さつきのブログ「科学と認識」

福島第一原発、アンダーコントロールで、わざと昨年の2倍の放射能を放出か

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福島原発事故の放射能の危険性について、専門家の言うことがまちまちで、戸惑いが広がっている。マスコミではしばしば「通常の線量の○○倍であるが、直ちに健康に影響が出るレベルではない」ということが語られる。直ちに健康に影響が出たら大変だが、ほとんどの人はそんなことは心配していない。むしろ、将来的にどれくらいの影響が出るのかについて大きな不安がひろがっているということであろう。不安は未知であることからくる。
 
そこで、「日本は世界一のがん大国で、2人に1人が、がんになります。つまり、50%の危険が、100 mSvあびると50.5%になるわけです。タバコを吸う方がよほど危険です」などと諭される(資料1)。この説明はマスコミを通じて広く知られるようになったが、その過ちを指摘する専門家も居る。
低線量被ばくの人体への影響について:近藤誠・慶応大

要約すると、以下のような内容である(原文の構成から順番を変えた)。

1)「もともとある50 %の危険性が、100 mSvの被ばくによって、50.5 %になる」との説明があるが、50 %は癌の罹患率、0.5%の増加分は癌の死亡率についてのもので、両者を混同している。

2)50 mSv以下でも発がん率が上昇するという複数のデータがある。

3)癌死亡率30 %の日本では、最新のデータによると10 mSvを被曝すれば癌の死亡率は30.3 %、100 mSvでは33 %になる。

4)人は「発癌バケツ」をかかえていて、いろいろな発癌因子がたまっていっぱいになると癌になると考えて良い。ある人のバケツがそれまでどのくらい満たされていたかで、今回被ばくした量が同じでも、発癌する、しないに違いがでる。

解釈の違いではなく、専門家としては明らかな過誤という訳である。ここでは、近藤誠さんの上記解説を通して考えたことについて述べる。
 
私は、国家資格である「エックス線作業主任者」の免許を持っているが、その取得は、国立大学が法人化されるにあたって一般企業並みの労務管理が義務づけられたことにより、半ば強制されたという事情による。試験内容は、1)X線の発生と性質および管理、2)X線の計測、3)放射線の生体に及ぼす影響、4)関連する法令、の4科目からなり、計算問題もあったので電卓持ち込みが指示されていた。それぞれに必要最低得点が設定されていたが、1)と2)はともかく、3)と4)は素人同然だったので、中年になってからの受験勉強には苦労した。特に3)については、資格を取得した今でも専門家とはほど遠い知識しか持ち合わせていない。したがって私には、具体的な放射線量の危険性について、何か断定的なことを言う能力などない。ここでは、ICRPの勧告や原爆による被曝認定などの基準が科学的に正当なものであるとの前提で出発する。当然だが、それは、絶対に正しいということを意味するものではない。
 
私には、所属研究科の「エックス線作業主任者」に任命された者としての職務がある。それは、X線発生機器のある管理区域やその周囲において、法令に定められた限度量を超えるような被曝事象が生じないよう管理することである。ICRPの勧告による被曝限度量は、一般公衆において年間1 mSv、放射線を業務として取り扱う者においては年間50 mSvかつ5年間の累計で100 mSvと定められており、国内の法令においては、これを具体的に実現するための方策が指示されている。したがって私は、表向き、「年間数 mSvくらいなら健康に全く影響がないので気に病むことはない」なんてことは、絶対に口にしてはならないのである。しかしここでは、その「立場」というものから離れて、フリーに考えてみたい。
 
さて、ICRPの勧告に基づく現在の放射線防護の指針は、元を辿れば、広島・長崎の原爆による尊い犠牲の上に築かれたものである。原爆による放射線障害で大勢の人が亡くなったり後遺症に苦しんだりするということを、これまた大勢の人々が目の当たりにするということがおこるまで、放射線の生体への影響についてはほとんど未知であった。
 
原爆によって広島・長崎市内は壊滅状態となったために、救助された被爆者は周辺地域の病院へと担ぎ込まれた。多くは即席の野戦病院のようなものであったが、それなりの設備とスタッフの陣容を備えた病院もあった。その中の一つに、広島から30 kmほど東の八本松という所にあった「傷痍軍人広島療養所」がある。この病院の医師達が診療の過程で見知ったことは、当時、世界中の誰も知らないことばかりであった。戦後まもなく、次々と公表された彼らの経験や研究成果は全てが最先端で、世界の医学界が注目した。彼らの研究によって、マリー・キュリーの死因が放射線障害によるものであったことも明らかになったのである(注1)。彼女の死後15年以上を経た頃であった。
 
