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訂正:文中、厚労省主催の「原爆症認定の在り方に関する検討会」の開催年を「確認書が交わされた年」すなわち2009年と記述していましたが、正しくは2007年でした。訂正してお詫びいたします。(5月16日)
前回書いたように、現在の食品衛生法の安全基準は、ある時ある産地に2000 Bq/kgのヨウ素131を含む野菜が見つかったとして、同じ産地で8日後に収穫されるものはおよそ1000 Bq/kgへ、16日後に収穫されるものは500 Bq/kgへと減っている筈であるという前提のもと導出されている。このように、汚染量は半減期に従って減り続ける筈であるという前提のもと年間の内部被曝線量を積算したときに、最初に食べようとするものについて、2000 Bq/kg以下であれば、これは安全であるという意味である。
2000 Bq/kgの野菜を毎日食べたら年間の内部被曝線量は安全基準値を大きく上回ることは明らかなのに、汚染量は将来減る筈であるから安全だというのは国民を馬鹿にした欺瞞である。実際、今回の事故後のヨウ素131の濃度は多くの地域で3月15日と16日に大きなピークを示した後で一旦減り続けたものの、3月21に跳ね上がって3月22日に最大のピークを迎えている(財団法人日本分析センターによる千葉市におけるデータ)。この時点で安全基準導出の前提は崩れ去っているのだから、これ以降同じ安全基準を適用することはできない。 これを知った産総研の岸本さんは、コラムで「非常に驚いた」と書かれた、「専門家の説明のほとんどが間違っていることも分かった」とも書かれた。原子力を取り巻く学問の世界には、平気でこのような欺瞞に満ちた安全基準を作り上げる者、その欺瞞を覆い隠した形で国民に嘘の説明をする者と、これを糾そうとする者が居るということである。もちろん、欺瞞に気づかずに誤った説明をしている不用意な専門家も居るであろう。 今回の東電原発事故(kojitakenさんの主張に倣って、こう呼ぶことにした)は、私たちに実にいろいろな事を教えてくれた。かつて『原発ありがとう』(小原良子・日高六郎・柳田耕一共著、径書房、1988)という本が出版されたが、チェルノブイリ原発事故をきっかけに、原発というものの存在がこの社会の仕組みや実態についていろいろと目を見開かせてくれたことに対して「ありがとう」と言っている訳である。しかし、著者の一人で長年水俣病問題に取り組んできた柳田耕一氏にとっては、この社会の実相は既に見えていたことであろう。「水俣」が忘れ去られようとしている時に、同根の事件や事故が起こる度に、例え皮肉を込めての言葉であっても、繰り返し「ありがとう」と言わねばならないとしたら、何とも悲しい。 放射能の環境汚染に伴う低線量被曝と将来にわたる健康被害にかかわる多くの問題についても、例えば長年にわたる原爆症認定集団訴訟を通して、国と原告団との間で討わされてきたことである。結果として、19の地裁・高裁で連続して国側敗訴の判決が出されるに及び、国は自らの主張の誤りを認め、2009年8月6日に原告の被団協と麻生太郎首相(当時)との間で「原爆症認定集団訴訟の終結に関する基本方針に係る確認書」が交わされることになった。 この裁判の過程で、被告国側の証人となったのが、最近内閣官房参与を辞任して話題となった小佐古敏荘・東大原子力研究総合センター助教授(当時)である。この小佐古氏の証言内容については例えばこちらに概要が記してある。 この時の主要な争点の一つに、入市被爆者に顕れた脱毛や白血球減少などの急性症状と、DS86と呼ばれる原爆による被曝線量を見積もるモデルから推測される残留放射能との乖離の問題があった。このDS86は、やがてDS02に改訂されることになるが、両者の精神は同じで、中性子線とγ線の空間線量率に基づき外部被爆線量を推定するモデルとなっており、これを元に原爆症の認定業務が行われてきた。
