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前回、天然放射能と人工放射能の違いについて、人工的な放射能環境においてのみホットパーティクルが形成可能であること、また、この点を除いて本質的な違いはないことを述べた。ここでは、ホットパーティクルが形成され得る条件について、比放射能ー存在度(濃度)図を用いて天然と人工の放射能環境を具体的に比較し、まとめとしたい。
自己遮蔽効果
先ず、前回にもふれた「自己遮蔽効果」について、改めて注意を喚起したい。近年、劣化ウラン(DU)の生物学的影響を評価するための一連の動物(マウス)実験が、米軍主導のもとに行われてきたが、そこでは、ミリメートルサイズのDUペレットが用いられた。
Long-Term Health Effects of Embedded Depleted Uranium(John F. Kalinich, 2010)
この実験で用いられた直径1mm、長さ2 mmの円筒形DUペレットの全放射能は、比重を20とすると、およそ1380 Bqとなる(注1)。このうちα壊変は590 Bqを占めるが、α線の飛程はDU中では12μm程にすぎないので、この飛程よりも深い内部で生まれたα線は、ペレットの外へ抜け出ることができず、実質的には放射されないことになる。
概算すると、放射壊変によって生み出されたα線の中で、実際にその外部へ放射されるのは全体のおよそ3%の18 Bq相当にすぎないことがわかる。生み出された全てのα線が放射されるためには、粒子の直径がその物質中でのα線の飛程より小さくなければならない(図1参照)。β線についても同じことがあてはまる。米軍の実験は、この点で大きな誤魔化しがある(注2)。
図1 「自己遮蔽効果」を示す模式図。
大きな塊の放射性物質(図の灰色)の内部で生み出された粒子線(α線やβ線)は、図中の円の半径で示した飛程より遠くへは届かないので、この円が物質からはみ出している一部の方位領域へしか放射されない(下段の円)。たとえ物質表面から放たれたものでも、その半分しか放射されない(上段の円)。
サイズさえ大きければ天然の物質でも大きな放射能を有することになるが、その危険性という点では限界があるのである。ホットパーティクルの危険性の本質は、それが微粒子であることにもよる。一方、大きな放射能を有する微粒子が形成可能であるためには、核種の比放射能(単位質量あたりの放射能、ここではBq/g)が大きいことと、その存在度(濃度)が高いことの両方が必要になる。また、ホットパーティクルという概念が生まれた趣旨に照らして言えば、その危険性が、少なくとも一ヶ月程度は持続する性質のものでなければならない。
比放射能ー存在度図
図2は、横軸に比放射能(Bq/g)の常用対数値、縦軸に存在度(重量濃度:ppm)の常用対数値をとったグラフである。縦軸は濃度なので、このグラフの目盛では6(100万ppm=100%)が上限になる。この座標系では、右側ほど比放射能が大きく、上側ほど存在度が大きいので、右上ほど放射能が大きいということになる。また、右側ほど半減期が小さく、短寿命である。
ここに、平均地殻中の種々の放射性核種、閃ウラン鉱の全放射性核種を合わせた値、前回の記事で紹介した、海水中、およびアスベスト禍による悪性中皮腫患者の肺組織に形成されたフェリチン中のRa-226、使用済み原発燃料の核分裂停止5日後と1年後に含まれる放射性核種の値をプロットした(注3)。
平均地殻中の放射性核種としては、U-238、U-235、Th-232、および K-40が重要である。このうち、K-40は、カリウム同位体全体の0.012%(1万分の1)にすぎず、しかも、常に安定同位体のカリウムとともに挙動する。このため、カリウムは平均地殻中に豊富に存在するが、比放射能は最も小さな値となる。一方、残りの三種は、それぞれの壊変系列に属する中間娘核種が永続平衡に達して、右下方向へ連なる同一放射能の一つの直線上に配列している。
天然で最も高い放射能値は、閃ウラン鉱の、ウラン系列とアクチニウム系列の全ての核種を合算して示した値である(図の左上の青四角)。その中のウランだけをプロットすると、使用済み核燃料のウランとほぼ同じ位置(左側の赤丸)になる。
使用済み原発燃料に含まれる放射性核種は、天然の放射性核種の比放射能の範囲に含まれるが、半減期が2時間未満のものは核分裂停止後5日を過ぎるとほとんど消滅する。同様に、半減期が6日未満のものは1年後にはほとんど消滅する。
これらの核種は、天然でも人工でもいろいろな条件において濃縮・凝縮したり、希釈・拡散したりするが、すくなくとも天然核種は、それらの取り得る値には限界があると考えて良い。特に短寿命核種は、天然の条件でおこる元素の移動速度に限りがあることから、濃縮や拡散のおこる範囲も限られてくると考えて良い。図3には、自然環境下で実現可能な天然核種の範囲と、ホットパーティクルの材料となり得る範囲を示している。
天然で最も濃縮されたウランは閃ウラン鉱(UO2)として存在している。ウラン系列の中〜短寿命核種の天然における存在度の上限は、閃ウラン鉱中のウランの放射壊変によって生み出される平衡濃度と考えて良い。閃ウラン鉱が分解され、ウランから隔離されると、それらの核種は放射壊変によって減少するとともに、平均地殻物質によって希釈される。全体として、天然の環境では、平均地殻の濃度を中心としてプラスマイナス6桁(100万倍、および100万分の1)の範囲のものになるであろう。実際、この範囲を超える物質は、おそらく知られていない。
