さつきのブログ「科学と認識」

福島第一原発、アンダーコントロールで、わざと昨年の2倍の放射能を放出か

科学と認識

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 ここでは水俣病の歴史から、引き続き「科学原理主義」の弊害について考えてみる。関係する年表は下記サイトをご覧いただきたい。
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/4444/log1/minamata-01.html
http://www7.ocn.ne.jp/~mimuseum/

 水俣湾の周辺で「猫の踊り病」が注目されたのは1952年。その翌年には、「最初の水俣病患者」が発症する。水俣病の公式確認は1956年5月とされている。同年8月24日に熊本大学医学部に水俣奇病研究班が発足し、11月にはチッソの工場排水に着目した疫学調査がなされ、水俣湾の魚介類による重金属中毒説が出された。厚生省が最初の現地調査を行ったのもこの頃である。既に状況は極めて深刻で、この年の年末までに54人が発症し、17人が死亡している。

 以来、熊本大学医学部の研究班を中心に原因究明に向けた取り組みが始まる。それは、次々と患者が増え、死亡する人も後を絶たない、一刻を争う緊張感の中でなされた取り組みであったが、様々な批判や妨害工作との闘いでもあった。ついに1963年3月、入鹿山教授がチッソ水俣工場スラッジからメチル水銀化合物を検出したと報告、原因はチッソの廃液にあると断じた。実際にはチッソ内部では、そのはるか以前に、同じ結論に至る証拠をつかんでいたのであるが、チッソはそれを隠し続けていた。

 いずれにしても、このことで状況は大きく進展するかに思われたが、実際にチッソがアセトアルデヒドの製造を中止したのは、5年後の1968年5月になってからであり、政府見解として、その原因を公式に認め、新潟水俣病とともに、公害病と認定したのは同年9月26日のことであった。公式発見から実に12年余が経過しており、この間に数千の患者を生み、1971年までに48人、1974年までに100人の死者を出すこととなった。

 水俣病の原因究明と被害対策が遅れたのは、人命より利益を優先する大企業の利益至上主義が、その政治的代弁者たる日本国政府と一部の御用学者に影響を及ぼした結果であると要約することもできるだろう。しかしここでは、本題に沿って、一刻を争うような人命にかかわる課題と格闘している科学者達に向けて、他ならぬ科学の立場からどのような批判がなされたのかを見てみよう。

 水俣病が、直接的には水俣湾周辺の魚介類を食べることで発症しているとの疫学的知見は早い段階で得られていた。1957年2月、熊本大研究班は水俣湾内の漁獲禁止が必要と提言し、同年4月には伊藤蓮雄水俣保健所長の実験で、水俣湾で獲れた魚介類をネコに与えて10日目に発症したことも確認されている。これらをふまえた県の照会に対して、厚生省は、水俣湾内特定地域の魚介類のすべてが有毒化しているという明らかな根拠はないので、漁獲を禁止する訳にはいかないと回答している。典型的に、帰納法の弱点を突く論法であり、確かに、科学論としては間違っていない。

 1958年には、チッソの廃液に原因ありとの報告もなされたが、そもそも、チッソの廃液と患者発生との間に相関が見出されたとしても、相関関係と因果関係は別であり、そんなことは科学の基本であるとの批判がなされた。前回、脚気の歴史で述べた森鴎外の主張と同じである。こうして、新たな現象の発見がある度に、その実体や本質を問う反論や批判がなされた。

 それらの全てを御用学者の妨害工作と断じても、何の証拠もないことであり、事態は進展しない。こうして、どの立場の科学者達も、原因物質の実体、因果関係、および発症のメカニズム解明と理論の構築に向けての研究と論争にのめりこむことになる。

 1958年に有機水銀中毒としてのハンター・ラッセル症候群が注目されると、翌年2月には、厚生省水俣病食中毒部会(=熊本大学研究班)により、水銀に着目した調査がなされた。その結果、チッソの排水口近辺を中心に、水俣湾内の泥土から「水銀鉱山並」の多量の水銀が検出された。さらに、不知火海沿岸住民、とりわけ水俣病患者とその家族の毛髪、および、湾内の魚貝類からも高濃度の水銀が検出された。これを受けて、熊本大研究班は、有機水銀原因説を発表することになる。

 ところが、チッソが工場内で使用していたのは無機水銀であり、無機水銀が周辺の海域で有機水銀に転化するメカニズムの解明なくして有機水銀原因説を唱えるのは非科学的であるとの批判がなされた。

 有機水銀が工場内で生成されていた可能性が高まった後も、それがメチル水銀であることが突き止められるまで、科学的な厳密さを問う様々な批判がなされた。チッソ水俣工場のスラッジからメチル水銀化合物が検出されても、それが、チッソ工場の生産工程において生成されることを証明しなければ受け入れられないとの批判もなされた。ついに1967年、チッソ工場の反応容器の環境を再現することで、無機水銀からメチル水銀が生成されることが実験的に証明されたが、これに対しても、実験に過ぎず、理論的な解明とは言えないとの批判さえあったのである。

