大田区大好きサットンの元気を届けるブログ

元大田クルーリーダーで現在はギリシャ料理店「スピローズ」オーナーのサットンが綴るYahoo!オフィシャルブログ。

サットン文芸系

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うちに昔いたツトムという犬の話



ツトムは他の犬とのコミュニケーションが下手だった。
きっと自分のことを人間だと思ってるのか、他の犬が近づいてくると超警戒する。
で、ウゥゥゥっとやる。

でもたまに好きな子がいて、自分が好きな犬にはとても優しい。

自分勝手な犬だった。

俺に似たくさい。


よく散歩中にヒモをつけないで歩いてる飼い主さんもいるけど、俺はあれが怖くてしょうがなかった。

飼い主さんは笑顔で

「大丈夫ですよーうちのはおとなしいから」

って、

「うちのがおとなしくないんだYO!」

と思いながら遠いほうにツトムを引っ張って歩く。

母ちゃんに溺愛されて育ったせいか、留守番ができない。。。
誰もいない部屋に留守番させると
ウォンウォ−−−ンとそりゃ狼のように遠吠えをするの。


まさにベットに寝かせると泣いちゃう今のカノンと同じだ!
↑俺たち学習してない過保護家族

自宅の時は出窓で外を見ながらずっと座って悲しい目で待ってる。

千鳥の実家のお店にいるときはミシンの下がツトムの家。
自宅では出窓がツトムの家。

そんな元気で元気でわんぱくだったツトムも10年目を越えたあたりからちょっとづつ身体が弱ってきた。
後ろ足がすこしプルプルって痙攣する。
最初はなんか疲れたのかなぁーと思ってた。

でもまだまだ元気。
中2のときからツトムと一緒に過ごして、成人して、音楽も始めて、毎日一緒だったから家族と同じ。

ツトムは外見はいつまでも若いからなんだか年をとってるのが不思議な感じ。
でもやっぱり足がどんどん弱っていった。



家の前の我が母校千鳥小学校の桜が色づくと、
新一年生がランドセルを背負って入学式。
真新しいランドセルも、卒業する頃には
6年間の思い出がびっしり詰め込まれていく。

始業式にそれぞれ先生の紹介があって、
好きな子と同じクラスになれた子もいれば、
離れちゃった子もいる、
みんなの思惑が小学生なりに交差する朝礼を見ながら、
当時俺は家で仕事をしていた。



その頃13歳をすぎたツトムは、時折足がつらいのか起き上がるのに苦労する日が増えてきた。


母ちゃんは

「寝てる時にたまに急に死んだようになるんだ」

と心配していた。


ちょうどその頃うちのおばぁちゃんが亡くなった。
おばぁちゃん子だった俺はひどく悲しんだよ。

幼稚園の頃は母ちゃん迎えに来れない時は、
ばぁちゃんと一緒に帰った。
近くのマルエツの喫茶コーナーでクリームソーダを飲むのが楽しみ。


心臓が悪くて、その3年前に1度心臓が止まってしまったことがあって
救急病院に親戚を集められた。

でも医者もビックリするくらいの回復でその後は元気になった。
兄貴が住んでるハワイにも行ったし、なんだか旅行もたくさん行った。
そしてある朝眠ったように冷たくなってたの。