原爆による放射線被曝には、爆発時の放射線によるものと、残留放射能によるものがある。前者による致死率や症状の重さ、癌罹患率などは、爆心地を中心としたきれいな同心円状の分布を示していたことから、まずはこれをもとに放射線の強度と人体への影響との関係が定式化された。しかし、被曝の影響が直ちには現れない低線量の領域において被曝許容量をどのレベルに設定するかは、確率的な取り扱いとなるため、価値論に基づいて線引きする他ない。ICRP勧告が一般公衆の被曝限度量を1 mSvと定めているのは、通常の自然放射能から受ける被曝線量からばらつきの多いラドンの吸入になどによる体内被曝成分を除いた世界の平均がおよそ1 mSvであることから、これに倍する被曝がないようにとの発想に基づく。内部被曝成分を加えた自然放射能による全体の被曝線量の世界の平均は2.4 mSvとなる。原爆被爆者の認定基準のいろいろな指標、例えば被爆者手帳交付の基準の一つである爆心地からの半径12 km以内での被曝(2 mSv以上)といった線引きも、こうした自然放射能からの被曝線量が一つの目安として用いられている。
 
ICRP勧告に基づく一般公衆の被曝限度量は、自然放射能による被曝とレントゲンなどの医療被曝に、さらに年間1 mSvを超える被曝を加えることは避けなければならないという意味であるが、福島原発の事故に際してはこの値がほとんど無視されている。それは、多くの専門家が、世界のいろいろな地域における自然放射能のばらつきの大きさから考えると、平均的な自然被曝の数倍程度の被曝量は問題にする必要がないと考えているからであろう。
 
冒頭に紹介した近藤誠さんの記事にある「発がんバケツ」という発想は、そうした考え方に警鐘を鳴らすものである。そもそも日本において癌罹患率が増加したのは日本人が長生きするようになったからと説明されているが、そのため、「発がんバケツ」はただでさえ自然放射能によって満たされてしまう運命にある。それに加えて余計な被曝は寿命を縮めるだけだ。低線量被爆は長寿国ならではの問題をはらんでいると考えることもできる。
 
これに対して、特別に高い自然放射能に曝されている地域に住む住民の疫学調査の結果から、やはり、年間数10 mSv程度の被曝では健康被害は全く認められないと主張する専門家もいる。低線量被爆の危険性については従来よりその確率分布に相反する二つの考え方があった。損傷した遺伝子の修復メカニズム(資料2)から、放射線被曝には健康影響が全く現れなくなる「しきい値」が存在するという立場をとる専門家は、もう一つの日本特有の問題である放射能泉に注目する。日本ではラジウム泉、ラドン泉といった放射能泉に特別の治療効果があると一部で信じられているが、その中には極端に高い放射能を有するものがある。山梨県の増富温泉(冷泉)はラドン含有量が1リットルあたり約16万ベクレル、鳥取県の三朝温泉は2,400〜9,400ベクレルと極めて高い(資料3)。
 
ラドンはウラン238起源の希ガスで、直接にはラジウムのα崩壊によって生み出され、それ自身も高エネルギーのα線を出すので、従来から吸入による肺がんのリスクが懸念されていた。WHOは 2005年、International Radon Projectを立ち上げ、ラドンの肺癌リスクに強い警告を発している(資料4資料5)。
 
その三朝温泉にWHOの調査団がラドンの健康影響調査に入るという話を聞いたのは90年代中頃、3月22の記事に書いた故大庭里美さんからであった。長年当地で暮らしながら働いている温泉旅館の従業員に対して、染色体異常をはじめとした徹底した疫学調査がなされるということであった。当時彼女は、これで低線量被爆の危険性が証明されるのではないかと話していた。ところが、WHOによる調査結果はなかなか表に出て来なかった。そうした中で、既に岡山大学医学部附属病院三朝分院による同様の調査が行われていて、その結果が公開されていることを知った。

この調査とWHOによる調査との関係は調べていないが、「ATOMICA」による解説記事(資料3)によると、三朝温泉地域住民は、WHOの警告基準より遙かに高いラドン濃度に曝されているにもかかわらず、放射線被曝特有の染色体異常は周辺地域より少なく、癌死亡率も少ないという結果になったのである。私の当初の予想とは逆の結果であったが、そして、喫煙率などの他の因子を考慮した場合、どこまで一般化できるかという問題も残されているが、放射線被曝特有の染色体異常が少なかったという事実は無視できない。一方で、近年WHOがまとめたラドン被曝についての疫学データは、質、量ともに三朝での調査を凌駕するものがある。
 