 メカニズムや因果関係の理論的解明は、科学の一つの目標である。しかし、一刻を争う多数の人命にかかわる課題に取り組んでいる時に、科学的な厳密さに欠ける点をついて、可能な対策提言を先延ばしにしてしまうような批判を行う態度は、まさに「科学原理主義」と呼ぶに相応しい。あるいは「科学バカ」と呼んでも良い。

 「科学原理主義」は、しばしば、実体論や本質論に夢中になるあまり、現象論を軽視しがちになる。その弊害は、水俣の現場に足を運ばずして提唱された数々の珍説を振り返れば容易に納得されるであろう。新しい説が出される度に現場の科学者達は反論のための不必要な労苦を強いられた。

 「科学原理主義」にはまた、現実の社会に潜む「党派性」の罠に、簡単に足下を掬われてしまうような危うさもある。「純粋科学」はそういうものとは無縁であるとの放漫さの故であろう。企業の論理が現実の科学に及ぼす影響にあまりにナイーブな科学者は、どこにでもいる。今では、4大公害病(水俣病、新潟水俣病、イタイイタイ病、四日市ぜんそく)は高度経済成長の時代の負の遺産であって、そうしたことは過去のものであるとする風潮もあるようだ。しかし、現実はどうだろう。

 先日、7月30日夜のNHKの報道番組によると、最近もまた、島根県出雲市における松枯れ対策の害虫駆除剤の空中散布時に、周辺地域の小中学生や住民から目の痛みなどの被害の訴えが相次いだという事件がおこっている。この時は、農薬を製造・販売している企業の代表、空中散布を指揮する市の担当者、医師や大学の専門家などが呼び集められての原因究明のための検討会が開かれた。

 検討会を続けるうちに、当初この薬剤が人体には無害であると説明されていたのに、後になって、国への許認可届けの書類に、刺激性の反応ありと記されていたことが発覚する。また、薬剤はカプセルに入れて散布されるので、遠方へ飛散することはありえないと説明されていたのが、実際にはカプセルのサイズに大きなばらつきがあり、風速次第では、微細なフラクションが被害分布を説明できるくらいに飛散する可能性のあることも発覚した。さらに、散布許可の条件として地表風速の上限が定められているのに、ヘリコプターが飛ぶ高度での風速の影響が大きいことなど、数々の問題点が明らかになった。

 門外漢としてではあるが、今回の被害は空中散布以外にはあり得ないように思われる。それでも、個々の専門家達の判断は、空中散布と関係あり2名、空中散布とは無関係2名、無関係とは言い切れない7名、と分かれ、結論は先送りになった。「無関係とは言い切れない」が多数なら、この場合、即中止という結論で良い筈だ。

 「科学原理主義」が克服されないかぎり、同じことは何度でもくり返されるであろう。

 最後に本題から少し離れるが、私自身は学生時代に、ほんの数日間、水俣病裁判の準備書面作成にかかわって水俣の漁村における聞き取り調査の手伝いをやったことがある。その際には、現地において原田正純熊本大医学部助教授(当時)の話を聴く機会があった。以来、「ミナマタ」は、私にとって、科学が社会と切り結ぶ現場において、科学者はどうふるまうべきかといったことを考える際の原点として刻まれることとなった。

 その時の原田氏の話で印象に残っているのは、水俣病とは何なのかということ。結局これは、十数万の人々が暮らす環境が人為的に汚染されたということであり、必然的に、そこに暮らす全ての人々が、その悪影響を何らかの形で被ることになった、そういう環境汚染の事件であるということにつきる。「環境汚染」という言葉は、当時既に市民権を得ていた。なんら新鮮みのない当たり前のことを、原田氏がなぜ力説したのか、その意味をどれだけの人々が理解したであろうか。

 原田氏は、原因のいかんにかかわらず、そこにいわれなき不幸があるなら、国民の生命・財産を守る義務を負う政府・為政者は、ただちに、そして無条件にその不幸の救済にあたるべきであるとも主張した。もちろん、我が日本国政府が、それとは真逆の対応をし続けたことへの批判であった訳だが、本質的には、今もその状況に変わりないだろう。

 原田氏はまた、原因究明ばかりに気を取られて、患者の痛み・苦しみを和らげるための、医師としての治療法の研究がおろそかになったと悔いていた。科学的な原因究明のあり方といったことにも何事かを主張されたと思うが、当時の私にはそうしたことを理解する能力はなかった。

広島原爆の日に記す。

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 このエントリは前回の続きである。
 ここでは、現象論を実践に移す契機がくり返し失われ続けた結果、多数の人命が犠牲になった歴史として、その1で脚気を、その2で水俣病を取り上げる。科学の現場で現象論を軽視するとどういうことが起こるか、そうした発想がどのような科学観にもとづいて出てくるのかを整理するためである。

