さつきのブログ「科学と認識」

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科学と認識

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 しばしば、「数学は(自然)科学か」という議論を見聞きする。

 科学哲学界においては数学が科学でないことは自明のこととして扱われていると思っていたのだが、こうした議論は後を絶たない。たぶん、数学が科学でないとしたら、では何なのかという議論が不足しているからだと思う。以下に、このことを巡って考えたことを、とりあえずの備忘録としたい。

1)数学における「証明」と科学における「実証」の違い
 数学の定理が科学の学説と違って反証されることがないのは何故かということから考えてみよう。このことは、下記ウェブページでも議論されている。
http://q.hatena.ne.jp/1210570897

 この問題は、数学の成果を「学説」や「理論」などと呼ばずに「定理」と呼ぶことと関係している。また、科学における「実証」を数学では「証明」と称するのも同質の差異を表現している。

 科学における実証や反証は、外的世界の観察を通してなされる。例えば、直角三角形の形をした多数の物体や描かれた図形の三辺の長さの実測から帰納して、三平方の定理が一定の精度で成り立っていることを主張するようなものである。実際には、直角三角形にはいろいろな形やサイズのものが無数にあるので、これらの全てについて検証するのは不可能である。一方、数学では、例えば各辺を共有する正方形の面積を考えることで形やサイズによらず任意の直角三角形についてこの命題が真であることが証明できる。こうしたことが可能になるのは、直角三角形という概念そのものは、前提とされる性質を持った空間内にただ一つしかなく、時間によらず不変であることによる。従って、ある問題が、実在の物体とは無関係に存立しうる数学的概念だけで置き換え可能である場合には、科学の方法を用いずに数学の問題として解くのが普通である。

 対象概念の性質に基づく一般解として証明することが不可能な場合には数学的帰納法が用いられる。例えば、全ての自然数についてある命題Pが成立するか否かを、「P(0)が真」 → 「任意の自然数mについてP(m)が真であるときP(m+1)が真」、という手続きによって証明する。数学的帰納法は、定理や論理を用いて、対象となる概念を構成する全ての要素において命題が真であることを論証するので、演繹法の一種とみなされていることに注意を要する。

 このように、数学では、ある命題に要請される全ての対象事例について真であることが論証されたときに証明が終る。言い替えれば、反証される可能性のないことが示されることによって証明が終り、定理が生まれる。もちろん数学でも、論理のミスなどから誤った論証がなされ、後に否定される可能性もあるが、「定理」の地位が確立されたものに反証された事例を知らない。自然科学の学説が、無数にある自然の対象要素の中に理論と矛盾する事象が隠れている可能性を前提としていることと決定的に異なっているのである。

2)数学と科学の研究対象の違い
 数学は、人が定義した概念だけを研究対象とし、個々の概念は不変である。この点で、人自身もその一部であるところの「外的世界」に実在する事象を研究対象とする科学とは根本的に異なっている。科学においても、多様な事象の中にある規則性の発見から、恒星、惑星、気体、液体などの「概念」が定義されるが、そのような定義自体が特定の科学理論に基づいており、曖昧さを伴い、しばしば訂正を余儀なくされる。また、科学が具体的に研究したり検証したりするのは、その概念自体ではなく、実在する個々の構成要素である。

 前述した例で言うと、実在する直角三角形の形をした物体や描かれた図形には様々のサイズ・形状のものが無数にあり得るし、そもそも、本当にそれが直角三角形の形をしているかどうかが問題となる。それらは直角三角形という属性以外にも、他の様々な属性を伴っているので、それらの相互作用によって明日は三角形ですらなくなる可能性もある。科学が研究対象とするのは、そういうものである。

3)科学の懐疑主義の源泉と数学の前提
 科学の学説は、全ての対象要素についての検証を断念しつつも、その正しさを、あの手この手で主張する。例えば、無作為に抽出された有限個の対象要素についての検証をもって、その統計的な確からしさを明らかにする。これでは、「証明」と言うにはほど遠いし、当然、反証可能性が残される。ラカトシュがポパーを批判して言ったように、それ自身が科学の営みである反証実験を絶対視することもできない。こうした科学の曖昧さというものは、科学で用いられる「概念」そのものの曖昧さに由来し、不可避である。科学の徹底した懐疑主義はそうしたことに根ざしているが、数学は、数学の定理を懐疑しない。それは、数学が、内部矛盾のない体系をアプリオリとし、それがどのように完結しているかを明らかにしようとしているからである。

4)科学の進歩とは確からしさの増大と適用範囲の拡大である
 科学は曖昧さの中にも「本質論的な法則性」を見出そうとする。法則とは、一定の前提条件の下での「一般解」であり、これを実現するために数学の力を借りることがある。しかし、例えば、具体的な物体が数式で示されるとおりの運動をするとは限らない。その数式が仮定しない他のなんらかの力や観測上の問題が介在している可能性があり、この場合、実測によって明らかにされるのは数式で示される理論が近似的に成り立つことだけである。そのことをもって、この理論が証明されたことにはならないが、科学では、具体的な問題にとって必要な精度とともに議論されるので、その精度の範囲内で検証されたことにする。

 やがて、検証実験の増加や観測精度の向上により否定的事例の発見がもたらされると理論の修正が目指される。そして、新たな素過程の介在が明らかになったり、別の理論で置き換えての検証によって、予測の精度が上がったり、理論の適用範囲が広がったりする。これが科学の進歩の一形態である。したがって、一度否定された理論も、限定的な前提条件と一定の誤差の範囲内では有効に使えるものである場合が多い。