いずれにしても、「しきい値」の有無や安全なレベルについて専門家の間でコンセンサスが得られていない現状では、予防原則を適用するしかない。個人的には、現在の規制指標として最も軽い被曝限度量である年間1 mSvという値だけが、一般人にとっての<安心の目安>として推奨されるべき地位を有していると考える。なにしろこれは、法令に定められた限度量であり、法治主義の立場からも無視してよい訳がない。平常時の空間線量率を加えると、年間の平均が1時間あたり0.18 μSv以下であれば、まずは安心して良いと考えている。もちろん、無用な被曝はできるだけ避けるというのが基本であろう。
 
その上で敢えて言えば、非常時には非常時なりの規制値というものがあっても良い。避難を強制されることからくるストレスの方が健康への害が大きいということも良く言われることである。政府は、事故発生から1年間の放射線積算量が20 mSvに達する恐れがある地域については個別に避難指示を出す構えで、子供については放射線の影響が大きいことから、学校再開基準を10 mSvとする方針とのことであるが、おおむね妥当な判断ではないかと思う。専門家の中には、過剰な反応と批判する者もいるが、そこには、癌死亡率30%が30.3%になってもたいしたことはないという発想がある。水俣病にかかわって、原田正純氏が力説した「環境汚染」ということの意味が、いまだに理解されていないのを残念に思う。
 
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注1)マリー・キュリーは亡くなる前に「再生不良性貧血」と診断されている。後に、その他の症状も合わせて原爆症と酷似していたことがわかり、ラジウムの放射線による被曝が原因と断定されたが、その後、ラジウムではなくX線による被曝が原因と改められたようである(資料5)。
いずれにしても放射線障害には違いないが、X線により被曝したという十分な証拠はないので、個人的にはこの解釈変更は納得できない。彼女の実験室や遺品、指紋などから高レベルの放射線が検出され、しばらくの間一般への公開が叶わなかったことは有名な話である。

福島原発の状況は展開が速く、雑事に忙殺されていると情報の整理が追いつかない。
 
27日午前、福島第一原発2号機のタービン建屋地下のたまり水から1ccあたり29億ベクレルのヨウ素134が検出されたとの東電の発表には、ひっくり返った。放射性物質の濃度は通常の原子炉の水の約1000万倍という。ところが、これに対して国の原子力安全委員会から「疑義がある」として再評価を求められ、東電はその日の夜になって「別の放射性物質と間違えていた可能性がある」ということで、分析をやり直すと発表した。同時に発表された水たまりの表面で毎時1000ミリシーベルト以上という空間線量率は訂正されず、線量計が振り切れたので正確な値がわからないというのは事実らしい。
 
原子力安全委員会が「疑義がある」としたのは、半減期が52.5分と短いヨウ素134が高濃度で検出されたとすると原子炉内で再臨界に達しているということだが、制御棒が挿入されている状況であり、中性子線も検出されていないので再臨界の兆候はないと判断されたためであろう。なお、水がなければ臨界に達することはないので「空焚き」の心配はないとの説がある。これは、ウラン235が中性子を吸収して誘起核分裂を起こすためには中性子の速度を減速する必要があり、そのために水が必要ということを指している。しかし、アフリカのガボン共和国のおよそ20億年前の地層から発見された天然原子炉では、地下の普通の堆積岩中で臨界に達しており、少なくともジャブジャブの水は必要ないことがわかる。おそらく、東電としては、再臨界の有無を評価する目的もあってヨウ素134の検出を試みたのではないかと思う。
 
かつて、このブログで、「劣化ウランと原発用濃縮ウランの放射能は大して違わない」(2009/5/26)と題した記事
および、その後の補足1、補足2で述べたように、シーベルトは、被曝量を表す単位として用いられるが、空間の属性であって、サーベイメータなどで測定された位置(空間)と人がどのように交わるかで、その危険性は大きく変わってくる。また、シーベルトという単位で測定される放射線の量は、それだけでは実体が不明で、そこで何が起こっているのかを知ることはできない。シーベルトからベクレルへ逆算することはできないが、特定の核種のベクレルがわかれば、その核種のシーベルトへの寄与を計算することはできる。
 
刻々と変わる事故現場の、特に原子炉内とその周辺で何が起こっているのかを理解するためには、物質の属性であるベクレルという単位で、核種毎の放射能値をγ線スペクトロメーターなどで測定し解析しなければならない。そこで出てきたのが「1ccあたり29億ベクレルのヨウ素134」という発表であるが、28日未明になって、ヨウ素134ではなく、正しくはセシウム134で、全体の放射性物質の濃度も1000万倍ではなく10万倍であると訂正された。訂正の理由は、ヨウ素134であれば半減期が52.5分と短いので、再測定時には濃度が低下している筈であるが、同じ試料で濃度低下はなかった、というもの。この説明だと、1ccあたり29億ベクレルという放射能値そのものには変化がなかったと理解されるが、1000万倍が10万倍に訂正された理由については、聞き逃したのか、よくわからなかった。
 
