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戦争は戦争のために戦われるのでありまして、平和のための戦争などとは嘗て一回もあったことはありません

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参議院を舞台にした郵政民営化法案の審議は今週、採決に向け大詰めを迎える。だが、政権政党の自民党内が二つに割れ、解散含みで政局は推移している。こうした混迷した「郵政政局」に際し政治評論家の細川隆一郎氏が政治のあるべき姿について直言した。


宰相は“無常観”の風格を


政界が乱れると二人の人物を思い出す。緒方竹虎と山崎猛だ。緒方は福岡出身で、朝日新聞の主筆を経て吉田茂(元首相)の補佐を務めた。一方、山崎は水戸出身で高潔な人物であった。
 昭和二十八年五月、第五次吉田内閣が成立。ところが、その年の秋から年末にかけて造船疑獄のにおいがしてきた。造船工業会が当時の自由党に賄賂(わいろ)を贈ったという。

 日本は戦争で多くの船を失ったので、貿易のため船を造らなければならない。そのため、多額の利払いに苦しんだ造船工業会は、利子の一部を国が肩代わりする「外航船建造利子補給法」の制定を求めた。やがて時の自由党幹事長佐藤栄作、政調会長池田勇人の二人に多額の金品が渡ったとの噂(うわさ)が広がった。

 明けて二十九年一月七日、東京地検による山下汽船、日立造船、飯野海運などの捜索が行われ、世の中は騒然となる。ついに政界にも検察の手が入り、自由党の有田二郎副幹事長が逮捕され、佐藤幹事長と池田政調会長も地検の内々の取り調べを受けたことが表ざたになり、吉田首相は驚いた。

 「政権政党の自由党が崩壊するようなことがあれば日本は大変なことになる」として、犬養健法相に「二人を逮捕してはならぬ」と命じ、同法相は両氏を拘束しないよう佐藤藤佐(とうすけ)検事総長に命令した。これがいわゆる「指揮権発動」である。同年四月二十一日のこと。佐藤幹事長、池田政調会長の二人は逮捕を免れた。

 この指揮権発動に国民は怒った。さらに吉田首相が「造船疑獄は検察のでっち上げだ」と発言したので、国民の怒りは頂点に達した。

 そうこうするうちに吉田首相が「解散」を口にした。ちょうど小泉首相が「郵政民営化法案が否決されれば解散する」と言っている現在の状況と似ている。その時、政権党の自由党に二つの意見が出た。「よし、解散だ」と言ったのが吉田首相の一の子分、池田政調会長。池田は竹を割ったような性格である。一方、これに対し、佐藤幹事長は慎重派。

 そこへ緒方竹虎副総理が吉田首相に対し「解散などとんでもない。あなたは総理を辞めて大磯に帰るべきだ。さもなければ私は政治家を辞めて国家再建の青年運動を起こす」と、自らの真情を吐露して首相の退陣を迫った。吉田首相は「憲政の常道を踏み外してはならない」という緒方の説得を受け入れ、その年の十二月七日に退陣、次いで十日、第一次鳩山内閣が発足した。

 もしも緒方がいなかったら自由党はどうなっていたか。政界は収拾が付かない状態になっていたかもしれない。一人の人物が身を捨てて総理総裁に憲政の常道を説いたのだ。さすがの吉田首相もこれには従わざるを得なかった。

 第五次吉田内閣が総辞職したとの報を聞いて、国民はホッとした。

 もう一人は同じく自由党の幹事長山崎猛のことだ。二十二年に発足した片山内閣、芦田内閣ともに短命。連合国軍総司令部(GHQ)のホイットニー民政局長は吉田を好まず、山崎幹事長を次期首班とするよう星島二郎、山口喜久一郎にひそかに働き掛けた。

 この動きに対し、山崎はどうしたか。議員を辞めたのである。議員のままでいると、首班に指名されてしまうかもしれない。これは、占領軍の政治介入を許すことになる。友人の益谷秀次は、山崎の自宅を訪ねた。世間話を終えて、帰り際の玄関で山崎の目を見詰めると、山崎は「分かっとるよ」と、ひとこと言ったという。ともに連合軍の政治介入を許してはならないという同じ思いがあった。こうして山崎は身を捨てて国を守ったのである。

