さつきのブログ「科学と認識」

福島第一原発、アンダーコントロールで、わざと昨年の2倍の放射能を放出か

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(気まぐれで文体を変えます)
このブログのトップページに長い間トマトの写真が居座っていて、ずっと気になっていました。トマト農家と間違われてもかまわないのですが、あまりに芸がないので4年ほど前に訪れた祝島(いわいしま)の写真に替えます。といっても、写真の趣味はないので、愛想のないショットを3点ほど。
 
祝島は、瀬戸内海の西の端、伊予灘と周防灘の境目付近の山口県上関(かみのせき)町の小島です。中国電力の上関原発(137.3kW×2機)の建設予定地である長島・田ノ浦地区の沖合3.5 km に位置します。良く知られているように、この島では全島民こぞって原発建設に反対し,漁協も漁業補償を拒否しています。
 
イメージ 1

写真1:のどかな漁村です。島内の集落はここだけ。500人ほどが暮らしています。


イメージ 2

写真2:原発建設予定地が間近に見えます。


イメージ 3

写真3:漁港の波戸から下を覗くと、無数のアジが群れをなしていました。
 

祝島ホームページ:更新が途絶えていますがリンクが充実しています。

上関原発を建てさせない祝島島民の会 ホームページ資料室にリンクしてある「危機に瀕する長島の自然 上関原発予定地および周辺の生きものたちでは、上関原発建設予定地の長島の自然について豊富なカラー写真を交えて紹介しています。カサシャミセンというのはシャミセンガイの一種でしょうか。初めて知りました。
 
祝島島民の会blog」:同ブログは、5月25日、「山口県周南市の市議会が、上関原発計画の中止を山口県が中国電力に申し入れるよう要望することを、527日の臨時議会で議決する見込みだとのことです。
周南市は海岸部に石油コンビナート地域を抱え、上関町と隣接はしていないものの市内の一部が上関原発予定地から30km圏内にかかっています。」
と伝えています。
 
祝島の南東50 km 40 kmほどの愛媛県伊方町には、四国電力の伊方原発(1号機56.6kW、2号機56.6kW、3号機89kW)があります。発電出力100kWの原発はその2倍の200kWの熱を温排水として排出します。そのため、「水暖め装置」とか「海暖め装置」と呼ばれることもあって、日本では、ふつう外洋に面した海岸に造られます。上関原発が稼働すると、伊方原発と共に、瀬戸内海という半閉鎖水域を暖めるので、環境への負荷が心配です。どれくらいの影響があるか、ちょっと計算してみましょう。
 
伊方原発と上関原発の合計の発電出力は
56.6 + 56.6 + 89 + 137.3 + 137.3万=476.8kW
その2倍の953.6kWのエネルギーが海を暖めるために使われます。
1 W = 1 J/s = 0.2389 cal/s 860 cal/h
(熱の仕事等量を 1 cal = 4.185 Jとして計算)
 
1 cal1 gの水が1 ℃上昇するので、1 Wだと1時間で860 gの水の温度が 1℃上昇することになります。
953.6kWだとどうなるでしょうか。
 
9,536,000,000 W× 860 g/Wh= 8,200,960,000,000 g/h
 
つまり、1時間で8,200,960トンの水の温度を1℃上昇させます。
この8,200,960トンを海水の体積に換算してみましょう。
海水の比重を1.025とすると、およそ、8,000,000 m^3800万立方メートル)です。
 
これは、深さ1m、面積8平方キロメートル(例えば縦4 km、横2 km)の容積です。
 
深さを1mに固定すると、1日経てば面積は24倍の192平方キロメートル、1ヶ月後にはさらに30倍の5,760平方キロメートルとなります。
これは、別府湾を含めた伊予灘全域の面積に相当しである4,300平方キロメートルを超え、この海域全体の深さ1mまでの温度が1℃以上上昇する計算です。
 
