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1.はじめに
最近の科学教育に少なからず危機感を懐いている現場の教育者や研究者は多いことと思う。教育の問題だけにかかわらず、もっと広い問題、もっと根深い問題がそこにあるに違いないとの認識も少なからず共有されていると思う。しかし、我々自身が多忙な日常生活に埋没して、問題の根はどこにあるのか、どう解決したらよいのかについて掘り下げる余裕を失っている。そうこうしているうちに、科学教育はさらに混迷を深め、それが遠因となって社会にいろいろな歪みをもたらしているように思える。表層的なことでは、トルマリンやゲルマニウムやマイナスイオンブームなどが気になるところである。これらのブームは、単なる気休めを求める消費者のメンタリティによるのでは、おそらくない。なぜなら、それらのブームがファナティックとも言える社会現象となっているからである。この問題を、単に、科学を装った悪質な商法にいとも簡単に騙される大人が増えているという印象に還元するなら、問題の矮小化に繋がるであろう。ことの本質は、多くの大人達が、そうしたブームを拡大再生産する役割を、ある種の熱狂の内に主体的に担っているというところにある。
数年前の卒業謝恩会の席で、ある卒業生の「進路」がマルチネットワーク商法(注1)の勧誘員と知って唖然としたことがある。卒業後にその上司となった人物を交えて話し合いの場をもったことがあるが、その上司もまた別の大学の理系学部出身者であった。その席で、マルチ商法は十数世代後には破綻することが確実であることを、簡単な数式で説明し、破綻した場合のリスクや周囲への迷惑などについて意見を述べたが理解されたかどうか心許ない。いろいろな陰謀論への熱狂もまた別の表現として顕れている。陰謀論は、事実に基づく論証を断念しつつも、「疑問」を「疑惑」に置き換え、いきなり陰謀の主犯を断定するといった思考パターンに陥っている。先日「地震兵器」でウェブ検索したところ約484,000件がヒットした。この社会は、高等教育を受けた多数の理系学部出身者が「オウム」にかかわり、犯罪に手をそめたことと同根の問題を未だに引きずっている。
かつては「非科学的」という言辞は相手の誤りを指摘する言葉としてそれなりの力を発揮していたのが、昨今はそうでもないようだ。このことは、第一に「科学的」であることの価値が低下しているということと、第二に「科学的」ということの意味が曖昧になっているという二つの側面から検討されねばならないだろう。もちろん両者は不可分なのだが、その実態を分析的に考察する上ではこれを分けて議論した方が良い。
第一の問題にかかわっては、上述した危機意識を共有した上で問題の本質をえぐり出す努力を続け、貴重な提言をおこなっている方がおられる。たとえば、北村正直氏による「なぜ科学教育は必要か」と題する論考などは、そうした一つである。
http://www.nikonet.or.jp/spring/k_edu/k_edu.htm
そこでは、根深い問題のキーワードとして、「理系と文系の二つの文化」、「ソーカル事件」、「ポストモダニズム」、「相対主義」などへの言及がみられる。
第二の問題はすこしやっかいである。なぜなら、科学哲学界においてさえ、「科学的」という言葉の定義がいまなお明快には示されていないからである。そこで、これから数回に分けて、二十世紀の科学哲学に最も深い影響を与えたカール・ポパーの「反証主義科学哲学」を軸に、「科学的」とはどういうことかについて、メモ書き程度にまとめてみたい。
なお、この論考は「さざ波通信」に投稿したものをもとにしている。ポパーは、彼の科学哲学を構築する動機がマルクス主義の批判のためであったと書いていて、このことに関わって私見を述べたものである。したがって、彼の学説への言及が、ここでも多少とも政治的な色彩を帯びてしまうかもしれないことを、予めお断りしておきたい。
2.ポパー理論の成立過程
ポパーは1902年にウイーンに生まれ、1994年、92才で亡くなった。63年に来日し、92年には京都賞を受賞している。十代の頃マルクス主義に傾倒するも、1919年にデモ隊が警官隊に発砲される現場を目撃して衝撃を受け、マルクス主義と決別したとされている。1928年にウイーン大学に提出された彼の博士論文は「思考心理学の方法と問題」と題され、これにより心理学分野の教授資格を得ている。翌29年には、既に活動を初めて世に知られていたウイーン学団が『科学的な世界観 ウイーン学団』と題する綱領的書籍を発刊している。論理実証主義の黄金期で、ポパー自身はウイーン学団のメンバーになりたがっていたのに声がかかることはなかった。逆に、ナチズムの台頭によってウイーン学団が活動を停止した後に、論理実証主義そのものを化石化させた張本人がポパーであった。