5)数学とは何だろう
 言葉の定義次第では、数学も「科学」の一種とみなして良い。例えば、文科省や学術振興会が主催する「科学研究費補助金」の公募対象に数学も含まれるが、この場合の「科学」は、「厳密な学問」というほどの意味にすぎず、哲学、文学、言語学なども同じく公募対象となっている。数学が大学などで自然科学研究の組織に組み入れられているのは、それが自然科学研究のための強力なツールとみなされているからであり、また、他に適当な所属先がないことにもよる。しかし、科学哲学上の議論の中で、数学の営みやその成果を科学との対比で実態に即して論じようとするなら、両者の本質的な違いに注意を払うべきであり、この点で数学はむしろ哲学や言語学の方に近い。

 数学が、ある種の概念のつくる完結した体系の存在をアプリオリとし、記号を用いてその構造を研究するという実態は、それが言語学の基礎論の一種として存在していることを示す。数学は、広い意味での「言語学」の中で、主として数や図形の概念がつくる構造を、純粋論理の文法を用いて記述するための言語についての学問ということで良いのではないかと思う。
 
6)数学と(自然)科学の関係
 数学は、人が「外的世界」と接して、1+1=2、と記述したら便利だというような素朴実在論的な経験にその起原を求めることができるかもしれない。しかし、そうした経験によらずに、例えば、1+1=3と(文法を)定義し、そこから出発して壮大な別の体系を構築することも可能である。そのような、<理念>に基づいて構築される内部矛盾のない一つの論理体系を「体(てい:body)」と呼ぶ。論理的には無数に存立可能な「体」の中から、人は、まるで「自然」の<写像>であるかのようなただ一つの「体」だけを、なかば無自覚に選択して発展させてきた。このことは、たぶん、認識論にとって決定的に重要な意味を持っている。

 そのように、人が理念の幾何学としての数学の体系の中に「自然」を写しとって見るのは、フッサールによれば、<理念>を構成しうる与件としての純粋意識のもつ指向性と対象性に依っている。そこでは、人が「自然」を観察して帰納的に新しい発見をするに際してと同じ構造の<理念>が介在している。「外的世界」についての人の認識過程に介在する<理念>の態様そのものが、数学の構成要件となっており、数学が自然科学に貢献できるのはそのためである。例えば、あくまで数学の論理的帰結として生みだされた虚数という概念は素朴実在論的には理解し難いものがあるが、それが、電磁気学などの分野で自然の現象の純粋な記述として強力な機能を発揮するという事実は、フッサールの唱えた認識論の正しさを傍証しているだろう。そのことが、数学と自然科学の境界領域の成立要件ともなっている。

 このように、数学は自然科学の営みの一部としてなされることがあるが、自然科学そのものではない。例えば、反証される可能性のない数学の定理を用いて構築されている相対性理論にも反証される可能性が残されているというようなことである。ウィトゲンシュタインが、「数学的な証拠や論理的推論は単なる同語反復(トートロジー)にすぎない」と述べたのも、逆説的ではあるが、本質的には同じことをさしている。そのことは、ゲーデルによって、「内部矛盾のない論理体系は、それ自身が無矛盾であることを、それ自身の論理体系では論証できない」という不完全性定理をもって厳密に示された。

 小泉の教えを受け継いで、多数の音楽研究者が育った。(その1)に掲げた文献1の著者岡田真紀氏は、学者ではないものの小泉のよき理解者の一人である。この書は、小泉が亡くなって三年後に執筆が開始され、十二年後に出版されている。「あとがき」には、小泉文夫自身を相対化し、客観的な記述をすることの、彼を師と仰ぎ尊敬していればこその困難さが率直に語られている。彼女は、小泉が民族音楽研究の過程で建設していったその方法論を、他ならぬ小泉研究に向けて執ろうと8年の間苦労を重ねた。

 小泉の執った方法論の指針のようなものは、次の文章に単的に表れている。

 「音楽学の対象は単に芸術作品を通じての文化現象ではなくして、社会全体の動き、無意識的な世界にまで目を向けていくというような客観的・非個性的表現としての文化を対象とすることになる。この音楽学の新しい分野は、共同研究という形でしかその成果を期待することは出来ない。なぜなら、大量のデータの収集と、採譜を含む素材の客観的な評価などは、個人の能力を超えるものである。もしこの方法が確立すれば、音楽文化の客観的な研究として、民俗音楽学という分野も成り立ち得るわけである」(文献1からの孫引き)

 大量のデータを客観的に評価し、対象の中に潜む「真理」に接近しようとする態度は、まさしく科学の方法である。そこには、「人文科学」の、一つの学問分野の創成期において帰納法を基礎とする場合に特有の困難さというものも表現されている。まず、本年5月の「「科学的」とはどういうことだろう(その1)」で書いたように、帰納法は原理的な弱点を備えている。
http://blogs.yahoo.co.jp/satsuki_327/20652660.html

 すなわち、たとえ100の観察事実によって一つの理論が得られたとしても、101番目の観察事実がこれを否定しないとも限らないからである。また、観察という行為は、何らかの知識=先入観に支えられてなされるのが普通で(観察の知識(理論)負荷性)、この点でも帰納法の客観性には原理的な疑い(観測者問題)がつきまとう。事実は無限に存在し、その観察が先入観に支えられているとすれば、帰納法は、科学的な方法としてはそもそも誤っているとポパーは考えた。

 しかし、そもそも論で言うなら、科学が対象とするのは私たちをとりまく「世界」であり、客観的事実を基礎に、その中に潜む「真理」に接近しようとするのが科学である。科学を完結させるためには外的世界の観察という行為は避けては通れない。この時、対象から表出する無数の現象の全てを観察し尽くすことが不可能だとしたら、どうしたらよいだろう。

