さつきのブログ「科学と認識」

福島第一原発、アンダーコントロールで、わざと昨年の2倍の放射能を放出か

科学と認識

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8. 観察と帰納、および自然の現象学

 歴史科学の中には、結果から原因を推定するインバージョン(逆問題解法)とよばれる方法論を意識的に追求することで近代化をなしとげた分野もある。例えば、過去の津波被害のデータを基に、その被害をもたらした地震の震源地や震源過程を、コンピューターシミュレーションによって遡って特定するというような(津波インバージョンと呼ばれる)方法論である。このような複雑系を扱う科学にはある共通した特徴がある。複雑系とは、現象の途中経過がシステムに影響するというような非線形過程と言い換えても良い。こうした問題にインバージョンを適用する際には、最低限必要な、独立した事象についての観察事実の数が、インバージョンモデルの理論の性格によって決まる。そして、その最低必要な数を超えて観察事実が増えるほど、原因となった事象についての特定精度が上がるという特徴がある。

 このように、コンピューターを用いたインバージョンによって過去の事象を再現するというような研究スタイルは、ポパーが反証科学哲学の構築に向けて歩み始めた時代には存在していなかった。いずれにしても、歴史科学にとって学説の優劣を決めるひとつのポイントは、その学説を構築するために用いられた観察事実の質と量であると言えるであろう。観察(観測)という行為は、現代の科学一般にとってもあい変わらず最も重要な営みであることも事実である。ところがポパーは「観察の知識(理論)負荷性」原理などから、観察を基礎とする方法論としての帰納法を否定した。別の言い方をするなら、ポパーは、観察を基礎とする方法であってもそれを「帰納法」と称してはならないと断じた。しかしそれは、ポパーの帰納法の理解そのものが誤っているのだ。そもそもなぜ、帰納と演繹という概念が生まれたのか。

 純粋に演繹的な推論は、既知の法則から出発して論理思考の積み重ねのみによって新たな法則を導きだす。一方、帰納法の基礎である生の自然(現象)を観察するという行為も、知識(=先入観=既知の法則)を媒介としてある種の判断が得られるという点で、たしかに演繹的な側面を有している。しかしそれは必要条件ではあっても、それだけで観察という行為による認識のプロセスを説明するには十分ではない。自然(外的世界)の認識は、古来より多くの哲学者や心理学者が語っているように、いろいろな段階を経て成し遂げられる筈のものだ。感覚・知覚の作用の後には情報の組織化の作用が必要になる。この二つの段階を受け渡す原理としてフッサールが彼の「純粋現象学」の中で解き明かした「理念」の態様は、遡ればプラトンの「イデア」に源流を求めることもできるであろう。

 フッサールは、外的(客観)世界が実在するという信念が正しいかどうかについての判断を保留しても、その信念がどこから生まれるのかを記述することは可能で、そのことによって、人間の世界(自然)認識のしくみを解き明かすことも可能になると考えた。純粋意識の中でおこる世界認識にかかわる作用として、外的刺激によらずに何がおこりうるか。例えば、人が実在の物体とは何の関わりもない点、線、面などの図形の概念を持ちうるということ、その図形の学である幾何学が実在する物体の運動について純粋な記述でありえるということ、人がそれらの概念を共有できるということ、例えば「三角形」が、サイズや形の違いによらず、誰によっても同一の概念像を形成しうるということ等々・・・。フッサールは、このように実在の物体や知覚された像とは無関係に、誰によっても誤解の余地無く同一のものと認知されうるような対象概念を、純粋意識の与件としての理念の一つの態様と考えた。こうした純粋意識の機能の観察にとって、人が持ついろいろな先入観は大きな妨害要素となるので、客観的世界が実在するというアプリオリな信念についての判断停止をもとめたのだ。

 結局、「観察」という行為を通しての世界認識を素過程へ分解したとき、純粋意識の中に立ち現れる知覚や像から人として共有可能な対象概念を生み出すためには指向性と対象性を備えた「理念」の態様が要請される。「事実」の概念からなる集合が任意の「理念」によって関係づけられたものを「構造」と呼ぶなら、その「構造」そのものもまた「理念」の態様に他ならない、とフッサールは考えた。こうした発想法は、「現象学的還元」という言葉が示すように、先に述べたインバージョンと同じ性格のものである。

 私の理解によれば、フッサール現象学の正統な後継者は「身体論」を構築したメルロ=ポンティだ。二人は、概念理解が言葉を媒介としてなされるとして、新たな言葉が誕生する現場、その瞬間に光を当て、「理念」のふるまいと世界(自然)認識におけるその意義を解き明かした。ポパーの科学哲学が、既に言葉が存在して表現されている概念についてのみ問題にしているのと対照的である。ポパーは、自然科学そのものが、新たな言葉の誕生(概念理解)を目指して、人々に共有されている「理念」を足がかりに言語化される以前の生の自然と直接触れ合ってきたことを理解していなかったように思われてならない。科学の世界では、まさにこのような態度を「帰納法」と呼んできた。

9. 仮説構築プロセスの科学性

 このように、純粋に演繹的な推論と異なって、帰納法は、感覚・知覚の作用を出発点とする人間的自然(外的世界)認識のプロセスを必然的に伴うものである。私は、帰納法は、ポパーが言うようには軽々しくは否定できないもので、むしろ科学活動の本質を表現したものに他ならないと考えている。そこで、出来合の理論や仮説が「科学的」なものかどうかを論じたポパーの視点から一端離れよう。その上で、仮説構築のプロセスや学説の論理構造について、その正統性なり「科学性」なりを吟味することが可能であるということを確認しよう。ここで、現代科学の現場において「科学的」という概念がどのように捉えられているかを、私なりに次のように整理したいと思う。

