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安倍首相が7月12日に九州北部豪雨災害の被災地を訪問し、避難所で被災者に声をかけている場面の画像に勝手な会話を付記したものが複数出回っている。さらにそれをリツイートする人が後をたたない。
このような行為はフェイクニュースの拡散となんら変わらないものであり、直ちに中止し、削除すべきである。
特に、被災者の心情を思うといたたまれなくなる。ヒトラーTシャツを着てNHKに出演した堀江貴文氏と同じで、ジョークやネタにして良いことといけないことの区別のつかない人があまりに多いのは嘆かわしい。
安倍首相が声をかけている相手は、私がみた限り全て高齢の女性ばかりであったが、これは偶然だろうか。安倍首相がこのような場面でいつも高齢の女性ばかりに声をかけているのは事実だ。私は、高齢の女性なら厳しい注文が返されることはないだろうとの「無意識のヨミ」があったのではないかと疑っている。
その場面に勝手なセリフを捏造して画像とともに拡散するのもまた、高齢の女性なら、自分の画像が晒され、しかも、勝手なセリフが捏造されているのをネットから探し出してクレームを付けるようなことはしないだろうとの「無意識のヨミ」があったのではないかと疑っている。
人権無視の安倍政権を批判するのに、そのような人権を無視した行為をもってすることに何の意味があるのか。
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社会のこと
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そこで、コメント欄で「『この世界の片隅に』を『はだしのゲン』と対立して論じる方がいてびっくりです。中沢啓治氏も悲しむでしょう。そいう方には、映画『草原の実験』をお薦めしておきます。」と自己レスした訳だが、このことにかかわって少しばかり書き足しておきたい。
最近では、1月12日NHK「クローズアップ現代+」の放送内容にかかわる次のtweetが多数Retweetされているのが気になった。
「クロ現+」の放送内容はこの映画の核心をつくものであったと思う。上記のはまりさんのtweet は正確さを欠くと思ったので、「ヒロシマ”と向き合ってきた人たち」として紹介されたお二人の登場場面の文字おこしを記す。
ナレーション:
渡部さん:
ナレーション:
友川さん:
ナレーション:
友川さん:
お二人とも「こんな方法があったのか」とぽつりと呟いたりなんかしていない。友川さんの「あ、やっとできた作品という印象でした」というのがお二人の心情をよく表現していると思う。そんな重箱の隅をつつくような指摘をしなくても趣旨は同じでしょ?と思われるかもしれない。しかし、世代を越えて戦争を語り継ぐことの困難さ、形骸化する平和教育をどう立て直したら良いかといった難問が20〜30年も前から議論され続けてきたことを知っているので、「やっとできた作品」の「できた」は伝えることができたという意味であろうが、待望されていた作品がついに世に出たという喜びもまたひしひしと伝わってくる、そこを汲んで欲しかったと思うのである。
では、従来の伝え方が無意味であったかと言えば、それは逆で、これまでの努力があったからこそ、この作品が活きてきたと考えるべきであろう。従来の伝え方に欠落している部分をこの作品が補って止揚したのだ。
この作品では原爆が落とされる前の平穏な日常の描写もあるが、登場する人物の全ては名前のない記号化された「お母さん」、「お父さん」、「幼子」、「女学生」等々である。『この世界の片隅に』は、それらの人物に命を吹き込み、みる者に身近な出来事として追体験をせまる質を獲得している。
くり返すが、『ピカドン』のような作品が無意味だと言いたいのではなく、その逆で、原爆の実相を伝えるのにまぎれもなく必要不可欠な努力の一端を構成しているだろう。それでも、津原さん自身が「超閲覧注意」と但し書きを付けざるを得なかったことは無視できない。いずれにしても、登場人物に命を吹き込むこと自体が誰にでもできることではなく、それなりの才能と熱意を必要とし、ここへ来てやっとそれが登場したのである。両者を兼ね備えた作品など望むべくもない。
なお、桃井かおり主演で1988年公開の『TOMORROW 明日』(黒木和雄監督、原作は井上光晴の『明日―1945年8月8日・長崎』)も、長崎に原爆が落とされる前の一日を淡々と描いた傑作だが、『この世界の片隅に』と違って救いのなさが際立っており、そのせいで爆発的なヒットには至らなかったのだろう。これはもう、どちらが良いという話ではない。
『この世界の片隅に』は、今後海外14カ国での上映が決まっているそうだが、海外においてこそ真価が問われるだろう。思うに、日常を丹念に描くことは小津安二郎監督に始まる日本映画の伝統芸である。これから海外進出した際には、世界中の小津ファンがこの映画のルーツを取り沙汰することになるのだろうか。