 こうした困難は、現象を有限のカテゴリーに分類(カテゴライズ)し、個々のカテゴリーから任意に抽出された観察事実を基に、そのカテゴリーに新しい「性質」を発見するという手続きによって克服することができるかもしれない。カテゴライズとは、概念理解ということであり、別の言葉で言うなら「レッテル貼り」ということでもある。これは、帰納と演繹のキャッチボールを通して構築され、武谷三男の言う「実体論」へと橋渡しをするという意味で、科学をなす上での重要な手続きの一つと考えられる。

 いろいろな分類学においては、記載学的分類から出発して成因論的分類へ至る変遷の歴史が存在している。現場観察における便利さ故に、記載学的分類も捨て難く思われていて、一般に両者は共存しているが、創成期にある学問分野においては記載学的分類すら定まっていないのが普通である。小泉は、彼の最初の学術著書である『日本伝統音楽の研究1』(文献4)の第2章「民謡の研究方法」の中で分類の方法について特別に項目を設けて詳述している。そこでは、従来の、特に欧米や中国でなされている分類方法を総括し、次に日本における柳田国男の民俗学的分類の特色を調べ上げ、さらに、可能なあらゆる分類原理を網羅的に述べた上で、最後に自身の考える合理的分類の試案を示すという綿密さで、この問題に望んでいる。

 地質学をはじめとした歴史科学のように、ポパー流の「反証可能性」が原理的に叶わない分野がある。それは、歴史的な展開を伴う現象を扱う分野のみならず、ほとんど連続的ともいえる無数の現象を扱うような研究一般にも言えることだろう。この場合、一つのカテゴリーに例外となる要素が発見されたからといって、統計的なゆらぎが前提とされている以上、それで反証されたことにはならない。社会科学的、人文科学的な研究の多くもそうしたものであるに違いない。この点では、クーンが指摘したように、反証可能性にこだわるのはこうした分野の科学の発展にとっては害の方が大きい。

 このような学問分野の研究では、圧倒的多数の観察と事実収集が、学説の信頼性を高めるためのもっとも基本的な方法となる。また、観察の「客観性」を保証するためにも、多人数の共同研究としてなされるべきである。

 小泉はまた、事実収集における「認識態度」についても「メルスマンの美学に対する批判」として詳細な検討を行ない、次のように書く。

 「もし研究者が、対象の性質を極めようとするばあいに、単に主観的な知覚や論理だけに頼ったり、多少科学的であっても、ただデーターの統計的な数字だけに基礎をおいて結論したとするならば、その認識態度は、結局素朴実在論のようなものであるとしなければならない」
 「なぜかというと、これらの考えの中には、研究者の感覚や、単に音響学的な数字よりももっと本質的であるところの、それらを歌ったり演奏したりする人達の音感においては、いったいそれらが、どういう意味を持っているかという問題が、軽視されているように思えるからである」

 詳細について述べる余裕はないが、この点での小泉の考察は、武谷三男のいう「現象論的段階」にある人文科学に特有の困難さをいかに克服するかという視点から、比較音楽学以外の分野においても広く注目されて良いと思う。

 小泉は、意識的にこうした手法を執って「音楽の根源にあるもの」を追求していった。彼の最初の学術的著作(文献4)についての専門家の評価を、文献1から引用しよう。

「小泉はみずから採譜したものや『日本民謡大観』その他の楽譜などをもとに、比較音楽学の方法で客観的に分析したうえで、日本の音階を明快な四種のテトラコルド(四度の枠)で理論化した。それは「日本音楽研究の中で欠如していた最も本質的な部分を論理的に補った」(間宮芳生)もので、文学的内容や情緒から「音」をいったん引き離し、客観的なデータから日本の音楽の音階構造を説明した点が高い評価を受けた。それは「完結した体系」(徳丸吉彦『季刊音楽教育研究』1978年)をつくっており、後に様々な人々によって検証の対象とされ、反論や修正、展開がなされているが、それまでの音階論の混乱に一つの終止符を打った画期的な学問的業績である」

 小泉が「比較音楽学」を語る中で頻繁に用いる「科学的」という言葉は、自然科学で用いるそれと基本的には同じ意味を持っている。人文科学一般も同じであるべきで、ただ、それを具体的に実現するための困難さが、自然科学とは別のところに存在しているだけなのだと思われる。この点で、門外漢なりにやや不思議に思えるのは、科学的であろうとする限り、人文科学にこそ多人数の共同研究でなされるべき課題が多い筈なのに、そうした研究例があまり話題にならない点である。私が知らないだけなのかもしれないが、自然科学研究の多くは、多人数の共同研究としてなされている。

 実際、科学研究の目標が定まっている場合には、そのために何をなすべきか自ずと明らかである場合が多い。結局、それをなす情熱があるかどうかということなのだろう。この点で小泉には、ただこの世界を解釈するということではなく、この現実を変えたいという明確な目標と情熱があった。彼の人文科学的方法論は、そこから生みだされたのだ。
 最後に、彼が目指したものが何であったのか、文献4から引用して終ろうと思う。

 「民俗的な基層文化の中で、次第に民謡をみずから生みだす場を失いつつある人々だけが、創造的な芸術音楽から無縁の状態で永くほおっておかれてよいはずはないのである。その上芸術音楽そのものが、もはや民衆の感覚から離れた純粋に理論的な計算から生みだされるべきではなく、たとえ一見そのように見られるものでも、その背後や根底には人々の無意識的な感覚が基礎とされていなければならない。こうして両面から —芸術家の側からも民衆の側からもー 期待される現代の作曲家の社会的な任務は、まずわれわれの音感の中に伝統として存在する音組織や、旋律法などの客観的で理論的な把握を前提とするであろう」

