提供してくれる。一般論として言えば、私たちは死後の世界について客観的な証拠をもとに議論することができないので、その教義を信じるか否かを他の何かを頼りに選択する他ない。もちろん、この世界に生起する「客観的事実」を基に、「あの世」の存在を否定することは簡単である。しかし、宇宙論の中で議論されている「人間原理」同様、現世の法則から来世を語ることはできないとする宗教の論理を否定することは不可能だ。このように、宗教の教義は、実証も反証も不可能な体系としてある。

 養老猛司氏は、死後の世界のことは死んだら分かるのだから、生きている今の時点であやふやな議論をするのは不毛である、という意味のことをどこかに書いていた。私もそう思うが、この生をどう生きるかは、死後のことをどう考えるかということと無関係ではない。だから、養老氏がそのように言い切るのも、彼の(あやふやな)死後観と無縁ではないだろう。

 宗教は、客観的な証拠がなくても死後の世界についての「物語」を、確信を持って提供してくれる。「信じる者は救われる」とは、本来そうした限定的なことについて語られていると解すべきだ。

 自然科学者であった私の恩師は、80歳になった頃にカソリックの洗礼を受けたが、そのことは、死期が迫っているとの自覚の芽生えと無縁ではなかったろう。科学はそうしたことに何も口を挟めないし、それで不足はないのである。

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「島原の乱」(島原・天草の乱:1637年12月11日〜1638年4月12日):歴史家の間では、宗教弾圧への抵抗(宗教戦争)というよりも、むしろ過酷な年貢取り立て等の圧政への抵抗運動(百姓一揆)としての性格が強かったとの見解が一般的。ただ、殉教覚悟の彼らの「戦い」ぶりをみるかぎり、宗教色が色濃かったことも事実のようである。

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