小佐古氏は専門家の立場からこのDS86を擁護する証言を行ったために、原告被団協は、これを凌駕する科学的知見を提示する必要に迫られた。それは困難を極めるかに思われたが、そうではなかった。既に多数の研究が積み重ねられていて、完結はしていないがDS86の非合理性を論証するに十分な成果がそろっており、それらの知見を証言する専門家達も現れた。また、小佐古氏自身、被爆地の残留放射能を具体的に推定する研究や既存データの吟味など、ほとんど行っていないことも明らかとなった。そのため彼は、既に改訂版としてのDS02が完成間近であったのに、DS86を擁護したのであった。結果、あっさりとDS86の非合理性が認識され、判決が下された全ての裁判所において国側が敗訴することとなったのである。 「 東電原発事故の現状や今後にかかわっては、次の二点が重要と思われる。 1)核分裂生成物が皮膚に与える線量はγ線よりβ線の方が数十倍高い(静間委員による報告資料の p37)。原爆の場合は中性子線により放射化された誘導放射能成分が問題となるが、この成分のβ線の寄与は地上2.5 cmでも15%増に過ぎない(同上資料 p33)。しかし、東電原発事故では核分裂生成物とそれらの系列核種だけが問題となり、ほとんどがβ崩壊するので、主として地上高1 mにおけるγ線によって見積もられている空間線量率を過信することは大変危険である。 2)旧ソ連核実験場セミパラチンスク近郊の被曝線量と健康影響に関する調査結果から、外部線量と内部線量は同程度の値を示していることが明らかにされた(同上資料 p38)。つまり、飲料水や食物などの全てに渡る環境汚染が起こっているところで生活を続けるなら、空間線量率の2倍程度の被曝を覚悟しなければならないということである。 多数の入市被爆者に脱毛や白血球の減少などの急性症状が観察されたことから、爆心地から1 kmの地点に数週間滞在したとして、少なくとも500 mSv以上の被曝をしたと推定された(鎌田委員による報告資料)。あるいは長崎に限れば、当日爆心地から1 km以内に入市した場合の平均残留被曝線量は、爆心地から1200 mにおける初期被曝線量に相当する1.5 Gyになると推定された(沢田委員による報告資料)。中性子線とγ線の空間線量率を基礎に被曝線量を見積もるDS86やDS02のモデルに基づけばそのような急性症状が現れることは全く考えられないが、このモデルは、被曝の実態を反映していないと結論されたのである。 東電原発事故による被曝線量についての議論の多くは、かつての原爆による残留放射能被爆の見積もりと同じ過ちを犯しているのではないかと思われてならない。
さて、ネガティブなことばかりをあげつらったが、東電原発事故による汚染地域の今後について、明るい見通しに繋がる材料もある。それは、原爆被爆地の残留放射能が、被爆1年後には、ほとんどの地域で自然放射能のレベル近くにまで低下したことである。半減期が30年と長いことから長期にわたる汚染源として心配されているセシウム137も、私が原爆の残留放射能の問題に関心を抱き始めた1980年頃、既に米ソなどの核実験によるフォールアウトのノイズにかき消されるほどの濃度に低下していた(注1)。雨に洗われて海へ流されたり地中深く染みこんだりしたと考えられるが、逆にそのため、正確な原爆の放射線量を推定するための新たな研究は困難を極めていたのである。 私たちは、少なくとも私たち日本人は、原爆による惨禍とその後の復興を通して、放射能汚染についての豊富な知識と経験を持っている筈である。そうした蓄積に照らして、現在政府が行っている汚染対策や健康被害についての住民への説明などは何とも心許ない。いまさら、「原発ありがとう」などとは言うまい。 ------------- 注1)最新の研究によると広島に落とされたリトルボーイで核分裂したウラン235は912 g と見積もられている。セシウム137の核分裂収率を6%と仮定し、爆心地から半径20 kmの範囲に均等にばらまかれたと仮定した時のセシウム137の放射能はおよそ |
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