もちろん、海面からの放熱があるので、時間が経つほどにどこまでも暖まるということはありません。それでも、表層が温排水で覆われてしまうと深層水との混合がおこらなくなり、大気からの酸素供給を阻害するようになります。瀬戸内海では夏場の海水温の上昇が問題になっていて、たかが1℃とバカにはできなくなるのです。
 
環境アセスメントでは、近隣の原発との相乗効果については無視されているようです。たとえ事故がおきなくても上関町だけの問題ではなくなります。
何より、東電原発事故によって、今や、祝島島民の判断の正しさが証明されました。
4月7日夜に起こったM7.1の余震によって、福島第一原発1号機では原子炉の表面温度が一時的に40度近く上昇した。発表によると7日午後7時の時点では223.3度であったのが、地震30分後の午前0時頃260.7度へと上昇し、その後8日午後1時になって246.6度まで低下している。原子力安全・保安院は8日正午すぎの会見で「不連続的にピンと上がっているので地震の影響ではないかと推察されるが、今後の推移をみたい」と述べた。
 
密閉された容器内にある放射性物質の放射壊変だけによる放出エネルギーが急上昇することはあり得ない。炉内で何かの<反応>がおこったということだ。考えられるのは、水素爆発が起こったか、一時的な再臨界がおこったかのどちらかであろう。現在危惧されているのは、格納容器内の水素爆発で、これを未然に防止するために窒素ガスの注入作業が行われているのだが、圧力容器内で水素爆発がおきる可能性があるだろうか。
 
水素爆発がおこるには水素と酸素が必要である。水素が発生する第一の要因は、燃料棒被服管の材質であるジルコニウムが高温にさらされて水と反応し、酸化するため、第二の要因は、放射線で水が解離されるためと説明されている。第一の要因によって全ての被服管が酸化され尽くした後では第二の要因によって発生した酸素が残留する可能性がある。このことによって発生する水素と酸素が水素爆発をおこすほどの量に達するとすれば通常運転中でも問題になる筈であるが、どうなのだろう。いずれにしても、圧力容器を破損しない程度の水素爆発で、原子炉表面の温度が40度も上昇することがありえるのか、地震の揺れをきっかけに着火することがあるのか(ありそうにないが)、きちんと検証する必要があるのではないか。
 
一方、再臨界の可能性があるとすれば、こちらも深刻である330日の記事に書いたように、中部アフリカのガボン共和国のオクロなどでは、約20億年前の堆積岩中で臨界に達した天然原子炉が知られている。現在の天然ウランにはウラン2350.72%しか含まれていないが、ウラン238の半減期(44.68億年)に比べてウラン235の半減期(7.038億年)が短いために、過去に遡るほどウラン235の存在比が高くなる。20億年前の時点を逆算すると、ウラン235の存在比は3.672%(注1)と、原発の燃料である低濃縮ウランと同程度になる。
 
オクロの天然原子炉は砂岩中で閃ウラン鉱(UO2)などのウラン鉱物が濃集した平均数10 cmほどの層からなる(注2)。そこでは間隙水が中性子の減速剤となって臨界条件が達成され、誘起核分裂の連鎖反応がおこったことがわかっている。核分裂反応が継続すると間隙水は沸騰して「原子炉」の外へ排出され、連鎖反応は停止する。やがて周囲の温度が低下して水が染みこんでくると再び臨界に達して核分裂反応がおこる。詳しい研究によって、約30分の臨界状態のあと2時間半休止するというサイクルが60万年間にわたって繰り返されたことがわかっている。概要はウィキペディアの「オクロの天然原子炉」を参照されたい。
 
オクロの例に照らして考えると、燃料棒の被服管が著しく劣化した状態で、地震の揺れによって燃料ペレットが崩れ落ちて、原子炉圧力容器の底に堆積した場合、一時的に再臨界に達するということもあり得るのではないかと思う。このことを想定するか否かで、今後の復旧作業の方針も変わってくる筈である。水素爆発同様、きちんとした検証が必要だと思う。
 
