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戦争は戦争のために戦われるのでありまして、平和のための戦争などとは嘗て一回もあったことはありません

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ケーポップ(K−POP、韓国大衆音楽)がアジアを越えて欧米に裾野を広げながら目に見る形で成功を収めているが、その背景には幼い歌手に対する待遇問題という暗い面が存在すると14日(現地時間)、英BBCニュースが紹介した。

BBCによると、K−POPの海外売上げは2009年基準で325億ウォン(約24億円)で、昨年はこの2倍に増加したと推算されるほどの急成長を見せている。韓国の芸能人が日本を含め海外市場に続々と進出し、今月には芸能事務所のSMエンターテインメントがワールドツアーの一環として初めて欧州公演を開催した。

しかしBBCは、このようなK−POPの成功神話がいわゆる‘奴隷契約’と呼ばれる長期間の不平等専属契約の上に成り立っているものだと指摘して、その代表的事例として、2年前に最高の人気グループ東方神起の元メンバーと所属事務所との間で起こされた法廷訴訟を取り上げた。

これと合わせて、アイドルグループ一組を養成するために、多いときには10億ウォン(約7400万円)以上かかる韓国歌謡市場の問題点を指摘し、「所属事務所と芸能人は、安価な国内音源市場で元手を回収できない代わりに、投資金回収のため海外市場攻略に積極的に出ている」と分析している。

また、芸能人労働組合の説明を引用しつつ「韓国ではK−POPの輸出により国家イメージの向上と経済効果創出の期待心理が高まっているが、誤った慣行が続けば、K−POPは音楽的な成功を謳歌するよりも問題点だけが目立つようになるかもしれない」とBBCは指摘した。

韓国の青少年の志望職業1位は芸能人だ。多くの子どもたちがスターになる夢を膨らませ、芸能界に目を向けている。首都圏だけでも約220カ所の演技学校から輩出される芸能人志望者が年間4万8000人にのぼるという。演劇映画科など大学の関連学科に通う学生も3万人に達する。しかしスターどころか、この中でデビューの機会をつかめるのはごく少数にすぎない。

このように需要に比べて供給が過度に多い不均衡が各種人権侵害を生む根本原因だ。人気グループ東方神起のメンバーと大手芸能プロダクションSMエンターテイメントの紛争がきっかけで浮上した‘奴隷契約’の慣行が代表例だ。女性芸能人の場合、故チャン・ジャヨンさんの事件で見られたように接待の弊害も深刻だという。最近もある女性タレントが、未成年当時に芸能プロダクションの社長からセクハラを受けたと放送中に告白し、波紋が広がった。

27日に国家人権委員会が発表した女性芸能人および志望者対象調査の結果は、これまで一部の暴露やうわさで知られていた性関連人権侵害の実態が明らかになったという点で衝撃的だ。調査対象の芸能人10人のうち6人が肉体接待の要求を受け、3人はセクハラを受けたという。性的暴行被害を受けた人も少なくなかった。力のある人物から、いわゆる‘スポンサー’の提案を受けた人も10人中5人以上だった。

‘狭き門’を通過しなければならない新人芸能人や志望者の立場で、こうした提案を断るのは決して容易でない。公式的なオーディションよりも放送関係者や広告主との非公式的な接触がキャスティングにより大きな影響を及ぼすと考えられる風土であるだけに、そうなるしかない。実際、調査対象者の半分は肉体接待を拒否した後、キャスティングで不利益を受けたと答えた。

韓国大衆文化の恥ずかしい裏の部分だ。誤った慣行を根絶するには、落後した芸能産業のシステムを刷新しなければならない。外国のように一定の資格を持つ事業者だけが芸能プロダクションを経営できるようにし、公正なオーディション体制を定着させる必要がある。芸能界全般の自浄努力も欠かせない。下部構造が先進化されなければ、韓流の持続的な成長も期待できないだろう。




