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少し前に、安東量子さんの以下のようなtweetに接し、思うところあってこれを書く。
「世間知らず」との批判は、原爆開発に関与した物理学者だけでなく、外形上、授業で彼らを擁護した「日本の物理学者」にも向けられていると考えることができよう。こんなふうにツッコミを入れる学生がいることは頼もしい。しかし、これがもし、例えば「平和学」や「科学技術社会論」のような授業でのことだとしたら、「それはいくらなんでも、それはいくらなんでもご容赦ください」と言うべき雑な講義内容だ。
かつて大学の講義でこの種の話題が持ち出される時は、きまって篠原正瑛(せいえい)さんとアインシュタインとの間で交わされた往復書簡のことが言及されたと思う。哲学者であった篠原さんは、平和主義を説くアインシュタインとの間で、原爆を作るようルーズヴェルトに進言する手紙に署名したことは失敗であり悔い改めるべきだとして、1953年から54年にかけて6往復の手紙のやりとりをした(注1)。その往復書簡の内容をベースとして、ある科学技術がまさに悪用されようとする社会情勢にある時、あるいは将来人類にとてつもなく大きな災いとなる可能性がある時、科学者はその研究・開発を封印すべきであるとの主張は、研究者倫理としてひろまっていたのである。実際、私の大学院時代のY先生の最終講義の半分は、この話題に充てられた。しかし、当時のこの議論に、物理学者達はひどく世間知らずだとの認識は少しも紛れ込んでいなかったことは注意した方が良い。
篠原さんは、後に、原水爆禁止日本国民会議(原水禁)の委員など社会的活動もなさったので、そうした活動の場でアインシュタインとの往復書簡のことが広まったようだ。Y先生も原水禁や被団協の活動で篠原さんと付き合いがあったが、多くの人々が手紙の具体的な内容を知るようになったのは、『アインシュタイン平和書簡3』(ネーサン、ノーデン編、金子敏男訳、みすず書房、1977年2月)(注2)の刊行によるところが大きいであろう。しかし残念なことに、私のみるところこの書は、アインシュタインを美化するあまり篠原さんの問いかけを端折ってしまうなど、不当な編集が加えられている。それでもこれを読むと、それほど単純な話ではないことがわかる。篠原さんご自身で生前に往復書簡の全文を公開しなかったのは何故なのか長年疑問に感じていたが、この機会に改めて読み返してみてその理由も透けて見えるような気がしたのである。
きっかけは、雑誌『改造』の編集長であった原勝さんが、アインシュタインに向けて、原爆開発の責任を問う手紙を送り(1952年9月15日付)、すぐに返事があって、篠原さんがそれらの日独間翻訳を行なったことにある。『改造』からの最初の手紙は以下のような内容であった。
上記(4)の問に対してアインシュタインは、9月20日付、以下のように返信した。
この返信では、この後、平和達成の手段を軍備に求めることは軍拡競争を招き、必然的に人類滅亡の道へ連なるものであることを説き、最後にガンジーが引用される。
このやりとりを翻訳した篠原さんはこれに納得せず、翌53年1月5日、アインシュタインに最初の手紙を書き送った。篠原さんは、自らを「絶対的」平和主義者とするアインシュタインが、ルーズヴェルト宛の手紙をどうして書くことができたのか、「絶対的平和主義者」として止まることを願うならば、ルーズヴェルト宛の手紙を嘆かわしい失敗だと考える外ないではないかと問うた。ガンジーだったらアインシュタインのようには行動しなかったろうとも付言した。篠原さんの中心的な問題意識が当時の日本の進路にあったことは次の文面から読み取れる。
1950年に朝鮮戦争が勃発してGHQの司令のもと警察予備隊が組織され、やがて1954年の自衛隊の設置へと向かおうとする時代背景がある。篠原さんの問いかけにアインシュタインは同年2月22日に返事を送った。
篠原さんはまたも納得せず、同年6月18日付再度の手紙を書き送っているが、この部分は編者によって以下のように要約されている。
アインシュタインは直ちに(6月23日)、しかし、篠原さんの数ページの手紙の1枚の裏に書きなぐるというあえて礼を失する形で、次のように返信した。