1) 根拠(証拠)として挙げられる事象に再現性がある(第三者による検証が可能)
2) 推論に論理的な誤りがない

 1)は帰納的なるもの、2)は演繹的なるものについての評価というわけである。このように書いてしまうと、ウイーン学団の「論理実証主義」へ先祖帰りしたような古臭い考えだと思われるに違いない。しかし、この2つの条件を満たせばとりあえずは「科学」として受け入れてもらえるというのが現代科学の現場の実態なのだ。特に観察事実や実験結果の再現性は重要で、「常温核融合騒動」や、いろいろなねつ造疑惑の問題などでは、もっぱらこの点に注目が集まった。実際に、自然科学の学術雑誌の査読過程では結論の反証可能性が問題になることはほとんどなく、むしろ証拠の再現(検証)可能性の方が重要視される。

 さて、例えば条件1)について、証拠の収集に恣意性がない、証拠の質(精度)と量が推論に必要な条件を満たしている、などといった付帯条項を挙げることもできるが、それらは全て条件2)の方に含めることができる。そう考えるとこちらはやっかいで、実際にかなりの曖昧さを含んでいる。この曖昧さもまた、人のなせる科学の本質であり、社会と科学の関係を議論するのに重要性をおびてくると考えられるので、後にもう一度ふれることにしよう。

 ポパーが反証(主義)科学哲学を構築して世に認められた頃、これを意識しながらも、まったく別の観点から科学的認識についての学説を唱えたのが武谷三男氏である。ポパーのそれと好対照と思われるので要点だけを紹介しておく。

10. 武谷三男の「三段階論」と帰納法の復権

 理論物理学者であり、自然哲学者にして社会運動家でもあった武谷三男(たけたに みつお)氏(1911〜2000)は、自然の法則的認識は、1)現象論、2)実体論、3)本質論の三段階を経て深化していくと考えた(武谷の三段階論)。武谷氏は『現代物理学と認識論』の中で、「すなわち物理学の発展は、第一に即自的な現象を記述する段階たる現象論的段階、第二に向自的な、何がいかなる構造にあるかという実体論的段階、第三にそれが相互作用の下にいかなる運動原理にしたがって運動しているかという、即自かつ向自的な本質論的段階の三つの段階において行なわれることを示した。」と述べている。武谷氏の「現象論的段階」は、情報を収集・整理して、その中に表層的な規則性を発見する帰納法の手続きの段階と言い換えて良いだろう。

 武谷氏の主張は明快である。「全ての研究は、この三段階を経て完成される。現象論が成熟していないのに実体論をやると失敗する。実体論が完成していないのに本質論をやると失敗する。問題はその際、必ず野心家が居て、十分な段階に達していないのに既に本質論にかじりついている者が少なくないという現実である。そこで、負けず嫌いの者(多くの研究者)は、先を越されまいと我先に本質論に飛びつくことになる。そこを見極めなければならないのは、研究の入り口に立ったばかりの者にとってはかなりの程度の困難を伴う。結果的に、多くの場合、現象論がおろそかになってしまう。そういう意味でも、かえって現象論的な研究は、確信と熱意を持ってなされなければならない。」
(この括弧書きの部分は私の古いノートにあるメモからとったものであるが、今となっては引用元がわからない。)

 武谷氏は1934年に京都大学を卒業後すぐに湯川秀樹・坂田昌一氏らと共に「中間子理論」の研究をしていて(1934年〜1940年)、その過程で1935年「世界文化」同人に参加し、三段階論に関する諸論文を発表してる。また、この論考は既に、彼の卒業論文の中にその萌芽が現れているそうである。重要な事は、湯川秀樹の中間子理論は、坂田、武谷両氏との共同研究の成果であって、その研究の指針として三段階論が極めて有効に活用されたということである。現在の物理学界では、武谷氏の三段階論が湯川氏のノーベル賞受賞の原動力であったという認識はゆるぎないと思う。

 武谷氏の三段階論の研究は、それまで哲学者によって生み出されたいかなる認識論も、自然法則の認識の深化に何の訳にも立ってこなかったという反発から開始されたと言われている。そして、彼は見事に新しい認識論を完成させ、実際にこれによって華々しい成果が生み出された。それゆえ武谷氏は「(自分の信じる)一つの認識論を主張する人は、その認識論をあらゆる局面にわたって馬鹿正直に適用する」ことを求め、世の中に流布している間違った認識論はその過程で淘汰されると主張した。
(つづく)

参考文献
3)『自然の現象学 −メルロ=ポンティと自然の哲学—』加國尚志著、2002年、晃洋書房

6. ポパー理論の問題点

 ポパーによるオリジナルの「反証主義科学哲学」の問題点については、前回「4. ポパー理論の周辺」の項でラカトシュによる批判を紹介したが、ここでは彼の論点をもう少し深めてみたい。

 ポパーは、マルクスの歴史科学を反証可能性がなく科学の名に値しないと否定したが、歴史科学それ自体は自然科学の中でも、たとえば地質学として確立している。良く知られているように過去形で語られる命題は(タイムマシンでもない限り)反証不能であり、地質学的な命題も例外ではありえない。それでも、地質学が科学であると信じられているのは何によるのだろうか。このことは、ラカトシュが、「科学的」という言葉の定義にかかわって、ポパー理論を「方法論的反証主義」と呼んで限定的なものに押しとどめたことと関係していよう。そこで、あらためて「科学的」とはどういうことかを整理し直す必要性を感じる。