これが事実であったとすると、その水に含まれるセシウム134の重量濃度や発熱量が計算できる。計算の結果、セシウム134の濃度は60.5 ppmと結構高濃度である。セシウム134の放射壊変は分岐が複雑であるが、壊変エネルギーはおおよそ2 MeVと近似できるので、この水1リットルの1秒あたりの発熱量は、

2.9E+9(1/scc) ×1000 (cc) × 2.0E+6(eV) ×1.602E-19(J/eV) 0.93 (J/s
となる。およそ1ワットである。

 
そのほかの主要な成分であるヨウ素131やセシウム137などの壊変エネルギーもMeVの単位なので、オーダーとしてはたいして変わらない。これら全ての核種の壊変熱を合わせると、放熱が悪くてもそれほどには自然に暖まることはないと思われる。
 
28日夜には、外部に委託した分析からごく微量のプルトニウムが検出されたとの発表もあった。燃料棒の成分である膨大な量の核分裂生成物が検出されているのだから、プルトニウムが検出されるのは当然のことである。主要な核種のプルトニウム239は半減期が2万年以上、崩壊後のウラン235の半減期は7億年以上と共に長く、α線だけを出すので、その放射線量は、ここまでの事態になると他の短寿命の核分裂生成物に比べれば相対的には全く問題にならない程度である。プルトニウムは放射能よりもその化学毒性の方が強いとされているが、現状ではその心配もないと思われる。ただし、セシウム13460.5 ppm含む多量の水が原子炉の外へ漏れだしていることを考えると楽観はできない。放射性元素はそれぞれに水への溶解度や融点・沸点などの物理・化学的性質が異なるので、多様な試料についての多数の測定が望まれる。
 
この数日間の間におこったスッタモンダの出来事から、東電とその協力会社には、ゲルマニウム検出器などのγ線スペクトロメーターを使った放射性核種の定量測定の能力が皆無であることが露呈した。RIセンターを持つ全国の大学には放射線取り扱いの国家資格を持つ研究者が大勢いて、また、天然の放射性核種をトレーサーとして環境変動の研究をおこなっている研究者なども結構たくさん居て、事故現場周辺の試料についての測定も始まっているようである。多数の試料についての正確で詳細な分析と迅速な公開が必要とされている。
震災と原発事故への政府の対応について、ネット上や週刊誌の記事や新聞の投書欄などで批判的な論調が大きくなっている。政権幹部の個々の対応がまずい点は確かにあるだろう。しかし、この未曾有の事態にソツなく対応できる政治家は、この日本にはいないと知るべきで、無い物ねだりをしても益するところはない。枝野官房長官など、良くやってくれていると思う。そもそも、この政権を選んだのは国民であるし、現在の民主党政権の前の、自民党を中心とした政権時代に造りあげたられた日本の経済・行政の仕組みが、現在進行中のいろいろな「不具合」の直接的、間接的な原因ともなっていると思う。
 
震災復興に行政のきめ細かな支援の手が届かないのは、国民の共有財産であったいろいろなサービス機関などを合理化・民営化し、公務員減らしを続けてきた結果であろう。電力会社が、技術的・専門的な業務のほとんどを、個々の部門ばらばらに下請け、孫請け、派遣社員にまかせっきりで、本社社員は営業と広報ばかりという態勢では、「想定外」の事故に対処する初動的な指揮系統など確立されよう筈もない。国家の基幹産業である電力供給を営利企業に任せるなら、それも当然のことではあるし、それを許してきたのも我々国民なのだ。福島県の農家に謝罪に訪れた東電の副社長に対して、「このホウレン草を食え」とせまらなかったのは、対応した農民の見識ではある。
 
だが、ここに行き着くまでの長い間、人生を賭して、そうした行政のゆがみや巨大営利企業の横暴と対峙してきた者の中には、はらわたの煮えくりかえる想いでいる者もいるであろう。大庭里美さんが存命であったら何と言うだろうかと、ふと想った。
 
現在建設中の原発の中でも比較的強い反対運動が起こっているのが、山口県南東の瀬戸内海の西端、周防灘に面した上関町に建設予定の「上関原発」である。特に、建設予定地の3.5 kmほど沖に浮かぶ祝島では、長い間の懐柔策にもかかわらず、漁協が漁業補償を拒否して全面対決の姿勢を維持している。調査工事を阻止すべく体を張っての反対行動もあり、最近では中国電力が、反対派の個人を相手に工事中断にともなう損害賠償を請求する民事裁判をおこしたばかりである。
 
