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Kazu&Yuki★I love ダンス♪
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時間薬

昨日、術後1週間が経過しました。


お陰様で経過良好につき無事抜鉗(傷の針を抜く)が済みまして、
傷もキレイにくっついております。


前回腸閉塞では緊急オペのため体内の大腸菌などから術創感染し、
傷の半分を早々に抜鉗して開き洗浄していましたが、今回は感染も起こさず、
塞がるまで縫合していたので傷もキレイです。


前回早々に抜鉗して開いてしまった傷は結局随分と幅の広い(3cmくらい)
ケロイドと言う状態になり見た目もかなりグロテスクでした。


が今回の手術で前回の傷をそのまま開けたので
見事にそのケロイド部分も切除されました。


脱腸によるこぶもケロイドもなくなった〜
嬉しい〜
\(^O^)人(^O^)/


ありがとうございます!

しかし…


今回の手術では、自分の腹の据わり方に感心したと言うか…
伊達にいろんな修羅場くぐってないよなと改めて人生振り返りましたね(笑)


プライベートでは、結婚、離婚、再婚。二度の出産で
健常児と障害児の両方授かり、近頃孫まで授かったという…(笑)


その度々で、まあそれなりの修羅場あり喜びありで、
痛みも悲しみも時間とともに癒されていきました。


今回の手術も決まった時は怖かったんですが、
腹括ったら早く済ませたいと思うようになりましたね。


術後は安静だけで何の治療もしてないんです。
だけども日に日に傷は回復し痛みも軽くなっていく。


時間薬とは良く言ったものですね…


振り返って考えると、今までの人生で、
大きく心を揺さぶられるような出来ごとに直面した時は、
必ず、腹括って開き直りあとはひたすら時間に癒されて
乗り越えてきたように思います。


段々と開き直るまでの時間が短くなっていくのは
年の効なんでしょうかねぇ…(笑)


まあ時間を薬に出来るって言うのはある意味、
その場その場で私がとても私を取り巻く環境に
恵まれていたからなんだと気付きましたね。


私にとって悲しみの底を見たって言う経験は
やはり次女に生まれながらの障害があり誕生早々から
持病の闘病に翻弄したことですかね…


馬鹿みたいに先の見えない先のことを考え、
ただひたすら普通に育たないかもということを嘆いて
失意の底にいたのですが、入院先のベッドの隣で
今日消えるかもしれない命と向き合うお母さんと出会った時、
一瞬にして腹を括ってしまいました。


なんだぁ…
この子の全てを背負って生きればいいだけの話じゃん!
生きられないなら悲しいけど生きていけるんじゃん!って。


私の人や物事に対する価値観が大きく変わった瞬間でした。


それからかな…
大抵のことは受け入れられるようになりましたね。

要は腹を括れるかどうかなんですよ。
今回はしっかり腹括ってもらったし、また元気に踊れるようになるでしょう。


時間が薬になる。
絆が癒しになる。


これからの人生もそうやって周りに助けられながら生きていくんだと思います。


ありがとう。
そしてこれからもよろしく。

命の息吹

先週産まれた初孫ちゃんがお蔭様で今日退院の運びとなりました。
娘の方に出血多量の貧血があったため、少しだけ長い入院でしたが
少しずつ体力も体調も回復しており授乳に精を出しております。
 
まあ、毎日通ってしまうのですが、顔が日に日に変わっていき
表情がしっかりしてきています。
お乳を飲むのも最初はちゅぱちゅぱしてたのが
今ではコクンコクンとうなづきながら飲んでいます。
 
 
イメージ 1
 
まだ目は見えていないはずなのにまるでみえているような
カメラ目線です(笑)
見ていると面白い顔をたくさんするのでほんとに飽きないですよ。
 
3336gで産まれたので体もしっかりしています。
娘は3346gで産まれているので10g違いでしたね・・。
 
ここの産院は、朝赤ちゃんが部屋に来て夜は新生児室に
戻るというシステムでその間はミルクを飲んでいるのですが、
妊娠中から娘と母乳育児したいねって話していたので
夜赤ちゃん預けた後も授乳に通っているみたいです。
今のところ母乳だけでがんばっています。
 
一昔前は、赤ちゃんが少し泣くと、お乳が足りてないからだとか
抱き癖がつくから泣かせておけだとか言いましたよね。
足りていればすやすや良く眠るはずだからとか言われると
どうしてもミルクを足したくなってしまいます。
私がやはり実母から言われましたからね・・・。
 
なので、私は何でもありでやらせようと思っています。
母乳はいつあげてもいい!欲しがるならおっぱい出しっぱなしでも
いいくらいに思いますし、抱き手があるならいっぱい抱っこして
声を聞かせ人のぬくもりを感じさせてあげたいと思います。
 
新米お母さんですが、徐々に母性に目覚め前は出来なかった我慢も
少しずつするようになってきたかな。。。
 
お産したといっても娘もまだ私にとっては可愛い子供。
 
若いママだから戸惑うこともたくさんあるでしょう。
でも私たちは出来る限りの応援をしてあげたいと思います。
 
皆様にも温かく見守っていただけたら幸いです。
 
 
 

高校卒業後ターンプロしてアサノダンススクールに
お世話になって1年半の後。
当時組んでいたリーダーとの兼ね合いで、都内の別のスタジオに
移ることになった。

アサノダンスで初めてついたお客さんは可愛いおじいちゃんだった。
アサノダンスの階下にパチンコやがあってさ、
そこに毎日のように通ってきてるおじいちゃんだった。
まだ生きてるかな・・・。(不謹慎な!)
サークルで遊んでるおじいちゃんだったんだけど、
週に3.4回通ってくれて。すごく気に入ってくれてて
サークルのパーティとかにも「日当払うから来て」って言われたり。

