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こんにちは、みなさんお元気ですか? 本日は、茨城県筑西市の歴史・文化財のお話です。 筑西市の南端、下妻市と接する関舘というところに関城跡という中世の城跡があります。 時は14世紀の南北朝時代、日本の朝廷は南朝と北朝に分裂し、互いに争っていました。 当時この関城は東・西・南の三方を大宝沼に囲まれた要害の地で、常陸の国における南朝方の拠点のひとつとして、小田城(つくば市)や大宝城(下妻市)、伊佐城(筑西市中舘)とともに、北朝方と激戦を繰り広げたのです。 小田城で神皇正統記(じんのうしょうとうき)を書いた南朝の雄・北畠親房が、同書を完成させたのもここ、関城であるといわれています。 関城跡には、城主・関宗佑の墓が残されています(1枚目は私satyricon撮影、2枚目は広報筑西ピープル掲載の写真)↓ 関宗佑は興国4年(1343)の関城落城のとき、城と運命をともにしたといわれています。 現在関城跡は、国指定の史跡。 ちなみに筑西市は、下館市と関城町、明野町、協和町が合併して誕生しましたが、合併前の関城町の名前の由来となったのが、この関城です。 関城跡にはこの他に、興味深い遺構が残されていますので、また次回の記事でご紹介したいと思います。 というわけで、関城跡(国指定史跡)のご紹介でした。 |
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やっとトラックバックできました^^;しばらくやってないと忘れちゃってvv;これからも情報をトラックバックしましょう^^
2008/5/28(水) 午後 10:47
よしあきさん、トラックバックありがとうございいます!!
2008/6/18(水) 午後 8:19
歴史、史跡、よく調べられて感心いたしてをります。
[ her**blog*007 ]
2008/6/22(日) 午後 2:00
her**blog*007さん、コメントありがとうございます。
歴史の記述は、ほとんどネット情報の受け売りです(笑)。
このブログにコメントをいただいたということは、筑西の方でしょうか?
よろしければ、次回はハンドルネームをお教えください。
ではでは・・・
2008/6/23(月) 午前 0:52
伊東祐親、縁の土地伊東の隣の宇佐美の在住でここにきて、初めて本と史跡でわかりました、でも歴史
は隠された真相」が闇のの中にある部分があると
思います。
[ her**blog*007 ]
2008/6/27(金) 午前 6:02
her**blog*007さん、
伊東市に住んでらっしゃるんですね。以前一度だけ行ったことがありますよ。でもずいぶん昔の事なので記憶が…(苦笑)
2008/6/27(金) 午後 7:58