祝島には、私自身2回訪れたことがあるが、しばしばスナメリが目撃され、カンムリウミスズメが生息するなど自然豊かな地域で、天然記念物の宝庫とされ、自然保護団体なども反対運動に加わっている。本日(3月22日)、その自然保護団体を中心とした一行が、中国電力に対して「上関原発」の建設中止を申し入れた。中国電力の幹部は、テレビの取材に対して「福島の事故を受けての感情の高ぶりからおこったものと受け止めている・・・」と語った。まだ福島原発の事故を正面から受け止められずにいるようだ。
 
「プルトニウム・アクション・ヒロシマ」を主催していた大庭里美さんは、こうした陳情・抗議行動の際に、しばしばその先頭に立っていた。英語に堪能で、海外を飛び回ってネットワークを築き、また海外からも毎年のように「運動家」を招いて討論集会を開き、英語の文献を翻訳して普及し、理論武装にも努めていた。いくつかの大学の講義にも招かれて講演されたこともあり、たまたま私の娘も大学で彼女の講演を聴く機会があったという。私自身も、彼女の語ったことから学ぶことが多かった。
 
人類は原発と共存できないという確信は、広島の被爆二世であった彼女にとって自然な発想であったろう。こうした運動に対して、感情だけが優先してトンデモな「理論」を振りかざしていると批判する、自称「専門家」達がいる。確かに彼女の確信は、価値論に基づくものである。しかし、原発のリスクを受け入れつつその益を利用すべきだとの発想も、実は、ある意味刹那的な価値論に基づいている(注1)。刹那的であるが故に、期待された価値が得られなかったり、台無しになってしまったりしても、その価値論を変えるということは期待できない。結果、世間にその価値をゴリ押しするために嘘をつく他なくなる。そのために科学が利用される。大庭さんは、そのあたりのことを良く理解し、嘘を見破るための科学的な理論武装に努めた希有な「運動家」であった。科学をなす駆動力の源泉は価値論である。そのことはまた別の機会に書きたい。
 
大庭さんは、20052月に、志半ばにして亡くなられてしまった。今、彼女が生きていたら、何を語って、どう行動しただろうか。
 
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注1)3月12日の記事でふれた台湾第3 (馬鞍山) 原子力発電所の電源喪失事故に関する報告書の中に、張俊雄行政院長の見解 (仮訳)というのがある。

その中で張氏は次のように述べている。
「台湾の原子力発電に関して問題となっているのは経済および思想ではない、台湾住民1300万人の生命の安危である。第4原子力発電所建設に関しても、我々の不安の根拠は「原子力発電所事故発生の確率は1万分の1というが、我々はその1万分の1が恐ろしい。」というまさにそれである。」

1万分の1が恐ろしくて受け入れられない」とすれば、「100万分の1にしましょう」という発想と、「100万分の1でもやはり受け入れられない」という発想があり得る。両者は価値論に基づいているので、議論しても無駄である。ただ、それが本当に「100万分の1」であるかどうかという点だけは、議論する意味があるかもしれない。
 
この、台湾の原発事故の詳細は、例えば下記を参照

トマト三昧

イメージ 1

 前回7月19日にアップした1本のトマトの顛末記です。
http://blogs.yahoo.co.jp/satsuki_327/33572495.html

 トマトはまだ沢山の実を付けていましたが、きりがないので本日引っこ抜きました。この間収穫したトマト(シシリアンルージュ)の量は、個数にして1,850個、総重量約29 kgです。露地栽培の1本の苗からこんなにたくさん収穫できるとは。ひび割れしたり、強風で落ちたり、引っこ抜く際に熟していなくて捨てたりしたのはカウントしていないので、実際はもっと多かったのです。

 写真の左列は、上から、8月中旬、9月中旬、本日引っこ抜く直前の様子(部分)です。次第に枝が伸びて垂れ下がり、後半は下へ下へと実を付けていきます。ほうっておくと地面に着くので伸びた枝を側方へ誘導しましたが、それも4mを超えて畑(花壇)の外へはみ出してしまいました。さすがに最後は、ちょっとみっともない有様に。傍の植木の上に這わせたり、ぐるぐる巻きにしたりしましたが、もう限界です。もっと広い畑がほしい。

 近所でも露地栽培のトマトは全く見られなくなりました。前回の記事で紹介したシシリアンルージュの通販サイトでも、10月1日で出荷は終わったようです。前回のコメント欄で紹介したOSATOさんのところでは、まだ青々と繁ったトマトがあり、今後の推移が注目されます。
http://blog.goo.ne.jp/osato512/e/18cea996a617eac0574161d916f842e1

 最初の頃は朱色になったら収穫していましたが、深紅になるまで4〜5日待つと格段に甘味が増すということもわかりました。晴天の日が続いた後で急にまとまった雨が降ると熟した実の一部がひび割れするので、天気予報をチェックしながら収穫のタイミングをはかります。

