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どうも、永らくのご無沙汰でした。(気まぐれで文体を変えます)
このブログ、放置してもぺんぺん草も生えないようなので、忙しさにかまけていました。
いきなりですが、長野県上伊那郡中川村の村長・曽我逸郎氏による「中川村戦没者・戦争犠牲者追悼式 式辞」で次のように述べられています。
私もかつて「日本人は平和ボケしているから、軍事力で平和が守られると勘違いする」と書いたことがありますが、まさに我が意を得たりという感を強くします。
日本国憲法第九条には「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と書いてあるのに、自衛隊という名の戦力を保持しています。解釈改憲というやつですね。「文脈」以前の、このような「意図的な誤読」が日本人の得意とするところなのでしょう。
自民党の憲法改正草案では、この部分が「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。」となっています。もしこのように書き換えられたら、その先にもさらなる解釈改憲が待っていることは火を見るより明らかです。当然、集団的自衛権が正面から主張されるようになり、アメリカの言いなりになって、日本の「国防軍」が海外の戦場へ送られるようにもなるでしょう。国旗・国家の法制化の際にも強制はしないと約束したのに、教育現場などでは現に強制されています。もうだまされてはいけません。
ところで、日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は、5月13日の記者団との会見の場での従軍慰安婦をめぐる発言に端を発した一連の報道について、文脈を無視した誤報をやられたと憤っているようです。
5月13日に橋下氏は次のように語っています。
これは、後の弁明によると、今は慰安婦制度というものは否定されるべきだが、当時存在していたということは「必要とされていた」ということ、そういう厳然たる事実について述べているにすぎない。だから世界各国の軍隊も慰安婦制度を利用していた訳で(注1)、日本だけが非難される謂われはない、という文脈に位置づけられる発言なのだそうです。
だとしたら彼は、大変日本語が不自由な人であるのでしょう。「必要とされていた」と言えば、必要とした主体が想定されます。実態に即して言えば、「必要であると(軍の上層部が)判断した」という意味にもなるでしょう。しかし、「必要なのはこれは誰だってわかるわけです」と言えば、「誰だってわかる筈だ」という橋下氏個人の判断を述べていることになります。
そうすると、この先にも戦争になれば、戦場では当然、「銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で、命かけてそこを走っていかねばならない」状況になる。そんな状況下で兵士を休息させてあげようと思ったら慰安婦制度が必要なのは誰だってわかる筈だと、橋下氏は考えるということになります。
ここは百歩譲って橋下氏の弁明するところの「文脈」に従い、「(女性蔑視の風潮が蔓延し、人権意識の大変低かった)当時は」という言葉を補って、「誰だって慰安婦制度が必要だと考えたに違いない」と続けることにしましょう。
さて、2013年のただ今現在も、憲法で保障されている筈のいろいろな人権が蹂躙されている実態は、そこここに厳然として存在しています。
派遣社員や不定期雇用の労働者の人権無視は目に余るものがありますが、正社員であっても賃金不払いやサービス残業の常態化は相変わらずです。「栄養欠乏」、「栄養失調」、「食料の不足」による死亡を加えた広義の餓死者は2011年で2053人に上り、ここ数年増え続けているそうです(注2)。
「5月16日放送のNHKあさイチ」や6月5日の「NHKクローズアップ現代」でも採り上げられていましたが、文科省の調査によると、住民票を残したまま行方不明になり、学校に行っているかどうか1年以上確認できない小中学生が全国で1191人(平成23年度)にも上り、就学前の子供についてはその実態さへ不明とのことです。「クローズアップ現代」が小出しにしたデータによれば、特にこのことは、橋下氏のお膝元である大阪において深刻なようです。
仮に数十年後、再び橋下氏のような大阪市長が誕生したとして、その未来の市長もまた、「当時の状況下でそういうことが放置されるのは当然であることは誰だってわかる。日本よりもっとひどい国はいくらでもあった。」などと言うことになるでしょう。