一方、人工核種については、例えば原発のメルトダウン事故によって低沸点の核種が蒸発し、その後凝固することによって、元の使用済み燃料中より高い濃度にまで濃縮された粒子が生成され得る。ホットパーティクルの一部は、このようにして生成されるのであろう。図に示したホットパーティクルの材料となり得る範囲の下限(左下の境界輪郭線)は、1ナノグラムの粒子の放射能がおよそ0.001 Bqとなる濃度とした。また、半減期が5日以上の範囲に限定した。
図3に明らかなように、天然の環境では、ホットパーティクルは生まれ得ない。この点が、天然放射能と人工放射能の決定的な違いであり、ホットパーティクルは、生命にとっては未知の物質と考えて良い。また、天然の放射能と人工の放射能のこれ以外の差異は、おそらく何もないのではないかと思う。
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注1)DUのウラン同位体の存在度を、U-238を99.75%、U-235を0.25%、U-234を0.0027%とし、また、ウラン系列のTh-234とPa-234、およびアクチニウム系列のTh-231が放射平衡に達しているとして、それらのベクレルを合算したもの。
注2)他にも、寿命の短いマウスを用いて寿命の長い人間の発がん影響を評価するすることはできないとの批判もある。
注3)使用済み核燃料に含まれる放射性核種の存在度については、平成23年6月に原子力災害対策本部が公表した東電原発事故による放射性元素の放出量についての表にリストされている核種を中心に、核分裂収率などから計算した。前提として、Wikipediaの「放射性廃棄物」のページの以下の記述にある条件を採用した。
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科学と認識
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前回(その1)では、天然の放射性核種と人工の放射性核種に化学的な違いはあるが、Svという共通の尺度で比較可能というところまで書いた。しかし、現実に存在し得る放射性物質について整理してみると、ホットパーティクルだけは、人工の放射性物質特有のものであることがわかる。しかも、これによる内部被曝においては Svという尺度が無意味なものになる可能性さえある。
天然の放射性核種からもホットパーティクルは形成され得るのではないかとの疑念も生じようかと思うので、ここではそのことを中心にまとめるが、まずは定義などについて整理しよう。
ホットパーティクルの定義など
ホットパーティクルについてATOMICAでは次のように説明している。
この説明は、故意ではないかと思えるほど見事にポイントを外している。もともと、hot
particleという概念は、既に1960年代には現れていたようであるが、その危険性が広く認識されたのはTamplin and Cochran(1974)の研究による。
以前にもこちらでとりあげたが、小出裕章氏による「プルトニウムという放射能とその被曝の特徴」と題する資料に詳しい解説がある。
Tamplin と Cochranの論文タイトル"A report on the inadequacy of existing radiation protection standards related to internal exposure of man to insoluble particles of Plutonium and other Alpha-emiting hot particles." が示すように、その危険性の本質は、この微粒子が不溶性であることに由来する。単位質量あたりの放射能(比放射能)の高い(半減期の短い)核種を濃縮した不溶性の微粒子が体組織内の一箇所に長期間留まり、その周囲の細胞群に放射線を打ち込み続けることで病変を引き起こす危険性が極めて高くなると考えられているのである。
例えば、直径1 μmのPu-239の酸化物粒子(PuO2、比重10)の放射能を計算すると、
0.0106 Bqとなる。Pu-239の線量換算係数は、特に吸入摂取において1.2E-4 Sv/Bq(0.12 mSv/Bq)と高く、8.3 Bqの吸入で実効線量1mSvに達してしまうが、それでも0.0106 Bqという値は取るに足らないレベルのように思える。しかし、この微粒子の周囲の半径50 μmほどの範囲にある細胞群が、およそ95秒に1回、1日あたり916回のα線銃撃を何年もの間受け続けると考えると侮れない。
そこで、このようなホットパーティクルが天然の物質からも形成され得るか検討してみよう。
天然物質からなる微粒子の放射能
天然に普通に存在する物質で質量あたりの放射能がもっとも高いのは閃ウラン鉱(UO2)であろう。閃ウラン鉱は、代表的なウラン鉱石のひとつで、日本の花こう岩も微量ではあるがこの鉱物を含むものが多い。閃ウラン鉱は最大88%のウランと、ウラン系列、アクチニウム系列の短寿命核種を含むので(残りは酸素)、これをもとに直径1μm、比重10の閃ウラン鉱粒子の放射能を計算すると、8.26E-7 Bq となって、同じサイズのプルトニウム酸化物粒子の12800分の1となる(注1)。これではとても「ホット」とは言えない。しかも、酸化的な環境下では比較的溶解度が高い。
粒子サイズを大きくすると当然放射能は高くなるが、数十μm を超えるあたりから自己遮蔽効果が高まり、粒子内部で生み出されたα線やβ線がその粒子の外部へ抜け出ることができなくなるという事情のため、大きな塊は質量の割には放射線量が低いということになる。微粒子が問題とされるのはそのためでもある。