篠原さんとアインシュタインとの手紙の交換は翌54年7月7日付のアインシュタインからの返信まで全体で6往復続いたが、この書では、最後に次のように書いて、後半を省略している。
何だかグダグダであるが、ここで関連する年表を整理しておこう。
1932年 7月 ドイツの議会選挙でナチ党が第1党となる
1932年12月 アインシュタイン、アメリカへ事実上の移住
1933年 3月23日 ドイツで全権委任法が成立してヒトラーによる独裁体制が始まる
アインシュタインの自宅がナチス突撃隊による家宅捜索を受ける
1933年 3月30日 シラード、ドイツを脱出
1935年 9月15日 ドイツでニュルンベルク法制定、ユダヤ人迫害が合法化される
1937年 7月 7日 盧溝橋事件
1938年 シラード、アメリカへ事実上の亡命
1939年 8月 2日 アインシュタイン・シラードの手紙が送られる
1939年 9月 1日 ポーランド侵攻
1941年12月 8日 真珠湾攻撃
1942年10月 マンハッタン計画スタート
1945年 4月30日 ヒトラー自殺
5月 9日 ドイツ国防軍の降伏によってヨーロッパ戦線集結
6月23日 沖縄戦終結
7月16日 トリニティ実験
8月 6日 広島に原爆投下
8月 9日 長崎に原爆投下
ナチスによるユダヤ人迫害で身の危険を覚えてアメリカに亡命したアインシュタインが、ただ研究に没頭していただけの世間知らずだった筈はない。彼は、ナチスによって自宅の家宅捜索まで受けている。ルーズベルトへ原爆開発を進言する手紙を書くようアインシュタインに依頼したシラードもユダヤ人であったが、かなり早い時期からナチスの凶暴性を見抜いてその危険性を広く説いて回り、ナチスの全権掌握直後にドイツから脱出している。オッペンハイマーがアメリカへ渡ったのは亡命という形ではなかったにせよ、彼もユダヤ人だった。アインシュタインは、マンハッタン計画に関わっていなかったとはいえ、原爆の開発を進言した手紙に署名したのである。その手紙を読めば、彼らにとって、ナチス・ドイツが先に原爆開発に着手しているという、その切迫した恐怖こそが、「科学技術が悪用される社会情勢」の核心だったことがわかる。
その上でアインシュタインは、先に原爆を開発してその威力を見せつけることで、実戦で使用しなくてもドイツの降伏を早めることが期待できると考えていたようだ。原爆開発の完了前にドイツは降伏しているので、開発完了後にそれがドイツに対して用いられる可能性は実際上あり得なかった。そこで篠原さんは、既に戦争を継続する力を失っていた日本に落とされたことはどのように正当化されるのかと問うた。これに対してアインシュタインは、「日本に対する原子爆弾の利用を、私は常に有罪だと判定しています」としつつ、それに反対する力は自分にはなかった、それはあなた(篠原さん)が、日本のアジア侵略を止められなかったのと同じだと応じた。
篠原さんは1939年にドイツへ留学し、ドイツの大学で職を得て、ドイツ降伏後は連合軍により抑留され、スイスでの病気療養を経て49年に帰国とのこと。後に「原水禁」の委員にもなる篠原さんとして、アインシュタインの反撃にどのように納得したのか、この本を読んでもよくわからない。アインシュタインは、篠原さんと往復書簡を交わした後でバートランド・ラッセルと意見を交換し、55年7月9日のラッセル・アインシュタイン宣言を準備した。アインシュタインが亡くなったのはその宣言発表の3ヶ月前の4月18日である。
さて、戦後の物理学者の中には、世界の命運は我々が握っているのであり、世間知らず故に時代に翻弄されているのはむしろ「大衆」の方であるとの倒錯した世界認識も一部には間違いなくあって、Y先生は、そのことを「物理帝国主義」の一側面として批判された。私自身、この往復書簡の全文を読んでいないので確信は持てないが、篠原さんが生前にその全文を公開しなかったのは、ある種手のつけられない「パンドラの箱」の匂いを嗅ぎ取ったからではないか。アインシュタインの威光に対する敗北主義が哲学者らしからぬ不徹底を招いたのではないかとの疑念は拭えない。
――――――――――――――――――――
注1)篠原さんの遺族がアインシュタインからの返事6通の寄贈先を探しているという2005年6月7日付毎日新聞の記事のコピーが次のページにある。