タイトルに書いた、「憲法を変えたら、さらなる解釈改憲がまっている」というのは、なにも九条に限ったことでもない訳です。
依然として橋下氏を擁護する意見も少なくはないようですが、日本が人権後進国であることを世界中の人々が知ることとなった、このことが唯一、橋下氏の功績と言えるのかもしれません。
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注1)制度としての慰安婦が、世界の各国の軍隊にも存在していた主張するのなら、橋下氏はその証拠を提出すべきです。
注2)舞田敏彦さんの「データエッセイ」にある「餓死者数の長期推移」の記事を参照しました。
これに対して、「千日ブログ 〜雑学とニュース〜」に掲載された「日本の餓死者数2053人は間違い、2011年は45人 過去30年の最高は93人」という記事では、サンケイ新聞の記事をもとに、「食料の不足」による死亡のみを餓死者としています。
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社会のこと
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来る10月24日は、1944年、戦艦武蔵がレイテ沖海戦で沈没して1000名余りの戦死者を出した慰霊の日にあたるが、私には戦艦武蔵に強い思い入れのようなものがある。
過日、学生数名と山小屋のような旅館の一室で酒盛りをしていると「戦艦大和ってかっこいいよね」という話になった。聞けば、呉市にある「大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)」に行ったという。私自身が、子供の頃、まさに「大和かっこいい」と思って沢山のプラモデルを作っていたことを思い出した。大和だけでなく、武蔵も、零戦も、戦車もグラマンも沢山作った。零戦乗りの撃墜王・坂井三郎氏はヒーローだった。
アジア・太平洋戦争時、私の父は若すぎて、二人の祖父は高齢のため、召集令状(いわゆる赤紙)が来ることはなかった。近い親戚中、誰一人戦場に赴いた者はいなかったので、誰一人戦死していない。ど田舎だったので、大がかりな空襲に遭うこともなかったという。そうした環境も影響してか、私は、戦争を美化する空気の中で立派な軍国少年に育ちつつあった。今でも軍歌の3つか4つを完唱できる。
そんな私が、「かっこいい武蔵」の表紙に惹かれ、小遣いをはたいて買って読んだのが『戦艦武蔵の最後』という、ハードカバーの立派な単行本だった。著者も出版社も覚えていない。しかし、この本によって私は、それまで誰も教えてくれなかった戦場の悲惨な実態を知り、心に刻むことになった。しばらくは眠れない夜が続いたことを覚えている。その後は、戦争を美化するどのような言葉も空々しく聞こえるようになった。この本と巡り会うことがなかったら、今の私はどうなっていたか分からない。
大岡昇平の戦記物を読んだのは高校の頃であるが、子供が手にするにはハードルが高いだろう。その点、『戦艦武蔵の最後』は子供が読みやすいように編集されていた。難しい漢字にはルビがふってあって、今にして思うと、子供に読んでほしいとの著者自身の強い願いが込められていたようでもあった。自分の小遣いをはたいて買ったのだから、子供の目にも魅力的な装丁となっていたのは確かだろう。
そういう次第で、息子が戦闘機などの武器に異様に興味を示すので心配している、などといった親の嘆きを耳にした時など、『戦艦武蔵の最後』を薦めたいと思っていた。ところが、ネットで検索しても、私が読んだのと同じものが見つからない。
検索にかかった現行の品は次の二点。
(1)渡辺清著『戦艦武蔵のさいご』 (フォア文庫 C 17:初版は1979年) [新書]
(2)塚田義明著『戦艦武蔵の最後ー海軍特別年少兵の見た太平洋海戦』 (光人社NF文庫)
さっそく両者を購入して確かめたが、内容も装丁も、私が読んだものと異なっている。それでも、どちらもお薦めできる内容で、(1)は小学校3、4年生頃から、(2)は、中学になったら読むことができると思う。
私が読んだ『戦艦武蔵の最後』は、おぼろげな記憶では表紙の絵は(2)に近く内容は(1)と(2)を合わせたようなものだったように思う。(2)の本文最後にある脱稿の日付が1994年6月となっているので、こちらではありえない。そこで、(1)と同じ著者による絶版となった単行本の中古品を取り寄せた。
(3)渡辺清著『戦艦武蔵の最後』(朝日新聞社:1971) [ハードカバー]