 まず、板倉聖宣(いたくら きよのぶ)氏が、「武谷三段階論」を普及する講演の中で例示した日本における脚気の歴史から考えてみよう。下記はその講演録である。
「武谷三段階論と脚気の歴史」
http://homepage3.nifty.com/mamoruitou/sanndannkai.html

 板倉氏は科学史が専門で、「仮説実験授業」で知られ、花粉がブラウン運動を起こすという、著名な科学者達が長年信じ込んでいた誤解を正すなど、地味ではあるが貴重な仕事の多い方である。板倉氏による上記の講演録は10年ほど前にアップされたものであるが、その中の「脚気の歴史」は、主に山下政三氏によって掘り起こされた知見を下敷きにしていると思われる。
(Wikipedia:「日本の脚気史」参照)

 日本における脚気の歴史は、現象論を軽視しバカにする、誤った科学観と「党派性」のために、多数の人命が繰り返し犠牲になるという、日本の科学史上、水俣病と共に忘れてはならない出来事である。以下には、板倉氏の講演記録の原文の所々を拝借しながら、Wikipediaの記述と私見を交えて概説する。

 日本では江戸末期から1940年代にかけて,脚気で毎年1〜3万人くらい死んでいた。当然、患者はその十倍以上はいた訳である。欧米にはもともと脚気の症例はほとんどなかったので、ビタミンB1欠乏が原因と分かるまで長い紆余曲折の歴史を辿ることになる。その途上では、現象論にもとづいて、実際上日本から脚気を駆逐する機会が少なくとも3回は訪れていた。しかし、現実には数十万人の尊い人命が無為に失われたのである。

 脚気の予防と治療の現象論が確立する最初の機会は森鴎外が明治十四年に東大医学部を卒業して軍医になった頃に訪れる。この頃日本の監獄では、それまで白米を支給していたのを麦飯に替えたら、たちまち日本中の監獄で脚気がなくなるということがあった。どうも麦飯に秘密があるらしいということで、堀内利国という人が陸軍の一つの部隊で麦飯を断行したら、ここでもあっという間に脚気がなくなった。

 そこで、近衛の軍医部長の緒方椎準が、話を聞いてすぐにあちこちの部隊で麦飯にして脚気を減らしていった。ついに、陸軍軍医本部の責任者達に会って,「全部隊で麦飯を支給すべきだ」と主張した。ところが、石黒チュウトクという人が、「そんなもの漢方医の言うことであって迷信である」と言って,断固として抵抗した。それで緒方軍医は怒って辞職する。こうして、日本中から脚気を駆逐する最初の機会が失われた。

 第二の機会は明治天皇が麦飯食を断行したことによって訪れた。脚気は白米食の時代になって現れた比較的新しい病気で、その昔は天皇や将軍がなった。幕末になると十三代将軍も十四代将軍も脚気で死ぬ。明治天皇も西南戦争の年に脚気になり、医者に勧められて転地療法をやったりしたのだが皇女和宮までもが脚気で死んでしまい、医者の言うことも信用できなくなった。そこで、噂を聞いて麦飯にしたところ、たちまち治ってしまったのだ。

 天皇が麦飯を食べているのに取り巻きが白米ではしめしがつかない。参議その他の偉い連中はみんな麦飯になってしまい、結局、明治十七年から二十四年までに陸軍の全部隊が麦飯になり、それまで、陸軍の部隊の30%もが脚気だったのが、0.3%という率に減ってしまう。

 ところが、ドイツ留学中の森鴎外がその話を聞きつけ、全否定したのだ。陸軍の軍医本部と東大は学理的根拠がないとして、その因果関係を認めない。やがて、明治二十七年に日清戦争が起こると麦飯にするか白米にするかで論争が起こったが、戦時には兵隊に栄養をつけさせないといけないということで、結局白米を送ることになった。結果的に、戦死者が364人、脚気で死んだのが4064人ということになった。そこで反省すればよかったものを、これは「戦時脚気」という特別の脚気で、白米食とは関係がないとされてしまったのだ。

 第三の機会は、明治三十七年に起こった日露戦争の時に訪れる。この時には森鴎外の同級生だった小池正直が陸軍の医務局長になる。小池は,いろいろ調べて、麦飯が脚気に効くということを陸軍大臣宛の報告書にまとめた。

 ところが森鴎外が、「麦飯を実施した時にたまたま脚気が減ったということは、麦飯が原因で脚気が減ったということにはならない。」という脅かしの論文を書いた。相関関係と因果関係は別であるということで、相関関係そのものの価値を全否定してしまった訳だ。結局また戦地へ送られた兵隊達の間で脚気が発生してしまう。この時は百万の軍隊のうち二十数万人が脚気になり、そのため二万八千人が亡くなった。