では、もっと短寿命で比放射能の高い核種の濃集したホットパーティクルは、天然では形成され得ないだろうか。
近頃、岩盤浴などの用途として「ラジウム鉱石」なるものが販売されている。ふつう、元素名を冠した「○○鉱石」は、その元素を主成分として含む鉱物・鉱石を意味するが、ラジウムを主成分とするものは天然には存在しない。ラジウム(Ra-226:半減期1600年)は、U-238(半減期44.7億年)のごくゆっくりとした放射壊変によって生み出される一方、その280万倍もの早さで崩壊してしまい、結果的にラジウムの重量濃度はウランの300万分の1になってしまうからである。もっと半減期の短い核種はさらに低濃度となる。
結局、天然では比放射能の高いものほど存在度が小さいという関係にあるので、天然物質のホットパーティクルは通常は形成され得ないということになる。ただし、特殊な条件下において、天然の短寿命核種を濃縮した微粒子が形成され、それによる内部被曝が大きな脅威になり得るという最近の研究成果があり、ネット上でも話題になったので、その概要を記しておく。
天然の短寿命核種が濃縮された特殊な事例
岡山大学地球物質科学研究センターの中村栄三氏らは、アスベスト禍によって悪性中皮腫となった患者から切除された肺組織について、種々の先端的手法を駆使した分析を行い、病変のおこるメカニズムについて研究をおこなってきた。その結果、鉄分の多いアスベスト(青石綿、茶石綿)が肺組織内に突き刺さって長期間滞留していた周囲に含鉄タンパク質小体(フェリチン)が形成され、そこに天然の放射性元素であるラジウム(Ra-226)が高濃度(海水中の 100万〜
1000万倍)で濃縮されていることをつきとめ、これによる局所被曝が悪性中皮腫の原因ではないかと推定した(注2)。
1.悪性中皮腫患者には、乾燥肺組織1 g あたり数千〜数十万の鉄質アスベスト小体が存在し、その周囲にフェリチンが形成されている。
2.フェリチン中に多数のフェリハイドライト(Fe5HO8・4H2O)微粒子が形成され、ラジウムはその成長とともに経時的に取り込まれる。
3.ラジウムはフェリハイドライトの結晶構造に取り込まれているので、その崩壊で生じるラドン(Rn-222、半減期3.8日)も揮散せずに、Pb-210(22.3年)に至るまで4回のα崩壊が放射平衡に達する(実際には2回のβ崩壊を含むが論文では無視されている)。
海水中のラジウム濃度はおよそ1.3E-10 ppmで(注3)、その1000万倍に濃縮されたとしても、フェリチン中のラジウム濃度は0.0013 ppmにすぎない。一つのフェリチンを直径10 μm、比重1.5とすると、ラジウム(Ra-226)および、系列5核種の合計の放射能も 2.24E-7 Bq であるにすぎない。これだと、さすがにホットパーティクルとは呼べないので、代わりにラジウム"ホットスポット"と称されている。
この2.24E-7 Bqという放射能は、低すぎて問題にならないと思われるかもしれないが、その影響は長期間にわたって半径50 μmの範囲に集中するので、この領域の単位質量あたりの吸収線量は、α線(平均5.99 MeV)だけで年間 8.64E-3 J/kg (Gy)にもなる。α線の放射線荷重係数は20なので、局所的な線量密度がリスク要因になるとすれば、潜伏期間(20年以上)の蓄積量は危険なレベルとなり得る。
しかし、全体としてみれば、病巣周辺に100万のフェリチンが形成されていたとしても合計の放射能は0.224 Bq にすぎない。悪性中皮腫が、このように僅かな放射能によっても高率で発生するとすれば、もはや内部被曝において Svという単位は何らの意味も持たないことになる。人工の、もっと高い放射能の(本物の)ホットパーティクルなら、なおさらそのリスクは高いということになる。
β核種ホットパーティクル
Tamplin と Cochranは、もともとα核種からなるホットパーティクルの危険性を説いたのであるが、東電原発事故で放出されたα核種による汚染量は、福島県内であってもせいぜいがグローバルフォールアウトと同程度と見積もられる。一方、β核種が濃縮した微粒子であっても、拡散した状態におけるよりははるかに危険性は大きいと考えられる。
本年8月14日に福島第一原発4号機施設で1 cm3 当たり77000 Bqのセシウムを含む汚染水が4.2 m3 漏れるという事故があった。仮にCs-137とCs-134の放射能(Bq)の比率を2:1とすると、この汚染水のセシウムの重量濃度は0.016 ppmとなる。
このような汚染水の放射能除去には、通常、セシウムを吸着濃縮する粘土鉱物などが用いられる。その濃縮率は最低でも10000倍はないと使い物にならないので、使用済みの粘土鉱物の放射能は相当高くなっていると考えて良い。Cs-137を0.1%含む、直径1μm、比重2.5の微粒子の放射能は0.0042 Bqとなるが、層状珪酸塩である粘土鉱物の微粉末は飛散し易いので、厳重な管理が望まれる。
まとめ
しばしば指摘されるように、「全体」は「部分」の単なる集合ではない。原子核中の陽子が一つ増えただけで、希ガスからアルカリ金属という両極端の性質の元素に転化するのは好例であろう。
放射線被曝は、基本的にはα・β・γ線の作用によるものであって、天然の放射線も人工の放射線もなんら異なる点はない。個々の核種も、天然と人工で、決定的に異なる点は特に見あたらない。一方で、天然の放射能と人工の放射能の具体的な態様は確かに違う。しかも、ホットパーティクルによる内部被曝のリスクについては Svという尺度が役に立たない可能性も指摘されているのである。
