さつきのブログ「科学と認識」

福島第一原発、アンダーコントロールで、わざと昨年の2倍の放射能を放出か

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 表題の映画は1980年に韓国でおきた「5・18民主化運動」(光州事件)を舞台とした実話をもとに制作されたもの。韓国では昨年公開され、あっという間に観客動員1000万人を超える大ヒットとなったそうな。日本では本年4月にパラパラと公開が始まったが、地方だとまだ公開されていないところもある。シネコン一つの地元では公開の予定もないとのことで、5月に東京へ行った際に新宿ピカデリーでみた。私は若い頃光州を訪れ、この事件の詳細を知って強い印象を持った経験があり、どうしてもみたかったのだ。

韓国の「5.18記念財団」のウエブサイトから冒頭の概説部分をgoogle先生の助けを借りて訳してみた。

5・18民主化運動は、1980年5月18日から27日未明までの十日間に、全斗煥を頂点とした当時の新軍部勢力と米軍の指揮を受けた戒厳軍の鎮圧に抗した光州市民・全南道民が「非常戒厳撤廃」、「維新勢力清算」などを求めて、死を恐れず、民主主義奪還のために抵抗した歴史的な出来事です。抗争期間中22〜27日の五日間は、市民の力で戒厳軍を圧倒し、光州を解放区にして世界史にもまれな自治共同体を実現しました。

戒厳軍によって鎮圧された後、5・18民主化運動は、一時「北朝鮮の扇動による暴動」と非難されたりもしましたが、真相究明のための粘り強い闘いの結果、1996年には民主化運動として国が記念することになり、2001年には5・18墓地が国立5・18墓地に昇格され、関連被害者は民主化功労者として、その名誉を完全に回復しました。 5・18民主化運動は、韓国民主主義の分水嶺となる1987年6月抗争の動力になって民主主義争奪と人権回復につながりました。

今日、5・18民主化運動は、独裁政権に抗して戦っているアジア諸国の民衆に貴重な経験を提供してくれており、同時に民主化運動が目指すべき精神的な指標ともなっています。また、全世界の人々には偉大で美しい事件として記憶されています。韓国民主主義の土台の役割をはたしたという点で、光州と大韓民国の民衆は、5・18精神を胸深く刻んでおり、その精神を民主・人権・平和・統一など、新しい時代に新たに提起された課題にまで拡張していきます。

 このサイトに掲載されている画像を一つだけリンクしておく。



 日本のメディアは「光州暴動」という呼称を用いていたが、NHK アーカイブスの「NHK名作選 みのがし なつかし」に当時のニュース番組の「韓国・光州事件 戒厳軍が市民を鎮圧」と題する動画が残っている。

番組詳細
パク大統領殺害後の難局を乗り切った韓国では、2月末にキム・デジュン氏らの公民権が回復され、民主化が進むかに見えた。しかし、軍の実権を掌握した チョン・ドゥアホン将軍は5月17日、韓国全土に戒厳令を布告、キム氏らを連行した。5月18日、光州市で大学を封鎖した陸軍部隊と民主化を叫ぶ学生が衝突し、19日には学生と市民は軍の武器を奪って抵抗した。戒厳軍が投入され10日間にわたって内戦の様相を呈した光州事件は多くの死傷者を出して鎮圧された。

 私が最初に韓国を訪れたのは1987年8月。韓国で初めての開催となったやや規模の大きな国際学会に参加するためであった。全斗煥軍事政権末期のことで、翌88年には盧泰愚政権へと変わり、ソウルオリンピックが開催された。下関から関釜フェリーに乗って一夜を明かし、翌早朝釜山港に上陸して、映画に出てきたのと同じポニー製のタクシーで釜山駅へ。釜山駅からセマウル号に乗ってソウル入り。ソウル駅から同じくポニーのタクシーに相乗りして旅行案内所まで行き、そこで、学会会場となっていたロッテホテルの近くの路地裏にある安い韓式旅館(ヨガン)の紹介を受け、程なくその旅館の女将さんが迎えに来てくれたという次第。学会が終わると今度は高速バスを使っていくつかの地方都市をめぐりながら釜山まで戻り、釜関フェリーで帰国。ちなみに、今google mapの航空写真でロッテホテル周辺を観ても、当時とは風景が一変して、その旅館も残っていない。