結果的にこの手紙は広島平和記念資料館に寄贈され、企画展などで公開されているようだ。
注2)『アインシュタイン平和書簡』の書評は大正大学の瀧本往人さんのブログ「 そのたびごとにただ一つ、世界のはじまり」で読むことができる。
アインシュタインの苦悩は続く〜平和書簡2、を読む(2012-08-30)
私は私自身を原子エネルギー解放の父だとは、考えていない――アインシュタインの無責任性(2012-08-31)
出版社はアインシュタインの平和論に何を求めたのか(2012-09-03)
アインシュタイン、原爆と科学者の責任について語る〜平和書簡3より(2012-09-04)
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社会のこと
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昨年12月13日、広島高裁は、伊方原発から半径 160 km の範囲にある阿蘇火山がカルデラ噴火を起こすと設計対応不可能な火砕流が到達する可能性を否定できず、立地不適であるとして、伊方原発3号機の運転停止を命ずる仮処分決定を下していた。これに対して四国電力が、同年12月21日に広島高裁へ運転差し止めの執行停止を申し立てていた異議審で、本日(9月25日)、「破局的噴火によって生じるリスクは、その発生の可能性が相応の根拠をもって示されない限り、原子力発電所の安全確保の上で自然災害として想定しなくても安全性に欠けるところはないとするのが、少なくとも現時点における我が国の社会通念であると認める他ない」と述べ、「阿蘇において破局的噴火が本件発電所の運用期間中に発生する可能性が相応の根拠をもって示されているとは認められず」、従って伊方原発の立地が不適であるとは言えないとして運転差し止めを棄却する決定を下した。
本稿は、高裁決定を受けての広島訴訟原告・弁護団の記者会見等に、広島高裁の昨年の野々上裁判長は正義の味方で、交代した三木裁判長は悪者とするような論調を見て強い違和感を覚え、急ぎまとめたものである。ここでは、そもそもの元凶は原子力規制委員会の、その存立理由をも揺るがす変質にあり、そこを本丸として糾さない限り本件の前進はないことを示そう。
異議審決定の根拠として持ち出されたのが、本年3月7日に原子力規制庁より公表された「原子力発電所の火山影響評価ガイドにおける「設計対応不可能な火山事象を伴う火山活動の評価」に関する基本的な考え方について」と題する資料(以下、「3.7資料」(pdf: 321KB))である。昨年12月の仮処分決定は、規制庁の「火山影響評価ガイド」が立地適合の判断基準として「設計対応不可能な火山事象が、原子力発電所運用期間中に影響を及ぼす可能性が十分小さいか?」と記載していることを文言通りに適用したものであった。ところが、「3.7資料」は、これは「火山の現在の活動状況は巨大噴火が差し迫った状態にあるかどうか、及び運用期間中に巨大噴火が発生するという科学的に合理性のある具体的な根拠があるかどうかを確認する」という意味であるとした。
立地適合の要件として書かれた「火山ガイド」の文言を、立地不適と断ずるために必要な高いハードルを要件とする文言に読替えよという訳である。このことは、規制庁が原発事業者ではなく原発に異を唱えようとする側を規制する機関であるという、その真の姿を恥ずかしげもなく晒すもので、ちゃぶ台返しの荒技とでも言うべきものである。阿蘇火山から160 km以内には伊方原発だけでなく、川内原発、玄海原発、そして計画中の上関原発も含まれるので、原発を重要なベースロード電源と位置付ける政府・経産省にとって、広島高裁の運転差し止めの原決定は、よほど耐えがたいものだったのだろう。 「3.7資料」では、このような論理の破綻した読替えを求める理由として、巨大噴火は極めて低頻度の事象であり、その発生可能性が全くないとは言い切れないものの、「これを想定した法規制や防災対策が原子力安全規制以外の分野においては行われていない。したがって、巨大噴火によるリスクは、社会通念上容認される水準であると判断できる」としている。この考えは、川内原発運転差し止めの仮処分申し立てにおける即時抗告審の福岡高裁宮崎支部の決定文に遡ることができる。そこでは、1万年に1回程度の極めて低頻度のリスクについては、社会通念上無視し得るものとして建築基準法等も対応を求めていないものであり、「少なくとも原子力利用に関する現行法制度のもとにおいては、これを自然災害として想定すべきとの立法政策がとられていると解する根拠は見出し難い」と述べられている。そして、伊方3号機運転差し止めの申し立てを却下した広島地裁の決定もこれを踏襲した。