ホットパーティクルの危険性については依然として未解明のことが多いが、現実に存在し得る天然放射能と人工放射能が実体論的に違うのである以上、少なくとも科学者であるなら、物理的性質は何も違わないと言って終わるのでなく、「物質科学的に違う」という前提に立った丁寧な議論が必要だというのが、この記事の趣旨である。
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注1)U-238系列14種、 U-235系列11種の系列核種が全て永続平衡にあるものとし、それらを合わせた値として求めた。
注2)文科省記者クラブ発表資料(2009/07/27)
原著論文はこちら
注3)海水の組成
海水のラジウム濃度の1.3E-10 ppmという値がどのようにして求められたのか分からないが、上記サイトにある海水中のウラン濃度(0.0032 ppm)と放射平衡にあるラジウムの濃度を求めると、
1.08E-9 ppmと8倍多い値になる。ウランは酸化的な環境中では水に溶け出し易く、ラジウムは鉄・マンガンクラストに吸着され易いので、1.3E-10 ppmという濃度はありそうな値ではある。海水の化学組成は血液に近いとされているので、比較の対象として持ち出されたのだろう。
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はじめに
東電原発事故で放出された放射能による低線量被曝のリスク評価をめぐって深刻な対立が続いている。リスクを管理する側である、行政・官僚の視点(論理)ではなく、その受容を迫られる側である被災者・市民の視点(論理)に立って思いつくところを列挙すると以下のようなものだろうか。
1.たとえどんなに低いレベルでも、低いなりの危険性がある。
2.危険性については良く分からないが、どんなに低くても安心できない。
3.法令にある1 mSv/y未満の上乗せなら我慢しようが、それ以上我慢しなければならない謂われはない。
4.不安はあるが20 mSv/y 以下なら国に協力して生活に気をつけながら我慢しようと思う。
5.国が言うのだから、20 mSv/y 以下なら大丈夫だと思う。
6.100 mSv/y 以下ならあまり気にしない。気にしすぎてストレスをためる方がよほど問題。
7.100 mSv/y 以下ならホルミシス効果で却って健康に良い。
他にもあるに違いないが、このように意見が分かれるのは、専門家の見解そのものが多様であることから来ているのだろう。そして、お互いに罵詈雑言をもって非難し合っているのが現状だ。リスクは大きいと主張する側(以下、「危険側」)は、低線量被曝のリスクは基本的に未解明であり、予防原則に則って、特に子供の命を守れと主張する。リスクは小さいと主張する側(以下、「安全側」)は、未解明だとしてもリスクは青天井ではない。不安を煽るのは却って健康リスクを増やし、犯罪的ですらあると主張する。
それにしても不思議に思うことは、あたかもリスク管理者であるかのようにふるまって、異なる意見の者に説教を垂れる人々が多いことである。
問題は天然放射能と人工放射能の違い
両者の意見にはどちらにもそれなりに根拠とされるものがあるが、結局のところ、その溝が埋められないのは、どのレベルから「青天井」と評価するのか、クロ、グレーゾーン、シロの境目をどのレベルに設定するのかといった具体的な点を議論しようとしても、共通の土俵に立つことを阻む要因があるからだ。
1〜2 mSv/y 程度の線量に不安を抱く者に対する「安全側」の決め台詞が、「自然放射線のレベルだから気にしなくて良い」、というもののようであることからすると、自然放射線量が「青天井論」の一つの目安になっているのだろう。中にも、インドケーララ州(注1)やブラジルのグァラパリ(注2)の、平均3.5 m〜5.5 mSv/y を持ち出したり、あるいは、それらの地域の上限値を持ち出したり、もっと放射線量の高い、しかも平均寿命の低い過疎地域の特殊な例が参照されたりもするので一筋縄ではいかないのであるが、いずれにしても、自然放射線量との比較が決め台詞として有効だと思われているとすれば、それは全くの勘違いである。
なぜなら、「危険側」の人々の多くは、理解の仕方は様々であるにせよ、天然の放射能と人工の放射能は違うので単純には比較できないと考えているからである。そもそも、ほとんどの人は、今や自然の放射線レベルについての基本的な知識はあるのだから、この期に及んでそれを持ち出すのは、素人をバカにした態度である。
天然の放射能と人工の放射能は違うという考えから、空間線量が自然放射線のばらつきの範囲内のものであってもこれに恐怖を抱く、あるいは、体内に取り込まれる放射能が、もともと生体必須元素として常駐しているカリウムなどの放射能レベルに比べて取るに足らないものであってもこれを恐れ、その防御のために大変な労力を割いている人々がいる。自然放射線と人工放射線、あるいは外部被曝と内部被曝による影響を Sv という尺度で統一的に語る事を拒んでいる人々も少なくはないのである。彼らにしてみれば、味噌もクソもいっしょくたにしているということになる。
「天然と人工は違う論」の背景
このアイデアは、生命は、長い進化の途上で天然の放射能に対する防御の仕組みを備えてきたが、人工の放射能への備えはないに違いないという発想に根ざしている。こうした発想は、例えば単体元素の化学毒性は、地殻中、あるいは海水中の元素存在度の小さなものほど大きいという、生命誌や地球化学や表層環境化学の教科書に記述されているような経験則とも合致しており、例外はあるものの、それ自体は決して無視して良い暴論というものではない。