グループ少女時代が公正取引委員会(以下、公取委)審判廷に立つかどうかに関心が集まっている。

15日午前、「少女時代が東方神起の専属契約に関し、奴隷契約実態に対する公取委調査過程に参考人資格で立つ」というメディア報道に対し、SMエンターテイメント(以下SM)は「今のところ少女時代が出席する計画はない。公取委側の要請があったのは事実だが、出席するかどうかという結論は出していない」と明らかにした。

公取委側は、東方神起と似た状況で専属契約を結んだ少女時代から契約実態を直接聞くため少女時代の出席を要求した、と伝えられた。公取委の今回の調査は、東方神起のファンクラブが今年初め、公取委ソウル事務所に「SMが取引上の地位を乱用し、東方神起に不利益を与えた」として、不公正契約の有無の判定を要求したことが始まった。8月に東方神起のメンバー3人(ジュンス、ユチョン、ジェジュン)が専属契約に問題があるとしてチームから離脱し、ファンも3人を後押ししたのだ。

しかし公取委の要請通り少女時代が来月初め公取委審判廷に出て陳述しても、「SMの現専属契約が奴隷契約の可能性がある」と陳述をする可能性はほとんどないとみられる。SMは東方神起3人の問題が膨らんだ後、少女時代・スーパージュニアなど所属歌手との契約問題について緊密に議論を進行し、内部結束を固めている。

公取委側はSMが提出した証拠書類などを参考にし、来年初めSMの専属契約に不公正があるかどうかを判断をする予定だ。

麻生太郎前首相の祖父が第45代、48−51代内閣総理大臣の吉田茂であることは周知の事実です。吉田は昭和29年(1954年)12月、「辞めろ、辞めろ」の大合唱の中、内閣総辞職して寂しく総理官邸を去った人物です。

 吉田政権は、いわば野垂れ死にの状態だったのです。総辞職はしませんでしたが、孫の麻生政権もまた総選挙で歴史的惨敗を喫しました。

 吉田政権の後を受けたのは、鳩山一郎でした。
 因縁の不思議というべきでしょう。鳩山由紀夫現首相は、鳩山一郎の孫であり、率いる政党名も(日本)民主党です。もし、何度かの変遷の後、いまの民主党の名が生まれなかったなら、そして前代表の小沢一郎氏が政治献金問題で辞任しなかったなら、祖父と孫とのこの再現劇はなかったことでしょう。

 それだけでは、ありません。吉田茂は昭和26年の日米安保条約の締結によって、親米路線を築きました。日本の防衛の根幹は米国に任せ、人やカネの資源を経済発展に集中する路線を敷設したことでも知られています。

 その後の鳩山政権は、米国とはやや距離を置き、日ソ国交回復を実現しました。その孫の鳩山現政権が日米の機軸を動かすとは考えられませんが、米国には「対等の関係」を唱え、「東アジア共同体」に向けて動くなど、それまでの自民党政権とはやや異なるスタンスを取り始めています。これもまた歴史の再現かもしれません。



ところで、鳩山一郎内閣の昭和30年(1955)には、これもまた歴史的な出来事が起こりました。言うまでもなく保守合同です。鳩山総裁率いる民主党が敵の自由党と合同して自由民主党が生まれ、「55年体制」が発足。以来、自民党半永久政権と呼ばれる安定政権が続くことになるのです。

 その保守合同を仕掛けた稀代の謀将がいます。いまはすっかり名前も忘れ去られてしまいましたが、鳩山一郎を首相にするため、渾身の力を傾けた三木武吉です。敵方の実力者である大野伴睦の自宅を密かに訪れて、保守合同へと導いたのです。

 自民党から民主党への政権交代を、彼は草葉の蔭からどのような思いで見つめていることでしょうか。四国・高松にある彼の墓を訪れて、尋ねてみたい気がします。

 さて、歴史の再現について戻るなら、今回の鳩山政権が誕生して1、2年後に、大政党同士の合同はないにしても、政界再編成はやはり起きるのでしょうか。
 それはひとえに、いまの自民党の人たちがどれだけ野党の冷や飯に我慢できるかどうか、自民党を再生する気概があるかどうかにかかわってきます。