 日本人旅行者も少しずつ増えていた時代で、どこでも親切にしてもらい、快適な旅を満喫した。以来、学会や共同研究、韓国人留学生のお世話、家族旅行など、毎年のように韓国を訪れ、レンタカーで旅行したりするようにもなった。この映画をみたいと思った動機の一つは、最初に訪ねた頃の韓国の風景や人々の息吹、そうした記憶を呼び戻したいという思いもあったからである。1987年と言えば、学会が始まる二ヶ月前には大統領の直接選挙等の国政民主化を求める「6月民主抗争」がおこったが、これは光州民主化運動の影響や教訓があって成功裏に終わったとされている。そうした特別の運動がなされた年でなくとも、韓国の大学へ行けばいつでもどこでも正門付近では学生達が太鼓を叩きながらデモをやっていた。

 光州を訪ねたのは、1990年前後だったと思う。当時光州市は全羅南道の道庁所在地で、その道庁に用があり、韓国人留学生のK君と共に訪ねた。その本庁だったか分館だったか、「光州事件」の写真パネルが多数展示されている広間があった。それらの写真が伝えているのは日本での報道によるものとは全く異なっていた。K君の説明によると、光州市あるいは全羅南道として、民主化運動に関わった人々を顕彰し、犠牲者を追悼するための施設が準備中で、既にそのためのモニュメントや公園、墓地の整備もなされているとのことであった。日本では暴動事件として報道されていたが、それは軍事政権による「大本営発表」を垂れ流していただけの、およそ報道の名に値しないものであった訳だ。やはりそうかと思うと同時に、日韓の政治文化の差を思い知らされた。

 1996年(あるいは1997年)になって韓国国家により「光州事件」が民主化運動として記念されることになったことは日本でも知られているだろう。そこに至るよりかなり前から、光州市や全羅南道ではこの運動を顕彰することになっていたのだ。光州市のほぼ全市民が生き証人なのだから、当地に陰謀論が入り込む余地はないし、その記憶は風化することもない。当然と言えば当然のことではある。ちなみに、実話としてドイツ公共放送(ARD)東京在住特派員であったドイツ人記者ユルゲン・ヒンツペーターが韓国の金浦空港に着いたのが5月19日とのことなので、彼は、5月20日の20万の市民と3万の軍・警察が対峙した場面を目撃していない筈だ。

 映画評は、まだみていない人の妨げにならないよう、少しだけ。まあ、面白かった。5・18民主化運動(光州事件)という韓国史上の重い事件を扱いながら、エンターテインメントとしても成功している。とは思うが、大事件を扱っているだけに何か物足りなさも感じた。一つには、予算不足からかエキストラがちょっと少なすぎる気がした。もう一点、共産主義者の嫌疑により国家権力の暴力がなされようとするとき、「共産主義者でもないのに理不尽な」という意味のセリフが何度も繰り返されると、さすがに「共産主義者にだったら暴行してもいいんかい、殺してもいいのかい」と思う。

人類を語ることは孤独なことだが
この独だけが
人類を語ることができる
人類を語るのは
サラム ひとの魂
危機と滅亡を感知する身体だ

魂があるかないか
身体があるかないかで
独に目覚めるか否か
群するか否かが決まる
魂を失わずに独であって群すれば
サラム ひとは人類と連帯する

この時
サラム ひとは生者とだけでなく
死者たちと連帯する
人類とは生者たちのことだけではない
死者たちのことでもある
人類は死者たちと共に在る

 崔 真碩( チェ ジンソク )『サラム ひと』(夜光社 民衆詩叢書 I,2018)より

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