 これらを今の政界に当てはめてみると、郵政民営化法案が可決、否決にかかわらず、小泉さんは堂々と引退すべきだと考える。

 今、日本には多くの難題が横たわっている。政権政党が一致結束して難局打開に当たらなければならない。宰相には“胆識”を有し、かつ“先知先覚”であり、“淡宕(たんとう)”にして、“無常観”を漂わせる風格が欲しい。小泉さん、故郷の山河が待っているのではないか。(談)

(敬称略)


 緒方竹虎(おがた・たけとら。1888−1956) 戦前、朝日新聞の主筆、副社長を経て敗戦後の東久邇内閣で国務相兼内閣書記官長。52年福岡から衆院議員、吉田内閣で官房長官、副総理格兼国務相。吉田総裁辞任後、自由党総裁に就任したが、55年保守合同後急逝した。
 山崎猛(やまざき・たけし。1886−1957) 敗戦後、日本自由党に入党、46年衆院議長に就任し憲法制定・選挙法改正など重要な国会議事を運営。民自党結成で幹事長。芦田内閣総辞職後の“幻の山崎首班構想”で議員辞職。のち吉田内閣で運輸相などを務めた。

押尾先生

「やられたら、やり返すのは当然だ。やられたまま何もしない奴はアメリカや横須賀の米軍基地ではチキンって言われて馬鹿にされてた。非があるのはイラクなんだから武力行使もやむを得ないよ。ただ、イラクの市民はなんの罪もないからできるだけ犠牲者が出ないことを願うよ。今回のイラク問題を見て俺が改めて感じたことは力こそ正義!ってことだな」



雨が降りしきり視界が悪い高速道路で、路上にいた子猫を見つける。その猫を助けるため、高速で立ち止まるという危険極まりない行為をとる

・「皆、見て見ぬ振りするんすよ。猫わかってるのに。 何か、俺許せなくって。何か猫、凄い震えてて、俺綺麗事言うつもりないけど動物俺大好きなんで、本当許せなくって!」



LIVミュージックステーション初登場


タモリ「次はLIVです」
押尾「ちいっす。LIVっす」
タモリ「前に違う局で会ったけど、今回は歌手として登場だね」
押尾「俳優は仮の姿っすよ。マジな俺を見せに来ました」
武内「LIVは押尾学さん率いる硬派なロックグループです」
タモリ「さっき、リハーサルで歌聞いたけど、かっこいい感じだったね」
押尾「さすが見る目があるっすね。もう本気っすよ」
タモリ「歌、どう?」
押尾「いいっすね。海外を目指してやってるっすよ」
タモリ「それじゃあ、歌のスタンバイを」
押尾「早いっすね。会場のみんなー、すげえロック聞かせるぜ!」
(押尾、スタンバイへ)
武内「押尾さんはアメリカで何年か過ごされ、本場の英語を学んだそうですよ」
タモリ「まあ、英語なんて向こうじゃ乞食でも気違いでも喋っているからね」
武内「ただいま、不適切な発言がありましたことをお詫びいたします。それでは、
   LIVで・・(尺切れ)」
(押尾のアップ)
押尾「ロックンロール・イズ・デッーーーーーーーーーーード!!
   ユー・アー・マザーファッカーーー!!ファック・ユー。レイプ・ミー」





ミュージックステーションに出演したときの押尾

タモリ「音楽はいつから始めたの?」
押尾「16歳ぐらいのときからですね。」
タモリ「どんな場所でライブやってたの?」
押尾「米軍基地です。」
タモリ「べ、米軍〜?」
押尾「ええ、軍人さんとかを相手にライブやってましたね。」
タモリ「それでどんな音楽をやってたの。」
押尾「ハードコアーですね。」
タモリ「は、ハードコアねぇ。(呆れたように)」
押尾「ええ、もう外人がみんな乱闘とか始めちゃうんですよね。」
タモリ「へぇ、乱闘。」
押尾「はい。その日ライブやったら次の日から声出なくなるぐらいで。」
タモリ「へぇ、そりゃまた激しいのやってたんだねぇ。」
押尾「ええ。ハードなことしか……できないんで。」
タモリ「ええ……。それじゃスタンバイのほうよろしく。」
押尾「はい。」