 多数の人命が現に失われ続けているとき、たとえ現象論の段階であるとしても、経験の蓄積や現象相互の相関関係をもとに、現状で考え得る最善の策を立てようと知恵をしぼる者に対して、これを批判した者がいた。彼らにとっては、因果関係・メカニズムの追求やら、理論的解明だけが主要な問題であり、科学をなすことそのものが全ての目的と化してしまっている。私は、その批判者達のそうした行動原理となっているものを「科学原理主義」と呼びたい。

 もちろん、いい加減な現象論の蔓延は、却って危険な事態を招くこともあり得る。だからこそ現象論には、確信と熱意だけでなく、特別の工夫と作法も必要となる。その事はまた、別の機会に論じることになるだろう。ここでは、現象論を過小評価してバカにする態度は、疑似科学とともに、その対極にあると思われがちな「科学原理主義」にも、表裏一体のものとして潜んでいるということを押さえておこう。

 その後の歴史を辿ると、脚気の現象論を積み上げることで、実体論としてのビタミン発見が日本人の成果になる可能性もあったのが、それさえも自ら潰してしまったことがわかる。武谷が言うように、現象論は科学をなす上で最も重要で基礎となる段階であり、これを軽視するなら、当然そうならざるを得ないのである。詳細は原文をお読みいただきたい。

 次回は、日本において近代科学がまともにぶつかった類似のできごととして水俣病を取り上げる。

 前回のエントリでふれた脳科学と言語学の境界領域が科学の営みであるとすれば、これは武谷三段階論でいう現象論の段階にあるのだと思う。現象論とは、対象と観測者との相互作用の中に顕われるいろいろな現象の中に規則性や相関関係を発見する、科学の営みの基礎となる段階である。

 この段階では、もっぱら伝統的な意味での帰納法が用いられる。帰納法と武谷の現象論との関係については下記の記事で論じたが、それらは科学の王道でありながら、それ自体としては方法論としての弱点を備えているという意味で、科学としては未完の、むしろ入り口の段階でもある。
http://blogs.yahoo.co.jp/satsuki_327/20653105.html
http://blogs.yahoo.co.jp/satsuki_327/20696643.html

 武谷の理想に従えば、次には、規則性や相関関係から因果関係を含む現象相互の繋がりと、それらが織りなす構造を導き出す実体論を経て、最終的には、その構造の意味を基礎づける法則を探る本質論が目指されることになる。

 実体論の段階ではしばしば抽象化されたモデル(仮説)をもとにした再現実験が有効な手段として活躍する。必ずしも対象と同質の事象を利用する必要はなく、模擬的な物質を利用したり、あるいは個々の現象の因果関係を仮定しての数値シミュレーションに依ったりする場合もある。しかし、技術的、または倫理的な制約などから有効な再現実験が叶わない学問領域というものもある。

 そうした分野では、現象論だけを精密化するような研究が延々と続けられていたりする。しかし、科学のゴールからすれば現象論がはるか未完の段階であることに変わりはない。私の知る古生物学者の一人は、目指すべきゴールは絶滅した古生物を現代に甦らせることであると言った。それが正しい目標の設定かどうかは別にして、科学者がそのように発想するのも当然かもしれない。

 もちろん、現象論で足踏みをしていることをもって、それが未科学ということではない。「事実」として記載された現象が、本当に任意の第三者に再現可能な「客観的事実」であるかどうか、その客観性を説得するような記載になっているかどうかということは科学にとって本質的に重要である。現象論であるか実体論であるかを問わず、未科学とは、そうした科学の手続きが不十分なものを指して言う。未科学と疑似科学について思うところは、下記エントリにまとめている。
「「疑似科学」とはなにか」
http://blogs.yahoo.co.jp/satsuki_327/22345505.html

 多くの科学は未科学の段階を通過する。技術的な問題などから長い間決着をみなかった問題を含め、海のものとも山のものとも知れず未科学のまま放置された課題はそこここにころがっている。その中には、宝石の原石のような課題もあるだろう。なにより、社会的な要請に応える課題もある筈だから、未科学であることを理由に、これを遠ざけたり、単にバカにしたりするような態度をとるべきではない。社会的影響の大きな問題である場合には、その議論が疑似科学へ向かわないよう積極的に関与して、正しく批判していくことも必要なことと考える。

 ここで少し検討を要するのは、現象論の段階にある科学の営みとどのように接したら良いかという問題である。

 武谷が主張したように、現象論は科学をなす上で最も基本的で最も重要な段階である。疑似科学の多くは、この段階を蔑ろにしたまま実体論や本質論を論じている場合が多い。それでも、現象論そのものは、いかに精緻なものであれ科学としては未完で、場合によっては未熟な段階と呼べるものもあるだろう。