地球創生期の頃は放射性核種の存在度は今よりずっと高く、強い宇宙線や紫外線も降り注いでいて、生命は、誕生した40億年ほど前から10億年以上もの長い間、海底下で細々と生きながらえてきた。その後始生代末期(26億年ほど前)に地球液体核の成長とともに地球磁場が誕生してバンアレン帯が形成され、宇宙線の大部分がカットされるようになると、太陽光線が届く浅海において光合成で酸素を生み出すシアノバクテリアが爆発的に増殖した。海水中の鉄が酸化されて大規模な縞状鉄鉱床が形成されたのはこの頃である。20億年ほど前に存在した中央アフリカのオクロ天然原子炉の形成は、遊離酸素の増加による堆積岩中の酸化・還元状態の多様化に起因しているが、この頃に真核生物も出現している。やがて大気中の酸素量も増加して、顕生累代に入った5.4 億年ほど前になるとオゾン層が形成され、紫外線もカットされるようになり、やっと陸上生物が出現したのである。
地球と生命の共進化の歴史をこのようにふり返ると、生命というものは、本質的に放射線や紫外線に弱く、その減少とともに、ぎりぎりのところで今日の繁栄を築いてきたと言える。その進化の過程では、放射線によって損傷した遺伝子の修復機能も発達してきたと考えられ、実際、その修復機能は高等動物において優れていることがわかっている。もし、人工放射能が、天然のものとは異なる物理化学的性質を有するとすれば、それへの備えは生命の進化の過程では獲得され得なかったと考えるのも故なしとは言えないであろう。
なお、オクロの天然原子炉で生まれた核分裂生成核種は原子力発電所で生み出される放射性核種と全く同じものであるが、全て半減期が短いために、地球史の時間スケールではあっという間に消滅してしまった。また、核燃料となるU-235はU-238よりも半減期が短いために同位対比が減少し、その後二度と天然原子炉が形成されることはなかった。したがって、その後の20億年におよぶ進化の歴史を経て様変わりした今日の生物界にとっては、原爆や原子力発電所で生み出される放射性核種は、実質的に天然には存在しないものとみなして良い。
天然の放射性核種群と人工の放射性核種群との間に物理的な差異はない
以上に述べたことは状況証拠に過ぎない。やはり具体的なメカニズムに即した説明が必要であろう。この点、放射線の生物学的影響は、中性子線が問題となる核爆発や臨界事故を除けば、基本的にはα・β・γ線の作用によるものであって、天然の放射線も人工の放射線も特に異なる点はないとする反論がある。
また、天然の放射性核種群と人工の放射性核種群の物理的差異という問題設定でも、本質的には何も違わないと言える。唯一の違いは、自然放射線への寄与率の大きな親核種であるU-238, U-235, Th-232, K-40の4種が、何れも半減期が億年〜百億年単位の長寿命のものばかりという点である。しかし、K-40以外の3種は壊変系列をなし(注3)、それらは、極短寿命のものから中〜やや長寿命のものまでの様々な放射性中間娘核種を生じる。人工の放射性核種の半減期は、ほぼそれらの範囲内にあり、Pu-239もα壊変して天然にもあるU-235となる。
放射線のエネルギー領域にも特段の違いはない。そのため、γ線スペクトロメトリ−においては、エネルギー分解能が低いと天然、人工入り乱れての核種の同定ミスも起こる。また、あるエネルギーのβ線を捉えたとしても、それがどの核種から放射されたものかを一義的に決めることはほぼ不可能である。当然、生体はそれらを識別できない。
くり返すと、核種レベルでの物理的性質を比較する限り、両者に本質的な違いはないと言える。核爆発や原発事故で問題となる人工放射能の特徴は、高濃度で生み出された短寿命核種によって、空間線量率が天然ではあり得ないほど高くなる点であるが、それも自然放射線のレベルにまで下がればもう問題はないとされる所以である。
化学的な性質は違うが被曝線量はSvという共通の尺度で比較可能
一方、放射性元素の化学的性質については、天然核種と人工核種で個々に個性があり、内部被曝において大きな違いが生まれるとの主張がある。たとえば、市川定夫氏(埼玉大学名誉教授、放射線遺伝学)は、セシウムは生体必須元素であるカリウムと同じアルカリ金属に属するのでカリウムと混同されて生体に取り込まれるものの、生物学的半減期が長いために人体中に濃縮され、健康へのリスクは大きいと主張している。
天然放射能と人工放射能は違う! (YouTube)
たしかに、セシウムとカリウムの体内動態は大きく異なっている。前回の記事でもふれたように、生体必須元祖であるカリウムは体内濃度が0.2%程になるよう強力に制御されているが、無用な微量元素であるセシウムは、基本的には摂取量に依存して体内蓄積量も決まってくる。
人体中でのセシウムの挙動、特に蓄積平衡量やカリウムとの比較については、学習院大の田崎晴明氏による「食品中のセシウムによる内部被ばくについて考えるために」というページに良くまとめられている。
また、甲状腺へのヨウ素の濃縮や、骨組織へのストロンチウムの濃縮も天然核種では問題にならなかった現象である。
しかし、いずれにしても、それらの被曝影響が Sv という単位で統一的に把握できるものである限りにおいて、天然、人工にかかわらず相互に比較可能であり、内部被曝についても、自然の状態と比較してどれほどのリスクがあるのか議論可能である。したがって、冒頭に示した問題設定において、これらの違いが問題になることはなく、「青天井」のレベルについても議論可能なのである。
さて、表題にある通り、私は天然放射能と人工放射能に本質的な違いがあると考えているので、次回は、ホットパーティクルの取り得る放射能レベルという観点でその違いを述べてみたい。
