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万国博覧会といえば、にわか勉強なんですけれども、世界で一番最初に万博やったのは1851年にイギリスですか。どうして、そんなことを覚えているかというと、私は万博にえにしがあるんです。えにしといってもドラマの上なんですけれども。23年ぐらい前にNHKの大河ドラマ「獅子の時代」で、会津の下級武士の平沼銑次という役をやった。1867年、明治の直前に徳川慶喜の弟の徳川昭武という人がパリ万博への派遣団長となり、渋沢栄一さんも随行している。
史実の中には会津藩からも2名、派遣団に参加したと書かれている。会津の中でも家柄のある家老かなんかの家系の武士と、普通の武士が参加している。ドラマは山田太一さんが書かれたが、そういう歴史から題材を取って、私の役の銑次をそこに参加させたんだと思います。
パリへ渡って、万国博覧会場に行くところから1年の大河ドラマが始まったんです。青い袴でさっそうとパリのまちを歩いたのを覚えています。私も生意気盛りだったから、胸を張って歩いたような気がします。みんなびっくりしましてね、フランスの人たちが「何だあの男は」と。道路沿いにカフェに座って、「コーヒー」って頼んでも全然通じなかった。
役の上で、その万博会場に幕府からの派遣で行った。物品だけでなく、いろんな出し物もあって楽しませているんですね。ふっと見たら隣に薩摩藩の出品が別になっていて、当時、薩摩藩は幕府には属さないということで、独自にパリ万博に出品しているんですね。
日本では一番最初の博覧会は、1878年に上野公園で大久保利通がスピーチをして、天皇まで出席されて開幕したと記録されていますが、その時の入場人数が確か45万人。非常ににぎわったと書いてある。それから日本でも博覧会が頻繁にやられてますね。京都でも、大阪でも。
万博としては、1970年の大阪はすごい万博でした。入場者数は6500万人。日本の総人口の半数以上が入っている。そのしばらく後でね、田中角栄さんが日本列島改造論を発表して、カネと欲との道連れのドラマが始まっていくわけなんですよねえ。世界の「2番」だの「1番」だなんて言って経済大国に上り詰めて、バブルの崩壊を経て、奈落の底に一回落ちて、それで今ですね。私は岡目八目で門外漢だから、せいぜい2目か3目ぐらいしか見られないし、語れないけれども、本当に奈落の底から立ち上がったんでしょうかねえ。船を別の流れにのせて、自分たちの身を託したんでしょうかねえ。どうも日本人の悪い癖で、思い切って流れを変えていかずに、同じ流れの中であがいているんじゃないかなあ。
日本の竹を大切に
新聞見たら、万博の日本政府館を竹で作るんだ、と出てましたね。「おっ、まことにいい試みだなあ」と思った。しかし、その竹は国産の竹を使ってくれるんでしょうね。今、山も荒れているが、竹を使わなくなってから、日本各地の竹林が荒れている。竹林の間伐をして、その竹を使ってもらいたいね。私は仙台の生まれなんだけど、仙台の七夕もほんとの竹を使ってないですから。「さおやー、竹ざおー」って、今も時々トラックで売りにやって来るけど、あれだってビニールですよ。本竹じゃないですよね。笹もビニールで、それにビニールの札ぶら下げてる。そうなってからは仙台の七夕は一回も見てない。昔はもっと質素だったけど、本当の竹に、本当の銀紙や子どもたちが紙で書いたのぶら下げてましたね。
日本人が昔から日本を、日本を日本たらしめた文化とか産業を、特に手で作るようなものをみんな捨ててしまった。だから今度の万博に何を出すのかなと心配なんです。全国でも中小企業のみなさん本当に困っているという。1878年の上野公園で開いた博覧会の出品をみるとね、鉱業、冶金の技術とか、世界中のどこにも負けない技術が出ています。
名人芸、愛知万博でも
例えば、飛騨高山の近くの古川町に、和ろうそく作りのおじいさんがいたんだけど、名人芸でしたね。魔術のようにね、竹ヒゴですーっとやってこうやってると全部きれいな和ろうそくに仕上がっちゃう。そばで見ていても「どうやってやるんだろう」と感心した。
それは一例ですけど、今でもまだまだ秋田の山奥とか、熊本とか鹿児島とか、私の住んでいる飛騨にだって、まだまだ誰にも負けない杣人(そまびと)が頑張って山仕事もやっていますね。そういうものを今度の万国博覧会でぜひ、一角を設けて披露してもらいたいんだなあ。
私はラジオで「日本人の底力」というタイトルで、各界の無名な人も有名な人も来てもらって話を聞いています。こつこつやってるへぼ百姓さんとかね、私の古い友人で青森の米作りをやっている人とか、半年に20数人きてもらったんです。
農業大学の先生がね、「あと30年たったら日本に餓死者が続出しますよ」っていうんです。「ええっ、冗談だろう」っていったら「冗談じゃないんだ」と。
食糧自給率の深刻さ
これから免許を取って医者になろうというお医者さんの跡継ぎは、全国に毎年7000人ぐらいなんですが、お百姓さんの跡継ぎは年に800人だっていうんですね。全国でたったの800人なんです。「これはね、恐ろしいことですよ」と。
それと食糧の自給率は40%は切ってるんですよ。先進国で、そんな低い自給率の国はどこにもありません。ほとんど100%の上です。「こんなばかなことがありますか」と。そう言われてみるとねえ、それは本当にばかなことだ。