 現象論とは、いわば「科学的経験論」である。単に「二度ある事は三度ある」といった素朴実在論的な経験則は未科学に含めて良いが、客観的に精査された一定の条件のもとで再現される現象は、その条件と現象との間になんらかの因果関係が想定される。その再現頻度が高いほど予測能力は向上する。現象論の段階にあって、確率論的なあいまいさを含む結論しか得られないとしても、実社会での現下の施策に二者択一が迫られる局面などで科学を頼りにすべきだと考えるなら、ベイズ主義の立場に立つより他はないであろう。
http://blogs.yahoo.co.jp/satsuki_327/20735119.html

 実際、この社会では、未熟な現象論の段階に過ぎないとしても、その科学を頼りに対処するのが合理的と考えられる問題に満ちあふれている。逆にまた、科学そのものは正しく進められていても、その成果を実社会の問題へ適用するその方法が非合理的であったり、非科学的であったりする場合もある。

 例えば、最近はやりの脳科学の成果から、男女の脳の形態的・機能的差異をことさら強調して、男女の役割分担を合理化するような言説があって、なるほど、そう言えば男は話を聞かない、女は地図が読めないなどといった会話がネット上を飛び交っている。これに対して、脳の形態的・機能的な差があったとしても、相関関係と因果関係は別で、それは両者を混同した疑似科学である。現実に現れている男女の差は、生得的なものではなく、社会的に獲得されたジェンダーの現れであるとの批判がある。

 では、このようなジェンダー論に、相関関係と因果関係を切り分けた、客観的で科学的なデータや実体論は存在するだろうか。私の知る限りではそんなものはない。しかし私は、脳科学の成果を現実の社会に生きている男女の性差の問題に適用する際には、ジェンダー論を十分に組み入れた上でなされるべきだと考えている。それは、ジェンダー論が現象論として十分な段階に達していると考えてのことではない。

 脳科学は科学を自称しているが、ジェンダー論の方は自らを科学であるとは主張していない。この場合ジェンダー論は、脳科学の成果を現実の社会現象に適用する方法にある看過できない初歩的かつ重大な過誤を指摘しているのである。具体的には、特定の現象や機能についての性差を科学的に論じようとするなら、関係するあらゆる条件を男女間で揃えた上で比較すべきなのに、そうした手続きが不十分であるとの批判である。

 そうしたことは、単に科学としては初歩的な手続き上のミスを指摘しているだけなのに、ジェンダーという視点が現れるまで意識されることがなかった。そこに、科学の「党派性」といったものを垣間見ることもできる。逆に、ジェンダー論が、社会的に現れる見かけ上の性差の全てが生得的なものではないと主張するなら、その科学的証拠を問い詰めねばならないだろう。今のところ言えることは、性差より個体差のばらつきの方がはるかに大きいということくらいだと思うが、それだけでも、男女の役割分担の合理化を否定するに十分ではないだろうか。

 繰り返しになるが、現象論というものはそこに留まっている限り結局は因果関係を証明できないけれども、科学の手続きに則って必要かつ十分に相関関係を示し、そこに何らかの規則性を発見し得たならば、それだけですぐにでも実践に移した方が良い緊急かつ重大な問題が、私たちの社会には満ちあふれている。緊急かつ重大ではなくても、実践に移すに合理的な価値があると判断されることも多い。その段階では、不可避的に科学にあいまいさが伴われているために、そうした判断には一種の「党派性」といったものがつきまとうのも常である。

 次回は、具体的な問題に即して、そうしたことを論じてみたい。

 これは、ちょちょんまげさんのブログ「東海林さだおがいいなぁ」の「掛け算の順序の話」というエントリのコメント欄で、私ととらこさんとの間で交わされた議論に関わることである。
http://chochonmage.blog21.fc2.com/blog-entry-55.html

 私は、数式の文法は印欧語系のSVO式の語順になっているので、日本人のようなSOV式の語順の言語環境下で育った子供達の一部には、中等教育段階でつまずく者が居るという、20年程前に聞きかじった説を披露した。これを、言語学の専門家であるとらこさんに、そんな説は検討にも値しないと一喝された。とらこさんの主張は理解しつつも、素人としてその核心がどこにあるのか正確に汲み取る自信はないので、上記のコメント欄をお読みいただきたい。

 この議論をいつまでも続けようとは思わないが、その後でちょちょんまげさんのコメント返信で提示されたことに以前から同じ関心をいだいていたので、そちらに絡んでメモを残しておきたい。

>ときに、ご意見を伺いたいのですが、我々が何か「思考」を立てる時には必ず「言語含み」というか「言語そのもの」で組み立てているように思えるのですけど・・(中略)・・ほとんど「思考=言語」ぐらいに思えてしまうのですけどいかがでしょう?