私が入手したのは初版本で、写真のものとは表紙が異なっている。どうやら、内容はほぼこちらのようであるが、表紙の絵が完全に違っている。武蔵の勇姿がないし、もう少しサイズが大きかったように思う。この表紙だったら、軍国少年の私は買わなかっただろうという印象。しかも、私が買ったのは1968年前後の頃と記憶している。しかし、「武蔵沈没二十七周年秋」に書かれた著者の後書きを読むと、この年(1971)になってようやくまとめることができたという意味のことが書かれているので、これ以前に同じ著者による類書は出版されていないようだ。実際、いくら検索しても、これより古い同名の書は出てこない。いやまったく、記憶というものはアテにならないものである。
amazonのカスタマーレビューに、(1)『戦艦武蔵のさいご』について批判の投稿がある。
活動家が思想のために綴った嘘嘘嘘の空想プロパガンダ小説(2010/12/5 By 桜)
本当に残念。武蔵に乗艦したという経歴を持っている著者の悪質なプロパガンダ小説である。 ここで述べられている「戦闘中、しかも沈没前に艦を出た一兵士が知りえる内容なのか」については、この書の元となった前掲(3)に掲載の渡辺清氏による「あとがき」に触れられているので、冒頭部分を引用しておく。
この作品はさきに発表した『海の城』の続編ともいうべきものである。『海の城』ではおもに軍艦の内務生活をあつかっているが、ここではレイテ沖の海戦を舞台に海上戦闘がその中心となっている。 「右翼」が目の敵にするほど良い本である。戦艦大和や零戦がかっこいいという男の子にぜひとも読んで欲しい。「戦艦大和はかっこいい」と話した学生にもこの本を薦めたが、大学生になったら、もう手遅れかもしれない。
参考サイト:
●「戦艦武蔵の最期(抄)」(日本ペンクラブ 電子文藝館編輯室)
(3)『戦艦武蔵の最後』の本文の一部と、前掲「あとがき」の全文を読むことができる。
著者渡辺清氏は日本戦没学生記念会(わだつみ会)元事務局長とのこと。
●渡辺清『戦艦武蔵の最期』朝日新聞社(1982年)(日々雑感 読書ノート)
●「フィリピン・シブヤン海 “戦艦武蔵の最期”」(NHK 戦争証言アーカイブス)
(2)の著者塚田義明氏による証言
●「戦艦武蔵の最後」(戦争証言project:YouTube)
戦艦武蔵とは無関係だが、ついでにこちらも
●「国体の護持」について(尖閣諸島の事例にも関係して)(中川村「村長への手紙」への曽我村長からの返信)
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沖縄へのオスプレイ配備に抗議するために普天間基地の野嵩ゲート前に座り込んでいた市民を、県警機動隊が強制排除して3時間以上も隔離・拘束するということがあって、その理不尽さに憤慨しながらも、何もできない自分の不甲斐なさをなさけなく思う日々が続いている。せめてここに、不服従の抗議行動への支持だけでも表明しておきたい。
ゲート前市民「隔離」 専門家疑問視「法的根拠ない」(琉球新報:2012年10月3日)
「野嵩ゲットー」を弾劾しオスプレイに留保なき拒否を(なごなぐ雑記:2012年10月4日 )
同上、「なごなぐ雑記」から:
0927普天間飛行場野嵩ゲート完全封鎖!(2012年9月27日 )
0928-30普天間飛行場大山ゲート&野嵩ゲート(2012年10月1日 )
以前この記事で、「まさか、オスプレイを「正しく怖れよ」などと言う訳でもあるまい」と書いたのだが、その「まさかの人」が湧いている。
例えば八重山日報の9月12日の署名記事には、「オスプレイ機反対者は自動車に乗らないのか 大浜 京子」があって、face book の63人が「いいね!」らしい。
理不尽にも放射能をばらまいて環境汚染の公害を引き起こした営利企業と国家・官僚に対する抗議の声に対して「正しく恐がれよ」と諫めるだけのアホな科学者たちが湧いているこの国にして、あり得べき暗鬱たる情況ではある。
ところで、共産党の「しんぶん赤旗」が、現地の抗議行動を大きく報道しつつも、このゲート封鎖の直接抗議行動については全く触れないままであるという。
(ペガサス・ブログ版:2012-10-02)
ブログ主の電話での問い合わせに対して、「ゲート封鎖というのは違法/合法のグレーゾーンで,先鋭的でもあり,戦術として“オール沖縄”で多くの人々を結集させることにつながるか不明である.」「現地の党組織の判断で報道するかどうか決めるが,今のところそのような判断(つまりネガティブ)だと思う.」との答えであったという。現地の共産党組織も「かなり迷っているようにも感じられた」とのことであるが、あきれるばかりで、これでは共産党の存在理由がない。
