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「岡山県高梁市&倉敷市玉島の旅9 水谷神社」の続きです! さて、玉島羽黒神社に至る東参道の途中には「羽黒山清瀧寺(はぐろさんせいりゅうじ)」というお寺があります↓ 以下は案内板より 「清瀧寺縁起 羽黒山は旧名を阿弥陀山と呼ばれ海上に浮かぶ小島であった。 承和五年(838)慈覚大師が唐(現在のシナ)へ渡られる時 この島で阿弥陀像を刻まれ堂中に安置された 以来この島を阿弥陀山と称えるようになった。 のち水谷(みずのや)公がこの地方を開拓されることになり 工事の無事完成を祈って 水谷家が代々信仰してきた羽黒大権現をこの山に祭り 羽黒山と改称した。 開拓当時京都蓮院門跡におられた備中松山城主(高梁市)伊勢守水谷勝隆公の御弟仙海和尚を迎え 清瀧寺を建立して羽黒権現の別当寺とした。 清瀧寺寺に伝わる羽黒大権現の学字は代108代後水尾天皇(1596〜1680)の皇子尊證法親王の御染筆である。 明治初年 神仏分離令により現在に至る」 現在私たちは、神社とお寺は別物と考えています。 しかし明治以前の日本では、神仏習合思想(日本古来の神道と外来宗教である仏教を結びつけた信仰のことで、仏の本地(本来の姿)は神であり、神と仏は一体であるとした。神仏混淆ともいう。)にもとづき神と仏を信仰していました。 現在のような形になったのは、明治の神仏分離令(明治政府が神仏習合の慣習を禁止し、神と仏をはっきり区別させようと出した命令)以降のこと。 それ以前は、神社とともに別当または神宮寺などと呼ばれる仏教寺院や仏堂が建てられ、それぞれが一体となり信仰されていました。 ここ羽黒山では、羽黒大権現(羽黒神社)の別当が清瀧寺だったのです。 なお、水谷公の備中転封前の領地である常陸国下館(茨城県筑西市)に、初代下館城主・水谷勝氏公が建立したとされる羽黒神社があることは以前から度々紹介しているところですが… かつては、下館の羽黒神社にも別当として清瀧寺(天台宗 正観院清瀧寺)が存在していました。 玉島に羽黒神社と清瀧寺を建てた際、水谷公が下館の羽黒神社と清瀧寺を意識していたことは間違いなく、おそらくは下館の羽黒神社と清瀧寺をここ玉島に再現しようとしたのでしょう。 ちなみに下館の清瀧寺は、残念ながら明治の神仏分離令を引き金にした廃仏毀釈(はいぶつきしゃく 仏教寺院や仏像、経巻などを廃する動き。これにより寺院の経済的な基盤が損なわれるなどした。)によって失われてしまったようです。 さてさて玉島の清瀧寺ですが… 上に紹介した羽黒神社参道の寺院から北に約100メートルほど(?)山の麓にも、もうひとつの清瀧寺が存在します! 地元の方に話をうかがったところ、先代のご住職は山の麓の寺院でおつとめをされていたそうですが、現在は参道の寺院に移られたとの事。 推測するに、もともとは羽黒山別当としてに羽黒山にあったものが何らかの理由(神仏分離令のため?)で山の麓に移り、再び旧地に復帰したのではないでしょうか? 山の麓には、羽黒権現関連のなんらかの社寺があったのかもしれませんね。 こちらがもうひとつの清瀧寺↓ 「羽黒山清瀧寺」と記された石碑が建っていますが、正面には鳥居があり、「羽黒大権現」の額や神社の本殿と思われる造りの建造物も…。 神仏習合の香りが多分に感じられます。 さあ、もう帰りの列車の時間が迫ってきました! 帰路は新倉敷〜岡山〜東京〜小山と新幹線を乗り継ぎ、途中車内で「岡山名物 桃太郎の祭ずし」をいただきました〜! とっても美味しゅうございました♪ というわけで、「岡山県高梁市&倉敷市玉島の旅」をご紹介する記事もこれで終了です!! 最後まで読んでくださった皆さま、誠にありがとうございました♪ ■倉敷市玉島 岡山県倉敷市の西南部に位置する地域。 寛永19年(1642)常陸下館藩(筑西市)の藩主・水谷氏が備中松山藩主となり玉島の新田開発を始める。 元禄6年(1693) 水谷氏が断絶し、領地の多くが幕府に接収される。 昭和28年(1953)玉島町が市制施行し玉島市となる 昭和42年(1967)玉島、倉敷、児島の3市が合併し新・倉敷市が誕生。 現在は倉敷市役所玉島支所管内 |