 「アジアの社会形態の前近代性が芸術音楽と一般民衆の隔絶となって表れ、又逆に民衆音楽が高い芸術性を与えられることもなく、単に民族的な段階に留まっていた。こうした伝統音楽に新しい息吹を与え、民衆と隔絶した芸術音楽に親しみやすさと率直さをとりもどすために、現代のわれわれが第一になすべきことは、伝統音楽と民俗音楽の理解と、それを可能にする科学的研究である」

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文献4)『日本伝統音楽の研究 1 民謡研究の方法と音階の基本構造』(音楽之友社 1958)

(前回のエントリーからのつづきです)

「調」
 十二等分平均律よりなる音列構造は、和声の濁りさえ我慢できれば、純正調との関連づけも明らかでユニバーサルなものと思われがちであるが、例えば、ペルシャ音楽に見られる微分音階は十二等分平均律では記述不可能だし、むしろこちらの方が上位互換の関係にある。また、インド音楽は、音律も「調」もさらに複雑である。あまりに複雑すぎて私のような素人の理解の限界を超えているので、詳細に立ち入ることはできない。

 十二等分平均律は、ピアノのような固定ピッチの楽器でも自在に転調できるように考案されたのであるが、ピッチが固定されている限り、可能な「調」の数は限られてくる。すなわち、オクターブの間の12の音の中から、3度と5度の和音の組み合わせからなる7つの音を選び、一つの「調」を構成する。この時、最初の3度を長3度と短3度のどちらにするかで調感の異なる2種類の音の並びの構造が出現する。長調と短調である。それぞれについて基音の選択肢が12通りあるので、結果的に24の「調」が存在することになる。

 長調の12種類の音列は、周波数で規格化すると、その配列構造は互いに相似形の、単に全体の音の高さが平行にシフトしただけのもので、調感そのものはまったく同じである。このことは短調にも当てはまる。すなわち、西洋音楽は、基本的には長調と短調の二種類の調感のものからなる。実際には、やや変則的な調が用いられることもあるが、フリージャズのように、12音の全てを用いるとすれば、逆に調は一つしかないということになる。このような意味での「調」をインド音楽ではラーガと称する。北インドでは、そのラーガが理論的に36,000通り存在するそうだ。そこで、インド音楽から西洋音楽を見ると、ラーガの多様性に極めて乏しい音楽という評価になる。

 北インド古典音楽の中心的な楽器はシタールである。シタールのフレットは複雑・多様なラーガに対応できるよう可動式になっている。小泉は、シタールこそが、世界中で最もコストパフォーマンスの高い楽器であると主張した。もし、単調なラーガしか想定できないような西洋音楽の音律に基づく絶対音感を獲得してしまったら、おそらくインド古典音楽を楽しむことさえ困難になるのではないか。同種の危惧が「リズム」についても想定されることは、小泉の以下の経験と実験的試みによって納得される。

リズム
 小泉は、1967年、40歳の年に、アメリカ・コネティカット州ウェストリアン大学で客員教授を務めている。ここでのエピソードについて語られた中で、印象深く思われたのは、次のようなことである。

 他の教授のセミナーでネイティブ・アメリカンの楽曲が採り上げられ、伝承者の指導で合奏の練習が始まった。ところが、アジアからの留学生は難なくできるのに、成績優秀な白人の学生だけが、何度やってもリズムがずれてしまい、指導者のダメ出しがくり返される。課題曲は、複雑でもなんでもなく、むしろ単純素朴とさへいえるような土着のものである。どこでずれるかというと、拍子の変わり目らしい。西洋音楽でも、楽章の末尾付近で音を伸ばしたり、中途で早くなったりすることは度々あるのだから、専門的な訓練を受けた者なら、どのようなリズムの変化にも対応できる筈だ。ところが、西洋音楽とモンゴロイドの音楽とでは、リズムの概念そのものが全く異なっていた。

 西洋音楽のリズムは、分割リズムと呼ばれるもので、楽曲の基本単位となる小節を、例えば3分割して3/4拍子とする。一つの楽曲について定められたリズムは全体を通して変化することがなく、最初から最後まで同じ拍子で通す。これを正確に刻む能力は「ノリがいい」演奏のための必須のものとされ、メトロノームはその訓練に重宝がられる。これに対して、東アジアやネイティブ・アメリカンの音楽におけるリズムは、小泉によって次のように解説されている。

 すなわち、これらの地域の民族音楽は基本的には狩猟や農耕、戦闘、祭祀の「物語」を前提として奏でられるもので、多くは、そうした「物語」に合わせた身体の動き(踊り)を伴う。こうした側面は西洋音楽にも少なからずみられるが、この時に、規則的なリズムよりも物語の細部を優先すると、リズムは複雑なものにならざるを得ない。ある局面で飛び上がるという動作が必要なら、そこでもう一拍余分な拍子が必要になるし、物語の場面変わりでは、さらに数泊の追加が必要になる。結果、このような楽曲のリズムは、積み木細工のようにいろいろな拍子が組合わさったものとして全体が構成される。小泉は、このようなリズムを西洋音楽の「分割リズム」に対して「付加リズム」と呼んだ。

 付加リズムは、「七拍子:二、 二、 三」のように記述でき、しばしば楽曲の途中で変化する。応援団のやる「三、三、七拍子」は、各拍子の間に実際には一拍の休符を挟んでいて、西洋音楽的には四拍子または八拍子と解釈することもできるが、全く異なるものと理解した方がよい。