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映画『この世界の片隅に』を広島で観た。結論を先に書いておくと、簡単にはネタばれしない映画で、その一点だけでも観る価値があると思った。
上映開始間際に駆けつけるとほぼ満員で、妻と並んで座れる席がなかった。既に暗くて客層が良くわからなかったが、私の両隣が高齢の女性らしいことは分かった。上映中、広島や呉の昔の風景・風習を懐かしむささやき声が聞こえた。江波や草津に遠浅の砂浜が拡がり、海苔の養殖が行われていたこともご存じの様子。原作者のこうの史代氏は広島市西区の出身らしいので、祖父母から伝え聴いていたのだろう。
映画化に当たっては片渕須直監督自ら6年にわたる綿密な調査・取材を行ったという。今は平和公園となっている辺りの当時の町並みや、原爆の投下目標となったT字型の相生橋、原爆ドーム(旧広島県産業奨励館)などの当時の姿は平和記念資料館の展示でなじみのものだ。
しかし、私にとっては空襲のシーンが最も新鮮で衝撃的だった。空襲のシーンを観ながら、そして映画館を出た後もずっと、私の母から聞いた戦時の体験談を思い出し、反芻していた。
母の郷里は九州の僻地にあったので、都市部のような大規模な空襲を受けることはなかった。それでも敗戦の年の春頃になると、大都市を爆撃するB29の編隊が上空を通過することが度々あり、その都度空襲警報が鳴って、家の傍の小さな手堀の防空壕に逃げ込んでいた。やがて、5キロほど離れたところにある小さな造船所に、都市空爆への行き帰りの米軍機が気まぐれに爆弾を落とすというようなこともまま起こるようになった。
母は当時13才。ある日、田植えの終わった田んぼのあぜ道を歩いていると、前触れもなく突然裏山からグラマン(母の言)が現れ、低空を舐めるように自分の方にまっしぐらに向かってきて、パンパンパンパンと機銃掃射を浴びせて来た。とっさに伏せたが、やられたと思った。半ば気を失っていたかもしれない。気がついてみると無傷だった。後でわかったことには、母が居た地点の数百メートル先の海岸から少し離れたところで漁をしていた小さな漁船が狙われ、漁師夫婦二人が亡くなったとのこと。
母から何度も聞いた「パンパンパンパン」という破裂音の機銃掃射の音は、これまで観たどの映画でも表現されていないものであったが、この映画では、そのままであった。空襲の場面についての感想は公式HPに寄せられた「応援コメント」の中にも見いだすことができる。
音の記憶は決して曖昧なものではない筈だ。母の恐怖は音の記憶とともにある。にもかかわらず、それを他人に正確に伝えるのは、他のどのような記憶にもまして困難なものであるように思える。とり・みき氏の言うように「アリモノでなく新録」だとしたら、おそらく片渕監督は、いろいろな音を体験者に実際に聞かせて、その中から選び取られた音を採用するという気の遠くなるような作業を実行したのだろう。
音は、映画『野火』を撮った塚本監督をして「どの映画よりリアル」と言わしめた空襲のシーンの、そのほんの一端を構成しているに過ぎない。全体を通して描かれる日々の暮らしの中にあるリアリティ。当時の社会で女性がどのように理不尽にあつかわれたか。それでもなお愛おしく思える日々の暮らしがある。若い男達はどのように死地へ赴いたか、それらを受け入れねばならない空気感の機微のようなものを含め、多くの評者が賛辞として贈るリアリティに満ちた映画である。
とは言え、この世界の全体を丸ごと描き出すことなど誰にもできない。それはそもそも不可能だ。したがって、この映画のリアリティもまた切り取られた世界の一断面、すなわち選択されたリアリティには違いない。その<選択>を由としない声があるのも当然であろう。
このことは、例えば、前作『夕凪の街 桜の国』へ寄せられた作家・山口泉氏による「美しい物語に潜む「歴史」の脱政治化」と題された批判(『週刊金曜日』2005年09月02日号掲載)が、『この世界の片隅に』にとってもなお一面有効な批判たり得ている理由となっていよう。(以下、抜粋)
<選択>されたのはあくまで主人公すずを通して体験される「この世界の片隅」であり、その「片隅」をとことんリアルに描ききろうとしたのが本作と言って良いだろう。すずは、その個性や境遇からくる特殊性と、当時の社会的存在としての普遍性をまとっている。そこをリアルに描こうとするなら、「日本の内外に存在する、この世界は愛したくとも、「日本のあるこの世界」など、終生、拒絶せざるを得ない人々」が登場しないのも当然ではあろう。敗戦の玉音放送後の場面に一瞬現れる「太極旗」の描写が中途半端であるのもまた、すずの目を通したリアリティである。
そして、それらの<選択>が、消極的に割愛された結果ではなく、極めて意識的に追求された結果であることは、こうの史代氏自身の言葉から推測することができる。
ここに少し書いたように、間違いなく、従来の平和教育は失敗している。そのことは当の広島の政治的惨状を観れば明らかであろう。そして、こうの氏はそのことを良く理解している。
