|
蕎麦(そば)は「江戸前」とは言わず江戸蕎麦という。食材が江戸前の海で獲れたものではないからである。その歴史は鰻などよりも古く、蕎麦切りの名がはじめて登場するのは天正2年(1574)、長野県大桑村の「定勝寺文書」に「ソハキリ」が振舞われたとある。その前後には禅寺の寺方蕎麦が農村に普及。茶席料理に取り入れられて武士や町人の間にも広まりつつあったと考えられている。
江戸時代初期は上方の影響が強く、江戸でもうどんが主流だった。店売りの蕎麦屋誕生は四代将軍家綱の時代まで待たなくてはならない。その嚆矢(こうし)は吉原の「けんどんそば切り」。続いて夜鷹蕎麦という夜売りの蕎麦屋、風鈴をつけた風鈴蕎麦、いずれも屋台の蕎麦屋が流行した。当初の蕎麦は十割で蒸し蕎麦。今も蕎麦を「せいろ」というのはその頃の名残である。蕎麦つゆは味噌味のタレであった。
江戸の街に蕎麦屋が増えてうどんを凌駕(りょうが)するようになったのは18世紀半ばごろ。現在のように、冷たい蕎麦に醤油味の蕎麦つゆをつけて食べるスタイルになったのは江戸料理が成熟する文化文政の頃とされる。職人たちが腕を競いあうように蕎麦を洗練させて、江戸蕎麦が確立されていった。例えば、つなぎをいろいろな素材で工夫した結果、小麦粉を2割入れる二八蕎麦が生まれた。「切りべら」蕎麦1寸幅を何本で切るかという細打ちの腕を競いあうようになり、切りべら23本つまり1本あたり1.3mmの細い蕎麦が基本となった。
客側から考えると、威勢のいい江戸っ子が寸暇を惜しんで食べるものであるから、手早く食べられなくてはいけない。そこで、細切りでのど越しがよい二八蕎麦を辛い蕎麦つゆに少量つけてさっと食べる江戸蕎麦が好まれるようになった。当時は客の顔を見てから蕎麦を打ったので、その間に一杯飲む蕎麦屋文化も広まった。
幕末の風俗誌「守貞漫稿(もりさだまんこう)」によれば蕎麦屋は江戸の1町に1軒あったという。おおよそ4000軒近いと推定される。蕎麦はまさに江戸庶民の味であったといえよう。
-- 江戸蕎麦の三大系統「更科」「砂場」「藪(やぶ)」のうち、更科蕎麦の系統ですね。
主 人 親父が明治35年創業「有楽町更科」の次男坊でして、昭和38年に南大井に開店しました。
-- 更科蕎麦の歴史はいつごろからはじまったのですか。
主 人 寛政2年(1790年)に信州の布屋太兵衛が麻布永坂に店を出したのが最初です。
-- 三大系統それぞれの特徴は何でしょうか。
主 人 よく言われているのは、更科は将軍家、諸大名に献上した、白く極細の蕎麦で上品な味。蕎麦つゆは甘めです。藪(やぶ)の蕎麦は下町の職人に好まれた、甘皮の部分まで含んだ黒っぽい蕎麦でつゆは辛い。砂場は商人が客で、蕎麦もつゆも更科、藪(やぶ)の中間といわれています。
-- 更科蕎麦の真髄は?
主 人 更科蕎麦と変わり蕎麦です。更科蕎麦は蕎麦の中心部にある白くサラサラした御前粉を使い、蕎麦の香りよりものど越しやキメの細かい口当たりを楽しみます。また、その白さを生かして変わり蕎麦を打つのも更科の伝統です。
-- 変わり蕎麦にはどんなものがありますか。
主 人 紫蘇(しそ)、柚子(ゆず)、海老(えび)、鯛(たい)などがあります。春の桜切り、秋の菊切りなどは季節感があるので楽しみにしているお客さんが多いですよ。
-- 作り手から見ると江戸蕎麦とは何でしょうか。
主 人 江戸蕎麦は実は房総の味なんですよ。薄口の下り醤油に代わって、元禄時代以降には房総半島で生産された濃口醤油が江戸の味になりました。だしの材料も亀節やサバ節などの雑節を使った。サバ節の原料となるゴマサバは江戸時代、房総沖で獲れていたもの。本節をさっと煮た関西風のあっさりだしに対して、江戸ではサバ節などの雑節をじっくり煮込んで濃厚なだし、辛い蕎麦つゆを作ったんです。
-- 江戸蕎麦の職人仕事とは?
主 人 うちでは10年前に手打ちを復活させました。伝統を守るだけでなく時代に合わせて進化していく。それが職人の仕事です。さまざまな工夫をした職人がいたからこそ江戸蕎麦が生まれたと思います。
布恒更科(ぬのつねさらしな)
住 所 / 東京都品川区南大井3-18-8
電話番号 / 03-3761-7373
営業時間 / 11:30〜15:00 17:00〜20:00
(祝日11:30〜15:00)
休 日 / 日曜
交 通 / 京急「大森海岸駅」より徒歩約5分
予 算 / 昼:2,000円〜 夜:3,000円〜
更科蕎麦の伝統を守る伊島節さん。老舗には珍しい手打ち蕎麦の店である。
左/更科蕎麦は水でなく湯でこねる。御前粉をつなげるのは職人の腕次第だ。
右/切りべら23本の伝統は今も江戸蕎麦に生きている
左/左からサバ節、亀節、本節。濃厚な江戸蕎麦のつゆの原料である。
右/冷蔵庫のない時代、蕎麦つゆの元になる返しは地中に埋めた甕(かめ)で保存した。
|