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沖縄へのオスプレイ配備に抗議するために普天間基地の野嵩ゲート前に座り込んでいた市民を、県警機動隊が強制排除して3時間以上も隔離・拘束するということがあって、その理不尽さに憤慨しながらも、何もできない自分の不甲斐なさをなさけなく思う日々が続いている。せめてここに、不服従の抗議行動への支持だけでも表明しておきたい。
ゲート前市民「隔離」 専門家疑問視「法的根拠ない」(琉球新報:2012年10月3日)
「野嵩ゲットー」を弾劾しオスプレイに留保なき拒否を(なごなぐ雑記:2012年10月4日 )
同上、「なごなぐ雑記」から:
0927普天間飛行場野嵩ゲート完全封鎖!(2012年9月27日 )
0928-30普天間飛行場大山ゲート&野嵩ゲート(2012年10月1日 )
以前この記事で、「まさか、オスプレイを「正しく怖れよ」などと言う訳でもあるまい」と書いたのだが、その「まさかの人」が湧いている。
例えば八重山日報の9月12日の署名記事には、「オスプレイ機反対者は自動車に乗らないのか 大浜 京子」があって、face book の63人が「いいね!」らしい。
理不尽にも放射能をばらまいて環境汚染の公害を引き起こした営利企業と国家・官僚に対する抗議の声に対して「正しく恐がれよ」と諫めるだけのアホな科学者たちが湧いているこの国にして、あり得べき暗鬱たる情況ではある。
ところで、共産党の「しんぶん赤旗」が、現地の抗議行動を大きく報道しつつも、このゲート封鎖の直接抗議行動については全く触れないままであるという。
(ペガサス・ブログ版:2012-10-02)
ブログ主の電話での問い合わせに対して、「ゲート封鎖というのは違法/合法のグレーゾーンで,先鋭的でもあり,戦術として“オール沖縄”で多くの人々を結集させることにつながるか不明である.」「現地の党組織の判断で報道するかどうか決めるが,今のところそのような判断(つまりネガティブ)だと思う.」との答えであったという。現地の共産党組織も「かなり迷っているようにも感じられた」とのことであるが、あきれるばかりで、これでは共産党の存在理由がない。
もし、この情報に接することがなかったら、このエントリーを上げることもなかったかもしれない。なにしろ、冒頭に書いたように、ひたすら自分の不甲斐なさをなさけなく思うばかりの日々である。タイトルに「不服従」と入れたのは、せめてもの意思表示だが、「連帯を」と書くのはおこがましいとの想いもある。
しかし、関電前抗議行動では逮捕者もでている。
反原発デモで逮捕 関電前報道の不審な写真(2012/10/06)
これも明らかな不当逮捕であるが、警察が逮捕したというだけで、この国では犯罪者扱いとなる。
直接抗議行動への考え方:
これは、その通りと思う。ただ、ガンジーは「非暴力・不服従」を説いた。この「非暴力」と「不服従」を一体のものとして捉えて初めて安富さんの主張が活きてくる。ガンジーが成し遂げたように、多数派の市民の一致した「不服従」こそが権力の横暴を断念させる力となる。沖縄の「民意」は既に明らかだ。
以前にこの記事やこの記事などでふれた故小泉文夫は、台湾の、かつて首狩りの風習のあった「高砂族」の音楽を現地で密着取材したレポートにおいて、首狩りは勇敢な戦士の証として行われているとの建前とは裏腹に、その実態は、「狩られる前に狩ってしまえ」との臆病者の発想にもとづく過剰防衛の行為として行われており、この風習は、アジアのニューギニアから日本へ続く島嶼部に共通の文化としてあると主張した。日本の戦国時代の「晒し首」の風習もその系譜という訳である。もちろんどこでも今では首狩りは禁止されているが、かつての日本の国家としての侵略行為も、そうした「臆病者」のメンタリティに根ざした「過剰防衛」という側面はあるのだろう。
その結果、太平洋戦争において2000万人の死者を出した。その真摯な反省と総括にたって、いっさいの戦力不保持を宣言した日本国憲法が誕生した筈なのだが、国防の名の下に際限のない軍備拡張が続いている。オスプレイの岩国基地から沖縄普天間基地への配備が完了した今、この問題を「沖縄の問題」としてのみ捉えるなら、歴史は忘れ去られることによって繰り返すということが現実のものとなるであろう。一方でこの問題が、確かに「沖縄の問題」としてあることも見逃してはならない。
お薦めのブログ記事:
オスプレイ(横板に雨垂れ:2012.06.18)
オスプレイ配備に関する産経新聞の聞くに耐えない主張(同上:2012.07.05)
(みずき〜「草の根通信」の志を継いで〜(資料庫):2010/5/7)
(同上:2010/5/7)
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