家庭が経済的苦境に陥ったことなどから中等学校(高校)を中退して、教育心理学で名高いアドラー(注2)の児童相談所で活動しつつ、遅れてウイーン大学に入学したポパーは、「ウイーン教育研究所」にも参加する。アドラーは、今でも日本の教育界に影響を残している大家である。しかしポパーは、当時アドラーとフロイトとの間で論争されていた問題がどちらの説でも説明可能であることに気づき、そのような曖昧な説は「科学的」ではないと直感した。ここで彼は、「科学的」とはどういうことかを突きつめて考えるようになる。ポパーに直接の示唆を与えたのはカール・ビューラーという教育研究所の哲学教授であった。
論理実証主義的な科学哲学では、(自然)科学は、まず観察によって事実を収集し、既知の法則を適用した論理思考によってその事実の群れの中にある新たな法則性を導きだし、その新しい法則の正しさを別の観察事実によって実証する、というように、帰納と演繹の循環によって進歩すると信じられていた。しかし、ビューラーは、現実の科学者は、まず先に解答を思いえがき、それからそれをささえる事実をさがし始めると感じていた。いわゆる「仮説検証法」を極端に押し進めた考え方である。この手続きの中には帰納法というものはない。
そこでポパーは、帰納法の核心である「観察」という行為の実態について考えた。観察によって事実を収集するという行為は、先入観のない無垢の目によってなされるべきであると考えられがちである。しかしポパーは、何の予備知識もない者に観察など不可能であると思い至った。つまり、観察という行為は、そもそも何らかの知識=先入観に支えられた演繹的な行為であるという主張で、後に「観察の知識(理論)負荷性」と呼ばれ、ポパー理論の核のひとつとされるようになる考えである。
もう一点、帰納法は、沢山の観察事実を集めて、それらを満足する法則を導き出そうとする態度であるが、たとえ100の事実を満足する理論でも、ただ1つの事実に反していれば「科学的」な法則としては誤りである。そこで有限の事実を集めることによって法則を導きだすというのが帰納法であるのなら、これはそもそも方法論として誤っているとポパーは考えた。もっともこのアイデアそのものは、十八世紀にヒュームにより着想されていたものである。
(つづく)
参考文献
1)『ポパーとウィトゲンシュタインとのあいだで交わされた世上名高い10分間の大激論の謎』デヴィッド・エドモンズ&ジョン・エーディナウ著、二木麻理訳、2003年、筑摩書房
2)『科学的発見の論理(上・下)』カール・ライムント・ポパー (著)、 大内 義一 訳、1971-1972年、恒星社厚生閣
補足)
1) マルチ商法、あるいはマルチまがい商法は、いわゆるネズミ講と違ってなんらかの商品が介在し、その会員はこれを購入する。その会員は「親」となって新たな子会員を勧誘すると、その子会員が購入した商品の売り上げの中の利益分の一部は親に還元される。また、子会員が勧誘した孫会員の売り上げ利益の一部も親に還元される。こうして親会員は、その子孫が増えることで商品の購入代金を上回る利益が得られるようになる。これが魔力となって、友人や家族を無理矢理勧誘したりすることで、様々なトラブルが起きている。実際には、商品の購入代金を上回る利益が得られるのは、会員全体の数%に過ぎない。このようなシステムは、「特定商取引法」の規制対象となっており、国会答弁でもこの法の趣旨が、法を守ればマルチ商法は成立しないよう意図されていることが明らかにされている。なぜこのような法ができたかと言えば、マルチ商法が確実に破綻し、その結果多くの不幸な人が生まれることが、極めて単純明快にわかっているからである。
2) アドラーは「個人心理学」(individual psychology)の始祖として著名であるが、日本ではこの語感が誤解を生じ易いとの理由から「アドラー心理学」と呼ばれることが多い。「その1」で書いたように、ポパーがウイーン大学に入学する前、アドラーが主宰していた児童相談所の活動に参加していた頃は、実際に孤児の面倒を看ていた。後にポパーは、フロイト同様アドラーの学説も「疑似科学」の一種であると考えるようになるが、表立った批判は控えていたようである。それはおそらく、アドラーが、理論より実践に力を注ぎ、特に教育の現場で実績をあげていたことを見知っていたからだと思う。現場で実績をあげるということは、反証に耐えるということでもある。現在の日本でも、アドラー心理学に傾倒する教育者や心理カウンセラーは多く、アドラーの理論がどれだけ正確に実践に移されているかはともかく、その効果を力説する現場の人間は多い。
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