 付加リズムの世界ではメトロノームは無用の長物どころか、邪魔にさえなるのである。この世界から西洋音楽の分割リズムの世界を眺めると、なんとも単調極まりないという評価になる。アメリカの音楽大学の成績優秀な白人の学生が、ネイティブ・アメリカンの音楽をうまく奏でられなかったのは、その単調極まりない分割リズムが抜け難く身体にしみついて、付加リズムに対応できなかったためであり、一方、アジアからの留学生が難なく演奏できたのは、たとえ西洋音楽の訓練を受けていたとしても、子供時分から親しんだ土着のわらべ歌などを介して、付加リズムを身につけていたからだとの仮説が生まれた。

 付加リズムの極致とも言えるものが、インドネシア・バリ島のケチャである。小泉の現地録音によるものは、LPレコード『世界の民族音楽シリーズ バリ島のケチャ』(キングレコード 1978)により聴くことができる。今ではケチャは教科書にも採り上げられるほど有名で、CDも入手可能であるが、ケチャを日本で大衆化させたのは小泉である。小泉によるレコードのライナーノーツから引用しよう。

「ケチャはインドの古代叙事詩ラーマーヤナを基にした芸能で、物語の進行を受け持つ浄瑠璃の太夫、ダランDalangの語りに従って、舞踏劇が展開され、その舞踏を輪状に囲むようにして、18才以上の村の男子が、各登場人物に割り当てられている固有旋律やチャッチャッチャッという合唱を繰り広げるのである。」

 5つのパートに別れて4つのリズムパターンを重ねるその合唱は、極めて複雑で、長い間、世界中の専門家よるチャレンジでも再現が叶わずにいた。そこで小泉は、自らの仮説を、このケチャを再現することで検証できると考えて、ある実験的な試みを行なった。彼の仮説は、西洋音楽のプロにケチャが再現できないのは、彼等が分割リズムの世界に住んでいるからであり、日本人でも、西洋音楽の素人だけを集めた集団を訓練したらきっと再現できる筈というものである。

 そしてついに、「芸能山城組」によって、世界で初めて、バリ島以外でのケチャの再現に成功することになる。集められたのは、全員が、洋楽とまるで無縁な、つまり楽器などの演奏もできない男子学生ばかりだった。私は偶然にもそれをNHKのテレビ番組で目撃することができた。1980年前後の頃だったろうか。確か「テレビファソラシド」という番組で、永六輔が司会をしていた。西洋音楽の素人ばかりだったからこそ分割リズムに染まらずに、わらべ歌などで染み付いた付加リズムを再現することができたのだ。舞台上で演じきった若者達の晴れ晴れしい顔を見て、彼等はきっと普段は「ノリが悪いやつ」などと言われ続けてきたのだろうと思った。

相対化ということ
「音楽文化のもつ相対的な価値ということについて世界が関心を持ち始めているが、これは民族音楽を通じて、広い視野に立ち、各国の音楽文化のそれぞれの楽しさ、美しさ、人間的表現としての価値を認めるに至る重要な道である。」(文献3)

 小泉は、日本を含め、世界の隅々に存在している土着の音楽を調べ、それらのおりなす構造をパースペクティブに示すことで、西洋音楽至上主義がいかに滑稽なものであるかを示した。「絶対音感」や律儀な「分割リズム」をありがたがる世界があって良いのはもちろんのことである。だが、得るものがあれば相応に失うものがあることも知らねばならない。小泉が奉職した当時、東京芸大には邦楽コースがなかった。

 1970年代後半、わらべ歌の採集のために東京のある小学校を訪れて、校長に承諾を得ようとしたところ、「今時の子供がわらべ歌など歌っている筈がないでしょう」と返された。ところが実際には、100以上ものわらべ歌が採集された。私たちは、身近な身の回りのことだけでなく、自分自身についてさえ良く知ってはいないのである。

 私たち日本人は、何を失いつつあるのか。それは何を意味するのか。このことに答えるために小泉は、人にとって音楽とは何かという根源的な問いを追い続けた。ナショナリズムに陥る事なく、文化の普遍的で相対的な価値という面から精力的な実践をもとに提言を重ねた小泉に学ぶべき事は多い。
 次回、余力があれば、小泉文夫が採った研究手法を「人文科学」という面から検討したい。
(たぶん、つづく)

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文献3)『呼吸する民族音楽』(青土社 1983)

はじめに
 何事かにつけその本質を明らかにしようとする際には、論じる対象を突き放してみる視点が要求される。つまり、対象を「相対化」した上で分析的に考察する必要がある。このことは、対象を取りまく「外部」についての十分な知識を要するので容易くはないが、社会構築主義の積極的な側面は、このことを意識的に追求した点にある。こうした方法論の有効性が認識されて、「比較○○学」と称される様々な学問分野が生まれた。例えば、比較社会学、比較文学、比較法理学、比較経済学などである。

 ある日、ロックバンドを組んでいるという学生の一人と音楽についてとりとめのない話をしていると、別の学生が割り込んできて「絶対音感ってすごいよね、あなたはどうなの」と言う。訊かれた学生は、「僕には絶対音感ないけど、そんなもの必要ないよ」と答える。私も、「西洋音楽を基準にしたものだから、音楽というものを広げる上ではかえって邪魔になることもあるんじゃないのかなあ」という意味のことを言った。その時思い出していたのは、小泉文夫(1927 - 1983)の「比較音楽学」(民族音楽学)である。