「それでは聴いてください、押尾学ひきいるLIVで、『SOUL』!!」

押尾氏、なにを考えたのか、いきなり
 女性100%の客席にむかってダイブ。
 ところが……。

ストン。

 押尾のファン、ダイブを理解していなかった。
 そして大変なのはこのあと。
 なんと、興奮した押尾ファンがワラワラと群がり、
 押尾はステージに戻れない状態に!
 瀕死になりながらもスタッフの助けにより
 なんとかステージに戻った押尾。

押尾「テンキュウ。(裏返った声で)」

武内アナウンサー「押尾学さん、ありがとうございましたー。」
押尾「ありがとうございました。」
武内アナウンサー「びっくりしました。」
押尾「……。」


Q.これまで経験した中で一番の恐怖体験とは?
おじゃが池って知ってます?千葉県にある心霊スポットなんだけど、仲間と40人くらいでツーリングに行って。
ついでに肝試しをしようってことになって。そこに、有名な“首吊りの木”っていうのがあるんですよ。
その木までみんなで歩いてったら、俺、感じちゃって。霊気っていうの?そしたら木のところに人の形をした白いモヤが見えたんです。
みんなにも見えてたから、“ヤバッ、マジで帰ろう”って全員引き返して。
で、帰りに高速に乗って、俺は真ん中くらいを走ってたんだけど、後ろのヤツらがみんなスピードをあげて、俺の前を行こうとするんですよ。
“アレ?”と思ったら後ろに乗せてた後輩がいきなりガッとしがみついてきて。
“すいません、すいません、こうさせてください”とかわけわかんないこと言ってて、ハッと思ってミラーを見たら、女の霊が笑ってるんですよ!
それも表現できないような怖い顔で笑ってて。
その瞬間、俺、目いっぱいスロットル回しました。震えるくらい怖かった。

防衛省

http://blogs.yahoo.co.jp/higasitoyokazu/39062232.html

防衛省 疑惑まみれ
新テロ法案 提出資格ない
軍政財癒着の「交流協会」
福田首相、理事だった
参院委で井上議員追及



 海上自衛隊をインド洋に再派兵する新テロ特措法案の審議が四日、参院外交防衛委員会で始まりました。日本共産党の井上哲士議員は、前防衛事務次官の守屋武昌容疑者の逮捕で浮き彫りになった一連の疑惑をただし、「防衛省に憲法にかかわる法案を提出する資格があるのか」と批判しました。

 この中で井上氏は、軍需専門商社「山田洋行」元専務の宮崎元伸容疑者が、政治家とのつながりを深めるために「日米平和・文化交流協会」を足がかりにしていたと指摘。日米の軍需企業と防衛族議員、軍事の関係者が一体となった同協会の実態にふれ、今年三月まで理事を務めていた福田康夫首相に説明を求めました。

 首相は「実はこの協会がどういうものかよく知らない」などと無責任な答弁を繰り返しました。

 井上氏は「よくわからないけど(理事を)やったというのは、通用しない」と厳しく批判。同協会が主催する「日米安全保障戦略会議」が、軍需企業と政治家、防衛当局が一堂に会して、企業側は情報収集や兵器の売りこみまで行う場になっていると指摘しました。そのうえで、米国で開催される際には、政治家の多額の訪米費用の相当部分が軍需企業の「お抱え」になっている実態を告発しました。

 井上氏は、パネル(別表)を示しながら、▽同協会の主な会員企業と防衛省との契約総額が約四兆八千億円(六年間)に達する▽防衛省から受注金額が多い会社ほどたくさんの天下りを受け入れている▽自民党の政治資金団体に十二億七千万円(六年間)の献金をしている――という癒着の構図を明らかにし、「これが問題の温床になっている」と指摘。徹底究明のために、同協会の常勤理事を務める秋山直紀氏らの証人喚問を求めました。