 ところで、ウィトゲンシュタインは、彼の『論理哲学論考』の中で、数学的な証拠や論理的推論は単なる同語反復にすぎないことを指摘している。それらはどんなに精緻なものであっても、例えば、「雨は降るものだとすると、雨は降っているか、降っていないかである」、あるいは「人間は死ぬ。Aさんは人間である。従ってAさんは死ぬ。」といった命題と本質的には同類である。これらの命題は、文や方程式の内的な関係について語っているにすぎず、現実の世界についてはいかなる情報も与えてくれないし内容がない、とウィトゲンシュタインは主張した。すなわち、それらの言説は、定義された言葉の決められた文法に従った関係を示しているだけの世界であって、雨が降るとは、人が死ぬとはどういうことかについて、何ら新しい発見をもたらすことがない。先に述べたラカトシュによるポパー理論の修正は、「科学的」であることを外部から支えると思われた「反証可能性」が、「科学」の論理構造の中にスッポリと包まれた「同語反復」の関係にあることの発見にもとづいていたのである。反証可能性のテーゼは、論理学的には「疑似命題」と呼んでいいだろう。

 『論理哲学論考』はウイーン学団のバイブルのように扱われていたので、このことの意味についてはポパーも熟知していた筈である。しかし、ポパーにとっては、ある学説が「科学的」なものかどうかが判定できる便利な装置がどうしても必要だったのだ。彼の究極の目的は科学の法則を唱えるマルクス主義の否定であって、それが科学でないことを論証できれば、マルクスの膨大な文献を逐一検討する必要がなくなる。そのため、帰納法を否定する「観察の知識(理論)負荷性」の原理が最大限活用されることになる。

 少し脇道にそれるが、ここでウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』が科学哲学史に占める位置について、若干整理しておこう。ウィトゲンシュタインの生前の唯一の著作である『論理哲学論考』は、ウイーン楽団のバイブルとも目されていて、バートランド・ラッセルが主査となってケンブリッジ大学へ博士論文として提出されたものである。ウィトゲンシュタインは、『論理哲学論考』に書かれた内容を後年自ら否定したと一般には理解されている。文献1にも、ウィトゲンシュタインには前期のウィトゲンシュタイン(I)と後期のウィトゲンシュタイン(II)が居て、(II)は(I)を否定したように書かれている。

 しかし彼は、『論理哲学論考』の重要な点について編集者宛に書いた手紙で、「この本のポイントは倫理的なものです。・・・わたしの著作は二つの部分で構成されています。この本に書かれている部分と、書かれていない部分です。そして重要なのは、まちがいなく、書かれていない方なのです」と書き送っているとのこと。この手紙を書いたのが、ウィトゲンシュタイン(I)の時期であることから考えると、彼は、哲学の問題を『論理哲学論考』に凝縮して整理してみせた後、自分には哲学の問題はもう残されていないと、おそらく『論考』の執筆段階から感じていたのであろう。後にウィトゲンシュタイン(II)は<言語の謎=パズル>に取り組むことになるが、彼にとってそれは哲学の問題ではなかった訳だ。(もちろん、哲学界では現在でもなお彼の「言語ゲーム」についてのテクストが哲学の問題として議論されているのではあるが・・・)

 ウイーン楽団の学問的な成果はポパーによって粉砕された、というのが科学哲学界の大勢であるようにみえる。こうした見方は、ウィトゲンシュタイン(I)の誤りがポパーによって明らかにされたという評価を自動的に導くことになる。しかし詳細に視ると、ポパーの批判が成功しているかのように見えるのは、その中の「論理実証主義」の表層だけであって、見方を変えれば、ポパーの理論は「論理実証主義」を精密化、あるいは手直ししただけと言えなくもない。ウイーン楽団の考え方は、ポパーによってねじまげられて批判されたと主張する専門家もいる。これらのことは、ポパー理論をさらに精緻化しようと試みたラカトシュの仕事をふりかえれば了解されるかもしれない。

7.科学の営みは単純ではない

 ポパーは、「現実の科学者は、まず先に解答を思いえがき、それからそれをささえる事実をさがし始める」とビューラーが言ったことをヒントに反証主義科学哲学の開拓に着手した。ビューラーの評価には一面の正しさがある。実際多くの科学者は「仮説検証法」を多用しながら研究を進めている。しかし同時に、多くの科学者は、検証よりもむしろ仮説構築に労力を割いているというのも事実である。ところがポパーはこの仮説構築のプロセスや仮説の論理構造そのものについてみるべき考察を行なっていない。当の科学者達が長い間ポパー理論に注目しなかった理由がここにあると思う。ポパーはアインシュタインの仕事から大きなヒントを得た訳であるが、その仮説構築のプロセスは多分にヒューリスティック(発見的)で、そこからは、ポパーとして「批判的精神」以外に何も汲み取ることがなかったのだ。

 ポパーは、科学の現場で他のおおぜいの科学者達が行なっている作業それ自体を分析して科学哲学構築の参考にするということをしなかった。このこと自体が、ひとつの仮説を生み出そうとするときに、多くの科学者が研究対象と向き合いつつ悪戦苦闘する姿勢とはかけ離れている。科学者がもっとも腐心している仮説構築の作業に目を向けずに、反証可能でありさえすれば「科学的」とみなせるというなら、「明日は晴れる」と占い師が言うのも「科学的」なのかとの疑問が出されるのも当然かもしれない。反証がいかに重要だとしても、反証に値する仮説を生み出すことができなければ無意味だ。

 ところで、岩波の雑誌「科学」に1994〜1995年に10回にわたって連載された、都城秋穂氏(岩石学者)による「地質学とは何だろうか」という論考がある。そこでは、ポパーの反証科学哲学とクーンの科学革命論の両面から、伝統的地質学が有するある種の欠点についての指摘がなされている。 この論考全体の評価についてはここではふれないが、当然のこととして、都城氏がポパー理論を用いて歴史科学としての地質学を批判する視点は、ポパーがマルクスの歴史科学を批判する視点と重なる。第一に、「観察の知識(理論)負荷性」に基づく帰納法の否定であり、第二に、過去に起こった現象について法則性を主張する仮説は反証可能性を有していないとの批判である。

