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娘の入院している埼玉県立小児医療センターは完全看護システムです。
ですので親が子供についているのも「付き添い」ではなく 「面会」と呼ばれています。 現在は24時間面会可能となっていますが、 15年前は午後2時から8時まででした。
24時間面会は可能だけれど付き添いではないので泊まろうと思っても 簡易ベットも借りられませんし、添い寝も怒られます(笑) どうしても病院に泊まりたいときは仮眠室を借りられますが 子供の側にいられないならあまり意味がありません。 2年前のちょうど今頃、次女は学校で顔から転倒し口の中を裂傷、 そこから感染、化膿を起こし蜂窩織炎(ほうかしきえん)になりました。 +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
*蜂窩織炎[どんな病気か]
皮膚の深い層から皮下脂肪組織にかけて、急速に、 水平に広がる感染症です。黄色ブドウ球菌 化膿レンサ球菌のほか、いろいろな細菌の感染でおこります。
小さな外傷が誘因となります。もっともよくできるのは下肢ですが、 ほかのところにもできます。 広い範囲が赤く腫れ、熱感とさまざまの程度の痛みがあります。 発熱やだるさもありますが、あまり激しいものではありません。 もし、著しい倦怠感、激烈な関節痛と筋肉痛、高熱があり、 病変部が赤紫色に腫(は)れ、水ぶくれなどができたときには、 すぐに手術をして病変部を郭清(かくせい)(きれいになるまで掻き取る) しなくてはなりません。壊死性筋膜炎(えしせいきんまくえん) という重い病気の危険があるからです。 ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
上唇が半端じゃなく腫れ飲食ができなくなり発熱し入院しました。 娘には強直する痙攣の発作があるので夜間など発作が起きて あんなに腫れている上唇と上顎をベットに打ち付けでもしたら
どんなにか痛いだろう…と思うと、それはそれは心配で
夜どうしてもそばを離れることができませんでした。
あのときは入院期間は1週間程度と言われていたので カズと交代でパイプ椅子に座ったまま朝を迎えるという生活を 退院まで続けました。
椅子で寝ようと徹夜しようとどうしてもそばにいてやりたかったのです。 基本、面会は24時間可能と言っているので帰れとはいわれませんが、 椅子をふたつ並べて横になろうとしたときは、申し訳なさそうに 危険だからご遠慮いただけますかと言われました。 こちらの心配とはよそに娘はむしろ感染症にかかると 発作を起こす元気もなくなり寝てばかりいるのでやることもありません。
食事が無理だったので介助もなくひたすら観察しているだけでした。 それでもそばにいるだけでよかったのです。 しかしながらこの病院では泊まっている親御さんをほとんど見かけません。 それはこの病院が少し大きめの入院施設のある街の開業医と違い 入院しているお子さんの病気の重症度の表れだと思います。 入院期間が長くなればパイプ椅子で夜毎過ごすなど どんなに頑健な人間にでも無理が出てきます。 基本完全看護ですので親が全く面会に来なくても 治療と看護は行われます。むしろ病院側では休むときに休んで
親御さんが体調を崩さないで下さいねというスタンス。
それでも私は15年前に娘を入院させていた頃のトラウマから やはりどうしても家に帰ることができませんでした。 15年前…。 生後3ヶ月で痙攣の発作を起こし その発作が子供の発達に悪影響を起こすタイプの発作だったので
早急なコントロールが必要になりこの県立小児医療センターに入院し
治療を受けることになりました。