俺はあまり神様を信じないけど、
きっと神様がばあちゃんに余分に3年楽しませてあげたんだなぁと思ったよ。

前の日まで元気だったんだから。
みんなびっくりした。

動かないおばあちゃんの顔をツトムは不思議そうな顔をして見てたっけ。


ツトムはこの頃からやっぱり元気があまりなくって
オシッコの時も片足が上がらなくなってた。


おなかの周りが少し細くなって、よくに咳をする。
そんなツトムも15歳。


夏の風が校庭に小さな竜巻を作れば、
あの時1年生だった3年生がそれを追いかける。
ランドセルにはそれなりに3年分の歴史の跡がついている。

学校にも慣れてきた、でも進路なんてそんなに気にする時期でもない。
きっと一番純粋に学校が楽しい時期じゃないかなぁ。


その頃俺は念願のメジャーデビュー。

時速300キロで市街地を走り抜けるF1のそれに似て、
景色をゆっくり見る余裕があるわけもなく、
ときおり聞こえる沿道の歓声に胸を弾ませながら走り抜けた。

家に帰る時間が不規則になってきて、
ツトムとのコミュニケーションも少なくなってきた。

でも俺は家に着くとなるべくツトムをなでてみた。
足がつらそうだから足をマッサージしたりしてみた。

サンタクロースのことなんてとっくに昔の出来事のように感じる1月末、
母ちゃんが

「今日、朝ツトムが1度死んじゃった」
と泣いていた。

止まって動かなくなったけど、少ししてまた動いたんだと。
母ちゃんの横でいつも一緒に寝ているツトム。

俺は心配したけどどうすることもできないもどかしさを感じていたよ。



6月には17歳になるツトム。
1年に7歳年をとるって言うから人間で言ったら119歳じゃんか。

小さい身体で懸命に生と闘っていた。


潮の満ち干きは月の引力に関係してると聞いたことがある。
生き物は潮の満ちるときに生まれて潮が引くときに死んでいく。
生き物は身体の多くが水分なんだって。
それも関係あるのかもしれない。



2月7日




いつもより少し寒くて俺は部屋で、
なぜか起きてるのか寝てるのかさえわからない感じで
まどろむようにしてた朝6時前。

外はまだ暗い。

朝日の到来を待ちきれない牛乳配達のバイクの音。

少しすると母ちゃんが部屋をノックした。



「ツトムが逝ったよ」



横たわる姿は今までで一番生気のないツトムの姿だった。

母ちゃんの布団の上で一度顔をすり寄せるようにしてからカクンと逝ったんだって。

涙が止まらない母ちゃんがツトムを撫でていた。

俺もツトムを撫でた。たくさんたくさん撫でた。

「よく頑張ったね」

と声をかけた。

母ちゃんの腕に抱かれてうちに来たツトム。

最後も母ちゃんに抱かれて逝けて幸せだっただろうなぁと思った。


みんなが花を持って会いに来てくれた。

みんなに愛されて育ったわがまま犬。

みんな会いに来た。

まるで偉い人が死んだみたい。



俺はツトムが初めてうちに来た日を思い出した。
俺は「組長」という名前にしようと言ったの。

みんなこうやって会いに来てくれてやっぱりあの時名前を「組長」に
すればピッタリだったなぁと少し笑った。


それから2日後、ツトムを動物の墓地に埋葬することにした。
人間と同じように焼いてもらえるなんて少しびっくりした。

ツトムの骨はとても小さくて、小さな小さな骨壷に収まる。
それを納骨した。

部屋に帰ってツトムがカジッて傷だらけの柱を見た。

オシッコの跡を見た。

爪でひっかいた壁の傷を見た。

主のいない出窓を見た。


なんだかいつもより静かな家。
静かな夜。


あれから11年。
家にいると今でもたまにツトムがいるんじゃないかと思う時があるんだ。



俺の家族でもあって、親友でもあったツトム。



あの時1年生だった子達はもう高校三年になった。

みんな大人だ。


今日も千鳥小学校はあの時と変わらず校庭でわいわいと声が聞こえる。


いつもの景色。

いつもの声。



我が家にかのんが生まれた。
つとむが死んでからずっとひきづってた母ちゃんが嬉しそうに笑う。

初めて親孝行がちょっとできた





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桜木町最終電車最終便2

(昨日の続き)

最終電車が入ってきた。

拍手で迎えられた電車を俺は初めて見た。

駅に止まる。
すでに満員の電車に乗り込む。
俺は見送りたかったからホームに残る。
キヨシと友達は電車に乗り込む。

次の桜木町へ俺は車で行って待ち合わせすることにした。

桜木町駅には、この高島町以上に人が押しかけてるらしい。
俺はこの寂れた高島町の駅が気になっていた。
だから駅に残ることにした。

高島町の駅には何人も何人も電車を見送る人がいた。
この駅最後の列車。

別れを惜しむ間もなくベルが鳴る。

駅員さんが胸を詰まらせて泣いていた。
泣きながら声にならない声で
「桜木町行き最終電車です。お急ぎください。」
いつも通りのアナウンス。
いつも通りの言葉。
でもいつもと違った涙声。

ドアは緩やかに閉まる。
高島町の最後のプラットホームの空気を存分に吸い込んで列車は静かに走り出した。

駅にいるほとんどの人が泣いていた。

俺は高島町の駅の看板の写真を撮った。
最後の列車が行った後、駅員は隠そうともせずに泣いていた。

そして駅から誰もいなくなる。

高島町駅の前にはものすごいたくさんの人がいた。
そしてそのほとんどの人が桜木町駅へ向かった。

桜木町駅は黒山の人だかり。

抗議の看板を持つ人。
写真を撮る人。
なんだかお祭り騒ぎにも近い感じだった。

俺は高島町のあの孤独な感じから引っ張り出されたような気持ちになった。

でも最後の姿を見れてよかったと思った。

桜木町最終便。

その後電車はなくなったけどウォールアートは残された。
いまや横浜のシンボルになったこの高架下の絵も、いつまで残るんだろう?