 地質学の成果として得られる、過去におこった地質現象の実体復元についてのひとつの仮説は、別のもっと有力な仮説の登場によってのみ退けられる。しかし、その新しい仮説それ自体もまた反証可能性を有していない。このとき、その優劣はどのように判断されるのだろうか。出来合の学説の優劣の比較について言えば、とりあえずは、より広範囲の、より多くの、より長期の、またより細部の現象が説明可能であるほど優れているというようなところであろう。

 このように考えると、「科学的」とは、何と曖昧な概念であることかと思う。それでもそれが科学と認められるには、最低必要ななにがしかの要件があるはずだ。しかもそれが、ポパーが考える科学の要件をクリアーできていないのが既に明らかだとすれば、新たな鍵はポパーが考察しなかった仮説構築のプロセスや、その仮説の論理構造の中にあると予想される。歴史科学は犯罪捜査と同じであると考えると理解しやすいかもしれない。
(つづく)

*2008年5月24日:説明が十分ではないと考え、冒頭の三つの段落を書きかえた。

3.「反証(主義)科学哲学」とは

 ある学説が「正しい」ことを証明するには、その学説の帰結としての全ての事象についてもれなく検証しなければならないので大変な困難を伴う。ポパーは、「科学的」な法則はただ一つの例外をも許さないので、正しいことの証明(検証)は事実上不可能であると考えた。これに対して反証の方は、ある学悦の構造なり、その帰結の一部だけでも誤りであることがわかれば叶えられる。このことは「検証と反証の非対称性」と呼ばれ、科学哲学における重要な概念となった。

 そこでポパーは、科学の進歩は、反証テストを経て間違った学説を捨て去る消去法によってのみもたらされると考えた。ところが世の中には反証が不可能な説がある。たとえば、「宇宙の構造は神の意思によって創られた」や「人に追われる夢をみるのは無意識のうちに罪悪感を持っているからだ」といった説である。こういった説は、前提条件や言葉の定義や結論の輪郭が曖昧で、反論にあったり予測がはずれたりしてもいろいろな言い逃れが可能で、そうしてどんどん言い逃れている内に、もともとどんな説だったのか分からなくなることがある。これでは反証によって何が否定されたのかも分からなくなり、科学に進歩をもたらすことがない。こうした言説は「信仰」に近いもので、例えば最近はやりの「陰謀論」にも典型的なものである。

 結局ポパーは、ある学説が「科学的」なものであると言えるための要件は、間違いであることを明確に検証(つまり反証)する手だてがその説自身の中に明示されていること(反証可能性)であると結論し、これをもとに「科学」と「疑似科学」を識別できると考えた。この考えは、一度否定された学説が復活して堂々回りすることがなく進歩し続けるという性質こそが科学の本質であるという発想に基づいている。「観察の知識(論理)負荷性」の原理と「検証と反証の非対称性」の原理の融合に基づく「反証主義科学哲学」の提唱は、ウイーン学団が築き上げて来た論理実証主義の体系を、一気に古くさいものにしてしまうインパクトがあった。

 こうして、科学哲学はいわばポパーの独壇場になった。その功績から、1965年には英国王からナイトの称号を授与されている。1985年、オーストリア政府は、ポパーをウイーンに呼び戻すべく科学哲学を専門に研究する「ルートヴィヒ・ボルツマン科学理論研究所」を新設し、初代の所長になるよう依頼している。(ポパー自身は、ある経緯からこの申し出を断った。)いずれにしてもポパーは、押しも押されもせぬ二十世紀を代表する科学哲学の第一人者であり、二十一世紀になった今でも、彼の学説を抜きに今日の科学哲学を論じることはできない。

 「科学的」なものであるためには反証可能性が保証されていなければならないという発想は、アインシュタインの一般相対性理論の、光は重力によって曲げられるという帰結が1919年の皆既日食を利用した検証実験にふされたことにも触発されて着想されたとされている。アインシュタインが、彼の説が間違いであることを証明する手だてを、その説自身の中に明示していたことにポパーは感動したのだ。相対性理論は様々な検証を経て今も生き延びている。ポパーはもっと根本的に、批判的精神そのものをアインシュタインから学んだと述べている。ポパーが熱望して実際にアインシュタインに会うのは1950年の事である。

4.ポパー理論の周辺

 ところで、「科学的」と常に括弧付で書くのは、それまで明確には定義の定まっていなかった言葉の、ポパーによる「先に言った者勝ち」的な定義について誰も従う義務を負っていないからである。ポパーは、なぜ科学は着実に進歩しているのかという問題設定から出発して、科学の営みの現場観察から、それを着実に進歩させている原理を抽出して哲学の進歩をうながそうと試みた。教育研究所のビューラーの示唆やアインシュタインの態度から学んだように、実は彼こそ科学の現場、それも彼がお手本と考える科学の現場の観察から「帰納」することによって彼自身の着想を得たのである。

 つまるところポパーの言う「科学的」とは、科学を後退させないための方法論的な原理に則しているという意味のことである。この立場を厳密には自覚していなかったポパーは、後にポパーの後継者となったラカトシュに意味論的曖昧さを批判される。ラカトシュは、ポパーのこの立場をはっきりさせるために、「方法論的反証主義」と呼んで、ポパー理論の守備範囲を明らかにした。

 ラカトシュはまた、ポパーの「反証可能性」のテーゼに無視できない弱点を発見し、これを補い、ポパー理論を精緻なものに組み直そうとした。すなわち、ラカトシュは、「反証」の手続きそれ自体が科学の営みそのものであることから、反証テストそれ自体の能力を絶対視できないことに気が付いた。クーンもまた、一旦は成功あるいは失敗したかに見えた反証テストも、後年、その評価が逆転した事例が少なからずあったことなどを指摘し、「反証可能性」にこだわると科学の進歩に害があると批判した。そこでラカトシュは、ひとつの科学理論は、主張の根幹である「中核部分」と、これを取り巻いて支える保護仮説、初期条件、実験技術や誤差論などの「保護帯」からなるとし、反証テストに際しては「中核部分」に変更を加えることなく「保護帯」の調整を可能な限り続けるべきであって、そうしてどのように「保護帯」をいじってもついにテストに耐えられなくなった時点で「中核部分」の反証が完了すると考えた。当然、このような反証テストは長期にわたる歴史的経過に委ねられることになる。