 小泉は、30歳になる年にインドの音楽大学へ留学し、以降、56歳で急逝するまで、日本国内の各地を含め、世界中を駆け巡って民族音楽を収録し、徹底した比較研究を行なった。そのことによって、彼は、文明世界を席巻している西洋音楽を真に相対化しうる視座を確保した。ナショナリズムに発して西洋音楽より日本の伝統音楽の方が素晴らしいと主張するのとは根本的に異なる境地である。「比較音楽学」自体はもちろん小泉が始祖という訳ではない。欧米には著名な先駆者がいるし、何より、当時この学問分野の日本における認知度は欧米にはるかに遅れをとっていた。しかし、結果的には小泉ほど広く、世界の隅々まで歩いた者はいなかったのではないかと思う。

 彼は、アカデミズムにこもる学者ではなかった。政府機関やユネスコの嘱託委員を務めるなど、あらゆる機会を捉えて民族音楽の普及に力を尽くした。14冊の普及書を世に出し、NHK FM「世界の民族音楽」ではホストを務め、また、多数のレコードを監修するなどして、彼自身が採集した音源の公開に努めた。以下には、私が若い頃に接したそれらの著作やテレビ・ラジオ番組での解説などを通して学んだことを、備忘録としたい。

音律と和声
 まず、小泉文夫とは無関係な、基礎的なこととして、音律(音階構造)と和声(ハーモニー)について、関係することがらを整理する。
 二つの異なる周波数 f1, f2(f1<f2)の音を同時に鳴らすとf2 - f1 = f3の周波数のうなりを生じる。このうなりf3は、さらにf1との間にf4の、またf2との間にf5の周波数のうなりを生じる。これらは、一般に音の濁りの要因となり、「ノイズ」として認知される。一方、f1 = f3なる関係が成立していれば、f4 = 0、f5 = f1となって、全てのうなりは知覚されずに音に濁りが感じられなくなる。すなわち、二つの音f1、f2は和して聴こえる。例えば、f1 = 440 Hz、f2 = 880 Hzのオクターブの関係にある二つ音を重ねると
   f3 = 880 - 440 = 440 Hz
   f4 = 440 - 440 = 0 Hz
   f5 = 880 - 440 = 440 Hz
となり、全てのうなりは存在しないも同然となる。このことが、オクターブの音が究極の和音となる理由である。次に、f2 = (3/2)×f1の場合、例えば、f1 = 440 Hz、f2 = 660 Hzのとき
   f3 = 660 - 440 = 220 Hz
   f4 = 440 - 220 = 220 Hz
   f5 = 660 - 220 = 440 Hz
となる。このとき、f3 = f4= 220 Hzのうなりを生じるが、これ自身はf1の1/2の周波数のオクターブの関係になっており、濁りというよりむしろ和して、音に独特の色あいをつけることになる。

 一般に、f1に対して、その(m/n)倍(mとnは小さな自然数)の周波数を持つ音f2はf1と調和して響く。このような関係にある周波数の音列だけからなる音階構造を自然音律と呼ぶ。この自然音律の中から、一つのまとまりのある調感の音楽を奏でるのに十分な7音程度の音をそろえるように工夫してあみだされたのが純正調音律である。この純正調は、一つの基音から出発する周波数比の構造がオクターブ毎にくり返すが、どの音を基音とするかで音列構造が全く異なってくる。つまり、ピアノのような固定ピッチの楽器をこの音律で調律した場合、転調・移調によって曲調がすっかり変わってしまうという不便さがある。

 どの音から出発しても同じ周波数比の構造が再現されるのは、等比数列からなる周波数の音列である。そこで、オクターブの間に必要な音の数の2倍程度の音を等比数列の周波数に割り当てて予め準備しておき、その中から純正調に近い音を選んで用いるようにあみだされたのが、近代的な十二等分平均律である。具体的には、基音から出発して、2の12乗根(≒1.0595)を公比とする等比数列になるような周波数を半音間隔に割り当てる。こうすると自在な転調が可能になるが、これらの音からは自然音階のような美しいハーモニーは生まれない。しかし、音程のずれによる和声の濁りは<がまんの限度内>におさめることができる。

 ここへ至るにはミーントーン、ヴェルクマイスター音律、キルンベルガー音律などの様々な折衷案としての古典音律があみだされ、バロック時代に限らず、ベートーベンの時代にもそれらの古典音律が用いられていた。そうした古典音律の晩年のものが「平均律」と称されていたために若干の誤解も生じているという。最終的に近代の十二等分平均律に落ち着いたのは、産業革命の時代にピアノが大量生産されるのと軌を一にしている。調律が容易だったのだ。

絶対音感と相対音感
 世界中の民族音楽の中で、ハーモニーを重視するものは、先に述べた純正調を基本とした音律を採用している。西洋音楽でも、声楽などの世界では、十二等分平均律の音が純粋な和声とならないことが理解されているので、ピアノの音から基音以外の各音を少しずつずらすよう指導される。

 小泉が最も美しい和声として度々紹介したのが、台湾南部の高地に住む高砂族(かっては首狩りの風習があった)の、特にブヌン族の合唱である。小泉は1973年に現地を訪れて高砂族の音楽を調査・収録している(注1)。この時録音されたものは、LPレコード『世界の民族音楽シリーズ 高砂族の歌』(キングレコード 1978)で聴くことができる。

 彼等は、首狩りに出かける前に仲間の団結を確かめるため、渾身の和声で合唱した。まず部族の長老が基音となる音で唸り始めると、これに合わせて周りの男達がいくつかのパートに別れて自然音階の和声で音を重ねていく。こうして、谷間の集落に荘厳な和声がこだまする。この時、ハーモニーに僅かでも狂いがあれば、団結に乱れを生じている証とされ、反撃に打ち負かされる可能性が高いので、長老は首狩りの中止を決断したという。

