ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー [本][物欲]日本の数学の教科書を英文で読むと遥かに平易で理解が進むと気づいた時、世界が変わったのを思い出す。今度は日本語で喘いでみたい。 / “数学は言葉 - hiroyukikojimaの日記” http://htn.to/kLXpB8
「オスプレイ問題」の本質(7/24)
Jun Makino@jun_makino これは、森口祐一さんのこのtweetへの感想。
私の5月28日のエントリー「忘れてはならない東京電力の隠蔽工作」でもふれた、「3月20、21日の放射能大量放出」についてのtogetter「2011年3月21日に放出はあったか」についての感想でもあろう。
この中で早野さんは「3/21に放出があった.その明確な証拠」として、これをあげている。
早野さんはかなり早くから認識していたのに、情報として共有されることの重要性について、どの程度の認識があったのかわからない。(7/12)
Shibata Takaya @sivaprodこれは,言いまつがいではなくて,書まきちがいでもなくて,書き分けないのはなし. ピロツキ,じゃなかったピロシキは,日本の「ツンドラ」とか「トナカイ」とか,「バーニャ」とかのロシア料理店ではナイフとフォーク付で出されることがあるけれど,ロシア農民の弁当なので,手に持って喰うとそこはかとないロシア情緒も味わえる。(7/7) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー さつき @novluno
御意 あっ、この人、私とは別人です。(7/5)
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それは、デモに参加しようと本気で考えた者が言うことじゃないかなあ。
この人はどうなんだろう。(7/4)
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http://twitter.com/anmintei/status/219231307971043328了解 (7/1) ---------------------------------------------------
えっ、そうなの? 「リベラル陣営」のメンバーって誰? (6/15)
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とりあえず目に止まったのでひとこと。
犯罪者は一般人の中から生まれるのだけど・・・
確かに、「市民の科学リテラシーの前に科学者の社会リテラシー」が必要だね。(6/11) |
社会のこと
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togetter: 毎日新聞スクープ"核燃サイクル「秘密会議」"について鈴木達治郎氏(原子力委員長代理)と江川紹子氏、斗ヶ沢秀俊氏がツイッター上で質疑応答の、そのコメント欄を読んで、暗鬱たる気分になる。
毎日新聞の5月24日のスクープを要約すると、内閣府原子力委員会の、「核燃料サイクル技術等検討小委員会」において、4月24日、原子力推進派ばかりを集めた秘密会議が開かれ、そこに、委員にはまだ公開されていなかった報告案の原案が配布され、検討の結果、その原案が書き換えられた最終案が作成されたというもの。今後の使用済み燃料の処理方法について、原案では
冒頭にリンクしたtogetterでは、毎日新聞斗ヶ沢秀俊記者のまとめに対して、小委員会の座長を務め、「秘密会議」にも出席していた鈴木達治郎氏が反論、途中から、江川紹子氏なども加わってインタビュー形式のやりとりとなる。
翌25日には、一連の鈴木氏の反論をまとめたような内容の「見解」が、内閣府原子力委員会のHPにおいて公表された。鈴木氏側の主張の要点は二つある。
1)「秘密会議」ではなく、最終報告書のとりまとめに必要なデータを関係者に提示してもらうための作業部会である。データを持っているのは関連行政官庁と事業者に限られるので、当然あのようなメンバー構成となる。こうした会合は技術的な問題のからむ政府答申のとりまとめに際しては不可欠のもので、この小委員会に関係しても過去20回以上開催されている。何らやましいところはない。
2)秘密の会合で報告書案が修正されたというのは事実ではない。報告書案はすべて検討小委委員の確認を経て作られていくので、特定の立場を反映するような運営はしていない。
この間の経緯は、「見解」において、次のように説明されている。
さて、twitterを通しての「インタビュー」において江川氏は、4月27日の検討小委員会では「原案」は示されなかったという重要な事実を引き出している。事業者側にはそれより前の24日の「秘密会議」において「原案」が配布されたのに、27日の当の委員会では、「原案」が委員に提示されないまま5月2日までの意見書の提出が求められたというのである。これは調べればすぐにわかることなので江川氏の功績というには値しないが、このtogetterの最大の山場ではある。