 自民党は、これといった政策のない、ただ権力を握ることだけを拠りどころにした「政権党」と長く言われてきました。もしも、そうであるなら、早晩、野党の冷や飯に耐え切れず、悲鳴を上げる人たちが現れることでしょう。

 谷垣新総裁を選び出した経緯を眺めていると、本気で生まれ変わろうという気概は、いまのところ伝わってこないというのが正直なところです。



となると、ここでもまた歴史は再現する可能性が高く、早晩、政界再編成が起きるということになります。

 それでは、「平成の三木武吉」には一体誰がなるのかと問われれば、答えは小沢一郎氏のほかありません。
 カギは、来年夏に行われる参議院選挙にあります。もし、ここでも民主党が勝利を収め、参議院の単独過半数を占めるような事態になれば、政界再編成はかなり高い確率で実現することになるでしょう。

 どのような再編劇になるのか、「平成の大野伴睦」が誰になるのかは、皆目見当がつきません。
 私が期待するのは、むしろ自民党が小泉純一郎氏の実施しようとしたような「新自由主義」をかかげ、「小さな政府」を提唱した、筋肉質のしっかりとした政党として再生し、民主党に対して強力な批判者となることです。

 いわゆる「小泉改革」のすべてを支持しているわけではありません。二つの政党が政策の違いを私たち有権者の前に示し、切磋琢磨する姿を見たいのです。お互いのボーンヘッドをあげつらい、点数を稼ごうという姿は、もう見たくはありません。

中川一郎 1983年心筋梗塞→→首吊りに訂正される (農水省大臣)
新井将敬 1998年首吊り
小渕恵三 2000年病死
石井紘基 2002年刺殺 (農水省の特別会計も調査していた)
永岡   2005年首吊り (農水省官房、志帥会)
松岡利勝 2007年首吊り (安倍内閣、農水省大臣、志帥会)
2007年自殺 (緑資源機構の理事)
2007年自殺 (松岡の地元秘書)
2008年自殺 (農水省官僚)
永田寿康 2009年飛び降り
中川昭一 2009年心筋梗塞 (小泉内閣、農水省大臣、志帥会)   ←new!

2009.10.6 19:27
 民主党の小沢一郎幹事長は6日、党本部で米メディア大手「ニューズ・コーポレーション」のルパート・マードック最高経営責任者(CEO)と会談した。

 マードック氏が政権交代への祝意を伝えると、小沢氏は「大変な時に日本に政権交代が起きたが、天の定めと思って頑張る」と決意を述べた。



調べでは、事務所関係者は数日間、飯島さんと連絡がとれないのを心配し、 マンションを訪問。

管理人に部屋の鍵を開けてもらい、うつぶせで倒れている飯島さんを発見したという。
(引用元: サンスポ 2008年12月24日16時56分)

飯島愛さん死亡 搬送目撃の男性「ものすごく苦しそうな表情だった」

「意識があったかは分からないが、ものすごく苦しそうな表情だった」

24日、東京都渋谷区内の自宅マンションで死亡した元タレントの飯島愛さん。

担架で運び出されるのを目撃した同じマンションに住む男性(30)は、引きつった表情で話した。

男性が飯島さんが運ばれるのを目撃したのは、午後4時半ごろ。

マンション1階で、担架に乗せられていたという。

「意識があったかはわからないが、目をつぶって眉間にしわを寄せて、ものすごく苦しそうな表情だった。顔色もよくなかった」

関係者らしき人が飯島さんの名前を呼んでいたが、反応はなかったという。
(引用元: 産経新聞 2008年12月24日18時19分)

2005年 7月27日   引退を決意か
2006年10月23日  ブログにてコンクリ否定
2006年11月     お金を持ち逃げされる  
2007年 3月2日  引退のFAXが事務所より流れる
2007年 3月4日  サンジャポ引退騒動
2007年 4月 1日    芸能界を引退