俺がいつかおじいちゃんになった時にもまだあるといいなぁ。

そんなドラマがあったこの線路。
今度横浜に来た時はちょっと思い出してみてくれると嬉しいなぁ。


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桜木町最終電車最終便

横浜のみなとみらいのJR桜木町駅は有名だけど、
実はちょっと前まで東急東横線に桜木町という駅もあったの。

桜木町の高架下のグラフィティーアートがたくさん書かれた線路っていえばわかるかな?

あそこに東横線が走ってた。

甘酸っぱい記憶が蘇る。
高校一年の時に当時好きだった子とその友達と俺と俺の友達で横浜へ遊びに行った。
東横線に揺られて桜木町へ。

あの降下したのウォールアートを見ながら別に他愛もない話をしてたっけ。

音楽を始めてからHIPHOP系アクセサリーのカリスマショップが桜木町にあった。
職人で働いたお金を貯めてホワイトゴールドのチェーンとヘッドを買いに行った時、ウォールアートの道を車で通った。
横浜っていいなぁそう感じる光景。

その頃仲良かった友達が横浜に住んでてしょっちゅうこの道を通ったっけ。

今まで何度通っただろうこの道を、何度通っただろうこの駅を。

ウォールアートは東横線「高島町駅」から「桜木町駅」を結ぶ。
その上を8000系が通る。

でも2004年1月30日にみなとみらい線開通の余波を受けて
高島町-桜木町の運行はなくなることになった。

2つの駅がなくなる。

その周辺でお店を営む人はどうなるの?

そんな問題が起きていたのを覚えてる。

1月30日深夜。
東横線高島町駅には最終便を待つ人でごった返してた。
その中に俺とキヨシと友達の3人もいた。

高島町駅は異様な雰囲気。

写真をとる人、涙を流す人、抗議をしてる人。

最終便一つ前。
席は通常通り。
誰も乗らない。

ホームに最終便がやってきた。

ホームに並んだ人から大きな拍手で迎えられる。
運転手さんの目が真っ赤だったのが見えた。

列車が高島町プラットホームに滑り込む。
社内はすでに満員。

高島町駅はこの電車が出た後に取り壊される。

その最後の電車がやってきた。


(明日へ続く)


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あっという間の出来事だった。

ちゃんぷるに出た後にすぐにメジャーデビュー。
時速300キロで市街地を走り抜けるF1のそれに似て、景色をゆっくり見る余裕があるわけもなく、
ときおり聞こえる沿道の歓声に胸を弾ませながら走り抜けた。

家に帰る時間が不規則になってきて、ツトムとのコミュニケーションも少なくなってきた。
でも俺は家に着くとなるべくツトムをなでてみた。
足がつらそうだから足をマッサージしたりしてみた。

サンタクロースのことなんてとっくに昔の出来事のように感じる1月末、
オカンが「今日、朝ツトムが1度死んじゃった」と言っていた。
止まって動かなくなったけど、少ししてまた動いたんだと。
オカンの横でいつも一緒に寝ているツトム。
俺は心配したけどどうすることもできないもどかしさを感じていたよ。

6月には17歳になるツトム。
1年に7歳年をとるって言うから人間で言ったら119歳じゃんか。

小さい身体で懸命に生と闘っていた。


潮の満ち干きは月の引力に関係してると聞いたことがある。
生き物は潮の満ちるときに生まれて潮が引くときに死んでいく。
生き物は身体の多くが水分なんだって。
それも関係あるのかもしれない。
それに満月の夜は不思議と犯罪率が高いなんてのも聞いたことがある。


2月7日

いつもより少し寒くて俺は部屋で、なぜか起きてるのか寝てるのかさえわからない感じでまどろむようにしてた朝6時前。
外はまだ暗い。
朝日の到来を待ちきれない牛乳配達のバイクの音。

