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15年ほど前、同窓会の二次会の席上、原発関連の仕事をしている友人と口論になった。二人共シコタマ飲んで酔っていたので、売り言葉に買い言葉。私が「原子力産業関係者はウソつきばかりではないか」と口走ったことからエスカレートしてしまったのである。その場は、恩師になだめられてしぶしぶ鉾を収めるということになった次第。このこと自体はたいしたことではないが、その際に具体的にどのような出来事を念頭に「ウソつき」と言ったのか、当時のことが思い出せない。それくらい、日本の原子力産業かいわいには、事故隠し、欠陥隠し、活断層隠し、虚偽報告などが日常茶飯事のようにあふれていて、いちいち思い出せないくらいになっていた。
かねてより、原発に対する私の中心的な問題意識は、原子力基本法に謳われている「民主、自主、公開」の平和利用三原則は絵に描いた餅であるということであった。 民主:日本国家の民主主義的諸原則がまともに機能していないときに、原子力開発だけは民主的に運営され得ると期待するのは愚かと言うべき。 自主:ウラン調達も、使用済み燃料の再処理も他国任せである以上、自主はあり得ない。米国の核開発で余ったウランを押しつけられたり、英仏の国内法に縛られた形で使用済み燃料の再処理を委託したりしなければならない。IAEAに加盟している以上、そもそも完全に自主的であってはいけないという側面もある。 公開:核兵器が「貧者の兵器」と呼ばれるように、最も安上がりの大量破壊兵器となり得ることから、核施設はテロ攻撃の標的になりやすく、ことに、貯蔵や運搬に関わっては真の公開ということはあり得ない。高レベル放射性廃棄物でさえ、これを盗んで散布するだけで広義の核兵器(汚い爆弾)となり得る。そのため、例えば核燃料や高レベル廃棄物の輸送については、日程やルートが非公開になったりする。ただでさえ、日本の原子力施設はテロ対策がなっていないと海外から批判されているので、この傾向は今後ますます強まるだろう。 「公開」があり得ない以上、「民主」も「自主」もあり得ないという関係にあるので、真の公開は不可能という問題こそが原子力開発に歪みをもたらす元凶になっている。原子力業界の隠蔽体質も、このことと無関係ではないかもしれない。 1995 年、日本がフランスのCOGEMA 社に委託していた使用済み核燃料の再処理で生じた高レベル放射性廃棄物が返還されることになった。既に、93年には再処理で核燃料として抽出されたプルトニウムが返還されていたが、フランスの国内法により廃棄物の返還も義務づけられている。4月26日、高レベル放射性廃棄物返還輸送船パシフィック・ピンテール号が青森県のむつ小川原港に入港し、荷揚げ・陸上輸送されることになった。4.26と言えば、奇しくも1986 年にチェルノブイリ原発事故が起こったことで記念されるべき日である。その日の様子を大庭里美さん経由で聞いたことがある。 全国の反原発グループは、半年ほど前から高レベル廃棄物の返還(長距離輸送)に対する抗議行動を計画していたが、直前まで、海上も陸上も輸送ルートと日程が非公開とされていた。93年のプルトニウムの荷揚げは東海港であったが、六ヶ所村の廃棄物保管施設が完成間近ということで、そこから7 kmほどと近いむつ小川原港に荷揚げされると予想された。具体的な作業時間が絞り込めないが、反対派は、ルートとして予想される何カ所かに分かれて集結した。ついに、その一つのグループが待ち構えているところへ、巨大な円筒形のステンレス容器を積んだトラックが現れ、目の前を通り過ぎようとするまさにその時、突然にわか雨がザーッと降ってきて、放射能で高温になっていた廃棄物容器から蒸気が盛大に立ち上った。 2006年3月に公開された東電社内グループによる下記検討資料に、六ヶ所村の一時保管施設の概要と将来の見通しが記されている。 「海外再処理に伴い発生する返還廃棄物について」 この資料を読むと、上記の第一回返還の際には、高レベル廃棄物のガラス固化体28本が返還されていて、その後、年1回のペースで2005年の第10回までに合計1,016本となっている(注1)。同資料は、このCOGEMA社のガラス固化体について次のように記載している。 