 ラカトシュはまた、帰納の問題についても、エッフェル塔から飛びおりてはならない理由をポパーはきちんと示していないと批判した。帰納で考えない限り、どうしたら良いか判断できないことが世の中には多すぎるとの批判である。つまり、「二度ある事は三度ある」が非論理的であるとしても、実社会では有益な経験則としてあるとき、それを哲学の問題として深めるべきだと主張したのである。こうしたラカトシュの批判は、科学哲学界の中ではおおむね肯定的に受け入れられたように思う。

 ところがポパーは、弟子ともいえるラカトシュを「変節者」として激しく攻撃した。それは、ネオ・マルクス主義者達のアド・ホックな言い逃れをラカトシュの理論が擁護することになると考えたからだ。二十世紀のネオ・マルクス主義者達は、マルクスが予想できなかった事態に直面し、批判への対応を迫られた。革命が、資本主義の先進国ではなく、半ば封建主義の時代にあった国でのみ起こったのは何故か?「それは、かくかくしかじかの理由からだ」。富が一部の資本家のみに蓄積されなかったのは何故か?「それは、これこれしかじかの理由からだ」等々・・・。こうした反論は、ポパーにとってみれば疑似科学に典型的なアド・ホックな言い逃れであるが、ラカトシュの説では、「保護帯」の調整と位置付けられ、マルクスが打ち立てた理論の「中核部分」が変更されない限り、むしろ推賞されるべき理論の精緻化ということになる。ポパーの攻撃はラカトシュの死後も続いた。

 ポパーを嫌っていたウィトゲンシュタインは「哲学とは、さまざまな科学による証拠なしに真であると想定される、すべての原始命題である」と言ってのけた。ウィトゲンシュタインは、当時カリスマ的な人気を誇っていたので、彼の皮肉を気にしない者はいなかった。ラカトシュの整理はおそらく、ポパーの発見した原理によって彼自身の説がわずかの例外から反証されてしまうことを恐れた弟子としての補完作業でもあったのだろう。これ自体が、ある意味アドホックな言い逃れと評することもできるが、それでも、影響力という点ではポパーの説が力を殺がれることはなかった。

 こうして彼は、反証不能なフロイトの理論を、だらしない疑似科学の典型と攻撃するようになり、以来、ポパー理論は、「科学」と「疑似科学」とを峻別する基準と評されるようになる。ポパーはまた、彼のその後の人生の大半のエネルギーをマルクス主義批判に費やした。ポパーによれば、マルクス主義は歴史発展の法則性を主張するという点で科学を装っているが、ポパー理論の論理的な帰結によって、マルクス主義の「教義」の一部に受け入れがたいものがあったのだ。

5.ポパーによる歴史科学批判

 ポパーのマルクス主義批判の第一の論点は、過去の歴史を科学的に解析して得られたとされる歴史発展の法則についてのものである。ポパーによれば、過去の歴史の中に何らかの規則性が見出されたとして、それを法則と言ってしまうのは、単に「二度あることは三度ある」を法則にまで持ち上げてしまう愚をおかすに等しい態度である。100回続けて起こったことでも101回目にはどうなるかわからないと考えるのが「科学的」な態度であるということになる。

 「長い間鶏に餌をやって育ててきた男がいる。だがある日彼はついに鶏の首をひねる。・・・」(バートランド・ラッセル)

そもそも過去形で語られる命題は反証可能性を持たない。

 第二の論点は、マルクスの未来予測についてのものである。この点でポパーの思想に影響を与えたのが1925年のハイゼンベルクの「不確定性原理」である。これは、素粒子の世界では、観察という行為そのものが観察対象に影響を与えるので、素粒子のある瞬間の位置やふるまいを確定的に予測することはできないという原理である。物理学的には、「素粒子は位置と運動量を同時に決めることはできない」と表現される。素粒子の世界でなぜこのようなことがおこるかと言えば、観察対象も、観察する側の手段や媒体となる光(光子)も、どちらも素粒子という括りで同格なので、作用と反作用が両者に同じスケールで顕われるからだ。そうだとすると、人が、自らが一員である人の社会を観察するという行為にも同じ原理があてはまるとポパーは考えた。実際に、株価の予測を発表することで市場に影響を与えてしまい、予測が狂ってくるというような現象が思い浮かぶ。

 そうしたことからポパーは、人類社会の過去の歴史の中に規則性を見いだし得たとしても、それは一つの結果にすぎないものであって、その規則性を法則にまで高めて未来を予測することは原理的に不可能であると結論した。つまり、マルクスの未来予測はまったくの幻想で非科学的だと否定した訳だ。
(つづく)

1.はじめに

 最近の科学教育に少なからず危機感を懐いている現場の教育者や研究者は多いことと思う。教育の問題だけにかかわらず、もっと広い問題、もっと根深い問題がそこにあるに違いないとの認識も少なからず共有されていると思う。しかし、我々自身が多忙な日常生活に埋没して、問題の根はどこにあるのか、どう解決したらよいのかについて掘り下げる余裕を失っている。そうこうしているうちに、科学教育はさらに混迷を深め、それが遠因となって社会にいろいろな歪みをもたらしているように思える。表層的なことでは、トルマリンやゲルマニウムやマイナスイオンブームなどが気になるところである。これらのブームは、単なる気休めを求める消費者のメンタリティによるのでは、おそらくない。なぜなら、それらのブームがファナティックとも言える社会現象となっているからである。この問題を、単に、科学を装った悪質な商法にいとも簡単に騙される大人が増えているという印象に還元するなら、問題の矮小化に繋がるであろう。ことの本質は、多くの大人達が、そうしたブームを拡大再生産する役割を、ある種の熱狂の内に主体的に担っているというところにある。