それだけじゃないよね。
福田康夫総理の親族が独立行政法人国立公文書館にいて、詐欺行為で2億2千万円を掠め取った財務省の独立行政法人国立印刷局の別組織財団法人 印刷朝陽会すらきれない状態です。

独立行政法人改革に奔走する渡辺喜美行革担当相も四面楚歌の孤立無援の状態で口先だけの政治家となりそうです。
結局、予想通り自民党では行革ができなかったということでしょう

one-time video game designer

Takeshi Kitano born January 18, 1947 in Umejima, Adachi, Tokyo) is a Japanese comedian, actor, presenter, author, poet, painter, one-time video game designer, film editor and film director who has received critical acclaim, both in his native Japan and abroad, for his highly idiosyncratic cinematic work. With the exception of his works as a film director, he is known almost exclusively by the name Beat Takeshi (ビートたけし, Bīto Takeshi). Since April 2005, he has been a professor at the Graduate School of Visual Arts, Tokyo National University of Fine Arts and Music.

Kitano owns his own film company, Office Kitano, which launched Tokyo Filmex in 2000. Kitano's films are typically dramas about Yakuza gangsters or the police, referred to by critics as being highly deadpan to the point of near-stasis. He often uses long takes where nothing appears to be happening, or with edits that cut immediately to the aftermath of an event. Many of his films express a bleak or nihilistic philosophy, but they are also filled with a great deal of humor and remarkable affection for their characters. Kitano's films paradoxically seem to leave controversial impressions. While formally disguised as dark comedies or gangster movies, his films raise moral questions and provide food for thought.

While Kitano's international fame continues to rise, the Japanese public knows him primarily as a TV host and comedian.[citation needed] His portrayal of Zatōichi in the 2003 movie is said[weasel words] to be his biggest domestic commercial success.

During interviews, Kitano is careful to hide his enigmatic personality behind the mask of being a comedian and regular guy. He hosts a weekly television program called Beat Takeshi's TV Tackle (ビートたけしのTVタックル), a kind of panel discussion among entertainers and politicians regarding controversial current events. But Kitano's primary role is to provide comic relief and he rarely shares his true feelings regarding controversial social issues. Although he interviewed Shoko Asahara, founder of the controversial Japanese religious movement Aum Shinrikyo, on at least two occasions,[citation needed] his attitude towards religion is unknown.[
Early life
Kitano was born in Adachi, Tokyo in 1947. After dropping out of Meiji University, where he studied engineering for four years, he found work as an elevator operator in a nightclub and learned a great deal about the business from the comedian Senzaburo Fukami. When one of the club's regular performers fell ill, Kitano took his place on stage, and a new career was born.

In the 1970s he formed a comic duo with his friend Kiyoshi Kaneko. They took on the stage names Beat Takeshi and Beat Kiyoshi; together referring to themselves as Two Beat (sometimes romanized as The Two Beats). This sort of duo stand-up comedy, known as manzai in Japan, usually features a great deal of high-speed back-and-forth banter between the two performers. In 1976, they performed on television for the first time and became an instant success, propelling their act onto the national stage. The reason for their popularity had much to do with Kitano's material, which was much more risqué than traditional manzai. The targets of his jokes were often the socially vulnerable, including the elderly, the handicapped, the poor, children, women, the ugly and the stupid. Complaints to the broadcaster led to censorship of some of Kitano's jokes and the editing of offensive dialogue. Kitano confirmed in a video interview that he was forbidden to access the NHK studios for five years for having exposed his body during a show when it was totally forbidden.[1] Although Two Beat was one of the most successful acts of its kind during the late '70s and '80s, Kitano decided to go solo and the duo was dissolved. Some autobiographical elements relating to his manzai career can be found in his film Kids Return (1996).

Many of Kitano's routines involved him portraying a gangster or other harsh character, and his first major film role, Nagisa Oshima's Merry Christmas, Mr. Lawrence (where he starred opposite Tom Conti, Ryuichi Sakamoto and David Bowie) featured him cast as a sadistic POW camp sergeant during World War II.

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モンテ・ヤマサキ
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