友好都市・岡山県高梁市
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「岡山県高梁市&倉敷市玉島の旅8 玉島羽黒神社」の続きです! ここ玉島の羽黒神社境内には、備中松山藩主の水谷公三代をまつる水谷神社が鎮座しているのです!! こちらはその拝殿↓ この拝殿は最近建てられたようで、コンクリート造り(?)ですね〜! 拝殿の奥には、菅原神社(天神様)、水谷神社、住吉神社、和霊神社が↓ 以下は案内板より 「水谷神社 御祭神 水谷伊勢守勝隆公 水谷左京亮勝宗公 水谷出羽守勝美公 由緒 今を去る三百有余年前 備中松山(高梁)五萬石城主水谷公三代に依って半世紀にわたり玉島浅口平野の一大干拓が見事に完成し あわせて玉島港都の構築がが企てられ 松山(高梁川)全域を改修 高瀬通し(パナマ運河より240年前に造った閘門式の運河)をつくり玉島隆盛の基盤が造成され 港は瀬戸内随一の商港として繁栄しました 実に水谷公三代は我が玉島の御祖(みおや)であります 宝暦二年(1752)四月 当時の玉島住民は水谷公三代の御偉業をたたえ 報恩感謝のまことを以って三代の御霊を斎き祀り 今日に至ったのであります 昭和63年5月 水谷左京亮公三百年祭奉賛会建之」 なんと水谷公三代は玉島の人々に慕われていたのみならず、遂には神様になっていたんですね〜!! さらに羽黒神社の東参道には、こんな建物も↓ 水谷公記念館です! この記念館は昭和33年、水谷公玉島開墾・羽黒神社鎮座三百年記念祭奉賛会が三百年記念事業のひとつとして建設したもの。 この年玉島市では、水谷公玉島開墾・羽黒神社鎮座300年を記念し水谷公三代の遺徳を讃えるため、全市をあげて様々な事業を行ないました(平成19年にも鎮座350年祭が行なわれています)。 水谷公がいかに玉島で愛されていたか、よくわかりますね〜! 同じく水谷公を藩主とした常陸国下館(茨城県筑西市)の住民として、誇らしいような嬉しい気持ちです♪ というわけで水谷公ゆかりの地をめぐる旅、「岡山県高梁市&倉敷市玉島の旅10 羽黒山清瀧寺」に続きます! ■倉敷市玉島 岡山県倉敷市の西南部に位置する地域。 寛永19年(1642)常陸下館藩(筑西市)の藩主・水谷氏が備中松山藩主となり玉島の新田開発を始める。 元禄6年(1693) 水谷氏が断絶し、領地の多くが幕府に接収される。 昭和28年(1953)玉島町が市制施行し玉島市となる 昭和42年(1967)玉島、倉敷、児島の3市が合併し新・倉敷市が誕生。 現在は倉敷市役所玉島支所管内 |
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「岡山県高梁市&倉敷市玉島の旅7 水谷公遺徳顕彰碑」の続きです! さてここ玉島には、高瀬通しの船だまりや玉島湊を見下ろすように小高い丘・羽黒山があります。 もともとは瀬戸内の海上に浮ぶ小島だったというこの羽黒山、その頂上に鎮座するのが玉島の羽黒神社です! こちらが羽黒神社の東参道↓ 現在、参道はほかにも2つあるようです(写真左:南参道、右:西参道)↓ 南の参道を登ると神社の拝殿前に出るので、もしかしたらこちらが本来の表参道だったのかもしれません。 安政4年(1852)に再建されたという拝殿です↓ こちらの本殿は嘉永3年(1845)再建とのこと↓ 玉島の羽黒神社は万治元年(1658)、備中松山藩主の水谷勝隆公が建立したもの。 