本日のサンデーモーニングでは、現在の放射能垂れ流し状態が深刻な国際問題となっている以上、状況を正しく把握して世界に向けて発信する必要があるとの意見で一致していた。その主体は、当事者である事故を起こした東電や、その遠因に繋がる国内機関ではダメで、権威ある国際機関がトップに立つ必要があるとの意見で、納得。もはやメンツに拘っている場合ではない。
 
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注1)いろいろな数値が出回っているが、酸化物としての全質量中のウラン235の濃度として示された値として表記されているものもあるので、注意が必要。同位体比そのものは厳密に計算することができる。
 
注2)20億年前頃になると地球表層で光合成による遊離酸素の濃度が増加するため、酸化的条件で溶解度の高いウラン鉱物が水に溶けるようになる。その水が有機物に富む還元的な堆積岩中にしみ込むことでウラン鉱物を析出してウラン鉱床が形成される。
福島原発の事故による周辺地域の放射線量は、少なくとも地上部分では次第に低下しているようだ。海外の知人達からは悲観的な情報ばかりが逆輸入されてくるのだが、国内の多様な機関や個人による、詳細で広範囲にわたる放射線量の測定値が公表されるようになったので、まずはそれらのデータを注視しておくことが重要と思う。
 
一方、海の汚染の方は深刻さを増している。原子炉を冷やすために今も多量の水を注入し続けているのだが、密閉されている筈の圧力容器に水を注入するということが、どういうことか、早い時期にその意味を理解した人がどれくらい居ただろうか。3月13日午前、枝野官房長官は記者会見で、3号炉で炉内の圧力を下げるために「ベント」が実施されたと説明した。この「ベント」は、実際には3月12日、1号機において、その建屋が水素爆発を起こすより少し前にも実施されていたことが、後から記録として出てきた。「ベント」は、本来、主として水蒸気を抜く作業である。しかし、建屋から立ち上る蒸気の量は、注入し続けられている多量の水に比べて、どう考えても少なすぎる。しかもこの蒸気は、位置から推定すると使用済み燃料プールからのものであると説明されていた。「ベント」とは別に、どこか別のところから漏れていない限り、水を注入し続けることはできない筈だ。この矛盾について、この間、誰も説明しなかったし、誰も訊こうとしなかった。
 
そうこうする内に、原発敷地内のあちこちから高濃度の汚染水が多量に「発見」されるに至り、事故処理作業の障害となっている。その量たるや、現時点で6万トンにも達し、「タンク」へ移し替えるのに数ヶ月を要するという。そして、いつの間にか、「当然、入れた分だけ出る」という説明になっていた。最初から分かっていて説明しなかった者、分かっていなかったのに分かった風なことを言ってきた者は、そろそろ黙ったらどうかと思う。地上を汚染から守るために、海が犠牲にされているというのが今の現実である。
 
現状認識や将来予測について、極端な悲観論から極端な楽観論まで、様々な見解が公表されていて、互いに衝突し合っている。ざっと見回したところ、専門家に近いほど、相対的には楽観論に傾いているようだ。一部の極端な楽観論者は、今は姿を見せなくなっているが、もともとリスク管理の視点から言えば、原発そのものが楽観論に支えられて成り立っている。日本ではチェルノブイリのような事故は絶対に起こらないと説明されていた。確かに、今回の事故はチェルノブイリと同じ性質のものではない。しかし、放射能拡散量ではチェルノブイリを超えようとしている。たぶん、超えるだろう。事故対策も後手後手に回っているように見えている。
 
そうした現状から、専門家の言うことが次第に信用されなくなっている。放射能の大気中への拡散を防止するために、事故現場を巨大な構造物で覆うというゼネコン提案の計画が、専門家の反対にもかかわらず、政府主導で実行に移されようとしているのもその現れであろう。こうした事態の方がもっと深刻である。だからこそ専門家は、発言に細心の注意を払わねばならない。
 