 私もそう思う。それだけでなく、時には考え事をしているときに意識の底で「音声言語」が響いているような気がする。そのことに関係していると思うので、昨年10月に放送されたNHKスペシャル『読字障害〜文字が生んだ病〜』を紹介しておこう。
http://www.nhk.or.jp/special/onair/081012.html

 以下は、その番組の録画を観ながらとったメモを元にしている。なにしろ私はこの方面のド素人である。録画は既に消去され、再確認できない状態にあるので、番組内容に拘わらず間違いがあればどうか指摘していただきたい。

------------(以下、番組の要約)------------
 読字障害(注1)というのは、会話は普通にできるのに、文章を読んだり書いたりするのに大きな困難を伴う障害のこと。これが具体的に脳の働きにかかわって起こる認識障害だとわかったのは、先端的な技術によって脳の活動部位を可視化することが可能になった最近のことである。

 読字障害の人は意外に多く、欧米人で10%、日本人で5%くらい。学習障害の一種として認識され、研究が始まったのであるが、今でも社会的認知度が低いために、しばしば、ただ勉強ができない頭の悪い人とみなされているケースも多い。

 ところが、彼等の中には別の分野で優れた才能を発揮する人が多い。例えば、映画『ジュラシックパーク』の恐竜博士のモデルになったモンタナ州立大学ジャック・ホーナー教授(注2)は、発掘された恐竜の骨片が全身骨格のどの部位であるかを瞬時に判断できる特異な才能の持ち主である。彼は、論文をそのままでは読んだり書いたりすることができないので、コンピューターに文章を読んでもらう事によって意味を理解し、喋った言葉をコンピューターの力を借りて文章化する。

 英国の大学に留学中で、最近ヨーロッパの建築家の卵に与えられる名誉ある賞を受賞した藤堂高直氏は、日本の高校までを「劣等生」として過ごしてきた。しかし、教師の一人が彼の特異な才能を見抜き、このまま日本にいてはダメになるからイギリスの大学の建築学科へ進学しなさいと勧める。その助言通り、彼はその才能を建築家として開花させることになった。

 読字障害の人々の中には、誰もが良く知る著名な芸術家や建築家が多い。

 結論から言うと、この障害は、文字が発明されてわずか5000年の歴史しかないために、人の脳がそれに対応できずに起こっているのである。現生人類が生まれたのは数万年前。脳の構造と一定の機能が付与されたその時点で、文字というものは存在していなかった。

 フロリダ州立大学のディーン・フォーク教授は、類人猿の頭蓋骨の化石から脳の形状を復元し、言語野の一つであるブローカー野が人類の先祖にいつの時点でそなわったのかを調べた。その結果、おそらく190万年前、遅くとも160万年前のホモエレクトスでは、既にこの言語野が発達していたと結論した。しかしこれは、もっぱら音声言語の認識を司る部位である。もともと、人類が生まれた時に文字は存在していなかったのだから、文字を言葉として理解するための専門の部位は脳の中には存在していなかった。文字が生まれてたかだか5000年では、人類の脳が文字に対応するために生物学的な進化を遂げることは不可能だったのである。

 では、我々はどのようにして文字列を読んでその意味を理解することができるのだろうか。その事は、人が文字を読む時に脳のどの部位が活性化しているのかをfMRIなどを用いて可視化しながら探るということをくり返すことによって、次第に明らかになってきた。

 理科学研究所脳科学総合研究センターの入来篤史博士によると、人が文字を読む際には、左脳の頭頂葉下部にある第39野と第40野が活性化するらしい。この第39野・40野は、250万年前のアウストラロピテクス・ガルヒに至って発達し、石器の作製と使用という複雑な動作を可能ならしめた部位と考えられている。両野は、視覚情報、聴覚情報、体勢感覚情報を総合して、複雑な運動を正確にこなすための、いわば総合情報処理センターとしての役割を果たしている。

 元々、人類にとって、言葉は音声に託されて発達してきたので、文字を音声に変換できれば、その意味を理解することは可能になる。そこで、文字が生まれた時、視覚情報を音声の情報に関連づける必要が生じて、視覚情報と音声情報を統合する第39野・40野の機能がこの作業を代行することになったのである。

 一方、ジョージタウン大学学習研究センターのゲイネヴィア・イーデン教授によると、読字障害の人は、文字列を見ても第39野・40野が活性化しない。そのため、視覚情報を音声の情報に「翻訳」することができず、その意味を汲み取ることができない。代わりに、右脳が広範囲に活性化する。彼等は文字を絵画と同じように認識してしまうのだ。

 読字障害の人は、普通の人より図形の認識能力に優れている。例えば、エッシャーの「だまし絵」のような、自然な空間にはあり得ない図形がある。多数の被検者に同じ絵を見せて、それが三次元の図形として矛盾がないかどうかを瞬時に判断させる早さ比べを行った結果、読字障害の人が平均1.7秒、そうでない人が平均2.9秒と明らかな差がついた。また、正答率でも差がでた。

 大阪医科大学LD(学習障害)センターの若宮英司顧問、京都大学高次脳機能総合研究センター福山秀直教授らによるfMRIを用いた研究などを総合すると、脳の言語認識プロセスは、音声と文字のそれぞれにおいて次のようにまとめられる。