玉島地方の干拓を行なうにあたり、その成就を祈願するとともに玉島の守護神とすべく、水谷家代々の氏神である出羽国羽黒山の出羽神社の神霊をこの地に勧請しました。 水谷家が無嗣断絶で改易となった後も、安藤家や石川家、板倉家といった歴代松山藩主により引き続き保護され、今日に至ります。 ちなみに水谷公の旧領である常陸国下館(茨城県筑西市)にも、初代下館城主・水谷勝氏(みずのやかつうじ)公が建てたとされる羽黒神社が現存しています!! 筑西市民の皆さん、倉敷市にも羽黒神社があることをご存じでしたか〜? そして倉敷市民の皆さん、筑西市にも羽黒神社があることをご存じでしたか〜? 境内で、水谷公寄進の六角石燈籠(倉敷市指定文化財)を見つけました↓ 「水谷出羽守勝美」の文字が読みとれますね〜↓ satyriconが住む筑西市から遠く離れた倉敷市に羽黒神社があり、今回そこに参拝することができて感激です♪ というわけで、次回は「岡山県高梁市&倉敷市玉島の旅9 水谷神社」に続きま〜す! ■倉敷市玉島 岡山県倉敷市の西南部に位置する地域。 寛永19年(1642)常陸下館藩(筑西市)の藩主・水谷氏が備中松山藩主となり玉島の新田開発を始める。 元禄6年(1693) 水谷氏が断絶し、領地の多くが幕府に接収される。 昭和28年(1953)玉島町が市制施行し玉島市となる 昭和42年(1967)玉島、倉敷、児島の3市が合併し新・倉敷市が誕生。 現在は倉敷市役所玉島支所管内 |
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「岡山県高梁市&倉敷市玉島の旅6 水谷公寄進石灯篭と手水鉢」の続きです! 玉島は倉敷市の西部にあり、乙島、柏島、七島など「島」がつく地名が多いことからもわかるように、かつては大小の島が点在する浅海でした。 江戸時代初期に埋め立てによる新田開発が行なわれ玉島港が開かれると、「山陽の小浪華(こなにわ)」と呼ばるほど栄えます。 当時の玉島は備中松山藩(高梁市)の飛び領地。 港や新田開発を行なうことにより玉島の基礎を築いたのこそ誰あろう、備中松山藩主だった水谷勝隆(みずのやかつたか)公・勝宗(かつむね)公父子なのです! それではさっそく、玉島を散策してみましょう♪ JR新倉敷駅からタクシーに乗り到着したのは、ここ「倉敷市玉島歴史民俗海洋資料館」です↓ 資料館では、玉島港や船の歴史を紹介するとともに、羅針盤や救命用具など船に装備された道具類、玉島の農漁村・商家などで使用されていた漁具や農耕具などの民俗資料など展示しています。 玉島の新田開発の様子を年代順に紹介したパネル↓ 埋め立ての過程がよくわかりますね〜。 江戸時代から明治時代まで、江戸、大阪をはじめ瀬戸内、日本海などの幹線航路で活躍した千石船(弁財船)↓ 10分の1のスケールだそうですが、なかなか精巧にできています! こちらは近現代の資料↓ ちなみに資料館の係員の方に「水谷公が備中松山藩主になる前の領地、常陸下館から来ました」と告げたところ、親切に色々と説明していただきました♪ 資料館を見学したあとは、そのすぐ近くに建つ「水谷公遺徳顕彰の碑」へ↓ 5mを超える大きな石碑は、昭和27年4月に水谷侯遺徳顕彰会が建立したもの。 水谷公が、いかに玉島の人たちに慕われていたががよくわかりますね〜。 倉敷市との合併により玉島市は消滅してしまいましたが、旧玉島市時代の昭和33年には、全市をあげて水谷公玉島開墾300年を記念し水谷公伝記の出版や式典やなどを行なっています。 さて記念碑の写真も無事撮ったことだし、玉島散策を再会しましょう! 続いてはここ、高瀬通しの舟だまり跡です↓ 「高瀬通し」とは、お城(備中松山城)のある高梁と玉島港を結ぶ物流ルートとして、水谷勝隆公・勝宗公が開削させた長さ10キロにおよぶ運河。 