原子力発電所における電源喪失が今回のような深刻な事態を招くそもそもの原因は、核分裂反応が完全に停止した後でも燃料棒が発熱し続けることにある。発電効率を上げるためにも原子炉からの自然放熱は低く抑えられているので、発熱量は低くとも炉心は時間とともに加熱され、強制的に冷却しないかぎり、やがて今回のような事態を招く。原子炉建屋に併設された使用済み燃料棒のプールにおいても冷却機能が失われたために危険な事象を招いた。このことからも、燃料棒の強制冷却は相当長期間維持しなければならないことがわかる。
 
核分裂停止後の燃料棒の発熱は、核分裂生成物としての短寿命核種の放射壊変エネルギーによるもので、燃料のウランやプルトニウムの放射壊変による発熱は微々たるものに過ぎない。試しに、238U235U239Puをそれぞれ85%, 5%, 10%の割合で含むMOX燃料の核分裂停止時の放射壊変による熱出力を計算すると、たかだか0.191 ワット/kg にすぎないことがわかる(注1)。燃料棒1本あたり約6ワットである。
 
一方、主要な熱源である核分裂片の放射壊変エネルギーによる熱出力の計算には短寿命核種の含有量データが必要で、これは燃料の組成と運転履歴に依存するので、正確な計算は容易ではない。しかし、一般に知られている核分裂片の生成率(収率)から概算することは、多数の核種が関係するので大変面倒ではあるが、不可能ではない。これらの短寿命核種は将来的には高レベル廃棄物の成分となるので、本来、正確に核種個々の含有量を把握しておくべきものであるが、そうしたデータは一般論の形でしか出てこない。
 
事故後数日経った頃、テレビの報道番組のコメンテーターとして呼ばれていたある専門家は、核分裂停止後の燃料棒からの発熱は1本あたりおよそ4 kWと、自身の概算値を紹介していた。4 kWといえば家庭用の小型電気ストーブ2台分である。これで4 mもある燃料棒が熔解にまでいたるのは、多数の燃料棒がコンパクトに配置されていることと圧力容器が断熱されていることによるのだろう。100kW程度の一般的な沸騰水型軽水炉では60本程度の燃料棒を束ねた燃料集合体が600体ほど装着されているということであるから、36,000本の燃料棒があるということになる。1本あたり4 kWとすると合計144,000 kWにもなる。停止直後の値とは言え、なるほど融ける訳だ。
 
財団法人日本分析センター(千葉市)は、福島第一原発から南南西約200 kmの同敷地内における空間線量率と核種毎の放射線量を計測し、3月31日までの変化をグラフとして公表した。
 
測定値はマイクログレイ単位で計測された値をそのままマイクロシーベルトとして表示されている(注2)。グレイ(Gy)は、放射線を浴びる物体が単位質量当たりに吸収するエネルギーで、吸収線量と呼ばれ、J/kgに等しい。そこで、核種毎の吸収線量の比率は単位時間あたりの壊変エネルギーの比率に等しいと仮定し、放射線量の最も大きなセシウム134の燃料ペレット中の重量濃度を100 ppm0.01 wt%)と仮定した時の放出エネルギー(J/s W)を元に、その他の核種の放出エネルギーが公表された吸収線量の比率に合うように、それぞれの濃度を逆算してみた。
 
公表されたグラフから読み取ると、3月31日時点でのセシウム134の吸収線量を100としたとき、その他の有意な値を持つ核種とそれぞれの吸収線量の割合(括弧内)は、ヨウ素13150)、セシウム13735)、ヨウ素13215)、セシウム13615)、テルル1322)となる。キセノン133もテルル132と同程度検出されているが、これはより短寿命のヨウ素133起源である。さらに短寿命のヨウ素132(半減期2.3時間)がかなりの線量で検出されていることから再臨界を危惧するブログ記事を見かけたが、これは半減期3.2日のテルル132がβ崩壊したもの。両者は、既に放射平衡に達し、グラフ上で並行に単調減衰している。親のテルル132より娘のヨウ素132の線量が高いのは、後者で崩壊エネルギーが7倍も高いからで、エネルギーを単位とする吸収線量で表すとこのような結果になるが、ベクレルで表すとほぼ等しくなる。
 