娘は痙攣の発作を起こす度に狂ったように泣き、 それは発作が収まった後もしばらく続きました。 家では何とか泣き止ませようとずっと抱っこしていたり、 ミルクをあげたりとしていたので入院となったらそれを誰が代わりに してくれるんだろうとそればかり心配していました。 入院病棟で入院の説明を聞くと付き添いはできず面会時間は 午後2時から8時までだといいます。 もちろんそれ以外の時間でも何とかそばにいられないものか お願いしました。でも規則だからとあっさり断られてしまいました。 入院時には発作がだいぶ悪化していて回数も増えていましたし、 なんにしても発作の度に苦しそうに泣きわめく赤ちゃんを 看護師が抱いてくれる時間があるのだろうかと、 保育専門のスタッフでもいるのかと本気で思いました。 が、今思えばとんでもない勘違いです。 入院初日、いよいよ面会時間が終了し 家に帰らなければいけなくなりました。
娘には心拍と酸素濃度を測るモニターがつけられ、 発作が起きたり何か異常があった際にはナースステーションで音がなり わかりますからと言われました。 そんなことで安心できるはずもなく、どうか発作が起きませんようにと 祈りながら後ろ髪を引かれる想いで帰路につきました。 眠っていればいくらかでも気持ちが楽だったかもしれませんが 発作の影響もあって初日の帰り際は娘はまだ起きていて 好きなオルゴールのオモチャを眺めていました。 見えなくなるまで病室を眺めながら重い足取りで家に帰ったことを 今でも鮮明に思い出します。 この入院で植え付けられた医療従事者への不信とトラウマは 入院2日目の面会時に起こりました。 足早に部屋に向かうと前日のベッドに娘は寝ていました。 ふと廊下から覗き込むと口元が赤いのです。 びっくりして早足で駆け寄り娘の顔を見ると、 なんとおしゃぶりが赤いビニールテープで貼り付けてあったのです。 『なんで…なんでこんなことするの?』 私は急いでビニールテープをはがしおしゃぶりを外して抱っこしました。 これが白衣の天使がすることか! 本気で思いました。 光景を想像してください。 信じられますか? 発作の度に泣き、抱いても泣き止みませんでした。 でもそれは発作のせいです。 この行為は病院では日常茶飯事なのでしょうが 長女にもおしゃぶりなどくわえさせたことの私は ただただびっくりして茫然とするばかりでした。 試しにくわえさせてみたところ娘はプイと横を向き おしゃぶりを吐き出しました。 入院期間が長くなるといろんなものがよく見えるようになりました。 娘と同じ痙攣発作を持つ病気の子が同室に3人いましたが 1人の女の子はいつまで経っても親が来ません。 痙攣発作が起こるとストップウォッチで持続時間を測り 発作表に記録するのですがその子の発作は 看護師が部屋にいなければカウントされません。
発作の回数が正確でないと行っている治療が効いているのかどうか 判断出来なくなります。 その子は何度発作を見過ごされたかわかりません。 そして可哀想だったのは授乳です。 私はミルクは1人1人看護師が抱っこしてあげるものだと 当たり前に思っていました。 でも親の来ないその子の授乳で初めてわかったのです。 抱いて飲ませる看護師と、寝かせたまま横を向かせ バスタオルで高さを出し乳首をくわえさせ哺乳瓶を置いたきり
そのままいなくなってしまう看護師がいることを。
何度もむせてミルクを噴出してるのを見て看護師を呼んだりもしました。 面会時間の一番最初に入り一番最後までいると親の来ない子供が どんなに可哀想かいやと言うほど見てしまいました。
15年前、こういった状況の改善を求めるべく
この病院に入院している子供たちの親で親の会を作り
数年間活動していた時期もありました。
娘の病状と障害の程度が安定してくると病院に入院することもなくなり
薬の調整だけになると外来受診も2ヶ月に1度程度。
この親の会の親御さんとも疎遠になっていきました。
ですがやはり面会時間は自由にするべきという親御さんの要望が
あり続けたのでしょう。いつのまにか面会は24時間許可され
娘が2年前に入院した際にはずっとそばにいることが可能になったのです。
ただし前回の入院でこの病院のシステム自体やスタッフの教育が
15年前に比べるとはるかによくなっていることがわかりました。
そして数回の入院で学んだことは「看護師は敵に回すな」です。
基本的に完全看護なので食事の介助や身体の清拭など
親がいても看護師がやろうとします。
でも私たちはなるべく長い時間そばにいて娘の世話はすべて