高さ:約 1.3m 、外径:約 0.4m 、容積:約 170L 、重量(最大):550kg α放射能量(最大):3.5×10^14Bq βγ放射能量(最大):4.5×10^16Bq 想定返還数量:約 1,350本 (約 260m3) βγ放射能の4.5×10^16Bqは、4.5京ベクレルであり、この度の東電原発事故に際し、レベル7に引き上げられた時点での全放射能放出量のおよそ10分の1の量となる。しかもこの時点では、数ヶ月未満の半減期を持つ短寿命核種は大部分消滅していて、主体は、半減期数十年から数万年の放射性核種である。最終処分ができるようになるまで地上施設において30〜50年間保管し、その後1〜10万年もの間管理するということになっている。この1本だけでもテロリストに奪われたらどうなるか、想像がつかない。 高レベル放射性廃棄物(死の灰)は、今も運転中の原発で日々大量に生み出されている。先週5月15日のサンデーモーニングで、河野洋平氏は、放射性廃棄物処理の目処も立たない内に原発を運転するのは不道徳であると語った。不道徳な連中に「民主、自主、公開」の三原則が守れると期待するのは、どだい無理というものだ。原発が停止されて電力不足で停電になれば、(病院などで)死者が出るとか弱者にしわ寄せがくるなどといった道徳をふりかざす主張を見かけるが、そもそも話の順番が違っていることに気づくべきだ。 参考:「七重のまったり日記」より、 「原発を止めると電力供給が追いつかなくて弱者が死ぬ」という主張が「ゲスい」わけ」 原子力発電は、国家的危機を招くおそれのある多岐にわたる要因を無制限に拡大しつづけていると言えるだろう。 さて、原子力産業の「ウソつき体質」の件であるが、記憶に残る「事件」として、2003年におこった東電の全原発停止問題がある。 東京電力2003年4月14日プレスリリース「福島第一原子力発電所6号機の点検停止について」 「これにより、当社の保有する原子力発電プラント17基(合計1730.8万キロワット)全てが停止することとなります。」 きっかけは、ひとつの内部告発であった。この事件を扱った「2003年の筑紫哲也News23」がYou Tubeで紹介されている。 経過の一端は、東電の広報誌「TEPCOレポート」の2003年8月特別号にも報告されている。とりあえず、これをそのまま信じることにして、上記「News23」の報道内容と合わせると、つまり、こういうことだ。 1989年8月、福島第一原発1号機の定期点検のために派遣されていたアメリカGE社の技術者スガオカ・ケイ 東電の社長が突然お詫び会見をしたのは2002年8月になってからである。スガオカ氏が内部告発したのは2件の事案についてであったが、調査の結果、29件のトラブル隠しが発覚したのだと言う。 まったく、次にどんなウソをついてくるか、油断もスキもあったものではない。 それらのことが正式に原子力安全・保安院へ報告されたのは2002年9月。その後10月から順次「定期点検」と称しての停止操作が始まり、翌2003年の4月15日の福島第一原発6号機の停止をもって東電の全原発が停止することとなった。やがて、同年5月7日には、柏崎刈羽原子力発電所6号機の発電再開を皮切りに、順次再起動され、電力需要が増加する夏を目前に正常化された。全原発が停止していた期間は22日間である。この事件は、はからずも、原発こそが最大の不安定電源であることを証明することとなった。 前掲「News23」の中で、GE社の幹部が、「日本人はクレイジーだ」と語ったと紹介されている。自らを含む日本国および日本人を危険にさらしたまま、欠陥原子炉と分かっていながら10年以上も運転し続けたのであるから、東電には原子力発電を管理・運営する資格も能力も、もともとなかったと言えるだろう。東電だけが悪いのでないとすれば、日本人には・・と言うべきか。 -------------------- 注1: COGEMA社から返還される高レベル廃棄物は、他にも固形物収納体3,600本、ビチューメン固化体1,100本などがあり、英国核燃料公社(BNFL)からも同程度の返還がある。 |
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2011年05月21日
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