3月21日に全体として急上昇している点について、分析センターでは降雨の影響と説明しているが、この前後でヨウ素131とヨウ素132の線量が2日間に渡って明瞭に逆転している。3月21日午後4時頃、第一原発3号機から灰色の煙が立ち上り、作業員を一時退避させるということがあったが、この時「若い汚染物質」が付加された可能性がある。もっとも、ヨウ素132は親核種であるテルル132の挙動に支配されるので、ヨウ素とテルルの化学的な性質の違いで説明できる現象なのかもしれない。
 
ストロンチウム90などの融点・沸点の高い元素は検出されていないが、飛散のメカニズムが異なるためと考えられる。計算の結果は以下の通りである。なお、熱出力は燃料ペレット1 kgあたりのワット(=J/s)として算出した。また 1eV = 1.6022E-19 J とした。
 
 核種   半減期  壊変エネルギー(MeV) 熱出力(W) 濃度(ppm
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セシウム134  2.06   2.06         1.58      100
ヨウ素131   8.02日   0.97         0.79       1.11
セシウム137  30.1   1.18         0.52      863
ヨウ素132   2.3時間 3.58         0.24       0.0011
セシウム136  13.16日 2.55         0.24        0.215
テルル132   3.204日 0.518         0.03      0.033
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 合計                  3.40      964.35
 
放射能リスクが高いのは半減期が数時間から数十年の範囲にある核種である。これより半減期が短いものは直ぐに消失するし、長いものは放射能レベルが低いのでどちらも問題にならない。その意味で、ここでは検出されていないストロンチウム89, 90、ジルコニウム95など、その他の重要な核種約10種類は、大気中よりむしろ海へ垂れ流された汚染水の中に含まれていると予想される。
 
セシウム137134比は、通常0.72.5程度になると説明されているが、8.6と高いのは、核分裂停止後長時間を経た使用済み燃料プールから飛散した成分の影響かもしれない。
 
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注1)この計算には以下の仮定をおいた。
1.ウラン234が天然比と同じだけ混入していて、ウラン系列はウラン234まで放射平衡に達している(終端はトリウム230)。
2.ウラン235から出発するアクチニウム系列は次のトリウム231(半減期25.52時間)まで放射平衡に達している(終端はプロトアクチニウム231)。
3.プルトニウム239から出発するアクチニウム系列には放射平衡に達しているものはない(終端はウラン235)。
4.親核種と、放射平衡に達している核種が崩壊した後の終端核種との間に生じた質量欠損に相当する壊変エネルギーは全て熱に変わる。
 
計算は放射壊変の基本式 D* = N0(1-EXP(-λt))から、まず1秒間における親元素の崩壊数(ベクレル)を求める。ただし、N0は親核種の数、D*t時間後に生み出される娘核種の数、λは壊変定数で、半減期をTとすると λ= Ln(2)/T = 0.693147/T となる。
こうして求まったベクレル値にそれぞれの壊変エネルギーを掛けて、1 eV = 1.6022E-19 J からJ/s =ワットを算出する。
 
注2)本来グレイからシーベルトへの換算は、放射線の種類やエネルギー毎に、また、被曝する人体組織毎に決められた換算係数(ICRPの勧告による)などを掛けて足し合わせるなどの複雑な計算が必要である。市販の放射線サーベイメータの中には線量を直接シーベルト単位で表示する機種があるが、その値を鵜呑みにすることは大変危険である。
とりあえず記録しておく。