 その時の録音を東京芸大声楽科の院生達に聴かせ、はたしてこれで首狩りにゴーサインが出されたかどうかを訊いたところ、彼等のほとんどは、完璧な和声であるから、合格だったろうと答えたという。正解はノーだった。仲間の命を預かるブヌン族の長老は、ハーモニーの僅かの狂いを聴き逃さなかった。

 小泉は、和声の原理を良く理解し訓練されている筈の芸大の院生達が、その狂いを察知することができなかったわけを、次のように説明する。すなわち、彼等は、基本的に十二等分平均律に割り当てられたピアノの鍵盤の音を、一つの記号として記憶している。世に言う絶対音感である。和声を奏でる際には、その音を基準に、少しずつ音高をずらすように訓練されるが、これでは最初から自然音階の和声だけを訓練された者にかなう訳がない。ブヌン族の男達は、長老がどのような周波数の音で唸り始めようと、その周波数に対して整数比となる周波数の完璧な和声を重ねることができる。

 そこで小泉は、新しい時代のミュージシャンに求められるのは、地球上の多様な音楽と自在に交歓できる能力であり、そのためには、西洋の近代音楽にとらわれた絶対音感は邪魔になるばかりで、むしろ相対音感の方をこそ身につけるべきであると主張した(文献2)。今を遡る30年程も前のことである。
 次回は、同様の視点から、「調」と「リズム」を採り上げ、「相対化」ということについて深めてみたい。
(つづく)

-------------------------------------
注1) この時の調査は、高砂族の住む山岳地帯の谷間の集落を見下ろす丘の上にテントを張って、ゆったりと生活しながらコンタクトを重ね、信頼関係を築いた上で、彼らの音楽を収録していくというようなやり方だった。こうして、高砂族の10部族全ての音楽を収録するのに成功している。

文献1)岡田真紀著『世界を聴いた男 小泉文夫と民族音楽』(平凡社 1995) 末尾の年表には、小泉が音楽調査に出かけた場所と年・月が記されている。ところが、1973年の上記の高砂族の音楽調査のことは、どこにも書かれていない。何故だろう。

文献2)『おたまじゃくし無用論』(青土社 1980)

* 本エントリーにトラックバックいただいた「環境問題補完計画」の綾波シンジさんのご指摘によって、本文を一部訂正し、末尾に注釈をつけています。本稿の主張内容に変更はありません。詳細はコメント欄でのやりとりを参照下さい(09.1.26)

 地球温暖化防止にからめて、二酸化炭素削減における森林の効用について、一部に誤解が生じているようだ。ここで指摘しておきたい誤解は、次の二点。

1)森林は二酸化炭素を吸収している。
2)木材などのバイオマスを燃料として用いても二酸化炭素を排出するので、人為起原二酸化炭素排出の削減には役立たない。

 1)は、森林の効用を説く一説としてあり、2)は、森林は役に立たないとの主張に繋がるもので、両者は相反しているが、どちらも誤り、または不正確である。ただし、誤解1)の方は、最近ではかなり収束してきたのではないかと思われる。

 関係する基礎情報は、環境省の下記ウェブサイトから入手可能である。

「IPCC第4次評価報告書について」
http://www.env.go.jp/earth/ipcc/4th_rep.html

 特に、下記は必読
「IPCC 第4次評価報告書 統合報告書」(政策決定者向け要約(仮訳))
http://www.env.go.jp/earth/ipcc/4th/interim-j.pdf

 上記「総合報告書」には、地球規模の人為起源温室効果ガス排出を示したグラフ(図SPM.3.)が示されている。特に、(b) 2004年の人為起源温室効果ガス総排出量に占めるガス別排出量の内訳(CO2換算ベース)に「森林破壊、バイオマスの腐敗など、17.3%」とあったり、(c) 2004年の人為起源温室効果ガス総排出量に占める部門別排出量(CO2換算ベース)の内訳中の「林業17.4%」とあるのが今回のテーマと関係している。17%を超える主要な要素であるにも関わらず、この意味についてはあまり理解されていないのではないかと思われる。

 全人為起源温室効果ガスのうち、林業がその17.4%も排出しているというのは、(b)のグラフで言うところの「森林破壊、バイオマスの腐敗」とほぼ等価であるが、これはもちろん、林業を営むのに用いられる重機等の化石燃料消費によるのではない。それは全く微々たるものである。

誤解1)について
 生きている樹木は、一つの個体に着目する限り、確かに二酸化炭素を吸収している。しかし、土壌まで含めた森林全体を一つの単位要素として見れば、二酸化炭素を吸収している訳ではない。

 話を分かりやすくするために、長期に渡って手つかずで、極相に達して安定している森林を想定しよう。このような森林では、樹木の成長と枯死がバランスしている。樹木は光合成によって成長することで二酸化炭素を吸収し、有機炭素に変えて貯蔵する。一方、落葉や、寿命を迎えて枯死した有機体は、土壌中で微生物によって分解されて、再び二酸化炭素へ還る。実際に、森林土壌中の二酸化炭素濃度は数千ppmを超え、たえず多量の二酸化炭素を大気中へ放出している。森林浴と悦に入っても、二酸化炭素は平均大気より重いので、実際には通常の場所より二酸化炭素濃度は高いのである。

 寒冷な湿地帯などでは、有機体は完全には分解されずに泥炭となって保存されるし、一部は河川を伝って海や湖沼へ運ばれ、有機炭素として堆積物中に保存される。しかし、こうして保存される有機炭素の割合はかなり小さいので無視して良い(注)。つまり、「安定な森林」は、二酸化炭素を吸収も放出もしないで、単にバッファーしているだけということになる。