(続く)
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注1)ケーララはインド南西沿岸部の州。海岸の砂浜にはモナザイトが多く含まれ、平均の放射線量は3.5 mGy/y とされる。市川定夫氏によると、ダウン症が多発しており、生まれる子供の性比にも偏りがみられるという。なお、インドの2009年時点の平均寿命は65歳である。
注2)グァラパリはブラジル沿岸部の人口10万人あまりの観光都市。Wikipedia には以下の記述がある。
なお、ブラジルの2009年時点の平均寿命は73歳である。
注3)Pu-239を親核種とし、天然のU-235を経由するアクチニウム系列、U-238を親核種とするウラン系列、Th-232を親核種とするトリウム系列があるが、その詳細についてはWikipediaや理科年表を参照のこと。
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以下に書くことは、松田まゆみさんのブログに掲載の記事、「再度、菊池誠さんの野呂美加さん批判とEM菌について」(2012年1月23日)へ私が批判的なコメントをしたことに端を発した一連のやりとりを受けての吉岡英介さんからの反批判に応えるためのものです。
松田さんの上記エントリーは、菊地誠さんによる野呂美加さんの「ニセ科学」を批判する、その姿勢に向けられています。同趣旨のエントリーとして「菊池誠さんの野呂美加さん批判は科学的か?」(2011年10月20)があり、今回の記事では、論旨を補強するために、参考になる事例として吉岡英介さんのウェブサイトにある「乳酸菌噴霧で玄米の放射能が4分の1に減った」と題する記事にリンクが張ってありました。
私は、最初のコメント(2012年01月25日 00:02)の冒頭で次のように書きました。
私の批判を受けいれて、松田さんは記事の該当部分に消し線を入れて訂正されました。そこで、二回目のコメント(2012年01月25日 21:26)に、次のように書きました。
Wikipedia の「サプリメント」の項に以下の記述があります。
また、「健康食品」の項には次のように書かれています。
厚生労働省から認可されたもの以外の食べ物は全て「食品」であり、効果・効能を書くと薬事法違反になります。口にするもので効能・効果を謳うことができるのは、長期に渡る副作用の有無などを含む厳しい科学的な検証を経なければならないのです。なぜこのように厳しい規制があるのかは説明を要しないと思います。たとえ売って儲けるためのものでないにしても、それを他人に勧めようとする者は、この薬事法や食品衛生法の趣旨を十分理解し、配慮しなければならない筈なのです。特に、組織的・大々的に宣伝している者がそれを怠るなら批判されて当然です。
ここで「厳しい科学的なチェック」が問題になる以上、どうしても「ニセ科学」批判が紛れ込むのですが、そうした批判に対して、「科学理論は絶対ではなく、未知の現象が潜んでいる可能性はゼロではないのだから、その批判はおかしい」との反批判が必ず出てきます。しかし、この反批判は、薬事法及び食品衛生法の趣旨に照らして無効です。もちろん、現在の科学理論は絶対ではなく、未知の現象が潜んでいることは当たり前のことだし、サリドマイドのように、毒が薬になったりすることもあり得るでしょう。しかし、「科学理論は絶対ではなく、未知の現象が潜んでいる可能性がゼロではない」ことをもって、その食品が安全であることを保証することにはならないのです。そのことは、いわゆる「代替療法」にも言えることです。
そうしてみると、本来、このことには「ニセ科学」批判さへ必要のないことかもしれません。特に、科学者ではない一般の方が、実体験に基づいていろいろな現象を解釈するかぎりにおいて、いちいち名指しで「ニセ科学」批判の文脈から批判することは、場合によっては避けなければならないこともあるでしょう。しかし、社会的に一定の影響力のある公人や組織が公に宣伝している内容については、その誤りを知ってしまった者には、知ってしまった者としての責任があると、私は考えています。逆に、知らなかったでは済まされないこともあるでしょう。
私が言いたかったことは以上です。
ついでに、私が批判の対象として指摘した二例について、少しだけコメントを追加しておきます。
1)飯山一郎氏の「米のとぎ汁乳酸菌」
飯山氏のHPには、今では「米のとぎ汁乳酸菌」というタイトルは表に出てきません。代わりに、放射能浄化で宣伝されているのは、 『光合成細菌』で放射能浄化!のようです。このサイトの説明を読む限り、飯山氏は、乳酸菌と共存する光合成細菌が放射性物質を濃縮すると主張していて、放射能を無害化するとは言っていないようです。この説を補強する証拠として、下記にリンクがあります。
実際、飯山氏は、「問題は,放射能を体内に取り込んだ光合成細菌を,どう処理するのか? そして,コスト(経費)である.」と書いています。
一方、前掲の吉岡さんのウェブサイトには、ある食品会社の会長さんが行った「実験」について書かれています。
とのことで、放射能簡易測定結果報告書のコピーが添えられています。処理前が20 Bq/kg、処理後が5 Bq/kgとのことです。
この結果をもとに、吉岡さんは、
と書いています。
さて、「放射能を濃縮する」と「放射能を無害化する」は、正反対の現象であり、正反対の防護対応が要請されます。どちらが正しいでしょうか。科学的な手続きが十分ではないので、どちらが正しいとも言えないのではないでしょうか。ところが、「米のとぎ汁乳酸菌」で検索すると、実に多くの方が、いろいろな方法で実践に移しています。対応を誤ると危害が及ぶこともあり得る事態です。だから私は批判しました。