国内観測史上最大のM8.8の巨大地震が起こって、大変な被害が出ている。被災された方々にはかける言葉も見つからない。
地震直後から連絡がとれなくなっていた仙台の友人と、今朝(12日)になって奇蹟的に携帯電話が通じ、家族ともども無事であることを確認した。友人宅は地震直後から停電で、テレビを見ることができないために、近隣地域で起きている壊滅的な被害状況についてほとんど知らなかった。とりあえず無事でいることを他の知人達にも連絡してほしいと頼まれた。次に友人は、女川原発は大丈夫かと聞いてきたので、女川は大丈夫そうだが、福島があぶないと答えた。実際、地震から24時間が過ぎて、この記事を書き始めた今この時点で、さらなる被害を生む危険な事態が福島第一、第二原発で進行している。

第一報は本震が起きた数時間後の11日夕方、地震を検知して自動停止した福島第二原発1号機に、停電のために外部電力が供給されなくなり、さらに、それをバックアップすべき発電機の全てが起動しない状況にあるというものであった。私は、この報に接してすぐに2001年に台湾の原発で起こった電源喪失事故を思い出し、この後進行するであろう事態を思って青ざめた。そして、すぐに、関東圏に住んでいる娘や友人達に、福島原発関連のニュースに注意しておくよう伝え、その後、特にこの問題に関係するテレビ報道を中心に録画し続けた。もっとも、この後数時間の間、この問題に特に注目するような報道に接することはなく、苛立った。

次の報道は11日20時頃、枝野官房長官を本部長とする原発事故対策本部が立ち上がったというもの。その後21時頃、今度は福島第一原発2号機の圧力容器内の水位が低下し、放射性物質が漏れ出す懸念が高まったということで、半径 2 km圏内に避難指示が出された。この時点では、当局としては事の深刻さをきちんと把握しているのだろうと思った。21時30分頃には、IAEAが、事故の対処法への指導に乗り出すという報道もあった。その後、いつの間にか避難範囲は半径 3 kmとなっていた。(注1)

今朝になると、今度は福島第二原発の方がもっと危険な状況に陥っているということで、こちらの避難指示の範囲の方が 10 km圏内と拡大されていた。今日は午前中外せない業務があったが、13時頃、原発敷地内でセシウムが検出され、燃料棒ケースの溶融が疑われる事態に陥っていることを知った。これを「炉心溶融」と表現する報道が多かったが、この時点では本当の炉心溶融はまだ起こっていないと思われた。

12日14時30分頃までに、テレビのあちこちの特番で、専門家達の解説を一通り聞いた時点で、私は、こりゃダメだ、誰もこの事態に対処する能力はないなと思い、娘に、いつでも避難できる準備をせよとメールした。しかし、娘の返信で、休暇半分、避難目的半分で羽田へ行った同僚から、数日間はどの便も満席でチケットが取れないのでどこへも行けないと聞かされたとのこと。なるほど、仮に、関東圏の数千万の住民に避難命令が出ても、避難することは不可能だ。娘は、昨夜は公共交通機関が動かなかったために、7 時間歩いて帰宅し、クタクタなのであった。

16時頃、深刻なニュースが流された。15時36分頃、福島第一原発1号機の直下で大きな縦揺れがあり、直後、施設内に爆発があって白い煙のようなものがあがり、4人が怪我をして病院に運ばれたという。NHKのアナウンサーは、すぐに、「爆発」の後で原発建屋の外壁が完全になくなって、鉄骨が剥きだしになっていることに気がついた。さらに、原発敷地の縁で1015マイクロシーベルトの放射線が検出されたという。この事態に、原子炉格納容器の破損を危惧する報道もあったが、格納容器や圧力容器が破損していれば、もっと桁違いの放射線量になる筈で、私はむしろ、圧力逃がし弁が作動して、建屋内に充満した水素が爆発したのだろうと思った。