ラジオの番組でこの話を聞いた後、農協のある偉い人にご一緒した時にね、休耕田の話をしたんです。「菅原さん、こう説明すると分かりやすいですよ。日本列島が九州から北海道まであって、だいたい神戸、その手前ぐらいの播磨の辺りまでの西日本、九州、四国も入れたすべての田んぼが休んでいることになるんです」と。「えっ」と数字で聞くよりびっくりした。そのあと地図を見てみた。日本の半分近くが休んでいるのを放置したままだったわけです。なにか作ったら補助金が出ないからお百姓さんは放ったらかしている。構造改革だ、経済の発展だとか、「そんなマゴマゴしている暇はないですよ」というような話をされて、私には衝撃的でしたね。
餓死するわけにいかないから急に慌てて飛騨に引っ越して、畑を作り始めたなんていうようなことではないんですが、畑は作っています。私でなくて女房なんですがね。数年間、おいしいジャガイモを1年かかっても食いきれんほど作って、友人に送ったりしていたんだけど。去年と一昨年ね、なんとイノシシが出没するようになって畑は全滅。もうそろそろ収穫時だなあってんでね、仕事の旅を終えて帰ってきたら、畑が踏み荒らされるなんてもんじゃない。きっと家族でやってきて、おいしいものたらふく食ったから喜んで寝転がったり暴れたりしたんでしょうね。イノシシのおとっつあんが鼻で掘ってね、子どもたちに「食え食え」と言ったんでしょうね、一粒も残っていない。見事に2年間やられました。
それでね1年目にやられた後、友人に頼んで、周りにずーっと有刺鉄線を3段で張ってもらった。だけど、イノシシはそんなもんがガリーとやってもね、痛くもかゆくもないのか、多少痛くてもジャガイモに夢中だから平気で入ってくるのか、また全滅。
さすがに今年、女房殿も「ジャガイモやめましょう」って。イノシシの食べないものを選んで、つい1週間ほど前ですけどね、クワで耕した。私、宮城県生まれで、うちが百姓で結構大きな田んぼやってたもんだから、戦前や終戦直後には、朝の5時に起こされて馬の世話から、豚の世話から、鶏の世話からね、やりました。小学生ですよ。毎朝、米作りも芋作りもひと通り。今でも俳優の演技より上手だ。
青森の友人に女房が電話して、ニンニクの種を送ってもらって結構広く植えました。それからダイコン、カブ。こういうのはイノシシは食べないね、不思議なもので。ニンジンは食べます、イノシシにはおいしいんでしょうね、馬じゃないけど。
勝者のみが住みやすい都市
名古屋は私は大都市だとは思ってません。私の勝手な基準なんですが、四方に山や森が見えると、かなり大きいまちでもね、都市じゃない。タウン、まちですね。だから福岡なんかも巨大な「まち」。今でもまだあそこへいくと、山が見えて海が見えて。札幌なんかもそうですね。仙台も人口は百万人を超える政令指定都市だけど、まわりは山に囲まれて都市じゃないです。大都市や大都会とは思わない。日本ではやっぱり大都市と言えるのは、東京と大阪じゃないですかね。だから名古屋は私はタウンだと思っている。それで不足な人は、都市とまちの中間ぐらいだと思ってくださっていいんだけど。
大都市は戦争の後は、そこから生きる競争、自分の志とか希望とか夢とか、そういうものをかなえるために、ある意味で誰でも平等に戦える場所だったけど、50年、60年たって今はもう、勝者には住みやすく、負けた人は住みにくいというのがはっきりしてしまった。
こつこつこつこつとハンダ付けなんかして、小さな工場でやっている人が1日いくら、月給いくらと稼いでいるときに、大学出たばっかりでITベンチャーなんかをバーンと立ち上げた人が何億とか何十億とか、下手すると何百億、何千億円なんてお金を集めちゃう。
もう、そういうただ中には、いたくない、というか、いてもしかたがない。空気のいい、人間らしいね、ニンニク作ったりダイコン作ったり、本百姓じゃないけど、ささやかな……。
風景が毎日違う清見村
本当にきれいですよ。星はきれいだしね。私は朝起きると、まず第一にトイレなんですよ。留守が多いからトイレにも雨戸をつけているんだけど、雨戸を開けるんですよ、そうすると、山がぱーっと。トイレから見る風景だけでも毎日違う。もやがかかっていたり、すっきり晴れていたり、どんよりと曇っていたり。どんより、晴れ、雨、曇り、雪。そういうものが周囲の風景まで全部染めて、今なんかとてもきれい、一番きれいともいえる。紅葉がかなり深まって、赤、黄、いろんな色がね、それだけでなんかこう、お金とか物とかじゃなく……。
「脱都会」今からでも
若いときから酒ばっかり飲んで、演技だって下手くそだと自認してるんです。あのときの芝居、あのときの映画、あのときのテレビ、もっと一生懸命打ち込んでやればよかったなんて思っているんですが、そんな私のようなろくでもない者でもね、山、川、開発されたとはいっても、そういうところにいけば、まだまだ深く残っている日本の文化、歴史が、そのにおいが、香りが、こう地べたにしみついているのを感じます。家の周囲だけじゃなくて、いろんな山や田舎へいくと、そこにしかない地べたにしみついている香りのようなもの、においのようなものがね、感じられるという生活を、みなさんもどうですか。まだ遅くない、いつからだって、始めようと思えば。
みなさんの地元でなされる万博も、派手で大きいだけじゃなくて、中小企業とか、山で働いている人、野で働いている人の気持ちが伝わるような会場設営をね、やってください。質素でいいから、よい万博にしてください。今日はどうもありがとうございました。
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