音声 → 耳 → 聴覚野 → 言語野(ウェルニッケ野 → ブローカー野) → 前頭前野

文字 → 目 → 視覚野(読字障害の人ではこの後図形と判断されて右脳へ送られる)→ 第39野・40野(音の情報へ変換) → 言語野(ウェルニッケ野 → ブローカー野) → 前頭前野
---------------(要約、ここまで)----------------

 以上が、この番組で主張されたことの概要である。重要な点は、文字で書かれたものは、一旦音声に変換されて初めて意味のある言語として認識されるということ。ちなみに、上記の言語認識に関係する前頭前野以外の部位の多くは左脳において優位であることが知られている。

 いろいろと調べてみると、表意文字より表音文字に対する読字障害が強く表れるとの報告もある。とらこさんの7/22のコメントにあるように、数式の場合は一般の文章を読むのとは異なった認識プロセスがあるのかもしれない。しかし、表意文字にもその「音=読み」が必ずあるのは、その文字の意味を教え伝えるのに言葉が必要だからだ。数式に現れる記号も含めて、表意文字の意味を最初に理解するプロセスと、理解し訓練した後の認識プロセスとは区別して考える必要があるだろう。

 私が、初等・中等教育における教育効果の面から問題を語っているのは、その事を意識してのものである。少なくとも初等・中等教育段階においては、数式を認識する上で、それをどう読むかは基本的に重要なことではないかと、今でも考えている。以上のことが、私が数式の読みの文法に拘った理由である。

 なお、黙読と音読の違いについての研究の歴史は長いが、最近は、音読の重要性が見直されてきているらしい。女子短大の生活学科の学生28名を被検者に、デカルトの「方法序説」の音読を30回まで繰り返えさせ、理解度がどのように深まっていくかを検証した研究があって、大変興味深い。
「「読書百遍義自ら見る」は正しいか」
http://ci.nii.ac.jp/naid/110006408205/

------------------
注1:やや公式的な報告書として「読み書きのみの学習困難(ディスレキシア)への対応策」石井 加世子(文部科学省科学技術政策研究所科学技術動向研究センター科学技術動向月報2004年12月号)がある。定義や研究の現状(やや古いか?)などの他、支援方法についても詳しいので、ぜひお読みいただきたい。
http://www.nistep.go.jp/achiev/ftx/jpn/stfc/stt045j/0412_03_feature_articles/200412_fa01/200412_fa01.html

注2:冒頭に貼ったNHKのウェブサイトでは、ホーナー教授を「考古学者」と紹介しているが、彼は古生物学者であり、恐竜と鳥類の近縁性を最初に指摘した学者として有名。

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 気まぐれですが、文体を変えます。
 写真は、我が家の花壇の一角に1.5 m×2 m ほどの私専用のスペースがあって、そこに植えた一本のトマト(シシリアンルージュ)です。私はトマトが大好きなんですが、最近は高値が続いています。シーズンだというのに近所のスーパーで中サイズ一個が100 円程。そこで夏場だけでもトマトを自給したいのですが、これは連作障害の強い作物でして、最低2年は空けなければならない。一昨年トマトを植えて、去年はオクラでした。本来なら来年まで待たなければならないところを、待ちきれなくなって、土をひっくり返したりして無理矢理植えたという次第です。

 トマトに連作障害が出るのは根から有害な物質を出すからだという話を聞いたことがあります。どんな物質か調べていませんが、そのせいで秋には枯れて、結果的に一年草になっているとか。ところが、水耕栽培にしてその「毒」を洗い流し、冬の寒さを防いでやるとトマトも多年草になります。最初にそのことを知ったのは「筑波国際科学技術博覧会(1985)」日本政府館のメイン 展示のトマトの巨木をテレビで見た時でした。
 
 当時の写真をウェブから捜したけれど見つからないので、これでもどうぞ。
http://www.geocities.jp/tenri_kokugen/news/tape02.htm

 その巨木を育てたのは 植物学者の野澤重雄さんです。ハイポニカ(水気耕栽培法)の生みの親ですね。ハイポニカは、遺伝子操作などの高度なバイオテクノロジーなしに、普通の種から育てて驚異的な収量をあげる技術です。今では様々な作物に応用されて、日本各地でライセンス事業として発展しています。トマトの場合は2〜4年の多年草として栽培し、多い時には一本から普通サイズ数万個を収穫します。3年を過ぎると巨木になって枝が長く伸びすぎるので、植え替えるようです。

 で、野澤さんを神様のように崇め奉っている人たちが大勢いまして、「ガイヤ」だとか、ついには「サトル」だとかのキャッチフレーズまで掲げられるようになっています。やれやれです。単なる科学(農業技術)なんですけどね(身もふたもない言い方ですが)。