やがて、午後4時45分に、枝野官房長官と原子力保安院の記者会見がなされた。これを聞いて、またしても私は、こりゃダメだと思った。午後7時、福島第一原発周辺の避難指示の範囲が20 km圏までと拡大された。

ここまでは、昨日の夕方の時点で私が危惧した範囲内の出来事であるが、この先何がおこるのか、素人の私には見当がつかない。

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注1)テレビ報道の録画を見直すと、1121時頃の枝野官房長官の最初の避難指示の記者会見の様子が、2150分頃になってテレ朝の緊急報道特番で録画として流されたが、避難指示の範囲は最初から3kmと発表されている。この録画を流した後、先の2 kmの報道は誤りであったと訂正されているが、この時点までに、「2 km」と繰り返し、何度も流されていた。第一原発1号機と、第二原発2号機を逆に伝えたケースもあったので、テレビ報道に頼ったここでの記述も、その正確さは危うい。いずれ、正確な記録が出てくるであろう。

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追記(13日午前0時15分)
その後、1221時前に、枝野官房長官の記者会見があり、「爆発」は格納容器の破損を伴うものではなく、圧力逃がし弁から放出された水素が爆発して「建屋の壁が崩壊したもの」であると発表された。爆発の瞬間を捉えた映像は2335分頃、NNNの特番でみることができたが、なんとも凄まじい。「崩壊」ではなく、粉々に吹き飛んでいて、これで死者が出なかったのは奇蹟というしかない。一方22時頃、福島第一原発から北西へ3.5 km離れた双葉町双葉高校のグラウンドで避難用ヘリを待っていた住民3名が被爆したとの報せもあった。また、原発の復旧作業に携わっている東電の作業員一人が社内規定を上回る被爆をして病院へかつぎ込まれ、体調不良を訴えているとの報告も。11日夕方の時点で検討されていた「決死隊」が、実際に組織されて、危険な作業にあたっていることを伺わせる。直前のニュースでは、原子力安全・保安委員の最新の記者会見で99年の東海村「臨界事故」に匹敵するレベル4の事象であるとの認識が示されたという。
 
20時過ぎからは、格納容器(圧力容器?)内にホウ酸を混ぜた海水を導入して、「冷却」と同時に核分裂を押さえる作業が行われたとのこと。この方法で「冷却」することのできる熱量は、(水の質量×水の熱容量×温度差)の分だけである。燃料棒の合金ケースが融解していると想像されている状況で、二次冷却系統を動かさずにこれで大丈夫なのか、なんだか理解できない。なお、各局の報道とも「溶融」が「溶解」なのか「融解」なのか区別がついていないようであった。実際に、現象として区別がつけられずにいるのかもしれないが、どちらなのかは極めて重要である。

田中一村

田中一村(備忘録)

田中一村(1908 〜1977)の作品に初めて出会ったのは15年ほど前、テレビの画面を通してだった。解説のナレーションとともに5分ほどの間に映し出された数枚の日本画に釘付けになった。ごく少数の所縁の人々だけが知る存在であったのが、熱心な支持者の活動で少しずつメディアにも登場するようになって10年ほど経った頃のこと。以来、画質の悪い小さなブラウン管を通して認めたこの人の作品が、知らぬ間に私の心の中に巣くっていた。

それから6〜7年が過ぎた頃、趣味で絵を描いていた古い仲間達と再会した折に、その一人が最近描いたという絵をデジタルカメラのモニターで見せてくれた。それを見てすぐに、一村の絵を思い出した。聞けば、確かにその友人は、一村に魅せられて画風をすっかり変えたと言う。私は逆で、一村の絵を知ってしまった後は絵が描けなくなっていた。ファンの中には生活の拠点を奄美へ移した人もいる。「一村病」と言うのらしい。絵の善し悪しなどというものは多分に人の好みにもよるのだろうから、どうということもないが、絵にはそうした「重病人」を生み出す力もあるのだ。私はかなり「軽症」で、一村の絵を前にすると心の中で起立してしまうけれど、やがて正気に戻る。画集は一冊だけ持っている。昨年は奄美大島の空港近くにある一村の記念美術館を訪れる機会があったが、飛行機の待ち時間に慌ただしく観て回って、却って心残りとなった。予想以上に施設と展示内容が充実していたのだ。