最後に、この映画の意図をよく汲んでいると思われるので、公式HPに寄せられた「応援コメント」から引用しておく。
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東電原発事故の放射能によって汚染された地域における被曝の健康影響は深刻である、あるいはこの先深刻な影響が出る可能性があると主張すると、それは差別に繋がるのでそういうことを言ってはいけないと主張する人たちがいる。何を言っているのか私にはまったく理解不能である。その論拠として広島・長崎の原爆被ばく者達への差別が持ち出される。そうした差別があったことは周知の事実で、『はだしのゲン』でも描かれているし、次のブログ記事でも紹介されている通りである。
ここには、差別を恐れて被爆者健康手帳をとらない被爆者が多くいると書かれている。実際、私の義父と義祖父は長崎で被ばくしたが(注1)、二人とも被爆者健康手帳をとらなかった。被爆者達は、生活苦や病魔に加え、そうした差別とも闘わねばならなかったのだが、その過程では、決して放射線被曝による健康影響は小さいと主張されたのではない。被曝影響があってもなくても、人を差別してよい理由など存在しないと、くり返し粘り強く主張されてきたのである。
上記ブログ記事には「広島と長崎から遠いほど差別は厳しい」とも書かれているが、冒頭に書いたようなおかしな事を言う人たちは、広島・長崎でそうした差別を克服するためにどのような努力がなされたのか、何も知らないのだろう。だいたい、「黒人は肌が黒いことで差別されているのだから、黒人の肌が黒いことを認めてはいけない」みたいなロジックにしか聞こえないから、次のような批判もおこる。
「皆様」は、自分はそうした差別はしないが世の中にはちょっとしたことですぐに差別をする人が溢れているという現実があるのだから、そうした差別意識を刺激するようなことは控えるべきだと主張しているのかもしれない。しかし、「正当な理由があれば差別をしても良い」という思想そのものと闘わずして差別などなくならないのは自明のことではないのか。
ちょっと考えればおかしいと誰でも気づくようなことを平気で主張するのは恥ずかしいことである筈だ。にもかかわらず敢えてそのようなこと言ったりするその裏には、いったいどんな魂胆があるのかと勘ぐりたくもなる。
そうしたおかしな事を主張している「皆様」は、総じて東電原発事故による被曝の健康影響は「九分九厘ない」と考えているようである。その理由として、福島で居住が認められている地域の追加被曝線量は自然放射線によるレベルに近いことが持ち出される。しかし、自然放射線が人の健康を害していることは、例えばWHOが2009年に公表したラドン被曝への警告文からも明らかになっていることである。
その本体部分の邦訳は「国立保健医療科学院」のサイト内に置いてある以下の資料で読むことができる。
そこでは、キーメッセージとして以下のことが掲げられている(注2)
当然、ラドン以外の自然放射線もなんらかの害があると考えた方が良いだろう。原因不明の癌の無視できない割合が自然放射線によるものである可能性だってあるだろう。福島を初めとした、東電原発事故による放射能の汚染地域に住む人々は、それにプラスして無用な被曝を強いられている訳である。いまだによくわかっていない初期被曝のことを考えると、個人の累積線量が不当にも高められてしまったそれらの人々は、これ以上1mSvだって無用な被曝をしないよう考慮されるべきなのである。
事故から5年が過ぎた今でも汚染地域に住み続けることを無理強いされている人々の健康を心配するのは、人として当然のことであって、それを差別に繋がるからという訳のわからない理屈で非難するのは何の目的があってのことなのか。取り返しのつかない無用な被曝をさせてしまった罪を逃れるためなのか。もはや、そうした理由くらいしか思い浮かばない。
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注1)義祖父は長崎の造船所に勤めていて、原爆が落ちた時には地下室にいて助かったが、妻(私の義祖母)と娘を亡くしている。義父は二日後に入市被ばくをした。二人とも60代前半に癌で亡くなっている。
注2)国立保健医療科学院の「屋内ラドンと肺がんに関する国際的な疫学研究の概要」と題するサイトページには、補足として次の記述がある。
日本の各地における居住スペースのラドン濃度は日本分析センターによる測定結果が年報 に記載され、公開されている。日本家屋は通気性が良いために世界の中ではラドン濃度の低いグループに属するが、床下の構造に起因するばらつきが大きく、壁材に石膏ボードを用いているところでは極端に高くなっている。
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オバマ大統領 広島訪問を日本政府に伝達(NHK NEWS WEB)
5月10日 20時53分
(以下、略)