2つの水門で水位調整することにより高瀬舟を航行させる閘門式運河で、同じ仕組みのパナマ運河より、240年も早く作られていたそうです!! 現在その面影はあまりありませんが、「舟だまり」は高瀬舟の終着点にあたる場所です。 きっと当時は、たくさんの高瀬舟で賑わっていたんでしょうね〜! というわけで、次回は「岡山県高梁市&倉敷市玉島の旅8 玉島羽黒神社」に続きま〜す! ■倉敷市玉島 岡山県倉敷市の西南部に位置する地域。 寛永19年(1642)常陸下館藩(筑西市)の藩主・水谷氏が備中松山藩主となり玉島の新田開発を始める。 元禄6年(1693) 水谷氏が断絶し、領地の多くが幕府に接収される。 昭和28年(1953)玉島町が市制施行し玉島市となる 昭和42年(1967)玉島、倉敷、児島の3市が合併し新・倉敷市が誕生。 現在は倉敷市役所玉島支所管内 |
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「岡山県高梁市&倉敷市玉島の旅5 頼久寺と石火矢町ふるさと村」の続きです! さすがはお城のある城下町、交通標識もこんな感じ↓ で、こちらが郷土資料館↓ この建物は明治37年(1904)に建築され、旧高梁尋常高等小学校の本館として使用されていたもの(高梁市指定重要文化財)。 現在は、市民の協力によって収集された江戸時代から昭和初期までの民俗資料3,000点を展示公開中です↓ 農機具、電話機、蓄音機、神輿などなどものすごい資料の数です! 中でも印象に残ったのは、高梁川水運で活躍した高瀬舟と2階講堂に飾られた天皇皇后両陛下の御真影でしょうか。 さて次に向かったのはこちら、落合町近似(おちあいちょうちかのり)にある山王宮(山王神社)↓ ここには、水谷家第3代備中松山藩主・水谷勝美(みすのやかつよし)公が元禄6年(1693)に寄進した石燈籠と手水鉢がの残っています! 高梁市指定重要文化財・水谷公寄進の燈籠↓ 高梁市指定重要文化財・水谷公寄進の手水鉢↓ 水谷勝美公は2代藩主・勝宗公の嫡男。 祖父・勝隆(かつたか)公、父・勝宗(かつむね)公の後を継いで土木事業を行い民政に心を用いたそうですが、病気がちで元禄6年10月6日、31歳のとき備中松山で逝去。 実子がいなかったため従兄弟にあたる旗本・水谷勝阜の長男・水谷勝晴を末期養子としましたが、その勝晴も家督相続前の11月27日に亡くなったため、水谷家は無嗣断絶で改易となりました。 本当に残念なことです…。 なお大名としては改易となった水谷家ですが、勝美の弟・水谷勝時が川上郡布賀村に3,000石を与えられ、幕末まで旗本として存続しています。 そろそろ電車の時間が近づいてきたので、駅近くまで戻ってお昼をいただくことにしましょう! 今日の昼食はこちら↓ 宿泊した高梁国際ホテル近くにある「郷土料理・味の伊知」さんの「備中松山城三色めん」! お城の形をした器が三段重ねになっていて、それぞれ備中きびめん(たかきびのうどん)、備中高原めん(よもぎのうどん)、備中手造りうどんを楽しむことができます! はい、美味しゅうございました♪ さあ、名残惜しいですが高梁市ともいよいよお別れです(涙) 備中高梁駅から特急やくもに乗り…新幹線を乗り継いで、新倉敷駅へ↓ 新倉敷駅からはタクシーで、今回の「水谷氏を訪ねる旅」第二の目的地・倉敷市玉島を目指します! というわけで、次回は「岡山県高梁市&倉敷市玉島の旅7 水谷公遺徳顕彰碑」に続きま〜す! ■岡山県高梁市 人口:34,535人(H22年5月末現在) 面積:547.01平方km 市の木:あかまつ 市の花:さくら 市の鳥:ヤマセミ 特産品:桃太郎トマト、マツタケ、ゆず、白桃、栗、備中宇治茶、ニューピオーネ、アユ、ゆべし、 備中漆塗り工芸品、神楽面など 常陸下館藩(筑西市)の藩主・水谷家が備中松山藩(高梁市)に移封された機縁から、筑西市と友好都市に |