2007年  秋    1000億の男から時計をもらう
2007年11月     渋谷で美容医院経営の噂
2007年12月     芸能界 復帰の噂
2007年 暮れ   マンション売却
2008年1月     渋谷署へ相談に行き始める
2008年2月     ノイローゼか?
2008年5月     ナベプロへ「完全決別」報告
2008年7月8月 大人のおもちゃビジネスの噂
2008年10月    事業協力者に捜査が入る(タナカ)

2008年12月 5日 ニコニコ大会出席
2008年12月 6日 栃木・HIV啓発イベント
2008年12月 9日 電話で15分程インタビュー(週間朝日・福光恵)
2008年12月13日 飯島から福光恵へ電話(熱がある「救急車呼ぼうか?」「あはは、大丈夫だよ」)
2008年12月14日 ショップサイトの最終打ち合せ(17日オープン予定と決まる)/お墓参りに行きたいと父親に電話
2008年12月15日 事業協力中止の連絡(キクチ)/当初のサイトのオープン予定日だった
      同 日  病院に行く
2008年12月16日 朝、病院から帰る
2008年12月17日 ナベプロに連絡か?/U・Kよりメール/オープン予定日
2008年12月24日    死 亡
2008年12月27日   密葬(密葬)

2009年 2月 4日  死因発表



丈壱蛙 人間天然脳地下生活・(XXXXX)
http://douglaspl.exblog.jp/

無罪主張のにゃんころパークは有罪希望?
http://www5.nikkansports.com/general/asozan/63764.html

『いじめの聖書β版』 二十歳以上は完全有料制ですのでご注意を!!ω^)/子供は気軽に遊んでってにゃ♪
http://ameblo.jp/kei123456

渋谷ではたらく社長のはるか上にそびえる猫のブログ・リターンズω-)/
http://ameblo.jp/nyankoropark/entry-10019901235.html#cbox

綾瀬女子高生コンクリート詰め殺人事件 倉地明美の証言
http://poke.ula.cc/pcview.cgi/tokyo.cool.ne.jp/freefreefree

これなら絶対返事が来る!!ってのありますかね?
wowonowgetさん →脅迫文・恐喝文  Kから来るよ★
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1421141899

飯島愛にラブコール サイバー藤田社長の計算
http://www.j-cast.com/2007/03/13006128.html

『飯島愛とエイズを語る』
http://homepage2.nifty.com/iwamuro/52.html

引退どころか追放危機!飯島愛に社長激怒か
http://www.tanteifile.com/geinou/scoop_2007/03/19_01/index.html

鹿砦社通信 2003年1月27日号
http://www.rokusaisha.com/0test/tushin/tushin2003/thushin030127.html

"噂の女"神林広恵のナイショの一説]
業界関係者が語る、飯島愛と芸能事務所、大物たちとのマル秘関係
http://www.cyzowoman.com/2008/12/post_240.html

ミニブタ物

加藤さん略歴◆

 かとう・こうじ 1969年、札幌生まれ。小樽潮陵高校を卒業後、上京して劇団「東京ボードビル・ショー」に入団。88年に吉本興業のオーディションを受けて合格し、山本圭壱とお笑いコンビの「極楽とんぼ」を結成した。現在は「天才! てれびくんワイド」(NHK)、「スーパーサッカーPLUS」(HBC)などにレギュラー出演中。東京在住




(1)運送会社をやめ東京へ
 みんな、ぼくは「極楽とんぼ」というお笑いコンビをやっているんだよ。仕事は舞台とかラジオとか、いろいろあるけど、一番多いのはテレビの仕事。生放送のある日は昼すぎにテレビ局に入って、打ち合わせやリハーサルをしてから本番。終わったあとに新聞や雑誌のインタビューを受けることもある。

 ぼくは高校を出てから札幌の運送会社で働いていたんだけど、十九さいのときに会社をやめて東京に出て、劇団に入った。それまでは、おしばいの経験なんて、ぜんぜんなかった。入団試験を受けたときに出会ったのが、今、コンビを組んでいるあいぼうの山本圭壱。ぐうぜん、同じ劇団を受けていたんだ。