当然、この事実は、鈴木氏側にとって大変具合が悪い。もし私が委員であったなら(あり得ないが)、毎日新聞のスクープと上記の「見解」を読んだら激怒しただろう。原子力推進側だけは、予め「原案」の理路を知らされ、これに修正を加えるべく自らの主張に都合の良いデータを十分な時間を使って収集し、作戦を練ることができたのに、慎重派や反対派は場当たり的な対応に追われることになったからだ。慎重派や反対派も単なる素人ではなく、それなりのデータを持っているのだから、予め「原案」の理路を知っていれば、より的確な意見書を準備することができた筈だと考えるのが常識的な理解であろう。
そこで苦し紛れの弁明がなされる。上記に引用した「見解」では、「4月24日の会合に提出した資料の中に、「総合評価案」と題するものが含まれていたのは事実ですが、これはその後何度か用意された原案の一つです」と書かれている。
これは大変奇妙な日本語である。「原案の一つです」という文言からは、いくつも併存する(数ある)「原案」の一つに過ぎないとの印象を受ける。しかし、「その後何度か用意された原案の一つ」という表現をよくよく吟味してみると、これは、時系列的に書き換えられて行く途上にあるものということになる。事実として、この事案に対して「原案」は一つしか存在しなかった。それを、「原案の一つです」と書くことで、大した書類ではないとの印象操作をおこなっているのだ。
報告書案が、すべて検討小委委員の確認を経て作られたというのも欺瞞である。5月2日の期限で提出され、5月8日の会議で配布された「原子力発電・核燃料サイクル技術等検討小委員会メンバー からの提出資料」には、原子力資料情報室の伴英幸委員の意見書が収録されているが、この意見などは、最終案にはほとんど反映されていない。「委員の確認を経て」というのは、単に、「意見は意見としてお伺いしました」というほどの意味にすぎない。
親委員会「新大綱策定会議」の委員である金子勝氏の5月24日のtwitterから引用しておく。
鈴木氏側の「見解」には、「公正な運営に最大限尽くしてきた」と書かれているが、このような欺瞞に騙される者などいない、と、思っていた。ところが、件のtogetterのコメント欄を読んで唖然とした。ほとんどが、鈴木氏と江川氏の「冷静なやりとり」に感心し、毎日新聞の記事を誤報扱いし、この事件に怒っている飯田哲也氏を揶揄している。鈴木氏の反論にすっかり感化され、そうだそうだと大合唱している。まんまと騙されているのである。
むしろ、これを極秘にしておかなければならない理由と、それが発覚してしまったことの重大さを正しく理解しているのは、ほかならぬ近藤駿介委員長だ。毎日新聞によると、近藤氏は、「(報告案を配っているなら)度を越えている。私の監督責任にかかわる問題」と述べたという。ところが、その近藤氏も、「秘密会議」に出席していたことが発覚する。こうした「秘密会議」は現行の原子力政策大綱作成準備期間中の04年にも頻繁に行われ、出席した近藤氏は「表に出た瞬間にやめる」と発言したとされる。
原子力委:04年にも秘密会議「露見なら解散」(毎日jp 2012年05月26日 02時30分)
本日はまた、本体の「新大綱策定会議」の議案も、既に2月16日、秘密会議で事前に配布されていたことが発覚した。
秘密会議:「新大綱」議案も配布 原子力委は虚偽説明(毎日jp、6月02日 02時33分)
これが露見してしまったことの重大さを理解している原子力委員会は、そのHP上で、6月5日に予定されていた次回の新大綱策定会議(第21回)の中止を告知した。一から出直すべきだ。
さて、件のtogetter のコメント欄の、毎日新聞のスクープを誤報扱いする諸氏はどうだろう。原子力政策に特別に重く課せられた「自主・民主・公開」の原則の意味を理解せず、なし崩し的に再処理政策を温存しようと目論む原子力推進派の、その策動に荷担する世論の担い手となり、これに反対する意見を持つ者を攻撃しているのである。
仮に彼らが、「またもやだまされた哀れな人達」だとして、何の罪もないだろうか。自分は元より原子力推進派であると主張するならまだしも、騙した方が悪いとの言い訳は社会人としては通用しない。もちろん、一番悪いのは騙した方である。
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以下は、一つ前のエントリーに再掲した樹々の緑さんのコメントへの返信です。重要な指摘に満ちたコメントをありがとうございました。
ご指摘のことは、もしかしたら、最近の私のいくつかの記事に確固とした統一的な視点が見いだせないことへの戸惑いが発端となっているのかもしれませんね。福島大学の「副読本」を紹介したエントリーへの、png*96*さんのコメントにそうした戸惑いが表明されています。