自分たちでやりたいと伝え看護師の仕事が軽減するようにしています。
そして何かを頼むとき、してもらったときにきちんとお礼を言います。
こうすることで私たちがいない間、
娘が快適に過ごせればいいなと思っています。
今回の入院では、相変わらず後ろ髪をぐいぐい引かれる想いですが
夕方から次の日の朝までは家に戻り夜のレッスンに出ています。
数日の間でスタッフ、病棟主治医と信頼関係を築けたことで
今回はなんとなく安心して家に戻ることが出来ています。
もしかしたら少し長くなるかもしれない今回の入院。
家のこと、スタジオのこと、自分たちの体調管理、諸々を考えながら
何とか乗り越えて行きたいと思います。
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かけがえのないもの
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コメント(6)
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次女は生まれながらの脳の病気で生後すぐからてんかんの発作と闘ってきました。
結果てんかんは治らず今にいたり、重い心身の障害を抱えることになってしまいましたが、家族が協力しあい私も何とか仕事を続けてこられました。 障害は重くとも何とか自分の脚で歩き自分の口で食べ、身体的には健康に学校にも通っていました。 今回のように原因不明の摂食障害は初めてで原因がわからないと最終的には心因性のものと判断するしかなくなります。 うちの子のように口がきけないような子は自分の気持ちを吐き出せないので、極端な状態変化を起こしやすいそうです。 何かがきっかけになっているはず。 インフルエンザにかかったこと、治ってすぐに持病の薬を増量したこと。 神経の専門医が首をひねっている状態です。ひとつずつ検査しながら本人の自発行動を待つしかなく今はとりあえず飲むこと食べることを取り戻すことが先決です。 次女には発作の持病があるため部屋はナースステーションの前です。 看護師がすぐに来られるように、いつも様子が伺えるように。 そしてそういうお部屋には管が入っていたり点滴を繋いでいたりする起きられない子供達もいます。 隣のお子さんは胃瘻(いろう・お腹から直接栄養チューブを胃に入れている)です。時々か細い声で泣いています。 お母さんはさっき来て1時間ほどで帰ってしまいました。 斜向かいの男の子は、昨夜何度も吐いて吐く度に苦しいからか看護師さんが来るまで身体をガクガクさせていました。 自分では体位の交替もできないのでむせていることしかできません。 目の前で子供が苦しんでいても看護師を待っていることしかできません。 そばにかけよって何かしてあげたいけどできません。 15年前、生後3ヶ月で初めてこの病院に入院した時にやはりとなりのベッドに人工呼吸器をつけて生命維持しているお子さんがいました。 お母さんがいつもずっと一緒にいて、唾液の吸引、痰の吸引、チューブ栄養の管理、すべて看護師さながらにこなしていました。 『看護師の資格かなにかお持ちなんですか』と声をかけたことから親しくなり、そのお子さんが不治の病で機械に頼らないと生きていけないことも知りました。 その時期、私はまだ自分の子の将来が闇にまみれたことに失望の真っ只中で、もう一生心から笑うことなどないんだろうと失意のどん底にいました。 だけど、お子さんの病気について時折笑顔を見せながら、『でも、生きててくれるだけでいいんだ』って普通に話すそのお母さんと話しているうちに、私は全ての悲しみから救われたのです。 先の先のことばかり考えて悲観して、障害が残ったらとか自立できないんじゃないかとか、そんなこと、生きてさえいればどうでもいいじゃないって心から思えたんです。 そうは言ってもこれまでの過程にはそれはそれは理不尽で神様だとか仏様だとかを恨みに恨んだこともありました。 でも私はまた心からの笑顔を取り戻し幸せに生きてます。 昨日は、自分で身体を動かせないお子さんと久しぶりに一緒にいて遥か昔の胸の痛みがぶり返し、どうにも切なくて涙が止まらなくなってしまいました。 次女が障害を抱えて生きていくことになったことは間違いなく私の人生観、価値観を変える出来事でした。 その上で一度は諦めたダンスを今続けていられることに改めて感謝した一日でした。 |