通常、玄米には2300 ppm 、白米には880 ppm程度のカリウムが含まれ、カリウム40の放射能は、それぞれ72.7 Bq/kg、27.8 Bq/kgとなります。測定に用いられたSAM940スペクトルサーベイメータ(NaI)で検出されるのは、そのうち、電子捕獲をしてγ線を放出する10.72%です。そうすると、処理前の20 Bq/kgという値は、予想よりかなり高い結果です。「結果報告書」にも、「この測定結果は提出された試料に関するもので、試料の母集団の属性について証明するものではありません」との注意書きがあります。素人である「会長さん」はともかく、科学者であれば、この結果をもとに、「これは飯山説を支持する測定結果です」などとは、とても言えない筈です。
2) 野呂美加さんと中西研二さんの対談の内容に関するもの
この中には実に想像を絶することが書かれていますが、科学の素人が体験したことを独自に解釈する、そのことの非科学性を批判してもきっと受け入れられることはないでしょう。共通の言葉がないからです。しかし、長岡式酵素玄米もEMXも「特定保健用食品」として認可されたものでない以上、その効能を謳っては犯罪になるということだけは言うべきです。
健康な人体にはカリウム40の放射能が数千ベクレルは必ずあるものですが、仮に、EMXを飲んだ人の中に体内の放射能値がゼロになった例があったとしても、それがEMXの効果であったという証明にはなりません。この話を真に受けて、体内除染をEMXに頼りきって、有効な防護策を執らない人が現れないとも限りません。大変危険な話です。
なお、吉岡さんが私への反論で触れておいでの、「カルシウムの析出結晶の形が変わるという2000年のダブリン大学の実験」について読んでみると、やや重要な点で誤訳があります。「実験の第2のグループは市販の蒸留ミネラル水に対して実施され・・・」とありますが、still mineral waterは、蒸留したものではなく、炭酸を含まない一般のミネラル水のことです。そして、これも重要なポイントですが、磁気処理前に対して、磁気処理後はFeの濃度が2.49 mg/Lから、1.39 mg/L へ大きく変化しています。鉄を含む微粒子は磁力でトラップされるでしょうから、あり得ることです。aragoniteとcalciteの沈殿ですぐに思い浮かぶのは、温泉地にあるトラバーチンです。そこにも、aragoniteとcalciteがいろいろな割合で混ざって沈殿しています。その割合は温泉水の化学組成に依存しています。まずはそうしたことを軸に解釈することが先でしょうね。
こう考えると、同じ吉岡さんのサイトにある、「山形大学工学部技術部 四釜 繁 氏 による磁気処理水の研究」の結果も実に興味深いものがあります。ぜひ、実験のそれぞれのケースで、鉄の濃度を測定していただきたいものです。海洋の植物プランクトンの発生は海水に含まれる極微量の鉄の濃度にコントロールされていることがかなり以前からわかっています。平均的な海水中の鉄の濃度は全元素中39番目の60 ng/L(=60 ppt)でしかありません。鉄は葉緑素を構成する重要な元素(必須元素)であるにもかかわらず、圧倒的に欠乏している訳です。「黄砂 鉄 欠乏 プランクトン」で検索するといくらでも出てきます。淡水についても同様のことは言える筈です。
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前回の記事を準備するにあたり乳癌死亡率の統計データを収集してまとめるうちに、肥田氏の次の記述が気になってきた。
上記「全国の死者数」というのは、肥田氏の著書では男性を含めた人口10万人当たりの乳癌死亡率のことである。女性だけの乳癌死亡率を、女性人口10万人当たりで示すと、1950年では3.3、2000年では14.3、2010年では19.2となる。この「右上がりの上昇」は、前回の記事の図3に示した通りである。
ところで、良く知られているように、日本で癌による死者数が増加したのは、平均寿命が長くなったために、かつては癌以外で死んでいたかもしれない人が、癌にでも罹らなければ死ななくなったからである。このことについてはNATROMさんによる「どうして日本は癌大国になってしまったのか?」に詳しい。そのコメント欄でのやりとりも大変参考になる。
しかし、私が最初に目にした乳癌死亡率のデータは年齢層毎の死亡率の年次推移についてのもので、そこには、ほとんどの年齢層で、年を追う毎に(加齢という意味ではない)乳癌の死亡率が増加してきた歴史がはっきりと現れていた(表1)。
表1 女性の乳癌の死亡率(女性10万人あたり)の年齢層毎の年次推移(注1)
赤色の数値は、加齢中途でのピーク、緑の背景は死亡率20以上を示す。
平均寿命が延びた効果を相殺してもなお死亡率が上昇してきたかどうかは、年齢調整死亡率のデータにあたる必要がある。それをグラフ化したのが図1である。
図1 女性の癌の年次別年齢調整死亡率
横軸は調査年、縦軸は年齢調整死亡率(女性人口10万対)(注2)
図1を見ると、女性の癌の年齢調整死亡率は、胃癌や子宮癌で劇的に下がってきたのと対照的に、乳癌では1960年の5.1から上昇を続け、2010年には2.3倍の11.9とトップクラスになった。この図から、寿命が延びた効果を差し引いてもなお、確かに乳癌による死亡率は増えてきたことが分かる。罹患率の方はもっと増加しているのだろう。
早期発見のための検診態勢や医療技術の進歩などをモノともしない、その上昇圧力の元となる原因はなんであろうか。医師である肥田氏がそこに関心を寄せたのは、むしろ当然と言えるだろう。
