さつきのブログ「科学と認識」

福島第一原発、アンダーコントロールで、わざと昨年の2倍の放射能を放出か

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

義母をおくる

最近、抗癌剤イレッサによる副作用死にかかわる薬害訴訟で東京、大阪の両地裁から和解勧告が出されたとの報に接して、一昨年のことを思い出した。私の義母は、このイレッサを二ヶ月間ほど処方されたことがある。以来、このブログの更新をサボっている間、義母の介護に追われていた。

青天の霹靂。田舎で仕事をしながら一人自活していた義母から連絡があり、具合が悪くて病院へ行ったらかなり悪いらしいので医者の話を聞いてほしいと言う。妻とともに駆けつけて担当医の説明を受けた。第四期の肺腺癌で平均余命三ヶ月くらい、脳へも転移しているから一ヶ月後でもおかしくないとのこと。CTスキャンの画像で肺や脳内のそこここにある「影」を示された。本人は、余命こそ告げられなかったが、進行した癌であることは告知されていて、すっかり覚悟ができているふうで、私たちの言うことに素直に従い、取るものも取りあえず私たちの元へ身を寄せて介護を受けることになった。私は、40日間ほどの海外出張を控えていたのをドタキャンして共同研究者に多大な迷惑をかけたが、そうするしかなかった。

自宅から車で15分ほどのところにある総合病院に検査入院をして病状を再確認するとともに、一旦退院して、しばらく後に本格的に入院しての治療が始まることになった。担当医からは、手術は無理だから取りあえずイレッサを処方する。これは副作用が強いので、様子を診ながら他の抗癌剤に変えることもあり得る等々の治療方針を詳しく説明してもらった。ただ、イレッサによる800人にものぼる副作用死については知らされなかった。いずれにしても、余命三ヶ月と聞かされていたので、例え二ヶ月になっても、それが薬の副作用によるものか癌そのものによるものかといったことは問題にならないというのが、当時の心境であった。だからここでイレッサを告発しようとの意図はない。

入院しての治療が始まったが、覚悟していた通り、容態は日に日に悪化して行く。少し気が早いのではないかと思ったが、妻は、葬儀の段取りのことなども口にするようになり、肉親でもない私の方がオロオロするばかりであった。そうして癌発覚から三ヶ月、入院して二ヶ月が過ぎた頃、担当医から、イレッサの効果が見えないので治療薬をタルセバに変えるとの説明を受けた。これはイレッサと同じく癌細胞の特定の成分を攻撃する「分子標的治療薬」で、なかば治験段階のものだが、特にタバコを吸わない女性の肺腺癌に効果のあることが確認されていると言う。

さて、驚くべきことに、タルセバの服用を始めたら一転、みるみる病状が回復して立ち歩けるようにまでなったので、一ヶ月後(入院から三ヶ月後)には退院して自宅療養することになった。自宅でタルセバの服用を続けながら、しばらくの間は週一で検診を受け、それもやがて二週間に一回になった。退院四ヶ月後には月一の検診で良いと言われるまでになったが、義母の希望で、しばらくの間、二週間に一回の検診というペースを守った。昨年の正月明けの検診では、脳内の影はすっかり消え失せ、肺の影も球形の膿胞に封じ込められているかのように変わっていた。血中の癌因子の数値も正常値近くまで下がっていた。義母は担当医から、「元気に年を越すことができましたね。来年の正月もきっと同じように元気でいられますよ」と言葉をかけられたらしい。自らの回復ぶりに半信半疑であった義母も、そのことを嬉しそうに報告してくれ、その言葉にどれだけ励まされたことかと思った。

そうして再び、私たち家族に平穏な日々が訪れた。その半年前には考えもしなかった、奇蹟と呼ぶに相応しい幸運である。義母は買い物や犬の散歩にも付き合うようになり、春には孫(私の下の娘)の卒業式に参加するため、娘二人(妻と義妹)を従えて二泊三日の旅行にも出かけた。妻にとっては、永らくほったらかしであった母親に対して、平穏の内に親孝行をする良い機会となった。私の義妹は海外に住んでいるが、頻繁に帰国して見舞い、その夫も資金援助を惜しまず、家族の絆は強くなった。私も、義母の生い立ちや戦時中の苦労話など、ゆっくりと話を聞くことができた。この間もタルセバの服用は続けていて、その副作用で頭髪は半ば抜け、逆に眉毛が濃くなったりしていたが、やがて血中癌因子の数値は完全に正常範囲内に収まるようになった。その変化を折れ線グラフにしたものを見せられたが、その軌跡はまさにこの間の義母の容態の変化と一致していた。担当医からは、今後も気は抜けないが、何か変化があればこの数値に出るからと説明を受けた。

素人の浅はかさである。血中癌因子の数値が正常範囲に留まっていることに安心しきっていた。末期癌からの生還という奇蹟が確かに起きたのだと思い込み、僅かの異常への判断に狂いが生じた。定期の検診も月一になっていた昨年の初夏、ベッドが合わなくて腰が痛いと言うので、将来のことも考えて本格的な介護用電動ベッドを購入した。これは具合がいいと喜んでいたが、しばらくして今度は足が痛むと言う。そうこうする内に、急に、歩くのも困難なほどに足腰が痛み出して病院へ駆け込んだ。MRIの画像を前に担当医の説明を受けて驚いた。腰椎の少なくとも二カ所に癌が転移していた。すぐに再入院となり、放射線治療が始まった。しかし、完全に手遅れで、再入院して4ヶ月後に義母は帰らぬ人となった。

実際には、完全に手遅れだったのは最初に癌が見つかった時点であったと言うべきであろう。早くから一緒に暮らしていれば手遅れになる前に異常を察知することができたかもしれない。後悔先に立たずである。

この間、私たちは多くのことを経験し、学び、知った。医療現場の、特に総合病院の雇われ医師達にとって過酷に過ぎる労働環境があった。恒常的に睡眠不足の担当医は、ふらふらと歩き、時に上層部への不満を隠さなかった。私たちのケースでは、親の介護にかなりの出費があるのに、介護保険が何の役にも立たないことを知った。義母の健康保険証のことで田舎の市役所担当者とやりとりする中で、当地では相当数の人が保険料未納のために健康保険証を取り上げられていることも知った。その大半は、生活保護も受けていないという。重量子線治療などの高度先端医療を受けるためには数百万円の費用がかかる。まさに、命の沙汰も金次第なのである。

多くの病院では入院期間は最大二ヶ月と定められていて、一旦退院するか、他の病院へ転院しなければならない。ベッド数が足りないことが理由とされているが、入院一回についての診療報酬が高いために、入院施設にとってはうま味のある仕組みなのだという。幸い、私たちがお世話になった病院ではそうしたことはなかった。献身的な医師や看護師に囲まれ、他の諸々のことも併せると、私たちは恵まれていたというべきであろう。今は、末期癌から一旦回復してしばらくは平穏な生活を送ることができたのも不幸中の幸いであったと自らに言い聞かせるしかない。

最後に、この記事を読んでタルセバに期待を寄せる読者もおられることであろう。義母が亡くなった直後、担当医から部分献体の希望が伝えられた。タルセバの薬効には大きなばらつきがあり、義母のケースはこれまで経験した中で最良であったが、脳および肺の細胞を詳しく調べて、それが具体的にどのように作用したのか研究したいと言う。遺体の外見は元通りにし、研究結果は遺族にも報告するとのことであったので、私たちはそれを了承した。素人の私として、タルセバを持ち上げる意図はないということを明記しておきたい。

全1ページ

[1]


.
さつき
さつき
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事