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このブログを長くご愛読下さっている方なら
もうおわかりかとおもいますがコメント欄にちょくちょく登場する 『アル星』実はkazuの父であり私の義父であります。
ちょっとコメント欄を読んだだけではとてもアル星=父 という風には繋がりませんよね。 そのくらい、父は息子であるカズと嫁である私をダンスの師として敬い キチンと一線引いた接し方をして下さってます。 このことだけでも十分尊敬に値するのですが、 父のブログなどを読んでいますと実にダンスに向かい合う姿勢が立派すぎてもう生徒の鑑と言うよりほかありません。
私達ダンス教師が理想とする生徒の姿そのものであり 父にダンスを教える際には全くストレスを感じません。 まず。 予習・復習が完璧。 言われたことを懸命にやる。 できないことを人のせいにしない。 下手な外野の言いなりにならない。 コーチャーを信じている。 コーチャーの踊りが好き。 レッスンを休まない。 レッスン以外に練習をしている。 などなど。 まあ、親だから私達の踊りが好きなのは当たり前と言えばそうなんですが でも私の母なんか滅多に褒めてくれませんもの。 それを抜いてもダンスを習得しようとする意気込みとか懸命さは うちのスタジオでも1、2を争えます。 パートナーが出来てからはますます熱心さに磨きがかかり、 必ず練習してくるものだからこちらとしても 『今日はどうしてくれようか!』
と自然に指導に力が入ってしまいます(笑)
練習してきてくれる、 話を真剣に聞いてくれる、 それを絶対と信じて取り組んでくれる、 教える側からしたらこれ以上やりやすいことはありません! そしてこういう生徒は得をします。 どんどん上手にしてあげたいと思うのです。 長く関係を続けていると誰でも相手に対して甘えが出てくるものです。 中には、先生何とかして下さいと他力本願丸出しになる人や、 レッスンとは名ばかりで毎回毎回どちらが悪い悪くないの裁きばかり させる人、私の前で踊る時間が唯一の練習でしょうと分かりすぎる人。
こういう人は損ですよ。早く気付いて下さいな。 そして生徒の鑑はどんどん上達しています。 もっと発表の場があればと思うのですが土日が休みにならないので 競技も出来ませんしもったいないな。 でも、父にはそれがちょうどいいのかもしれません(笑) 誰よりも私達を応援してくれる父。 これからも私達をどうぞよろしくお願いします! |
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今回ナガシマスパーランドを楽しむためにこのオフィシャルホテルを利用したのですが、やはり遊園地のオフィシャルホテルだけあって子連れ客が多く、その家族におじいちゃんおばあちゃんついて来るため、大変弱者に優しい施設となっておりました。
今回私たちがうれしかったのは、チェックインの際に車いすに乗った次女を見たフロントスタッフの方が、バリアフリー浴室というのを薦めて下さったことです。 このホテルには貸切の家族風呂はありません。 ですが手帳提示することによって、(実際に手帳の提示はしませんでしたが)障害者とその付き添いの家族はバリアフリースタイルになっている浴室を貸切で利用することができます。 もちろん無料です。 日本も数年前と比べるとこういった障害者にやさしい施設が本当に増えてきました。 ただ残念ながらそれは介助者がいるということが前提で、今回観光地のあちらこちらで障害者の一人旅はまだまだ難しいものだなぁと強く実感したのであります。 とは言うものの私たち家族は、次女を連れてどこかに出かけるといろいろな割引や優遇を受けることができます。 他国の上を見たらキリがないのでしょうが日本も徐々に良くなってきています。 日本という国と国民のみなさんに、心からありがとうと言いたいです。 |