 そのとき山本は今みたいに太っていなくて、まだやせていた。最初の印象は、実を言うと、「うさんくさい」って思った。

 でも、十人くらい受かった中で年が近い三人が仲良くなってね。しばいよりお笑いがやりたくなって、三人で吉本興業の新人発掘オーディションを受けた。結局、一人はそのまま劇団に残ることになって、ぼくと山本のコンビになったんだ。

 ぼくが生まれたのは札幌市厚別区の大谷地。小学校一年生まで、そこで暮らした。そのころの大谷地は、今とはぜんぜんちがって、まだ、すごいいなかだった。家の近くに川があって、ドジョウとったり、クワガタをとりに行ったりして遊んだな。ぼくには三つ上のアニキがいるんだけど、アニキやその友だちについていって、よく野山で遊んでいた。

 そう言えば、ぼくは小さいころに交通事故にあったことがあるんだ。幼ち園のとき、アニキをバス停まで送りに行って。止まっているバスの前を横断しようとしたら、後ろからバスを追いこしてきた車にひっかけられた。運が良くて、骨がおれたりしなかったけど、本当にびっくりした。その車を運転していたのが、なんと、アニキの担任の先生でね。あとでアニキの成績がすこし上がったらしいって聞いたな。


(2)放課後はサッカーづけ
 ぼくは小学二年生のとき、札幌から小樽に引っこしたんだ。学校は入船小。三年のときにサッカーを始めた。そのころはまだ、野球が一番盛んでね。サッカーはマイナーだったんだよ。

 三年生の新人戦にすぐフォワードで試合に出て、ゴールも決めた。小学校のころは、サッカー少年だった。学校が終われば、すぐサッカー。毎日練習した。五、六年のときには全道大会にも進出したよ。小樽地区は、あんまり強くなかったから。

 小樽は近くに海があったけど、小学生のときは行ったことがないんだ。サッカー部のかんとくの先生に「海で泳いだら筋肉がゆるむ」って言われて、そうなんだと本気で信じてた。だから、実は、今でもあまり泳げないんだ。

 冬のあそびはスキー。シーズン券を買って天狗山に通った。学校から帰ると毎日、おにぎりを二個持ってすべりに行くんだ。海はダメだと言った先生も「スキーは脚力がつくからいい」って。

 その先生はおじいちゃんで、自分はサッカーをしたことがないのに、ふしぎと強いチームをつくる人だった。自分はぜんぜんキックができなくて、ボールをけるのはぜんぶ、つまさきでけるトーキック。厳しい人で、練習中は水を飲んじゃダメとか、すごいスパルタだったけど、ぼくはきらいじゃなかった。

 中学は松ケ枝中。やっぱりサッカー部に入った。小学校時代には小樽選ばつにも入っていたし、一年から試合に出してもらった。そのころは静岡県の名門、清水東高校から筑波大学に進んだ長谷川健太選手(現在はサッカー解説者?)たちにあこがれていて、同じ大学に入っていっしょにサッカーをしたいと思っていた。

 一年生の冬には、北海道選ばつの合宿メンバーに選ばれた。ちょうど合宿に行く前の日。小樽選ばつのかんとくの先生に「行く前に一回くらい練習しておいたほうがいいぞ」と言われて、体育館で練習していたらビリッと音がした。服がやぶけたみたいな音だったけど、足が完全におかしくなっていて、力が入らない。あ、これはダメだと思ったら、右ひざのじんたいが切れていた。すぐ入院することになって、合宿には行けなかった。


(3)サッカーで道選ばつに
 けがをしたとき、最初は、これからどうなるんだろうって思った。普通に歩けるようになるのかなって。お医者さんにも、サッカーは無理かもねって言われた。手術してワイヤを入れたから、中学一年の三学期はまるまる学校に出ていない。今でも、右ひざの下には十センチくらいの手術の傷あとがあるよ。