Wikipediaの「乳癌」の項には、明確になっているリスク要因として、「妊娠・出産歴がない」、「母乳を与えない」ことなどが挙げられており、近年の未婚化、出生率の低下などが影響している可能性は高い。そこで、どの世代がこの傾向を押し上げているのかを明らかにするために、生まれ年毎に、加齢に伴う乳癌死亡率の推移を比較するグラフを作成した(図2)。元データは表1である。
図2 乳癌死亡率の加齢に伴う推移の世代間比較
横軸は年齢、縦軸は死亡率(女性10万人あたり)
このグラフから、ある一定の年齢に達した時点での乳癌死亡率は、戦前生まれの世代より戦後生まれの世代の方が顕著に高くなっていることが分かる。例えば、1950年代後半から1960年代前半に生まれた世代(青系統の折れ線)が50歳に達した時点での死亡率は、1920年代前半生まれ(ピンク色の折れ線)の世代が80歳に達した時の死亡率より高い。
このことは、先に指摘した、戦後生まれの世代の未婚化・出生率の低下との相関を示唆するものかもしれないが、一方で、より若い世代(図の黒点線)では逆に死亡率が低下しているようにも見えるので、さらに詳しくみてみよう。そのために、図2のグラフを横軸の特定の年齢層のところで縦に切り取った断面を見るグラフを作成した(図3)。
図3 一定の年齢層に達した時の乳癌死亡率の生年(世代)による違い
横軸は生まれた年、縦軸は死亡率(女性10万人あたり)
図3の一つの折れ線は、生まれ年の異なるいろいろな世代の人が、特定の年齢層に達した時点での乳癌死亡率を現している。死亡率が最大となる世代(生まれ年)に赤丸を付した。
例えば緑の折れ線(45〜49歳の乳癌死亡率)に注目すると、1920年生まれは9.4、1925年生まれは10.6、1930年生まれは12.3と、世代が若くなるほど、同じ45歳代に達した時の乳癌死亡率は上昇を続け、1955年生まれの20.2でピークを迎え、より若い世代では低下している。赤丸を付したピーク位置の多い世代が、日本の乳癌の年齢調整死亡率を押し上げていると考えて良いだろう。
この図から、1950年代後半から1960年代前半(昭和30年代)に生まれた世代が、もっとも乳癌リスクの高い人生を歩んできたことがわかる。そのことは図2にも現れている。今後もこの世代の乳癌リスクは加齢とともに上昇を続けるであろう。
この世代とは、まさしく私の属する世代である。私は男なので、乳癌のリスクはほぼない(ゼロではないが)。しかしおそらく、その他の癌についても、このような検討を行えば、私たちの世代の相対的に高いリスクが明らかになるのではないかと思う。この点について、乳癌だけが特別でなければならない理由は見あたらない。こうした検討は、専門家によって既になされているに違いない。
森永ヒ素ミルク事件は1955年、水俣病の公式確認は1956年5月である。チッソは1968年5月まで水銀を垂れ流し続けた。その年(1968年)には、追い打ちをかけるようにカネミ油症事件がおきている。石油コンビナートから排出された亜硫酸ガスによってぜんそく患者が多発した四日市公害も1960年代。神岡鉱山から排出されたカドミウムによるイタイイタイ病は1910年代から1970年代前半とされている。人工甘味料チクロが発癌性や催奇形性の疑いで使用禁止となるのは1969年。それまでチクロは、一般家庭の台所にも普通にあって、ペロペロ舐めていた記憶がある。当時、瀬戸内海では「奇形魚釣り大会」が開催されたりもした。
そしてまた、大気圏内核実験による放射性物質のグローバルフォールアウトが最も多かったのも1960年代であり、半減期を考慮した蓄積量は、1970年頃にピークに達している。前回の記事で引用した図1に見られるように、その降下量は日本付近で最大となっている。何らの防護策も執られることなく、放射線感受性の高い乳幼児・子供としてその時代を生きてきた私たちの世代は、前後のどの世代よりも相対的に大きな影響を被った筈である。しかも、前掲のほとんどの公害被害が地域的な偏りの大きなものであったのに比べ、グローバルフォールアウトは日本全土を覆っていた。
たしかに、私たちの世代の発がんリスクを高めることになった要因を突き止めることは、絶望的に困難ではある。しかし、逆に言えば、時系列的に符合するどの要因も、その容疑を免れ得ないということでもあろう。
ここで昨年4月16日の記事「福島原発事故での低線量被爆について考える」で紹介した、近藤誠氏の「発がんバケツ」という考え方を再掲したい。
ある特定の因子の持つ発がんリスクは、どんなに小さくとも、いろいろな要因が集まり重なって、塵も積もれば山となる。私たちの世代の女性の乳癌死亡率が、他のどの世代にもまして高くなっているのは、その結果である。だから、特定の因子の持つリスクが小さいからといって、その影響を無視して良いということにはならない。リスク要因が多いほど、個々には小さなリスクにも気を配らなければならないということである。
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注1)元データは、「人口動態調査 > 平成22年人口動態統計 > 確定数 > 上巻 > 死亡 > 年次 > 2010年」の、表番号5-25「悪性新生物の主な部位別にみた性・年齢・年次別死亡率(人口10万対)」
注2)元データは、同上ページにある表番号5-26「悪性新生物の主な部位別にみた性・年次別年齢調整死亡率(人口10万対)」
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