少しするとオカンが部屋をノックした。

「ツトムが逝ったよ」

なぜか眠れなかった俺はオカンの部屋にツトムを見に行った。
横たわる姿は今までで一番生気のないツトムの姿だった。
オカンの布団の上で一度顔をすり寄せるようにしてからカクンと逝ったんだって。

涙が止まらないオカンがツトムを撫でていた。
俺もツトムを撫でた。たくさんたくさん撫でた。

「ごくろうさん」

と声をかけた。
オカンの腕に抱かれてうちに来たツトム。
最後までオカンに抱かれて逝けて幸せだっただろうなぁと思った。


お店にツトムを連れて行った。
みんなが花を持って会いに来てくれた。
みんなに愛されて育ったわがまま犬。
みんな会いに来た。

まるで偉い人が死んだみたい。

俺はツトムが初めてうちに来た日を思い出した。
やっぱりあの時名前を「組長」にすればピッタリだったなぁと少し笑った。


それから2日後、ツトムを動物の墓地に埋葬することにした。
人間と同じように焼いてもらえるなんて少しびっくりした。
ツトムの骨はとても小さくて、小さな小さな骨壷に収まる。
それを納骨した。

部屋に帰ってツトムがカジッて傷だらけの柱を見た。
オシッコの跡を見た。
爪でひっかいた壁の傷を見た。
主のいない出窓を見た。

なんだかいつもより静かな家。
静かな夜。


あれから2年。
もう今は慣れたけど、今でもたまにツトムがいるんじゃないかと思う時があるんだ。

俺の家族でもあって、親友でもあったツトム。
2年前のちょうどこの季節にいなくなったツトム。
うん。線香でも上げに行ってみよっと。


あの時1年生だった子達はもう5年生になった。
春から6年生。
ランドセルが小さく見えてきた。

今日も校庭でわいわいと声が聞こえる。
いつもの景色。
いつもの声。

なんだかそれがとてもありがたい。

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(昨日の続き)

家の前の我が母校の桜が色づくと、新一年生がランドセルを背負って入学式。
真新しいランドセルも、卒業する頃には6年間の思い出がびっしり詰め込まれていくんだろうなぁ。

始業式にそれぞれ先生の紹介があって、好きな子と同じクラスになれた子もいれば、
離れちゃった子もいる、みんなの思惑が小学生なりに交差する朝礼を見ながら、
毎日俺は家で仕事をしていた。

その頃13歳をすぎたツトムは、時折足がつらいのか起き上がるのに苦労する日が増えてきた。
オカンは「寝てる時にたまに急に死んだようになるんだ」と心配していた。

ちょうどその頃うちのおばぁちゃんが亡くなった。
おばぁちゃん子だった俺はひどく悲しんだよ。

幼稚園の頃はオカンが来れない時はばぁちゃんと一緒に帰った。
近くのマルエツの喫茶コーナーでクリームソーダをよく飲んだ。

おばぁちゃんも足が悪くて、杖だったけど一緒にプロレスを見てると興奮して
「猪木ー!キ●タマ蹴っちゃえ!」と前へ出てきちゃう。

心臓が悪くて、その3年前に一度心臓が止まってしまったことがあった。
救急病院に親戚を集められた。

でも医者もビックリするくらいの回復でその後は元気になった。
兄貴が住んでるハワイにも行ったし、なんだか旅行もたくさん行った。
そしてある朝冷たくなってたの。

俺はあまり神様を信じないけど、神様がもしもいるならおばあちゃんに余分に3年楽しませてあげたんだなぁと思ったよ。

前の日まで元気だったんだから。
みんなびっくりした。

動かないおばあちゃんの顔をツトムは不思議そうな顔をして見てたっけ。

ツトムはこの頃からやっぱり元気があまりなくって「サンポ」という言葉にもあまり反応しなくなってきたんだよね。

オシッコの時も片足が上がらなくなってた。

おなかの周りが少し細くなって、よくに咳をする。
そんなツトムも15歳。

夏の風が校庭に小さな竜巻を作れば、あの時1年生だった3年生がそれを追いかける。
ランドセルにはそれなりに3年分の歴史の跡がついている。

学校にも慣れてきた、でも進路なんてそんなに気にする時期でもない。
きっと一番純粋に学校が楽しい時期じゃないかなぁ。

プールの授業の先生の笛の音が聞こえる頃、俺は「少年ちゃんぷる」という番組に出た。
見知らぬ番号から携帯に電話が。
それはちゃんぷるの番組のディレクターからだった。

(明日に続く)

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