 量産体制に入ったのは7月13日。以後だいたい4〜5日毎に60〜80個を収穫するという安定したペースで推移しました。ほぼ3ヶ月間トマト三昧。食べきれないので近所や同僚に配るのが大変でした。

 碧猫さん経由で、どらねこさんのブログにプチトマトを使ったドライトマトの作り方が書いてあるのを知り、本日、最後に収穫した200個(約3 kg)のトマトの一部をこれにしました(写真右下はオーブンに入れる前)。
http://azuryblue.blog72.fc2.com/blog-entry-753.html
http://blogs.dion.ne.jp/doramao/archives/8437849.html

 なお、どらねこさんのブログ「どらねこ日誌」は、食の安全と健康について、大変ためになる記事が多く、時々訪問させていただいております。

 以下には、これまでにつくったトマト料理についてメモしておきます。分量は4人前です。

1)湯剥きトマトのオリーブオイル・ワイン酢漬け(写真右上)
材料:シシリアンルージュ20個、オリーブオイル大さじ1、白ワイン酢大さじ1、乾燥ミックスハーブ(バジルベース)少々、塩少々、胡椒少々

 トマトの先端に小さく十字の切れ目を入れ、煮立ったお湯に1分間ほど浸し、ザルにあげて冷水で冷まし、湯剥きする。
 蓋付の器に入れ、塩を降り、オリーブオイルと白ワイン酢を合わせ、良くかき混ぜてクリーム状にしたものをかける。最後に、乾燥ミックスハーブを散らし、好みに応じて胡椒をかける。
 すぐに食べても、冷蔵庫で数日寝かせても、それぞれの美味しさがある。

2)トマトスープの蛸スパゲティ(トマタコ:写真右二段目)
材料:シシリアンルージュ30個、パスタ320 g、茹でダコ200 g、固形コンソメ小4個、バター20g、小麦粉大さじ2、オリーブオイル少々、塩少々、胡椒少々、バジル1枚、水800 cc

 茹でダコを薄く大きくそぎ切りし、塩・胡椒をふってオリーブオイルで軽く炒めておく。
 バター10 gを鍋に入れて弱火にかけ、小麦粉を加えて黄褐色になるまで炒めてルウを作る。これに水、輪切りにしたトマト、固形コンソメ、塩少々を加え、30分煮込んでかなり濃い味のトマトスープを作る。
 パスタを茹で、バター10 gを絡めて深皿に盛りつけ、タコを乗せ、スープを注ぐ。最後にみじん切りしたバジルを散らし、スパイスをかけて出来上がり。
 湯剥きトマトでもいける。タコの代わりにイカ主体のミックスシーフードでも美味しい。スープはそのままでは飲めないほど濃い味にするのがこつ。好みに応じて生クリームを少量加えても良い。(写真はスープスパではない)

3)牛肉と野菜のトマト煮込み(トマトシチュー:写真右三段目)
材料:シシリアンルージュ600 g(約40個)、牛肉200 g、ジャガイモ200 g、人参150 g、タマネギ200 g、赤ワイン150 cc、水500 cc、固形ブイヨン小2個、白ワイン酢大さじ2、オリーブオイル大さじ1、塩少々、胡椒少々、乾燥ミックスハーブ少々

 トマトは湯剥きにし、人参、ジャガイモ、タマネギは好みのサイズに切っておく。
 牛肉はオリーブオイルで軽く炒め、赤ワインと水100 ccを加えて弱火にかけ、30分ほど煮込んでおく。
 湯剥きトマトの半量を包丁で2〜3分割して別の鍋に入れ、水400 cc、固形ブイヨン、ワイン酢、塩少々を加えて弱火で20分煮込む。
 残りのトマト(これは湯剥きを丸ごと)、牛肉、人参、タマネギを入れ、20分煮込んだらジャガイモを加え、さらに30分煮込む。
 皿に盛りつけて、乾燥ミックスハーブとスパイスをかけてできあがり。
 シシリアンルージュは甘味が強いので、慣れないうちは塩を少しずつ加えながら味を整える。煮込んでいる時にかき混ぜると酸化が促進されて味がおちるので、蓋は開けずに我慢?するのがこつ。少量の生クリームを加えても良い。

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 料理は我流で、普段は分量を計ることもなく適当につくっています。今回は記事にするために計量したので面倒でした。その分量もすぐに忘れて、次からも適当だと思います。魚料理をつくるのが好きですが、今は訳あってつくれません。