これに対して昨年12月の広島高裁による運転差し止め決定では、このような社会通念を根拠とした原決定を批判し、このことには「多方面にわたる極めて高度な最新の科学的、専門的知見に基づく総合的判断が必要とされ」、政策判断として原子力規制委員会に委ねられていることであり、「原決定判示のような限定解釈をして判断基準の枠組みを勝手に変更すること」は、「設置許可基準規則6条1項の趣旨に反し、許されない」とした。ところが、こともあろうに当の原子力規制委員会が、先に述べたちゃぶ台返しをやったものだから、異議審における広島高裁はこれに従わざるを得ず、冒頭に述べた決定となった訳である。
ここで「従わざるを得ず」と書いたのは、異議審決定文が、「3.7資料」を引いた上で「現時点における我が国の社会通念であると認める他ない」としているからであるが、あるいは積極的に従ったのかもしれない。そうだとしたら、積極的に従うのに都合の良い口実を「3.7資料」の読み替えが与えたことになる。仮にこの「3.7資料」が昨年12月の広島高裁の原決定よりずっと前に公表されていたなら、野々上裁判長も、同じ理路に従って運転差し止めの申し立てを棄却していた筈である。規制庁にとっては、かつて福岡高裁宮崎支部の決定が持ち出した「社会通念」は、まことにもってありがたいアイデアであった訳で、そこにお墨付きを与えることで、この度の運転差し止めの棄却決定を「勝ち取った」のだと言えよう。
しかしこの「社会通念」なるものは、一度起これば一国の存立さえ危うくする原発の過酷事故と建築基準法が規制対象とする建物や橋などの損壊を同列に扱うもので、東電原発事故を経験した今、到底受け入れられるものではない。少なくとも、原発の立地に低頻度の巨大噴火によるリスクは容認されるという社会通念が存在することは立証されてもいない。この発想はまた、国際原子力機関(IAEA)による規制目標の精神にも反するものである。
IAEAは、既設炉の「早期大規模放出事故」を10万 炉年あたり1件以下に抑えることを目標としている。これは、世界中にある400余りの原子炉が一斉に稼働を続けても、グローバルな被害をもたらす過酷事故を250年に1回程度に抑える(400 炉 × 250 年 = 10万 炉年)ことで、現存する全ての原子炉が運用期間を終える数十年後までに過酷事故がほぼ起こらないようにして、次世代の安全な原子炉が開発されるのを待つ、との考えにもとづいている。この目標は、個々の原子炉が破局的事象に遭遇する確率を10万年に1回以下の頻度に抑えなければ達成できないもので、先に述べた「社会通念」を否定する発想である。
IAEAのこの考え方は「火山ガイド」を定める過程で議論の上に採用され、結果的に立地の適合基準として巨大噴火によるリスクが十分小さいことを事業者側で立証する義務が「火山ガイド」に書き込まれたという経緯がある。さらに規制庁は、早期大規模放出事故の確率をIAEAの目標より10倍厳しい100万炉年あたり1件以下にすることを目標として掲げ、世界一厳しい規制基準であると誇らしげに宣伝している。しかし、「3.7資料」で、1万年に1回程度の巨大噴火のリスクはそれが差し迫っている明確な根拠がない限り無視して良いとしたのである以上、実は、世界一甘い規制基準であったと言う訳である。今後は絶対に、世界一厳しい規制基準などと言わしめてはならない。
それにしても「3.7資料」のちゃぶ台返しは、原子力規制庁の存立理由を無に帰するほどのものであったのだから、広島高裁は、法律の親規定に遡って、このような変質を批判すべきであったとは思う。しかし、裁判所の審理においては、争点化されていないところへの言及を避けるのが決まりのようになっているので、それもまた無理な注文なのであろう。 |