同記事は、安倍総理大臣がオバマ大統領の広島訪問に同行する方向で日程調整に入ったと伝えている。先月4月11日に広島で開かれたG7外相会合では、ケリー国務長官がアメリカの国務長官として初めて広島平和記念資料館(原爆資料館)を訪れている。
さて、このケリー氏が原爆資料館を訪問した際に現館長らが案内しようとしたら日本政府の担当者がそれを拒否し、案内はもっぱら岸田外相によってなされたこと、また、内部では報道陣による取材も拒否されたことをどれくらいの人が知っているだろうか。
ケリー氏は、「すべての人が広島に来るべきで、アメリカ大統領にもその1人になってほしい」と述べたとされる。アメリカ人の多くが原爆投下は戦争の早期終結のために必要だったと考えていることは周知のこと。岸田外相がすばらしい解説をおこなってケリー氏を悔い改めさせたのだと考えるのは、あまりにお目出たい発想であろう。オバマ大統領の案内役は安倍首相がつとめることになるのであろうが、やはりここは被ばく二世でもある志賀賢治館長による案内を働きかけるべきだろう。「原爆資料館長といえば、国内外の来賓も案内する「ヒロシマ」の顔」なのである。
ところで、資料館の東館の常設展示室が2014年9月1日から改修工事に入っていて、今年3月にはリニューアルオープンの予定であったのに、工事が長引いてオープンは10月に延期されたとのこと。これはちょっと解せない。なぜなら、東館には極めて重要な展示があり、その展示をとおして次のようなことが説得的に語られているからである。
つまり、アジア・太平洋戦争中、アジアの多くの国々で日本軍による侵略と残虐行為がおこなわれていたこと、原爆投下前の広島が軍都として栄えていたこと、トリニティー実験場での最初の原爆実験は1945年7月16日であったが、この時点で既に沖縄戦は終結しており、日本軍は主力艦のほとんどを失って反撃能力は皆無に等しい状況に陥っていたこと、トリニティ実験からからひと月もしないうちに、いわば大慌てで広島・長崎に原爆が落とされたのは、ぼやぼやしていたら原爆を落とす前に日本が降伏してしまう「おそれ」があったからである。戦後の世界情勢の解析から、アメリカとしては、戦争終結の前に世界に原爆の威力を見せつけておく必要があった。原爆を使用する「チャンス」はこの時期をおいて他にはない。原爆投下の命令が下されたのは8月2日のことである。原爆の威力を見せつけるため、原爆投下の候補となった都市は通常兵器での爆撃を控え、無傷のまま残しておく必要があった、等々。
アメリカのこのような思惑によって、広島・長崎の20万の市民が一瞬のうちに絶命させられたのである。もちろん広島と長崎が標的とされたのは、軍都としての性格から一般市民への無差別攻撃が多少とも正当化できると考えられたのであろう。
原爆資料館は東館の1階から入場して二階へと巡り、渡り廊下を経て本館展示場へ至るようになっている。東館の、特に1階から入場して最初からしばらくの間の展示物をつぶさに見てまわれば、およそ上記のようなことが理解されるようになっていた。3月にリニューアルオープンの予定であったのが10月に延期されたのは、実は、G7でケリー国務長官やオバマ大統領がここを訪れるのに「配慮」したためではないのかとの疑念は拭えない。本来の展示のままでは、岸田外相や安倍首相がまともに案内することなど不可能だろう。
私は海外からの客人には、日程の許す限り広島を訪れ、原爆資料館を見学するよう勧めてきた。実際に見学した者は例外なく、感嘆のうちに多くを学んだことを語ってくれた。資料館内でよく目にするのは、一つ一つの展示物を食い入るように見つめ、熱心にメモをとる海外からの訪問者達の姿である。可能なら10月のリニューアルオープンを待っての訪問を勧めたい。海外からの訪問客とは対照的に、足早に見てまわる日本人修学旅行生らの様子を見ていると、学校教育の場における「平和教育」の実効性に大いに疑問を抱かざるを得ない。
私はまた、語り部の被ばく者達による「被ばく講話」を幾度となく聞いてきた。のべ人数にするとおよそ10人くらいになるだろうか。その中には館長経験者も含まれるが、その一人から聞いたことで記憶に残っているのは、被ばく者の多くがなぜ被ばく体験を語りたがらないのかということについてである。館長としては、語り部になってくれるよう被ばく者達を説得して回るのだが、彼自身が口を開くのに大きな飛躍が必要であったのだ。
筆舌に尽くしがたい悲惨な目にあって思い出したくないと言えばその通りなのだが、その内実、生き残った被ばく者の多くは、彼ら自身、瀕死の者を見捨てる、生き残るために弱っている者を足蹴にする、皮がズル剥けになった死体を踏みしだいて彷徨う、等々の、通常であれば人にあるまじき行為として指弾されるような修羅場をくぐり抜けて生きながらえたという負い目があるのだ。館長経験者の一人は、それまでの冷静さとはうってかわり、嗚咽をまじえながらそう語ってくれた。掛ける言葉がみつからなかった。
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