 ちょっと大きな地震がおこるとしばしば、ウェブ上や週刊誌などで、民間団体が地震予知に成功したとの話題が取り上げられる。最近はまた、予知実績ありと評判のNPO法人が「首都圏 深刻 国家総動員で態勢強化を」と呼びかけて週刊誌を巻き込んでの騒ぎになったばかりだ。
http://www.e-pisco.jp/r_ion/attention/090701.html

 先日、HAARPがらみのトンデモ陰謀論めいた「理事長見解」とともに、この予測は撤回され、批判がわきおこるとその「見解」もウェブ上から削除された。

 いわゆる「民間地震予知」のグループは大小とりまぜて国内に十数組、個人的なものを合わせると百は下らない。その多くは、95年阪神淡路大震災の経験をとおして、なんとか震災を未然に防ぎたいとの熱意と善意から生まれたもので、ウェブ上へ独自のデータや予測を発信している。主宰者の中には、震災の経験者もいるだろう。だから専門家達は、どんなにトンデモなものであっても、それを批判することをためらう。

 専門家が批判をひかえる理由は他にもある。関東地方や東海地方では近い将来かならず大地震がおこると予測されている。今日明日に差し迫っていないとしても、一、二ヶ月先に状況がどう変化するか予断は禁物だ。もし、民間から発せられた予知情報を非科学的と批判した後で、偶然にも大地震が発生してしまったら、たちまち専門家叩きの大合唱が始まるだろう。そうなったら単なる権威失墜にとどまらず、地震予知研究の今後にとって多大な悪影響をもたらしかねない。だから、私のような非専門家が言うべきことを言った方が良い。ただし、私もまた震災軽減への熱意や善意に水をさすのは本意ではない。以下に書く事は、自然科学に携わる者としての一つ提案と受け止めてほしい。

どのような地震予知情報が役立つか
 よく知られているように、地震予知(注1)は、1)いつ、2)どこで、3)どれくらいの規模の地震がおこるかを三点セットで明確に示す必要がある。そのいずれかが欠けても、具体的にどう対処したら良いか判断できないからだ。それだけでなく社会的な混乱さえ招きかねない。

 大規模地震対策特別措置法の中の地震予知関連の条文は、東海地震を予知するためだけに整備されていて、その他の地域の地震予知は想定されていない。そして、(本当かどうかわからないが)東海地震だけは予知できるとの前提で、あらゆる事態がシミュレーションされている。「判定会」が前兆現象をクロと判断したら、内閣総理大臣名で、国権を発動して「地震防災対策強化地域」において一種の戒厳令が敷かれる。鉄道やバス・タクシーの運行は停止され、銀行のATM もストップ、病院の外来診療も中止される、等々。

 そのため、ここで言われる「予知」とは、確率予測ではなく、東海地震があるかないかを明確に断言する「短期的直前予知」である。そうでなければ、強制措置を発動する根拠として説得力がないからだ。そして、パニックによる防災機能の麻痺を回避して震災軽減を実現するには、そのような計画的・強権的な社会活動の制御が不可欠であると考えられている。仮に予知が不発に終わった場合、当然ながらその損失は国家が保証することになる。

 さて、「民間地震予知」のグループからしばしば発せられる「予知情報」は、ほとんど全て曖昧な内容ばかりである。曰く「○○の地域において○月末までにマグニチュード6〜7程度の地震が起こる可能性が高いので注意するように」。こんな予知情報に接したらどうしよう。よくある「落石注意」のようなものか。「可能性が高い」とは、どれくらいの確率なのだろう。マグニチュード6と7では地震のエネルギーは32倍も違うし、震源の深さ次第で最大震度も大きく異なってくる。地震に神経質になって、最悪のことを想定して仕事を休み、家族で避難しようとする者も現れるかも知れない。

 こうした予知情報は、しばしば、成り行き次第で予測内容が変更されたりする。いつ、そしていつまで避難したら良いだろう。結果、予測がはずれたら訴訟沙汰も起こるかもしれない。自己責任だとの言い逃れは通用するだろうか。

 実は「気象業務法」というのがあって、気象庁の許可を受けずに勝手に地震予知をやって公表したりしてはいけないことになっている。
http://www.houko.com/00/01/S27/165.HTM#s3

第17条 気象庁以外の者が気象、地象、津波、高潮、波浪又は洪水の予報の業務(以下「予報業務」という。)を行おうとする場合は、気象庁長官の許可を受けなければならない。

違反したら、罰則規定もある。
第46条 次の各号の一に該当する者は、50万円以下の罰金に処する。
2.第17条第1項の規定に違反して許可を受けないで予報業務を行った者

「業務」として行うのでなければかまわないという解釈もあるが、これらの条文は、社会に無用な混乱がおこることを避けるために設けられたと解すべきだ。素人であっても、その辺りのことは真剣に考えた方が良いと思う。