このpng*96*さんの戸惑いは、樹々の緑さんの戸惑いとは異なる視点からのものと思いますが、いずれにしても私は、ある時は「デマ狩りには熱心でも、地震の多い日本でも安全な原子力発電は可能だとの最大のデマには口をつぐんだままであったりする」科学者達の姿勢を批判したり(2011/5/14)、「「倫理」の上に「科学」を置」いてはならない(2012/2/16)と主張したりしながら、一方で「デマ狩り」に類する記事を沢山書いてきたりした訳ですから、そうした戸惑いが生まれるのも無理からぬことと思います。
ひとつには、私なりに物事の優先順位を設定しつつ、問題の難しさ故に、実際にはその通りの表出が出来ていなかったということがあります。「デマ狩り」は簡単なんです。もう一つ、前提として書いておかなければならないのは、このブログは、私の専門性を離れて、あくまで一市民としての意見表明の場であること、また、トラックバックを送らない、バナーを貼ったり相互リンクしたりしないという運営方針(このブログについて)で、社会的な影響力を行使することを目的としていないということがあります。それでも、一市民として何ごとかを主張するにあたって、基本姿勢を鮮明にしておくことには意味があるでしょうから、いろいろな方のまとめを拝借しながら、この点について述べておきます。
例えば、ウエブ上の数少ない巡回先で私の基本姿勢に最も近いのは、「シートン俗物記」Dr-Setonさんの「「正しく怖れよ」な人には水を引っかけちゃいな」に書かれている立場です。このブログの読者の中には意外に思われる方がいらっしゃるかもしれませんが、ベースとなるところは、既に私の水俣病についての記事の中で明らかにしていることです。
何より、原発推進派の倫理観の欠如には怒りを覚えますが、「デマ狩り」ばかりに熱心な自称中立の科学者達にも同様の倫理観の欠如を感じ、いらだちを覚えます。私はtwitterを使用していないし、他人のtweetもほとんど参照していなかったのですが、この間検索して参考になったまとめとしては、例えば、池田香代子さんとの対話〜脱原発とニセ科学批判があり、これをまとめられたA_laragiさんの立ち位置にも近いと言えるでしょう。この方は、「原発業界御用学者リスト @ ウィキ」にコミットしたことで大阪大の菊地誠さんに研究者としての倫理観のなさを批判されたりしたのですが、私には言いがかりとしか思えません。
私は、いわゆる「ニセ科学」批判に熱心だった方々の中に、この間の原発事故の見通しや時々の現状認識に関して多くの科学的判断ミスや過誤があったと認識しており、そのことが遠因となって生じたかもしれない災厄についての反省が不十分であったと考えています。そこで、この1年間、「科学者はなぜ間違え続けるのか」ということをずっと考えてきたのですが、ずいぶん後になって、たとえば東工大の牧野淳一郎さんのように、一貫して正しい見通しと現状認識を示して来た「栄光なき天才たち」も居たことを知りました。
また、東京大の押川正毅さんが、早くから「ダメ科学」という言葉を用いて問題提起をされていたことも知りました。
さらに、この点についての回答の一端は、既に震災前の2008年、名古屋工業大市村正也さんの「リスク論批判:なぜリスク論はリスク対策に対し過度に否定的な結論を導くか」と題する論文の中で明らかにされていたことも知りました。
市村さんはその中で、狂牛病BSEや水俣病の問題を例に引きながら、科学的な議論の中ではあまり意識されることのない、関係者がルールを破るリスクや、専門家が故意に噓をついたり情報を隠蔽したりするリスクが大きいことを指摘されています。良い機会なのでついでに触れておくと、あまり知られていないかも知れない「隠蔽」の一例として、「2011年3月20日、隠蔽された3号機格納容器内爆発」があります。ブログ主の岡田直樹さんのご専門は現代フランス哲学とのことですが、むしろこうした解析は専門の科学者こそが取り組むべき課題でした。「ニセ科学」批判クラスタがこうした問題をスルーして来たのは何故かという点も大変重要ですが、この問題にはここではこれ以上立ち入らないことにします。
さて、上記市村さんの論文のサイトに貼ってある、「遅ればせながら、2011年3月11日の震災をうけてのつけたし」の中に重要なことが書かれていますので、引用しておきます。
私は、この市村さんの主張に賛同します。また、科学的にはどんなに正しくとも倫理的に間違った主張は社会的に許容されないことは、優生思想を引くまでもなく自明のことです。科学の上に倫理を置くべきなのです。
しかし、これらのことはなかなか科学者の中で理解されないという現実があります。たまたま目にしたブログ記事の中から一例をあげると、例えばbloom@花咲く小径さんの記事、「続・生物学者のリスクの見積もり方:冷徹な科学こそが優しい(1)」では、「思想や感情を排した科学こそが人々に優しい」と主張しつつ、中川恵一さんや山下俊一さんの正しさを説き、児玉龍彦さんの誤りを指摘されているのですが、中川さんや山下さんの、そしてご自身の活動がほんとうに「思想や感情を排し」たものであったかという点については検討されていません。しかもコメント欄を閉じたまま類似の記事を連投されていて、これでは仲間内だけには支持されても、市民の中には科学者不審を助長していくばかりではないかと危惧します。