アサノダンスは客層が個人レッスン中心で
今ほど競技も盛んじゃなかったし、競技経験の浅い見習いが
いきなりカップルを教えられるわけも無くて
選手はほとんどオーナー先生が教えてた。

ところが、移籍したスタジオはなんとまあ、選手が多かったんだ。
もう17.8年前の話だから3級とか4級とかのカップルが圧倒的に
多かったね。
そこで始めてサイドコーチを経験したのよ。

個人レッスンと違ってサイドコーチっていうのは
教えたことの効果が目に見えてわかるわけ。
それを見て「ああ、わかってないな、伝わってないな」とか
「よし、この組にはこういう方法が一番いいんだ」とか
教えながら試行錯誤なの、こっちも。

普通都内のスタジオでは女の先生ってあんまり働けないのね。
でも移ってから1年くらいで、夜はほとんど生徒さんがいるくらい
忙しい日々を送るようになった。

その教室にもそれほど長くいないで埼玉に移ることになったんだけど、
今思えばそこでのサイドコーチの経験がかなり役に立ってたんだね。

埼玉に来たら来たで、さらに競技人口が多いのに驚き。
カップルがカップルを呼び、まあ、今に至るんだけども。

カップルを教えるのに一番難しいのは
まず自分の理想を押し付けたいんだけど、レベルによっては
それが無理なこともあるの。

基本的にユキの場合、ある程度キャリアのある選手には
少し難しいことを要求するのね。
大体要求はどの選手にも同じようにするんだけど、
その要求の仕方を選手によって変える。

例えばもっと大きなスイングをさせたかったとするでしょ。
それをやらせたいと思った時に、まずその選手の身体的能力を
考慮するのね。

「この人は足が強いから、下半身から入ってみるか」とか
「この人はボディが柔らかいから、ボディを使わせてみるか」とか。

少し入ったところで思ったような効果が出ない場合
その人がわかってて出来ないのかわかってなくて出来ないのか
再確認。わかってて出来ないならそれを今後の課題にさせるし、
わかってないならまた別の言い方で説明しなおす。

それを何年もの間、50組近くのカップルにやってたら
いろんなことがわかってくるよ。
すごい発見もあるんだから。

試しに「こんな感じでトライさせたらどうだろう」と思って投げたら
「へえ、こうやればこういう質の人でもできるんだ」とか
「あれ??なんかおかしくなっちゃったな・・・」とかね(笑)

カップルレッスンだとほとんど踊ってくれない先生もいるって
聞くけど、口で言ってわかんないことは踊っちゃった方が早くて。
ユキはバンバン踊っちゃう。

何がわからなくても瞬間でもその選手の最大能力みたいのが
開花すればいいじゃない。

動かない人、硬い人、ふにゃふにゃな人、いろんな人がいるけど
大体どんな人とも踊れるようになった。

今の私を育てたのはコーチじゃなく
私の生徒達なんだってとっても有難く思ってる。

私の原点

誰にでも原点ってあるでしょ?原点に返るとか。
ユキも常々自分の
「ダンスにおける原点」
っていうものを忘れず大切にしていこうと思ってる。

さかのぼる事約20年ほど・・。
私の原点はそこにある。

高校卒業後ターンプロした私は大塚駅前アサノダンススクールに
入社した。さいわいなことに入社後すぐに同僚の見習いプロの
先生と組んで練習することになった。
(当時のリーダーはJBDFで見事A級まで昇級し一昨年引退した)

高校在学時からダンスをやってたって言ったって、今思えば、
その頃は個人レッスンで先生におんぶにだっこ。
適度にダンスを楽しんでた程度だもん。
それはそれはプロの世界っていきなり厳しいもんだなって実感。

まず生徒さんがいないからやることがない。
リーダーにも生徒さんがついてない。2人でひまなわけ。
そうすると練習しかすることがないわけで。
邪魔にならないように良く練習したね。

当時は2人ともほんとにへたくそでね。
技術なんか何にもなくて、何が悪いかもわかんないから
ただ無言で踊りまくるわけ。
当時のリーダーは身長も180以上あって。
「へたくそなんだから移動するしか能が無い」って口癖。
シャッセフロムPPからナチュラルターンまでで
絶対にあの角まで行くんだって、ひたすら引きずりまわされました。

帰り道、足が痛くて靴を履いて歩けなくて、
よく裸足で靴をぶらぶらさせて1人暮らしのアパートまで帰ったっけ・・・。

考えてみると私のパワーと根性の原点はあそこだった。
毎日毎日踊りづらい下手くそリーダーに引っ張りまわされて、
毎日毎日疲れきって。
スタジオの窓から見える大塚駅のホームを眺めては
家路に帰る人々を見て泣いたりしたっけなあ。。。

ついこの間の三輪先生のレッスンで
「移動量だけはA級並み!」って褒められた?!
「実際(そのバランスで)これだけ移動できるっていうのは
たいしたものだと思うよ。」だって。

当時のリーダーには毎日毎日引きずりまわされながら耳元で
「重い・・・重い・・・~>゜)〜〜〜」
ってお呪い唱えられてて。
おかげでそれ以降「重い」ってワードには過剰に反応するように
なっちゃって。「絶対重いって言わせないパートナーになる」
って固く決意したのもあの頃だった。
考えてみればこれも私の「軽さ」の原点なんだ・・・。

そう考えれば、当時のリーダーには感謝感謝だな。
まあ、今でも奴の暮れのパーティでは生徒さん連れてったりして
いいお付き合いしてるんだけど。

がんばってたね。あの頃の私。
忘れない忘れられない大事な私の原点・・・。

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