 本来一年草のトマトを多年草として育てるというのは「不自然」です。だから「ガイヤ」だとか「サトル」だとか言うのは、単なる自然信仰では決してなく、ましてや単なる科学信仰でもない。科学がまるで魔法のように見えてしまう人たちにとっては、「スピリチュアル」と結びついてしまうのでしょう。そしてここにも、実はそんなことの真実味などどうでも良くて、もっぱらそれを商売のタネやネタにしている人たちもしっかりと「上流」の方に居て、餌を撒いている訳です。「科学の勝利」と言うだけではこのご時世コマーシャルメッセージとしてダサいようですからね。私は、現代のスピリチュアルブームも資本主義的なものから生まれたのではないかと考えています。

 それはさておき、私がやっているのは水気耕栽培ではありませんが、 長持ちさせるためのそれなりの工夫はしています。ただし秋には枝が伸びすぎて「畑」から大きくはみ出して何かと不都合で、また樹勢も衰えるので実を付けたまま引っこ抜きます。どれくらい長生きか試した事はありません。

 写真のものは、70円の苗を一本だけ買って4月のみどりの日に定植しました。シシリアンルージュは今回初めて植えたもので、ミニトマト(プチトマト)より一回り大きい縦長の小粒で、近所のスーパーでは「地中海トマト」や「エーゲ海トマト」などと称して10個200円ほどで売られています。主に調理用として用いられるようですが、そのまま食べても、ジュースにしても美味しいトマトです。
http://kitanoichiba.com/sicilian-rouge.htm

  写真では表現しきれないのですが、 十枝ほどを四方にのばして2.5 m 高の茂みっぽくなっています。ちょっと詳しい方なら、「邪道なこと」をとお思いでしょう。そうなんです、農家の畑でトマトがどのように育っているか観察してみると、太玉の場合は全ての脇芽を摘み取って、一本仕立てにしてあります。ミニトマトでも本枝はせいぜい3〜4本にします。こうして、一本のトマトから中〜大サイズ20個ほど、ミニトマトでもせいぜい200個ほどを収穫して、さっさと引っこ抜いて次の作物を植える、というのがプロのやり方です。私は毎回1本だけ植えて、本枝10本くらいを伸ばし放題にし、一株を長持ちさせます。そうすることで、我が家の消費にちょうど良いペースで長期間安定的に収穫できます。

 ハイポニカでなくて畑の土でも、上手に育てたら、トマトは意外に大きく、また長寿に育つのです。まず、苗を定植する前に直径60〜70 cm、深さ40 cmくらいの穴を掘って、穴の底に軽石、その上に木炭を敷き詰め、元肥をたっぷりと混ぜた土を入れて、1週間くらい馴染ませます。肥料は、主に残飯と刈り取った雑草でつくった堆肥や米糠を土と混ぜて熟成させたものなど。追肥は、最初は根と枝葉の成長のためにカリウムと窒素分に富んだ肥料を、途中から実を太らせるためにリン肥を多めに、ということですね。夏場の水やりに米のとぎ汁をやるのも効果的です(多すぎないように)。

 下から順番に花房を付け、自家受粉でほぼ100%結果します。太玉の場合は一房に4〜6個、シシリアンルージュは10〜14個の実がなります。実を大きくしたい時は先端から少し摘果します。一房全部の収穫が終わったら、その下の葉を、枯れる前に全て刈り取ります。枯れそうな葉を付けたままにしておくのは病気の元です。

 トマトは、家庭菜園のテキストでは栽培が難しい作物に分類されていますが、それほどでもありません。健康に育って勢いがあると害虫も寄り付かなくなるので、余程のことがない限り、農薬も一切不要です。トマト独特のあの臭い成分が虫を寄せ付けないのかもしれません。トマトの性質を良く理解し、愛情を持って育てれば良いだけです。これで一本の苗から太玉なら大小取り混ぜて200 個以上、ミニトマトは数千個(数えた事がない)を収穫します。七月中旬から2ヶ月半以上の間、完全自給します。

 現在の住居に引っ越して最初にトマトを植えた年には、定植してしばらく経って枝を伸ばし始めた頃、近所の農家の人に枝を切れとさんざん忠告されました。私は既に経験がありましたので、「これは観賞用ですから」などとごまかして育てるなんてこともありました。やがて立派に育ち、沢山のトマトが実を付けるということが何度か繰り返されると、誰も忠告めいたことを言わなくなりました。最近ではよく誉められます。

 ある年、夏休みにひと月あまり出張のことがあり、この間、子供たちにトマトが何個穫れたか日記に付けておくよう頼みました。帰ってみると、200 個くらいまでは記録されていたのですが、途中から子供たちが日記をサボっていて、結局分からずじまいになってしまいました。という訳で、1本のトマトから200 個以上を収穫したというのは事実ですが、実際何個だったかは分かりません。今年は新種にチャレンジしているので、きちんと記録しようと思っています。シシリアンルージュは小粒なので1,000個を目指しますが、とりあえず昨日(7月18日)15個、通算63個めです。これからが本番で、完熟食べ放題突入です。

 トマトソースのパスタが好物なので、機会があったらレシピを報告しましょう。


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