 数年前の卒業謝恩会の席で、ある卒業生の「進路」がマルチネットワーク商法(注1)の勧誘員と知って唖然としたことがある。卒業後にその上司となった人物を交えて話し合いの場をもったことがあるが、その上司もまた別の大学の理系学部出身者であった。その席で、マルチ商法は十数世代後には破綻することが確実であることを、簡単な数式で説明し、破綻した場合のリスクや周囲への迷惑などについて意見を述べたが理解されたかどうか心許ない。いろいろな陰謀論への熱狂もまた別の表現として顕れている。陰謀論は、事実に基づく論証を断念しつつも、「疑問」を「疑惑」に置き換え、いきなり陰謀の主犯を断定するといった思考パターンに陥っている。先日「地震兵器」でウェブ検索したところ約484,000件がヒットした。この社会は、高等教育を受けた多数の理系学部出身者が「オウム」にかかわり、犯罪に手をそめたことと同根の問題を未だに引きずっている。

 かつては「非科学的」という言辞は相手の誤りを指摘する言葉としてそれなりの力を発揮していたのが、昨今はそうでもないようだ。このことは、第一に「科学的」であることの価値が低下しているということと、第二に「科学的」ということの意味が曖昧になっているという二つの側面から検討されねばならないだろう。もちろん両者は不可分なのだが、その実態を分析的に考察する上ではこれを分けて議論した方が良い。

 第一の問題にかかわっては、上述した危機意識を共有した上で問題の本質をえぐり出す努力を続け、貴重な提言をおこなっている方がおられる。たとえば、北村正直氏による「なぜ科学教育は必要か」と題する論考などは、そうした一つである。
http://www.nikonet.or.jp/spring/k_edu/k_edu.htm
そこでは、根深い問題のキーワードとして、「理系と文系の二つの文化」、「ソーカル事件」、「ポストモダニズム」、「相対主義」などへの言及がみられる。

 第二の問題はすこしやっかいである。なぜなら、科学哲学界においてさえ、「科学的」という言葉の定義がいまなお明快には示されていないからである。そこで、これから数回に分けて、二十世紀の科学哲学に最も深い影響を与えたカール・ポパーの「反証主義科学哲学」を軸に、「科学的」とはどういうことかについて、メモ書き程度にまとめてみたい。

 なお、この論考は「さざ波通信」に投稿したものをもとにしている。ポパーは、彼の科学哲学を構築する動機がマルクス主義の批判のためであったと書いていて、このことに関わって私見を述べたものである。したがって、彼の学説への言及が、ここでも多少とも政治的な色彩を帯びてしまうかもしれないことを、予めお断りしておきたい。

2.ポパー理論の成立過程

 ポパーは1902年にウイーンに生まれ、1994年、92才で亡くなった。63年に来日し、92年には京都賞を受賞している。十代の頃マルクス主義に傾倒するも、1919年にデモ隊が警官隊に発砲される現場を目撃して衝撃を受け、マルクス主義と決別したとされている。1928年にウイーン大学に提出された彼の博士論文は「思考心理学の方法と問題」と題され、これにより心理学分野の教授資格を得ている。翌29年には、既に活動を初めて世に知られていたウイーン学団が『科学的な世界観 ウイーン学団』と題する綱領的書籍を発刊している。論理実証主義の黄金期で、ポパー自身はウイーン学団のメンバーになりたがっていたのに声がかかることはなかった。逆に、ナチズムの台頭によってウイーン学団が活動を停止した後に、論理実証主義そのものを化石化させた張本人がポパーであった。

 家庭が経済的苦境に陥ったことなどから中等学校(高校)を中退して、教育心理学で名高いアドラー(注2)の児童相談所で活動しつつ、遅れてウイーン大学に入学したポパーは、「ウイーン教育研究所」にも参加する。アドラーは、今でも日本の教育界に影響を残している大家である。しかしポパーは、当時アドラーとフロイトとの間で論争されていた問題がどちらの説でも説明可能であることに気づき、そのような曖昧な説は「科学的」ではないと直感した。ここで彼は、「科学的」とはどういうことかを突きつめて考えるようになる。ポパーに直接の示唆を与えたのはカール・ビューラーという教育研究所の哲学教授であった。

 論理実証主義的な科学哲学では、(自然)科学は、まず観察によって事実を収集し、既知の法則を適用した論理思考によってその事実の群れの中にある新たな法則性を導きだし、その新しい法則の正しさを別の観察事実によって実証する、というように、帰納と演繹の循環によって進歩すると信じられていた。しかし、ビューラーは、現実の科学者は、まず先に解答を思いえがき、それからそれをささえる事実をさがし始めると感じていた。いわゆる「仮説検証法」を極端に押し進めた考え方である。この手続きの中には帰納法というものはない。

 そこでポパーは、帰納法の核心である「観察」という行為の実態について考えた。観察によって事実を収集するという行為は、先入観のない無垢の目によってなされるべきであると考えられがちである。しかしポパーは、何の予備知識もない者に観察など不可能であると思い至った。つまり、観察という行為は、そもそも何らかの知識=先入観に支えられた演繹的な行為であるという主張で、後に「観察の知識(理論)負荷性」と呼ばれ、ポパー理論の核のひとつとされるようになる考えである。

 もう一点、帰納法は、沢山の観察事実を集めて、それらを満足する法則を導き出そうとする態度であるが、たとえ100の事実を満足する理論でも、ただ1つの事実に反していれば「科学的」な法則としては誤りである。そこで有限の事実を集めることによって法則を導きだすというのが帰納法であるのなら、これはそもそも方法論として誤っているとポパーは考えた。もっともこのアイデアそのものは、十八世紀にヒュームにより着想されていたものである。
(つづく)