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先週、2月11日の『ワイドナショー』での三浦瑠麗氏のスリーパーセル発言について、一言書いておくべきだと思いつつ、一週間が過ぎてしまった。録画から件の部分を文字起こしする。
(「スリーパーセル 一般市民を装って潜伏している工作員やテロリスト」との字幕が入る)
私は、三浦氏のこの発言は、在日朝鮮人に対する憎悪を煽り、危険にさらす効果を発揮する極めて悪質なものだと思う。類似の批判に対して三浦氏を擁護する意見が見られたので、そのいくつかについて手短に感想を書いておく。
まず、韓国や日本に「北朝鮮」のスパイや工作員が多数潜んでいるというのは常識で、実際に日本人が拉致されたではないかというのがあった。しかし、三浦氏が言っているのは、そうしたスパイや工作員のことではなく、戦争がおこって母国の指導者が殺されたり国体が崩壊したりした際に大規模なテロを仕掛けるよう命令を受けた集団のことで、そのような者が一般市民に紛れて多数潜んでいるという話である。三浦氏は戦争がおこったらどうなるかという文脈で発言しているのだから、そうした擁護は筋違いだ。
また、三浦氏はスリーパーセルが在日朝鮮人として暮らしているとは言っていないのだからヘイトスピーチにはあたらないというのもあったが、実際にこれに触発された在日朝鮮人へのヘイトスピーチや暴力行為が増えている。
例えば
朝鮮総連中央本部に銃弾 右翼団体の男2人逮捕(2/23 追記) 東京大学への抗議については、表現の自由、学問の自由があるのだから無駄だとの意見も見られた。しかし、他の権利と衝突する場合を想起するとあらゆる権利が無制限のものでないことは自明のことであろう。大学であっても、表現の自由、学問の自由が権利として他の人権に勝る訳ではないというのが一般的な理解で、そのためにいろいろな倫理規定、コンプライアンス規則などが設けられている筈だ。
この件に関係することで言えば、どこの大学にも情報倫理規程のようなものがあって、大学所属を名乗ってSNSなどでヘイトスピーチを公言したりするとお咎めを受ける。恥ずかしながら一昨年、私の学部の学生がtwitterで他国・多民族の憎悪を煽る発言をくりかえし、通報をもとに明確な情報倫理規程違反との決定が下され、厳重注意とtwitterアカウントの強制削除処分が行われた。SNS上ではなくテレビのワイドショーでの発言だから情報倫理規程違反にはあたらないとの言い逃れは通用するだろうか。学生は処分されて当然だが大学教員は表現の自由や学問の自由で守られるべきだというのは通用するだろうか。
学生本人は表向き反省のそぶりを見せていたが、通知を受けた父親から「何が悪いのだ」と大学担当者へ抗議があったと聞いて唖然とした。学生はお客様だが、大学当局は親の抗議に怯まなかった。しかし、親が庇ってくれたことで真の反省は得られなかったのだろう。その後この学生はもっと酷い事件をおこしてしまったのだ。人権というものを理解しない限り、何度でも人権侵害を犯す訳である。三浦瑠麗氏が人権を正しく理解しているとは到底思えないので、今後も人権侵害を誘発するような発言が繰り返される可能性大である。
ところで、三浦氏の言うスリーパーセルなるものは、母国の国体が崩壊した後でもなお母国への忠誠を維持し、命を捨てる覚悟でテロ行為に及ぶというものらしいが、そんな人間の存在をどうして信じることができるのか、私には全くわからない。かつてそのような実例があったのだろうか。近・現代史の中でも一国の指導者が殺害され、国体が崩壊した例は多いが、そのことを合図に敵対していた国でスリーパーセルの一斉蜂起がおこったという例を私は知らない。
日本の敗戦後もフィリピンのルバング島で「戦い」続けた小野田寛郎元少尉をスリーパーセルの実例とする意見を見かけたが、彼の実像は三浦氏が想定しているものとは全く異なるものである。帰国直後の小野田氏と三ヶ月間寝食を共にしながら彼の手記『わがルバン島の30年戦争』(講談社, 1974年)をゴーストライターとして代筆した津田信氏は、やがて小野田氏本人による「小野田像の捏造」に堪えられず『幻想の英雄』(図書出版社,1977年)を著すことになる。その「あとがき」で津田氏は、間違った ”小野田伝説” が語りつがれることを恐れた “懺悔の書” であると書いている。