 同じ理由から、「成長しつつある森林」は二酸化炭素を吸収することになるし、逆に、「縮小しつつある森林」は二酸化炭素を放出することになる。主に林業によって森林は縮小を続けているが、その分だけ、二酸化炭素を放出することになる。例えば、建築資材として切り取られた樹木も最終的には廃材となり、焼却されるにせよ、腐食するにせよ、二酸化炭素へ還ることになる。逆に、植林によって森林面積が増えたり、大気二酸化炭素の濃度上昇によって光合成が活発化すると、二酸化炭素は吸収されることになる。IPCCは、現在は吸収に転じていると主張している。(追記1参照)

 なお、植物も酸素呼吸するし、動物の酸素呼吸も無視できないのだから、これらによる酸素の消費と二酸化炭素の放出も勘案すべきだと思われるかもしれないが、これらを含めたトータルの収支として、植物生体総量の増加や減少があるので、呼吸は無視してよい。

誤解2)について
 有機体が微生物によって分解され、二酸化炭素を放出するということは、「ゆっくりと燃える」ということなのだから、いっそのこと、きちんとした管理下で燃やして、そこからエネルギーを取り出して役立てた方が良いということになる。そこで、バイオマスをエネルギー資源として利用した分だけ人為起原二酸化炭素排出量から差し引いて、将来の削減目標の算定をするという案に合意が生まれたのだ。つまり、化石燃料を消費するとそっくりそのまま人為起原二酸化炭素の排出に繋がるが、その一部を、もともと人為起原でなく自然に排出されていた二酸化炭素に肩代わりしてもらおうという訳である。

 確かに、木材を燃やせば二酸化炭素が排出される。しかしそれは、燃やさずとも最終的に二酸化炭素を排出するにきまっている存在なのである。これを有効に燃やしてエネルギーを取り出し、その分化石燃料の消費を減らせば、人為起原の二酸化炭素排出の削減に繋がる。冒頭に掲げた誤解2)は、炭素循環のシステムの中で、人為起原の二酸化炭素と、自然が排出する二酸化炭素を区別せずに考察した結果であろう。

 このことから、微生物によって「無益に分解」されているバイオマスの大部分をエネルギー資源として活用すれば相当の割合で化石燃料の消費を減らせるとの発想も生まれる。日本では、石炭の消費量が急激に増加する明治後期より以前には、実際に、燃料の大部分は薪炭であった。その結果、現在は豊な森に包まれている地方の里山も、江戸末期には、大部分が禿げ山や草地と化していたのである。(追記2参照)このことはあまり知られていないようであるが、その分、鎮守の森だけが目立つことになった。

 主要な原因は、多々羅製鉄のために木炭が用いられたことにもよるが、それは単に、森林の成長速度を上回って消費されたというにとどまらない。「無益に分解」されているように見える腐食によって土壌が肥え、森林の成長を促していたのだが、限度を超えて<搾取>した結果、土壌がやせ細り、森林の甦生速度そのものが鈍っていったのである。

 世界的に見ても、パキスタンやアフガニスタンなど、薪を主要な燃料とする時代が長く続いた地域では、主に、このような理由から森林が失われた。最終的に土壌流出を招き、岩石がむき出しになって森林の甦生が不可能な荒野となったのである。日本では、自然の地面は土壌で覆われているものとの観念があるが、極めて希な、恵まれた国土なのである。森林の活用がどこまで可能なのか、実証的な研究が待たれる。

-------------------------------
注)天然に保存される有機炭素の量が多ければ、その分だけ二酸化炭素の減少に繋がる。枯死した樹木は、寒冷な湿地帯では泥炭として保存されるが、これは将来に渡って永久に保存される訳ではない。事実、過去に形成された泥炭の一部は既に分解を開始しており、そこから二酸化炭素が放出されている。これに対して、海成の、主に泥質堆積物中に含まれる有機炭素は半永久的に保存されるだろう。産総研の地質情報総合センターの岩石標準試料の化学組成のデータを見る限りでは、通常の泥岩中の炭素含有量は数百 ppmに過ぎないことが分かる。
http://riodb02.ibase.aist.go.jp/geostand/semiment.html

上記分析表中、JSl-1、JSl-2が代表的な泥岩。無機炭素(C)の濃度から、CO2として定量されている炭酸塩鉱物(方解石など)に含まれる炭素を差し引いたものが、ほぼ、有機炭素起原のものと考えてよい。

(追記1)「主に林業によって・・・」以降の原文は以下の通り:
「全地球的には、主に林業によって森林は縮小を続けているが、その分だけ、二酸化炭素を放出していることになるのである。例えば、建築資材として切り取られた樹木も最終的には廃材となり、焼却されるにせよ、腐食するにせよ、二酸化炭素へ還ることになる。」

 全地球的には、現在は二酸化炭素吸収に転じているというIPCCの主張が明確に伝わるよう、本文のように改めた。

(追記2)「日本では・・・」以降の二つの文の原文は以下の通り:
「日本では、石炭の消費量が急激に増加する明治初期より以前には、実際に、燃料の大部分は薪炭であった。その結果、江戸末期には、ほとんどの里山は禿げ山や草地と化したのである。」
八幡製鉄所第一高炉の開所(1901年)合わせて、「明治初期」を「明治後期」に改めた。また、樹木搾取による森林の縮小と荒廃は江戸時代以降も続いていたので、誤解が生じないよう、現在と江戸時代を比較するような文章に改めた。現在の大都市近郊の宅地化による森林縮小は、土地利用の問題であり、「過度な森林利用」についてのこの議論とは無関係である。

以上、09年、1月23日

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