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昨日8/4は次女の誕生日でした。
15年前の8/4。入院から4時間の超安産で3220gで誕生しました。
次女が健やかに平和に過ごしたのはわずか生後75日。
生後2ヵ月半から現在まで持病であるてんかんの発作と闘い続けています。
次女は現在隣接している市の特別支援学校に通っています。
乳児期からずっと脳神経の病気を患っているので
知的にかなり重度の、身体的にも中度の障害を抱えています。
小学校は地元の小学校の特別支援学級に在籍していましたが
障害の程度が重いため中学校は専門的なサポートが受けられる
特別支援学校に進級することにしました。
毎日元気にバスで通っています。
・・・・ううう。やはりちょっと重い文章になりましたね(笑)
書いている今、今までの15年を振り返り多少感傷的には
なっているかもしれませんが、よそ様が想像できる心の痛みなどは
もうとーーーっくの昔に乗り越えてしまっていて
今なんかほんとあっけらかんとしています(笑)
知的にかなり重い障害がありますが、当初は医師から
「歩いたり走ったりは無理かもしれません。寝たきりになるかも・・」
との予言を頂いていたので(笑)それ相応の覚悟でいましたが、
かなり頑張って育ってくれました。
今は生活のすべてが全介助ですが、介助歩行で自分で歩いています。
次女には非常にまれな「アイカルディ症候群」という診断がついています。
今でこそネット時代で同じ病気のお子さんも探せるようになりましたが
当時は情報も交流もなく何をするのも試行錯誤でした。
お子さんがこの病気を診断されてもしこのブログにたどり着いたのなら
よかったらこちらのページもご覧になってみて下さい。
「普通とはちょっと違う我が家の子育て
重度の障害を背負うゆうかの育ちの記録」 最終更新日が2007年というほったらかしHPですが、
次女の病気についてはかなり詳細な闘病記になってます。
トップページの次女の写真を久しぶりに見たら
「ああ、それなりに大人になったんだなぁ・・」と思いました(笑)
一時期はダンスどころではない日々もあり
いろいろなことを諦めかけたりもしましたが
いろいろな人の協力で仕事も続けることができましたし、
家族がみんな笑顔で暮らせています。
次女がこうなったことで途中から実母が同居してくれ、
夜間の次女の世話の一切を見てくれるようになりました。
今もそれは続いています。実母には心から感謝しています。
そして私のこれまでの人生において最も強力なサポーターであったのが
言うまでも無い生涯のパートナーであるカズです。
まだ闘病真っ只中の2歳半から今までずっと
日常的な世話から闘病についての相談、何から何までおんぶに抱っこです。
長女も次女も、そして梛央までも
わが子以上に愛情を注ぎ一緒に子育てしてくれました。
それについて、「当たり前」以外の何も口にしない
とっても偉大なパートナーです。
私の最高の幸せは最高のパートナーに恵まれたことです。
次女に重い障害があろうが、長女が早々に未婚で子供を産もうが
実に「なーんのことはない。2人で頑張ればなんとかなるさ」と
思えることが私の生きる原動力となっています。
そして、なぜかいろんなものを背負うことになった人生ですが、
私がダンスをこれまで続けてこれたのも背負っているものが
かけがえのない大事な大事なものだからです。
まじめに生きてきたおかげで、良い人たちに恵まれました。
次女をサポートして下さる福祉関係の方々。
カズの両親はじめご親戚の皆さん。
昔昔からお付き合いのある生徒さんや
今現在一緒に頑張っている生徒さん。
長女、実母、そしてカズ・・・。
長いようであっという間の15年でしたが、
これからも次女との生活はずぅーっと続きます。
いろんな人に助けられて生きていくことになります。
どうかみなさんこれからも私たちをよろしくお願いいたします。
そして最後まで読んでくださりありがとうございました。
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