あらゆる情報は小野田氏が早い段階で敗戦を知っていた事を示していた。それなのに彼は、滑稽な言い訳とともに、敗戦については知らなかった、むしろ大日本帝国はいよいよ国力を増して東京オリンピックを開催したり皇太子が民間人と結婚するのに湧いたりするまでになったと信じていたと最後まで主張したのである。津田氏が疑惑を懐いたのはそうしたことに端を発している。
小野田氏が潜んでいたルバング島(面積255 km2)は、戦略上ほとんど無意味な、小さな島である。30年間に100人以上を殺傷した(殺害は30人以上)とされているが、そのほとんどは、何の罪もない島民だ。
有能な情報戦の将校が日本の敗戦を知らなかった筈はない。しかし、既に彼は何人かの島民を手に掛けていて、報復を恐れ、投降をためらっているうちに罪を重ねて行くことになる。生きて行くためとはいえ島民の殺害を続ける事を正当化するには理由が必要だ。戦争に負けたのに「戦闘」を続けることにはいかなる理由も見出せないから、どうあっても日本の敗戦を知らなかったことにしなければならない。
彼は、上官からの残置任務を遂行した訳ではなく、保身のために略奪と殺戮を繰り返しただけの、本来なら国際指名手配犯に該当する殺人鬼に過ぎない。そこから心身ともに安全に生還するためには上官による命令の解除という神話的な物語が必要だった。津田氏の著書によってその事の欺瞞性が暴かれ、ブラジルへ逃亡したのだろう。
津田氏が健在であったら、この度の三浦氏の発言を聞いて、スリーパーセルなどというのは戦争の実相を知らない平和ボケした学者の妄想にすぎないと喝破したのではないか。妄想を垂れ流して恥をかくのは自業自得だが、そのせいで生じる被害に思いが至らないのは人権意識の欠如によるものである。
[MV] 이랑 イ・ラン - 임진강 イムジン河
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2月10日、作家の石牟礼道子さん(90歳)逝去。若い頃から彼女の文学に親しみ、大きな影響を受けてきた身として、哀しみに耐えない。
Ishimure Michiko(Thornber, 2016)から
「石牟礼道子さんを公私にわたり支援してきた日本近代史家の渡辺京二さん(87)は、「半世紀の付き合いで家族を亡くしたようなもの。客観的なコメントはできない」と言葉少なだった。」(毎日新聞2月11日付、社会面)
その渡辺さんによる石牟礼さんの紹介記事が熊本県教育委員会の「 くまもとの偉人(熊本県近代文化功労者)」のサイトにある。彼女の文学について論じたところを一部引用する。
石牟礼さんは、言葉によって世界を表現し得る(認識し得る)ことに感動して文学の道に入ったという意味のことを書いていた。逆に、石牟礼さんの「不思議な文学」が描く「世界」を解体し、その全体像を言葉に還元すべく果敢に挑戦した論考として、ハーバード大学のKaren Thornber(比較文学学)による「Ishimure Michiko and Global Ecocriticism」(注1)がある。そこでは、石牟礼さんの文学が日本の標準的な言葉とは異なる方言が多用されている事も災いして、広範な翻訳を困難にしていることから、現状では「世界文学」の中では周縁の位置(marginal position)を占めるとしながらも、その本質的な貢献は「世界文学」の意味に拡大を迫るものと評価している。ノーベル文学賞の受賞を密かに期待していたが、まだ世界の文学界は、彼女の文学を言葉にすることに成功していない(「不思議」なままで終わっている)ということなのか。
Ishimure in sit-in protest at Ministry of Health, Labor and Welfare, 25 May 1970: Thornber (2016)から
前掲の渡辺京二さんによる解説記事に、彼女の生い立ちに関わって次の記述がある。