田中一村は、幼少期より天才的な画才を発揮して、神童ともてはやされていたようだ。東京美術学校(後の東京芸大)の日本画科へ進学して、周囲は、将来日本画壇を率いる一人になると期待した。同期に東山魁夷や橋本明治らが居る。しかし、理由は知られていないようだが、わずか3ヶ月で中途退学してしまう。その後も一人創作を続けたが、再々美術展に出品するも、そのほとんどが落選するなど、中央画壇の評価は芳しくなかった。1958年、失意の内に一人奄美大島へ移り住む。いや、単に「失意の内に」というのではなく、もともとは起死回生・一発大逆転を目論んでの計画的な行動であったという見解があって、こちらの方が正確かもしれない。いずれにしても、画壇との交流を絶ち、やがて人々の記憶の中からも消え失せていった。彼の作品が再発見されるのは没後の1980年代中頃のことである。

当初は、まるで仙人、あるいは修行僧のような生活の中から、あのような凛とした作品が生み出されたと勘違いされがちであったが、正確な情報が行き渡った昨今、そうした誤解が生じる余地はない。その点では、同じく辺鄙な地方で創作に励み、没後に広く知られるようになるという共通性のある宮沢賢治が、情報の独占も災いして神格化されてしまったのと事情が異なる。

実際の一村は、奄美に移った直後は下宿生活であったが、間もなくハンセン病療養所・奄美和光園の職員宿舎に移り、園の広報誌に挿絵を描いたりして、周囲の人々と広く交流していた。やがて、粗末な一軒家を借りて菜園で食料を自給しつつ、大島紬の染色工となる。そして、5年働いて3年間絵を描き、さらに2年働いて千葉で個展を開くという計画を立て、これを実行に移す。しかし、結果的に個展は開かれなかった。この間に姉や親戚に宛てて書かれた手紙も多数残されているし、世話になった近所の人に自らの作品を贈ったりもしている。近隣の住民からしてみれば、変人というほどでもない一人の貧乏で絵の上手なおじ(い)さんに過ぎなかった。

一方、解説書や企画展の案内などで、しばしば「東洋のゴーギャン」というキャッチフレーズを目にすることがあるが、それは一村とゴーギャンの双方にとって大変迷惑なことだと思う。確かに、南の島を目指したことや、色面の佇まいなど似通った点もあるが、二人の作品は本質的に異なっている。一村が題材としたのはもっぱら奄美の自然だが、ゴーギャンが目を向けたのは人間である。一村の作品には、一瞬にして人々を魅了し、その生活さへも変えてしまう力があるのだから、虎の威を借りるかのようなキャッチフレーズなど余計なことである。

一村の作品のすばらしさを伝える言葉が見つからないが、ただ個人的なこととして、しばしば彼の絵を前にして固まってしまうのは、若い頃、尊敬する恩師の一人から「今のあなたの学問はムラマサです、マサムネを目指しなさい」と諭されたその言葉が、心に刺さった棘として遺されたことに起因している。一村美術館で彼の晩年の作品と対面し、とっさに、ああ、ここに目指すべき『正宗』があると思い、そのことによって私自身が抱えていたものを自覚した。

ノルマや義務感、あるいは名声欲などに駆動されて仕上がる「作品」は多いが、晩年の一村にはそうしたものは一切なかったし、最晩年には気にすべき締め切りさへなかった。人々を魅了し、後世に残る「作品」というものは、そのようにして生み出されるのだろう。これは何も絵画だけに限ったことでもない。

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