 入院した病院は大部屋で、いっしょの部屋のおじさんたちがすごくかわいがってくれた。おじさんたちがこっそり病室でたばこを吸うときに、ぼくが外で見張りをしたり。いっしょに車いすのまま外出して買い物にも行った。おかげで車いすはすごくうまくなった。

 幸い、退院して、またサッカーができるようになった。走ったりけったりするのは平気だけど、足をまげて正座して座るのは、ちょっとしんどいんだ。だから、正座をしないでいいのはラッキーだった。授業中にいたずらして、みんなで正座させられるときに「おまえは立っていていい」って。

 そのころは、いろいろやんちゃなこともやったな。海に行って、いっぱいウニをとってきたり。サッカーをしていないときは、友だちの家に行ってだべっていた。音楽のことや、好きな女の子の話とか。同じクラスだった女の子に呼び出されて「つきあって」と言われたこともあった。おしが強くて、さからえずに「いいよ」って。その子とは三カ月くらい続いたかな。

 サッカーは中二の時に北海道選ばつに入った。六十人くらい合宿に呼ばれて、その中から選ばれて全国大会にも出場した。一年の時にはノミネートされたのに直前にけがをしてしまったから、このときは本当にうれしかった。

 ぼくは勉強は好きではなかったけど、筑波大学でサッカーをしたいと思っていたから、進学校だった小樽潮陵高校を受験することにした。別に、はっちゃきになって受験勉強をしたわけじゃない。塾に行って言われることをやってたら、ビリで入ることができた。塾の先生が変わった先生で、「漢字のテストで百点とったら千円やるぞ」とか、教え方がうまかった。

 ビリというのは本当。入学試験の後、自分で採点したら、落ちていたんだ。もしかしたら、ぼくが北海道選ばつに入っていたので、サッカー部の顧問の先生が引き上げてくれたのかもしれないな。


(4)もっと上の芸人目指す
 高校に上がる直前に、また大きなけがをした。春休みに高校のサッカー部の練習に参加して。前のときと同じような感じで、無理な体勢からシュートを打とうとしたときにけがをしてしまった。冬の体育館での練習って、気をつけないといけないよ。どうしても足に負担がかかる。今度は、入学式から三週間くらい、学校に行けなかった。松葉づえで、一人だけおくれて入学した。

 ぼくは筑波大に進みたくて小樽潮陵高に入ったんだけれど、入ってから筑波大の進学レベルを見ておどろいた。なんじゃ、こりゃ! バカみたいにレベルが高いじゃないか。がくぜんとして、「あ、これは無理」と自分の中でさじを投げた。

 それからは目標がなくなってしまって、楽しきゃいいやと遊んで歩いた。大学受験の勉強なんて、いっさいやってない。授業もさっぱり分からなくなった。テストのときは、ねられるからうれしかった。

 そのころは、将来、何をしたいか、まったく分からなかった。仲間うちではカラオケ大会の司会とか、文化祭の司会もやったけど、芸人になりたかったわけでもない。高校を出て勤めた会社をやめて東京に行ってから、今の道がひらけたんだ。

 みんなに言えることは、何かを思い立ったら、やってみたほうがいい。ぼくも、東京に行くと言い出したときは、「無理に決まっている」とすごく反対された。でも、思い切って来てよかったと思う。自分で「これは好きかもしれないな」と思ったら、それをやってみればいい。

 今、ぼくはテレビのサッカー番組のキャスターもやらせてもらっている。子供のころ、サッカー少年だったぼくが、大好きなサッカーを見られてそれが仕事になるんだから、すごく楽しい。

 番組の取材でヨーロッパの強いチームが戦うチャンピオンズ・リーグの試合も見に行った。初めて本場のふんいきを味わって、びっくりした。サッカーが生活の中に根づいている。いつか、日本もあんなふうになればいいな。コンサドーレもがんばってほしい。

 ぼくの今の夢は、もっともっとすごい芸人になること。まだまだ、目指すものの途中だと思う。だれのマネでもなく、自分だけのキャラクターを持った芸人になりたいし、自分から見ておもしろいと思うことをやっていきたいな。

 聞き手・編集委員 森川潔

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