もし、この情報に接することがなかったら、このエントリーを上げることもなかったかもしれない。なにしろ、冒頭に書いたように、ひたすら自分の不甲斐なさをなさけなく思うばかりの日々である。タイトルに「不服従」と入れたのは、せめてもの意思表示だが、「連帯を」と書くのはおこがましいとの想いもある。
しかし、関電前抗議行動では逮捕者もでている。
反原発デモで逮捕 関電前報道の不審な写真(2012/10/06)
これも明らかな不当逮捕であるが、警察が逮捕したというだけで、この国では犯罪者扱いとなる。
直接抗議行動への考え方:
これは、その通りと思う。ただ、ガンジーは「非暴力・不服従」を説いた。この「非暴力」と「不服従」を一体のものとして捉えて初めて安富さんの主張が活きてくる。ガンジーが成し遂げたように、多数派の市民の一致した「不服従」こそが権力の横暴を断念させる力となる。沖縄の「民意」は既に明らかだ。
以前にこの記事やこの記事などでふれた故小泉文夫は、台湾の、かつて首狩りの風習のあった「高砂族」の音楽を現地で密着取材したレポートにおいて、首狩りは勇敢な戦士の証として行われているとの建前とは裏腹に、その実態は、「狩られる前に狩ってしまえ」との臆病者の発想にもとづく過剰防衛の行為として行われており、この風習は、アジアのニューギニアから日本へ続く島嶼部に共通の文化としてあると主張した。日本の戦国時代の「晒し首」の風習もその系譜という訳である。もちろんどこでも今では首狩りは禁止されているが、かつての日本の国家としての侵略行為も、そうした「臆病者」のメンタリティに根ざした「過剰防衛」という側面はあるのだろう。
その結果、太平洋戦争において2000万人の死者を出した。その真摯な反省と総括にたって、いっさいの戦力不保持を宣言した日本国憲法が誕生した筈なのだが、国防の名の下に際限のない軍備拡張が続いている。オスプレイの岩国基地から沖縄普天間基地への配備が完了した今、この問題を「沖縄の問題」としてのみ捉えるなら、歴史は忘れ去られることによって繰り返すということが現実のものとなるであろう。一方でこの問題が、確かに「沖縄の問題」としてあることも見逃してはならない。
お薦めのブログ記事:
オスプレイ(横板に雨垂れ:2012.06.18)
オスプレイ配備に関する産経新聞の聞くに耐えない主張(同上:2012.07.05)
(みずき〜「草の根通信」の志を継いで〜(資料庫):2010/5/7)
(同上:2010/5/7)
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追記:赤旗政治記者@akahataseiji の10月1日 - 22:04のツイート
あんまりうるさくてしょうがないから参加させてやる、みたいな・・・(10/2)
================================ 多忙の極みで出遅れたけれど、あまりに酷いのでメモ。
「特定の主義主張 ご遠慮いただく」原子力規制委が取材規制(しんぶん赤旗:2012年9月26日)
原子力規制委、「赤旗」記者の会見出席認めず(朝日新聞デジタル:2012年9月26日22時16分)
(以下、略)
赤旗記者の会見排除 規制委は直ちに改めるべきだ(しんぶん赤旗 主張:2012年9月29日)
(中略)
「赤旗」を閉め出す根拠は、「委員会発足の時点で速やかに決めておくべき事項」と題された資料にまとめられている原子力規制委員会の内部規約だという(17ページ)。要するに、記者会見等に参加を求める報道機関の範囲が新聞協会会員など名指しで限定的に定められているのである。「スペースがない」というのは、共産党の抗議を受けて出てきたことであるが、これまで会見場が一杯になったことはないという。
共産党は、これまではそのような排除を受けたことはなかったと書いているが、共産党が取材できていたのは、会見後の「突撃」取材や「ぶら下がり」取材といった非公式なものに限られていたとの情報もある(例えば下記)。
(ニコニコチャンネル:2012-09-28 17:00:00配信)
このことの真偽など実はどうでも良くて、問題は、商業紙(営利企業)や「電気新聞」はOKなのに、国会に議席を持つ公党の機関紙を行政機関の記者会見から排除するという、およそ民主主義のイロハを理解しないその感覚にある。
この出来事を通してまたもや実感するのは、日本のジャーナリズムの底知れぬ堕落である。ほとんどの一般商業誌紙は事実の一旦を伝えるだけで、まともに抗議の意志を示したのは「東京新聞」くらいではないか。地方紙のほとんどは報道さえしていない。フリーでも例えば江川紹子氏は、「自由新報も公明新聞も来れば入れるってことでいいんぢゃにゃい?」とtweetするだけでおしまい。