仮そめの地にすぎないのに天草の出であると言い張っていたもう一人の著名人として吉本隆明氏がいるが(注2)、石牟礼さんの天草への思慕は格別のようで、その想いは構想50年を経て島原・天草の乱を描いた長編『春の城』(注3)に結実している。『完本 春の城』(藤原書店・2017)に収録されている「納戸仏さま ー 全集版あとがきにかえて」から引用する。
母方の祖父吉田松太郎は天草上島の下浦(しもうら)で石工の棟梁をしていた。この町はもともと石工が多く、江戸時代から「下浦石工」として知られていた。農地に適した土地が少なく、浅瀬の多い内湾で漁業もままならず、それほど良質というのでもない砂岩を「下浦石」と称して売り出す他になかったようである。
スタンフォード大の古地図アーカイブから松太郎一家が暮らしていた頃の地形図を示す。
松太郎一家が居を構えていたのは中央やや北東寄りの「舩場(せんば)」の海岸に面した集落(N32.4162, E130.2213)で、沖を通過する貨物船に手漕ぎの和船で荷物を受け渡す回船業も営んでいた。「下浦村」の地名の「浦」の字の北東にある崖マークが下浦石の採石場である。石牟礼さんの短編に、父や祖父の、石を積んだ荷車を引く肉体労働を、自然の移ろいの中で神話的な世界として描いた作品があるが、おそらく想像の産物であろう。地図の南東部にある「上血塚嶋」、「下血塚嶋」の二つの島は、源平の壇ノ浦の合戦の後で、敗走してきた平家の残党が源氏の討伐隊によって最後に絶滅させられたところとされている。下の写真の右側にその二つの島が写っている。
石牟礼作品にしばしば登場する方言は、水俣のものと若干異なって、天草の下浦周辺に起源がある。取り立てて何もない、ただただ穏やかな自然が育んだ、平安時代の古語を残す土着の言葉が世界を記述したのである。
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注1)Thornber (2016) Ishimure Michiko and Global Ecocriticism. The Asia-Pacific Journal, Japan Focus Volume 14, Issue 13, Number 6, 1-23.(pdf: 1.7 MB)
注2)石関善治郎著『吉本隆明の帰郷』(思潮社・2012年刊)参照
注3)高知新聞や熊本日日新聞に連載されていた『春の城』は、連載終了直後に『アニマの鳥』(筑摩書房・1999)として刊行されたが、石牟礼道子全集 第13巻(筑摩書房・2007)に連載時のタイトルに戻して収録され、さらに取材記などと併せ、『完本 春の城』(藤原書店・2017)としても刊行されるというやや不可解な経緯を持つ作品である。Wikipediaの「石牟礼道子」の著書一覧には『春の城』は掲載されていない。なお、「島原・天草の乱」は、天草では「天草・島原の乱」と称され、『完本 春の城』でも「天草・島原の乱」と表記されている。
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JpGU(日本地球惑星科学連合)が発行しているニュスレター誌 JGL (Japan Geoscience Letters) のVol. 13, No. 3(8月1日発行)に、2017年度JpGUフェロー受賞者による抱負が掲載されている。受賞者には、「原発震災」への警鐘を鳴らし続けてこられた石橋克彦さんがいらして、大変喜ばしい。
同じくフェローを受賞された島崎邦彦さんによる「抱負」は、政府の諮問委員会の中で科学が捻じ曲げられるということが度々起った、その現場からの告発となっており、若い人へ向けた「檄文」となっている。JGLのこの号は間もなくウェブ上でも公開される筈なので、多くの人に読んでいただきたく、ここに紹介する。
島崎さんの「檄文」は、「研究の面白さに,はまってしまった人へ」と題して、次の書き出しで始まる。
(途中略)、それでも・・・
この文章は、そんな「あたな」へ向けられている。
(略)ここで、ご自身の経験が語られる。
島崎さんの結論は、こうだ。
(略)
この文章に読点が多いのは、書きならが思わず力が入ったことを示しているだろう。最後の一文は、まさにその通りだと思う。
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