「民間地震予知」は、進歩しているか
 東海地震の予知態勢に組み込まれている「伝統的」な地震予知は、前震の観測や地殻応力の測定、GPSによる測地などを併用した、いわゆる「地震学的手法」によるものである。しかし、文献1を読むと、これまで専門家によって科学的に捉えられた地震の前兆現象には実に様々なものがあることが分かる。その中でも有力視されているのは、地電流の観測(ギリシャで成功したとされるVAN法)、井戸水位の観測(産総研が大規模な実験を行っている)、湧水中のラドンの観測(兵庫県南部地震の際に前兆として捉えられた)などである。しかし、いずれも実用レベルとはほど遠い段階にある。

 また、地震の専門家でなくとも、それなりに科学的な手続きを踏んでなされた研究から、多様な前兆現象が捉えられている。一例を挙げれば、東京都水産試験所による10年あまりの研究の結果、ナマズには確かに地震の前兆を捉える能力のあることが示されている。ナマズの電気的感度は「琵琶湖に乾電池が1個投げ込まれたとき、そのことを数キロメートル先で感知できる」ほどであるという。しかし、その研究は打ち切られてしまった。なぜなら、先に掲げた地震予知の三要素を満足する結果を得るのは絶望的であることが明らかになったからである。

 一部のトンデモ(注2)を除くと、多くの「民間地震予知」は、それらのいずれかと何らかの関係のある前兆を捉えようとしているようだ。しかし、そのほとんどは、当事者が「未科学」であることを口にするほどレベルの低いものである。専門家でもなく資金も十分でないとすれば、レベルの低さ自体は決して批判されるべきことではないのだが、成功例とされたものは、本当に成功と言えるのか、それが偶然に当たったように見えるだけではないかという点は大変気になる。成功例を誇示する一方、失敗例を隠す傾向が伺われるが、これでは自ら進歩の機会を失うことになるだろう。

 「気象庁一元化地震カタログ」(注3)から、2000年1月1日〜2007年12月31日の8年間に日本付近で起こった、震源の深さ40 km以浅、マグニチュード6以上の地震を検索すると60回に及ぶ。同じ場所でたて続けに起こった地震を一つとカウントすると、平均1.9ヶ月に1回の割合である。そこで、偶数月の1日、例えば2月1日、4月1日・・・がやってくる度に、「一ヶ月以内にマグニチュード6以上の地震が日本周辺で起こる」との予報、つまり、上記8年間に48回の疑似予報を出すとする。予報が出されたその月に2回以上の地震がおこっても当たった回数を1回と数えよう。そうすると、このいい加減な予報が偶然に当たった回数は21回であった。44%の確率で当たったことになる。

 地域を限定しなければ、こんないい加減な予報でも結構「当たる」のだ。地域をある程度限定してもマグニチュードの下限を下げれば同程度の確度になる。要は、警報が出される頻度をその予知システムの感度を調整して地震の頻度に合わせようとする限り、どんなにデタラメな予報を出したとしても同程度の確率で当たることになる。

 また、一度出した予測内容を状況に合わせて途中で変更することはやってはいけない。これでは何が予測されたのかわからなくなり、システムの問題点が見えなくなってしまう。「予知」に関する限り、ポパーの反証可能性ということを真剣に考えるべきである。つまり、予め、予知の成功と失敗の基準を明確に定めて望むべきである。そしてその基準は、その予報が、不安を煽り、社会的混乱を引き起こすマイナス面を凌駕するような積極的な側面があるかどうかという観点で定めるべきである。

 最後に、この10年の間に「民間地震予知」の進歩はあったのかと問われれば、私自身は全くなかったと考えている。その原因は、つまるところ、科学的とはどういうことかについての自省が不足しているからだ。

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注1)いわゆる「地震予知」には、数ヶ月先までの確率予測を出すものから、一週間以内の地震についてあるなしを断言する「直前予知」まで様々なレベルがある。これとは別に、「中・長期的地震予測」と言われるものがあるが、これは、歴史地震や活断層の調査・研究から、特定の断層やプレート境界の「固着域」毎に地震の再来周期を見積もり、数十年スパンでの地震の規模と発生確率を予測する。

注2)個人の体調不良を基にしたり、電卓のエラー表示を地震に結びつけたりするものなど多数。例えば下記は、常温核融合の応援サイトにリンクされている真性の「トンデモ」。
http://www.ailab7.com/index.htm

注3)地震のデータは「東京大学地震研究所地震予知情報センター」の下記サイトから得ることができる。
http://wwweic.eri.u-tokyo.ac.jp/CATALOG/index-j.html

文献1:「地震予知 ―発展と展望−」力武常次著 日本専門図書出版2000年

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