市村さんは、「それは、原発推進派だけでなく、原発や放射能の危険性を訴える側も同じだ」と書かれていますが、私は、市村さんの指摘は、科学者だけでなく、政治家やジャーナリストや団体代表者のような、社会的影響力のある全ての立場の方々に意識してほしいと考えています。私が「デマ狩り」の対象としたのは、そうした方々です。実際、原発や放射能の危険性を訴える側の中にも、そして、敢えて言えば専門家ではない市民の中にも、単に専門家に騙されたでは済まされない倫理観の欠如を見いだすことができます。私がそう判断するのは、実際に対話を通じて、相手がどのように対応するかを手がかりとしています。
しかし本質的な問題は、当の被災者である方々の中に、事実と異なる言説や、倫理的にも問題のある言説が見いだされ、それが実際に被災者支援の障害になっているように見える場合、そう感じた者としてどう対処したら良いかというところにあり、この点が樹々の緑さんのコメントの核心であったろうと思います。この点、私が、福島大学の「副読本」がすばらしいと書いたのは、それへの回答の一端が示されていると考えたからです。
それは、樹々の緑さんが次のように書かれている事に通じるものだと思います。
そして、冒頭にリンクしたシートンさんの記事は、この問題を正面から採り上げていると感じる訳です。そこで一歩引いて口ごもることも必要かもしれない。少なくとも専門家はそうすべきかもしれない。しかし一市民としての私は、対話を通じて解決の糸口を見いだす努力も無益ではないと考えています。憲法記念日の記事に書いたことは、私の努力目標です。
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以下は、前回のエントリーへの樹々の緑さんによるコメントです。この間の東電原発事故にかかわる様々な議論についての大変重要な指摘に満ちていると思います。ご本人の了解を得ていませんが、ここに再掲させていただきます。一部、読者への便宜のために、リンクを貼るなど加工していますので、不都合があればご指摘下さい。
私も、基本的にはこの樹々の緑さんの問題意識を共有しています。私の立ち位置に関してはいくらか補足が必要ですので、私の返信は、別エントリーとして投稿します。
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前回、劣化ウランについての誤解について書いたが、関連して、ちょっと古いけれどもひどい記事を目にしたのでコメントしておく。
未来バンク理事長田中優氏のウェブコラム「環境はエンタメだ!」の第二十八回「『流言飛語』という流言飛語」に次のくだりがある。
この中にある、「残念ながらα線の測定はほとんど困難」というのも、「劣化ウランはα線しか出さない」という流言飛語に騙された結果出てきた言説であろう(前回の記事参照)。
もっと深刻なのは、「福島の汚染地帯では、α線の測定器は持ち込みを禁止されていた」の部分。これを信じた人は、情報リテラシーの欠如を反省した方が良いと思う。法的にも、実効的にも禁止できる訳がないではないか。何を目的にこんなウソをつくのか理解に苦しむ。α線専用のサーベイメータは、一般のシンチレーションカウンターやガイガーカウンターに比べたらかなり高価だが、それなりに出回っているし、かの大山こういち南相馬市議も、これを持ち込んで、せっせと「不安煽り情報」を発信している。
過去記事にもまとめたように、文科省も福島県で数ベクレル/m2になるくらいの量のプルトニウムの放出を認めているのであるが、いくら測定しても、このレベルを大きく超えるα核種が検出されないのは周知の事実である。その事実が知れ渡ったら何か不都合なことでもあるのだろうか。
極めつけは、「しかし多くの人は気づかないまま、今でも劣化ウランの延焼はウソだと思っている」の部分。延焼したのは劣化ウラン保管施設である。イコール「劣化ウランの延焼」ではない。確認されている限り、劣化ウランそのものへの影響はなかった。
J-Cast ニュース:千葉の劣化ウラン管理倉庫 震災コンビナート火災で「危機一髪」(2011/7/ 4 19:23)
ウソだと思うなら、安物の放射線サーベイメータで良いから付近を測定してみたらよい。危険な量の劣化ウランが飛散していれば簡単に検出できるから。
劣化ウランそのものへ延焼したと主張するなら、その証拠を提示すべきだ。当局の発表を信じたくないのは勝手だが、その場合には「信じたくない」と書くべきで、「事実」を捏造してはいけない。
人知れず大変なことが起きている、しかし検証は不可能だ・・・
これで陰謀論の一丁あがり。副題は「今のぼくらは幾重にもウソに囲まれている」とのことだが、これはいわば、「『流言飛語』という流言飛語」という流言飛語である。環境はエンタメなんかではない。こんないい加減な言説を信じてしまった者は、原発の安全神話に騙され続けてきた己の、その根本の問題をいまだ克服できずにいることに気付くべきだと思う。
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