タイトルにある「本性をあらわにする原子力規制委員会」とは、要するに、原子力を推進しようとする者達の本性は、人権感覚や民主主義感覚の欠如と一体のものとしてあるという意味である。
江川紹子氏が原子力推進派でないことくらいは知っているつもりであるが、この件についての反応が鈍いのも、福島の放射能汚染への対応についての議論で管理者然とした主張を繰り返してきたことと無関係ではないだろうと、妙に納得される。
それにしても、この件についてのtweet で「赤旗」の排除を批判するのに、「自分は共産党支持者ではないが・・・」というのが、まるで共産党の特定の主張に賛同する際に不可欠な枕詞でもあるかのように多用されるのも興味深い社会現象である。私のこの記事やこの記事のように、その枕詞抜きで共産党の主張に肩入れしようものなら、党派性に根ざしたねじ曲がった主張だとの奇妙な批判がわき起こるのは周知のことではあるのだが・・・
お勧めの関連ブログ記事
原子力規制委員会「会見赤旗排除」田中俊一と広報課長のとても見苦しい言い訳 9/26(会見内容書き出し)(みんな楽しくHappy♡がいい♪:2012-09-28)
原子力報道規制委員会と改名しなさい。(村野瀬玲奈の秘書課広報室:2012-09-28)
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「福島のエートス」という取り組みをめぐって意見が対立している。主催者のウェブサイト(ETHOS IN FUKUSHIMA)にある説明(エートス(ETHOS)って何?)によると、その趣旨は次のようなものであるらしい。
同じサイトの、対話集会の記録には次の記述もある。
これに対する批判は、主に、チェルノブイリ原発事故の後で立ち上げられたベラルーシのエートス・プロジェクトとの関係で論じられている(例えば下記)。
コリン・コバヤシ氏によるエートス・プロジェクト批判:
批判は三点に要約される。
第一に、この運動のモデルとなったベラルーシのエートス・プロジェクトはフランスの原子力ロビーが推進したもので、原子力産業界の利益が損なわれることのないように意図されたものである。その中心的担い手であったジャック・ロシャール氏が頻繁に接触している「福島のエートス」もまた、原子力産業界が国際的に結託して関与・暗躍した結果現れたものである。
第二に、十分な情報を提供した上で住民自身に判断を委ねるとしつつ、ベラルーシのエートス・プロジェクトでは、健康被害についての重要なデータが実際に隠蔽されてきた。
第三に、ベラルーシでは、エートス・プロジェクトが開始された頃から逆に健康被害が拡大した。結局これは人体実験だったのである。
以上の批判はベラルーシのエートス・プロジェクトについては有効かもしれないが、ジャック・ロシャール氏が接触していることのみをもって「福島のエートス」と原子力産業界の密接性を主張するのは難癖にすぎないと感じる。その出自について憶測をめぐらしたところで、主催者の安東量子氏自身が明確に否定し、その直接的な証拠もない以上、無意味である。原子力ロビーとの結びつきに拘った批判は、被災住民自身によって忌避されるだろう。もちろん、ベラルーシのエートス・プロジェクトについての情報は、「福島のエートス」がそれをモデルとしている以上、無視してよいものではない。
私自身、避難か残留かの選択は被災住民自身の自由意志に委ねられるべきで、その判断は尊重されなければならないと主張してきた。こんな記事も書いたくらいである。汚染地域に残留することを決断した被災住民への支援の必要性については議論の余地はないだろう。実際、被災地の住民を支援する取り組みは、除染や、放射能・放射線量測定や、健康診断・相談など様々になされている。
そうした中で、なぜエートスだけが批判されてしまうのか。おそらくそれは、この事業が「エートス」という倫理・道徳的な意味の付帯した名を持つことから、個々の課題に対応した被災者支援の事業とは異なり、ひとつの、包括的な戦略をもったムーブメント(運動)とみなされているからであろう。安東氏自身が、ベラルーシのエートス・プロジェクトを活動のモデルとし、ICRPの放射線防護指針を規範としていると述べ、ある種の教育・啓蒙的な活動を展開してきたことから、そう判断して良いと思う。
1)過度の自己責任論 被災住民自身による判断が強調されることで、過度の自己責任論に陥る危険性がある。この先、低線量被曝による晩発影響が疑われる事象が生じても、それを訴える声が、コミュニティの中で自粛されたり、圧殺されたりはしないだろうか。イラク人質事件に際しての自己責任論の大合唱を思い起こすとき、結果責任は全て被災住民自身が負わなければならないとの主張が幅を利かすであろうことは想像に難くない。
