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戦争は戦争のために戦われるのでありまして、平和のための戦争などとは嘗て一回もあったことはありません

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朝鮮半島のいくさのたけなわなりしころ、日本政府の旅券ではなく、占領軍司令部の発行した旅行証明書を携えて、私がパリ大学の医学部を訪れたとき、最初に出会った質問は、「朝鮮のアメリカ軍は細菌兵器を使ってると思うか」というのであった。たしかに東京は戦場に近く、パリは戦場から遠かった。しかし情報は、必ずしも東京に多く、パリに少なかったのではない。私はパリの医者が、東京の医者の聞いたこともない戦争の側面を、話題にしていることを知った。

同じころパリに住んで(1950〜1951年)ヨーロッパの論調に接したアメリカの新聞記者、ストーンStone氏は、ワシントンにいたときはそのまま受けとっていたアメリカ政府の朝鮮戦争の(殊にそれが「寝耳に水」の北側の攻撃にはじまったという起源の)説明に、疑いをもちはじめていた。彼はあらためて当事者双方の言い分を検討し、アメリカに帰ってから、最初の砲火がいずれの側から発せられたにしても、いくさの開始がアメリカ側にとって全くの不意討ではなかったという結論に達した。またアメリカ軍が38度線を越えて国境に迫ったとき、中国が介入したのは当然であるとも考えた。「たとえばアメリカに友好的なメキシコ政府を押しつぶすために、他の大国が海の彼方から軍隊を送り、テキサス国境の町を爆撃し、しかもその司令官がアメリカそのものを攻撃するのも辞さないと揚言したとすれば、自分たちがいかなる反応を呈するか、アメリカ人はしばらく考えてみるとよいだろう」(秘史朝鮮戦争第27章)と当時のストーン氏は書いている。

このような考え方が、朝鮮戦争当時のアメリカにおいて、どれほど例外的なものであったかはいうまでもない。アメリカにおいてのみならず、国連では大多数の国が北側の「侵略」を決議したばかりでなく、また周知のように中国を「侵略国」として1950・60年代を通じ中国を国連から排除するための口実を作っていた(余談ながら、国連はアメリカ案を支持したかぎりで、「大義名分」を代表し、アメリカ案を否決したかぎりで「多数の暴力」を代表するものらしい)。ストーン氏の『秘史朝鮮戦争』の原稿は、アメリカでも、イギリスでも出版社を見出すことができなかった(後にアメリカのマンスリ・レヴュー社から出版される)。

そこでストーン氏は個人週刊誌を作る(1953年)。印刷を手伝う二人の他には、材料の蒐集、原稿書き、校正、電話の応対から出来上がった週刊誌の郵送まで、一人でまかなう。それが50・60年代のアメリカに、知る人ぞ知る、おのずから重きをなした『ストーンズ週刊誌』I.F.Stone's Weeklyに他ならない。朝鮮戦争から東南アジアのいくさを経て水門事件の前まで、ストーン氏は長くワシントンの記者クラブから締め出されていたから、材料はほとんどすべて公表された政府・議会の文書や内外の新聞雑誌の記事であった。故にその週刊誌が独特であったのは、新しい個別的な事実を報道したからでなく、すでに報道された事実を整理することによって、世間に広く行われていたのとは著しく異なる事件または状況の全体像(したがってまたその意味の解釈)を提供したからである。

冷戦の間『ストーンズ週刊誌』は、アメリカ人のいわゆる「自由主義的」な立場において一貫し、事実の追求において徹底し、権力の批判者として常に非妥協的であった。個人週刊誌20年、1907年にフィラデルフィアで生まれ、14歳で月刊誌を出したというこの人物は、今やほとんどアメリカの神話的人物の一人のようにみえる。政府の批判者が投獄される社会では、個人週刊誌は不可能であろうし、政府が何も発表しない社会では、公式説明の矛盾を追求することもできないだろう。また殊に個人の勇気と立場の一貫性と報道の社会的意味に対する確信がなければ、かの週刊誌はありえなかったろう。

今私の部屋の壁にはストーン氏の似顔絵がある。その眼鏡の奥の小さな眼は、新聞にものを書く度に私をみているような気がするのである。

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