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原発震災」の復興を、単なる復旧に終わらせずに、新しい日本を創出していこうという気運も興ってきているときに、一方で、もっと古い日本へ逆戻りするような動きもあって、暗鬱たる気分です。ちょっと時宜を逸しているのですが、メモ書き程度に触れておきます。
「愛しなさい」と強要されて、「では愛しましょう」という人を知りません。普通は、愛しなかったら罰するぞと脅されたら引いてしまいます。ますます愛せない存在になるでしょう。
つまり、このような形で国旗や国歌を強制する人達は、国旗や国歌を誰にも愛されない存在へと貶めていく役割を担っている訳です。 国旗や国歌が愛されない存在に堕ちていくこと自体は、私にとってはどうでも良いことですが、これを強要され、従わなければ罰せられる立場になってしまった教職員の身になってみれば、どうでも良いと済ます訳にはいきません。これは、形を変えた「不敬罪」です。 国旗や国歌に忠誠を誓わなかったら罰せられるのは世界の常識として引き合いに出されるのは、決まってアメリカです。 しかし、鴻上尚史さんも書いていますが、「国旗への強制的な誓いが裁判になり、州レベルでは合憲と判断されながら、連邦最高裁判所では粘り強く違憲判決が出続けているのが、アメリカという国です。」(SPA 6 14・21合併号「ドン・キホーテのピアス」) という訳で、「模範」とすべき相応しい国は他に求めなければならないようです。「首領様」をいただくかの国など思い浮かびますが、実情は良く知りません。いずれにしても、そうした強制は、とても「世界の常識」とは言えないと思います。それが常識として通ってしまうような国にはなってほしくないとも思います。 仕掛け人の一人、橋本徹大阪府知事の主張は
ということのようです。
しかし、職務命令以前に、行政・公務員は憲法を遵守する義務を負っています。憲法に違反する職務命令は、そもそも出してはいけないのです。地方公務員の長である府知事がそれを守れないなら辞めるのがスジだということです。
憲法では、基本的人権の尊重(十一条)、個人の尊重(十三条)、思想および良心の自由(十九条)などの定めがあり、主権は国家・行政府ではなく国民にある(一条)ことも明示されています。弁護士出身の橋本氏がそれを知らない筈はありません。 橋本氏は、
とも述べています。 これはおかしな話です。君が代を歌わない「式典」などいくらでもあります。卒業式では君が代を歌わなければならないという決まりの方がおかしいのです。また、「朝起きたらおはようございますを言う」のは習慣であって、「人から何かしてもらったらありがとうございますを言う」のは礼儀です。 習慣に従わないことで罪に問われる社会は、大変恐ろしい社会です。また、卒業式で君が代を歌うのは礼儀でもないので、誤った比喩と言うべきです。 繰り返しますが、国旗や国歌を愛しなさいと強制されたら、ますます愛せなくなります。かつては、祝日に国旗を掲げた民家は多かったのですが、今ではあまり見かけなくなりました。そうした風潮を一番恐れているのは天皇です。 2004年10月28日の園遊会の席上、東京都教育委員の米長邦雄氏が、「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と述べたのに対して、天皇が「日の丸・君が代」について、「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と意見したことは、象徴的です。つまり、国旗や国歌の強制は天皇の意向にも背く行為です。 今や、国旗や国歌を強制する人達は、これを国民皆が心から愛するようになってほしいなどとは心にも思っていないことは明らかです。彼らは単に、自分が気に入らない考えの持ち主をあぶり出し、追放するために、踏み絵やリトマス試験紙のように国旗や国歌を利用し、もてあそんでいるに過ぎません。憲法違反の思想統制を、おおっぴらにできるようにした訳です。 国歌斉唱の際に起立を拒否する勇気のない人は口パクで歌えばよい。口パクがバレたら、「強制されていると思うと緊張のあまり声が出なくなりました」とでも言っておけばよいと、私は思います。 |
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2011年06月14日
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