参考文献
1)『ポパーとウィトゲンシュタインとのあいだで交わされた世上名高い10分間の大激論の謎』デヴィッド・エドモンズ&ジョン・エーディナウ著、二木麻理訳、2003年、筑摩書房
2)『科学的発見の論理(上・下)』カール・ライムント・ポパー (著)、 大内 義一 訳、1971-1972年、恒星社厚生閣

補足)
1) マルチ商法、あるいはマルチまがい商法は、いわゆるネズミ講と違ってなんらかの商品が介在し、その会員はこれを購入する。その会員は「親」となって新たな子会員を勧誘すると、その子会員が購入した商品の売り上げの中の利益分の一部は親に還元される。また、子会員が勧誘した孫会員の売り上げ利益の一部も親に還元される。こうして親会員は、その子孫が増えることで商品の購入代金を上回る利益が得られるようになる。これが魔力となって、友人や家族を無理矢理勧誘したりすることで、様々なトラブルが起きている。実際には、商品の購入代金を上回る利益が得られるのは、会員全体の数%に過ぎない。このようなシステムは、「特定商取引法」の規制対象となっており、国会答弁でもこの法の趣旨が、法を守ればマルチ商法は成立しないよう意図されていることが明らかにされている。なぜこのような法ができたかと言えば、マルチ商法が確実に破綻し、その結果多くの不幸な人が生まれることが、極めて単純明快にわかっているからである。

2) アドラーは「個人心理学」(individual psychology)の始祖として著名であるが、日本ではこの語感が誤解を生じ易いとの理由から「アドラー心理学」と呼ばれることが多い。「その1」で書いたように、ポパーがウイーン大学に入学する前、アドラーが主宰していた児童相談所の活動に参加していた頃は、実際に孤児の面倒を看ていた。後にポパーは、フロイト同様アドラーの学説も「疑似科学」の一種であると考えるようになるが、表立った批判は控えていたようである。それはおそらく、アドラーが、理論より実践に力を注ぎ、特に教育の現場で実績をあげていたことを見知っていたからだと思う。現場で実績をあげるということは、反証に耐えるということでもある。現在の日本でも、アドラー心理学に傾倒する教育者や心理カウンセラーは多く、アドラーの理論がどれだけ正確に実践に移されているかはともかく、その効果を力説する現場の人間は多い。

 最近100年間の地球温暖化傾向について、一般には、産業革命以降の化石燃料(石炭・石油)の消費により温室効果ガスである二酸化炭素の大気中の濃度が上昇して引きおこされたとの説、すなわち「人為説」が信じられている。実際、世界中の多数の専門家が、この説を補強するような観測データ、実験データ、シミュレーション結果を報告し、国連のIPCCも、この理論に沿って国際間での二酸化炭素削減目標を定めている。一方で、この説に対する批判も一部の科学者によって試みられている。それらの「異端の説」は、日本では、たとえば次のウェブサイトで紹介・主張されている。
http://env01.cool.ne.jp/index02.htm
http://tanakanews.com/070220warming.htm

 中には、地球は温暖化していないとの説もあるが、北極の氷の劇的な後退・消滅などが明らかになった現在、検討に値しないだろう。ここでは、地球の温暖化を認めた上で、その原因は人為的なものではないとする、一種の「異端の説」を採り上げる。

 さて、この「異端の説」を検討してみると、その論点のほとんどは、詰めの甘い言いがかりに過ぎないものに思える。他の研究者の観測データの中から自説に都合の良い部分を取り出し、物理理論で補強しただけとの印象は否めない。また、データの読み違えも認められる。それらの「異端の」科学者達は、必ずしもこの方面の専門家とは言えない分野に属しており、ある意味仕方ないと言えなくもないが、これでは、この問題にかかわって長年研究を積み重ねてきた当の専門家達からは無視され続けるばかりだろう。「人為説」をとなえる専門家からの反論は、たとえば以下のファイルにあり、これを読むと一応の納得は得られると感じた。
http://www.cir.tohoku.ac.jp/~asuka/


 ただし、自説が正しいことの根拠の一つに、専門家の大多数が支持していることを挙げるのはいただけない。科学理論の正否は多数決で決められることではない。また、この「異端の説」が十分な観測事実に裏打ちされていないことをもって、直ちにその説が誤りとまでは言えないのも確かだ。証明が不十分であることは、誤りであることの根拠にはならないのである。逆にまた、このような複雑系を扱う場合には、そこで用いられている物理理論が正しければ結論も正しいと、単純には言えないことも押さえておく必要がある。物理理論というものは、複雑な自然現象のほんの一部を理想化ないし単純化、もしくは抽象化したものであり、そこで捨象された部分にもっと本質的な仕組みが潜んでいる可能性を否定できないからである。だからこそ、膨大な観測データによる裏付けを求めて、多数の専門家達が日々格闘しているのである。では、この「異端の説」の正否に決着をつける決め手は何なのか、というのが今回の趣旨。

とは言え、実は、この「異端の説」は、温暖化を説明する明快な科学理論として完成されている訳ではない。単に、現在の「人為説」の個々の要素に疑義を提出するという側面の方がむしろ大きい。しかし、注意深く読めば、この疑義の中から次のようなストーリーが浮かび上がってくる。