そのとき、この運動の「責任者」はどのように責任をとるつもりであるのか、予めそのことは告知しておいた方が良いと思う。支援者達の顔ぶれをみると、このプロジェクトを実施している地域での放射線被曝による健康被害は絶対におこり得ないと考えているようであるから、逆にそうした告知は簡単になせることではないかと思う。尤も、そうすることで、自己責任を引き受けることから出発するというこの運動の本来の理念が損なわれてしまうかもしれない。この運動自身が本来的に内包する問題である。
関連して付け加えるなら、「安全か危険か判断を下すのは住民自身」「専門家の先生に『判断は差し挟まないでほしい』と依頼しました」としているが、「勉強会」に招く講師・専門家を選択しているのである以上、結果的に判断基準は選択された専門家の見解に委ねられることになる。そうであるなら、講師の選択もまた、主催者ではなく、被災住民自身の合意によってなされる必要がある。都合の悪い事実を隠すということもあってはならない。例えば次の記事なども大変気になることである。
2)強いられた選択(奴隷の選択)という事実から目をそらす
避難か残留かの選択は被災住民自身の自由意志に委ねられるべきであることは論を待たない。しかし、「自由意志による選択」という一面を強調して、そこで終わってしまうなら、その選択が、実は強いられた選択(奴隷の選択)であるという事実から目をそらす役割を果たすだろう。
誰であっても、放射能で汚染された土地で暮らしたくはないであろうし、何らの援助も保障もないまま見知らぬ土地で避難生活をおくることもまた極力避けたいと願うであろう。本来、どちらも選択したくはないその二択を無理強いされているという現実について目をそらさずにいようとするなら、この「奴隷の選択」を強いている元凶は何であるのかということが当然のこととして追求されなくてはならない。そのことは、被災者であろうとなかろうと、この社会を悪しきものから護り、まっとうに発展させたいと願う全ての成人市民がなすべき義務である。
「エートス」が、ひとつの運動として被災住民を誘導する性格のものであるとしたら、そうした視点の欠落は、「奴隷の選択」を強いる元凶を免罪することに繋がり、その元凶を告発する最大の権利者である被災者自身から、その権利を奪い去る役割を果たすことになるだろう。たとえ原子力ロビーと何らの繋がりもない運動であったとしても、ベラルーシのエートス・プロジェクトと理念を共にするものである以上、結果的に、原子力ロビーの思うツボにはまってしまうのである。
3)自然災害と錯覚させ、責任の追求という課題を放棄させる
これは、上記2)とも関係するが、その強いられた選択を、止むにやまれぬ選択、他にどうしようもない選択と強調することで、本来人災である放射能汚染という事態を、まるで、どうしようもなく起こってしまった自然災害であるかのように錯覚させるよう作用しないだろうか。
「原発を廃止しても推進しても、今ある飛散したセシウムの量はかわりません。あなたは、被曝を低減するのに協力するのか、しないのか・・・」
あるエートス支援者による、一種の脅迫であるが、この言説からは、放射能汚染という事態が人災であるとの認識は微塵も感じられない。この先原発を推進したら再び悲惨な事故が繰り返され、放射性セシウムはさらにこの地球を覆い尽くすかもしれないではないか。そうなれば、今は被災者ではない者も、やがて被災者になる。
広島・長崎の原爆被ばく者達が、二度と同じ過ちを繰り返さぬようにと核廃絶の運動に立ち上がったのは、人災との認識にもとづく。被団協が、核廃絶の運動と被ばく保障を求める運動とを一体のものとして取り組んできたのは当然の倫理的帰結であった。たとえば水俣病では、水銀汚染の中でいかに暮らしていくかということを運動の中心に据えることなど、そもそも発想され得なかった。沖縄では、米軍機の騒音の中で、「いかにストレスなく暮らしていくか」といった、あるいは墜落などの危険の中で、「いかに自己防衛するか」といったことに重点を置く運動が発想されよう筈もないのと同じである。まさか、オスプレイを「正しく怖れよ」などと言う訳でもあるまい。
日本の原子力ロビーからは、東電原発事故は想定外の津波のせい、つまり天災であったとの宣伝が盛んになされているとき、そこに与しようとしているのかとの疑念は拭えない。レベル7の原発事故によって、この地球がグローバルに汚染されてしまったことから、日本人全体が、世界の人々に対して負っている責任というものを考えない訳にはいかない。
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