 「異端の説」の基本的なコンセプトは、二酸化炭素が増えたから温暖化したのではなく、温暖化したから二酸化炭素が増えたのだと主張する点にある。いくつかの着眼点があるが、その一つに、氷期、間氷期を繰り返した第四期の気候変動が、化石燃料の大規模な燃焼なしに、また、火山活動の盛衰とは無関係に起きていたことが挙げられる。南極氷床のボーリングコアの解析から、過去数十万年間の気温の変化と連動して大気二酸化炭素の濃度も変化したことが明らかにされた(例えば、渡辺ほか、2002、地学雑誌, 111, 856-867)。人類文明紀以前において、気温の変化や火山活動と無関係に二酸化炭素濃度に変化をもたらす機構がみあたらないので、気温の変化が先におこったのは確かであろう。気温に連動して海水温も上昇すると、海水からの脱ガスがおこり、大気二酸化炭素の濃度は上昇すると考えられる。海水の総質量は大気の質量の270倍である。また、海水中の二酸化炭素の総量は、一説には大気の50倍とされているので、脱ガスによってその0.1%が大気中に放出されると、大気二酸化炭素の濃度は相対的に5%増加する。海水からの寄与は絶大である。

 そこで、最近100年間の大気二酸化炭素の増加も、温暖化によって海水から二酸化炭素が放出されておこったのであり、化石燃料の燃焼とは無関係であるとの仮説が生まれた。つまり、化石燃料の燃焼によって生み出される二酸化炭素の量は、大気と海洋、および生物圏の間で日々繰り返される循環のシステムにおいては微々たるものだと主張する。これに対しては、大気二酸化炭素濃度の上昇と連動して大気中の炭素14濃度が減少しているという観測事実から反論がなされている。半減期が5,730年の炭素14は、数千万年以前に炭素を固定した化石燃料中にはほとんど残存していない。したがって、化石燃料由来の二酸化炭素が増えれば、相対的に炭素14が減る。「人為説」による理論的な予測は観測事実と良く合っているという論理だ。

 一方、大気中の炭素14の濃度は太陽活動と密接に関係しており、これによって、最近100年間の炭素14濃度の減少傾向が説明できるとの主張もある。炭素14は宇宙線由来の熱中性子が窒素の原子核に作用して生成される。地球大気に降り注ぐ宇宙線の量が一定であれば、生成と崩壊がバランスして、炭素14濃度は大気中で安定に保たれる。このことを利用して、考古試料などの炭素14年代の測定がなされている。ところが、近年の詳しい研究によって、過去の大気中の炭素14濃度は太陽活動の盛衰と連動してかなり変化していたことがわかってきた。そのため、年代測定に際しての補正係数も提案されるようになった。太陽活動が活発になると磁気嵐が頻繁におこるようになり、宇宙線がトラップされるので、炭素14濃度は減少する。また、宇宙線の量は雲量にも影響をあたえる。結果的に、太陽活動の活発化によって気温は上昇し、炭素14濃度は減少することになる。こうしたことが、過去、地球上で実際におこったこと、また、最近100年の間に太陽は一貫して活発化していることなどが、独立した複数の研究機関の観測・測定によって明らかにされている。これらのことは、たとえば以下のサイトに解説がある。
http://www.nistep.go.jp/achiev/ftx/jpn/mat009j/idx009j.html
http://sunbase.nict.go.jp/solar/sun-earth-human/index.html
http://stesun5.stelab.nagoya-u.ac.jp/index-j.html
http://ksprite.kj.yamagata-u.ac.jp/mron/endo-mron.pdf

 以上のようなことから、太陽活動の活発化がおおもとになって、炭素14濃度が減少し、気温は上昇し、海水温も上昇し、海洋からの脱ガスがおこって大気二酸化炭素の濃度が上昇し、温室効果の正のフィードバックによって、ますます温暖化するというような、人類活動とは無関係な一連の現象がおこっている可能性がある。また、水蒸気も温室効果ガスの一種であり、大気中の濃度は二酸化炭素の何百倍もあることを考えると、水蒸気の正のフィードバック効果も無視できない。これは立派な一つの仮説であろう。

 ところで、カール・ポパーによると、ある仮説が科学的なものと言えるためには、反証可能性が保証されていなければならない。以上に書いた仮説の反証可能性はどこにあるだろうか。上記の仮説に含まれる個々の命題の多くは観測事実に基づいているが、ひとつだけ観測事実に基づかない仮定が含まれている。それは、現在の二酸化炭素濃度の上昇は海洋からの脱ガスによるものとの推論である。とりあえず、これが否定されれば、この仮説の一角は崩れるということになるだろう。その真偽は、海洋中の二酸化炭素濃度が脱ガスによって確かに減少しているのかどうかを調べればわかる筈だ。現在の海洋中の二酸化炭素の濃度分布については、最近の研究によってかなり詳しくわかってきた(例えば下記のデータ集)。
http://www.jamstec.go.jp/beagle2003/jp/index.html

 このような観測は、本格的には最近始められたばかりで、全海洋の長期間にわたる変動についてはまだ結論は得られていないようだ。ただ、北海道東方沖の太平洋上の一点についての定点観測結果を示した下記のサイトをみると、ここでは、海洋表層水の二酸化炭素濃度は上昇している。
http://www.aist.go.jp/aist_j/aistinfo/aist_today/vol04_05/12.html

 少なくともこの場所では、大気二酸化炭素濃度の上昇によって、これと平衡にある海洋表層水が二酸化炭素を吸収していることになる。このことは、海洋水の温暖化による再平衡(脱ガス)に先んじて、大気二酸化炭素濃度の上昇による再平衡(吸収)が進行していることを意味する。つまり、「異端の説」の予想に反して、大気中の二酸化炭素濃度の上昇が温暖化に先行しておこっているのだ。二酸化炭素濃度の上昇が温暖化の原因であるとする「人為説」を支持する結果の一つと言える。わずか1点だけにせよ、「異端の説」にとって不都合な事実であることには違いない。この現象が、凡世界的なものなのかどうかについて、観測態勢を整える必要があるだろう。

 なお、ポパーの反証科学哲学については、そのうち批判の記事を書く予定であるが、ここでの結論とは無関係である。

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