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1ケ月ほど前の話ですが… 東京都中央区京橋にあるブリヂストン美術館で開催中の「没後100年 青木繁展 よみがえる神話と芸術」に行ってきましたー! 青木繁は、明治後期の浪漫主義を代表する夭折の天才画家。 西欧世紀末芸術の影響を受け、日本の神話に取材した作品が多いのが特徴です。 東京駅八重洲中央口より徒歩5分、こちらがブリヂストン美術館があるブリヂストンビルです↓ はい、到着しました↓ 入場券です↓ 青木繁は明治38年(1905)、栃木県芳賀郡水橋村の呉服商の娘で恋人の福田たねとともに茨城県真壁郡伊讃村川島に滞在しているのですが… この真壁郡伊讃村川島というのは、現在の筑西市川島のこと!! そう、青木繁は、私satyriconのふるさと筑西市に住んでいたことがあるのです! またこの時「大穴牟知命」という作品を制作したといわれています! ということで展覧会で観た作品をいくつかご紹介。 ますは、代表作である「海の幸」(国重要文化財)↓ 川島郵便局の一室を借りてアトリエとし、制作されたとされる「大穴牟知命」↓ 「わだつみのいろこの宮」↓ 「日本武尊」↓ 以前このブログでも紹介したとおり、これらの作品「海の幸」「大穴牟知命」、「わだつみのいろこの宮」、「日本武尊」については、筑西市のJR下館駅前通りにセラミックアート(陶板)となって展示されています! お近くの方は一度ご覧になってください♪ そしてこちらは、川島の玉井旅館滞在中に生まれた息子・幸彦を描いた「幸彦像」↓ ちなみに青木の子・幸彦は、福田蘭童を名乗りNHKラジオ番組「新諸国物語・笛吹き童子」のオープニングテーマを作曲するなど作曲家・尺八奏者として活躍しています。 また蘭童の子(つまり青木繁の孫)が、ハナ肇とクレージーキャッツのメンバーでピアノを担当していた石橋エータローです。 というわけで、皆さんは青木繁の作品をご覧になったことがありますか〜? ■没後100年 青木繁展 よみがえる神話と芸術 会期 平成23年7月17日(日)〜9月4日(日) 休館 月曜日(祝日の場合は翌日)※8/15・22・29は特別開館 時間 午前10時〜午後6時 ※入館は閉館の30分前まで 料金 一般1,000円 65歳以上800円 大学・高校生700円 中学生以下無料 会場 東京都中央区京橋1丁目10番1号 ブリヂストン美術館 主催 石橋財団ブリヂストン美術館 協賛 日本写真印刷 ■青木繁 明治15年(1882)福岡県久留米に生まれ、明治32年(1899)画家を志して上京し不同舎に入門。 明治33年(1900)に東京美術学校西洋画科に入学、黒田清輝の指導を受ける。 明治37年(1904)夏、訪れた房州布良(千葉県館山市)で代表作『海の幸』(重要文化財)を制作、同作品は白馬会に出品されて高い評価を得る。 明治38年(1905)8月、茨城県真壁郡伊讃村川島(現在の筑西市川島)に滞在中、不同舎の同門で恋人である福田たねとの間に幸彦(後の尺八奏者・福田蘭童[らんどう」)が誕生。 明治40年(1907)父危篤の知らせを聞き単身帰郷するも、その後九州各地を放浪する生活を続け、明治44年(1911)窮乏のうちに28歳の生涯を閉じる。 |
青木繁(洋画家)
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コメント(15)
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こんにちは、みなさんお元気ですか? 以下は陶板の解説より 青木繁 福岡県出身 1882−1911年 1882(明治15)年7月に福岡県久留米市に生まれ、後に東京美術学校西洋画科に入学します。近代日本洋画壇の天才画家と称賛され、その作品は明治の浪漫派を代表する感性豊かで独創的なものであり、代表作は現在、国の重要文化財に指定されています。1905(明治38)年8月には、筑西市川島に滞在し地元住民をモデルに神話を題材とした作品を制作しました。生涯に二度、茨城の地を訪れた彼は、芸術への夢と貧困という現実の中で28歳の波乱の一生を終えましたが、茨城での生活は充実したものでした。 以上、せっかくの解説なのに、明治38年に筑西市川島で描いた作品の名前「大穴牟知命(おおなむちのみこと)」に言及していないのは残念です(涙) 下館駅前に「大穴牟知命」の陶板が設置されているというのに…。 というわけで、筑西市の下館駅前通りには筑西ゆかりの芸術家を紹介するモニュメントが設置されていて、それらを歩いてめぐることができます。 みなさんも一度散歩してみてください! |
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こんにちは、みなさんお元気ですか? 茨城県筑西市にある下館駅の北口駅前通りでは現在、セラミック板(陶板)に市ゆかりの芸術家の絵画作品などを焼き付けたモニュメントを設置する「まちなか美術館」事業が進められています! 作品は「日本武尊(やまとたけるのみこと)」↓ 下館駅北口から駅前通り(稲荷町通り)を北に進んだところにある、下館税務署など国の機関が入った「筑西しもだて合同庁舎」前にあります。 明治の天才画家・青木繁は、明治38年に恋人の福田たねとともに市内川島(当時の真壁郡伊讃村川島)に滞在していたことがあり、二人の子どもである幸彦(後の尺八奏者・福田蘭堂)もこの地で生まれているそうです! というわけで、皆さんも近くまでお越しの際はぜひご覧になってください。 |
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こんにちは、みなさんお元気ですか? 茨城県筑西市にある下館駅の北口駅前通りで、市が進めている「まちなか美術館」事業。 この事業は、筑西市ゆかりの芸術家の作品絵画などをセラミック板(陶板)で再現したモニュメントを設置するというものです! 「海の幸」と「大穴牟知命」がある下館駅北口から駅前通り(稲荷町通り)をほんの少し北に歩くと、通りの東側にあるのがこれです↓ 青木の作品「わだつみのいろこの宮(石橋美術館蔵)」の陶板。 芸術作品に街中で気軽に触れられるというのも、いいものですよね。 ちなみに陶板(セラミック)に焼き付けた作品は、半永久的に退色しないそうです! というわけで皆さん、近くまでお越しの際は、ぜひご覧になってください。 |
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こんにちは、みなさんお元気ですか? 茨城県筑西市の玄関口ともいえる下館駅北口広場には、夭折した明治の天才洋画家・青木繁(あおきしげる1882〜1911)を顕彰する陶板が設置されています! 何故このような陶板が筑西市にあるのかというと・・・ 実は青木繁は明治38年、恋人の福田たねとともに市内川島に滞在していたことがあるのです! 二人の間の子どもである幸彦(後の尺八奏者・福田蘭堂)も、この地で生まれています! 下館駅北口広場にある陶板は、片面が「海の幸(国重要文化財、石橋美術館蔵) 」↓ もう片面が「大穴牟知命(おおなむちのみこと 石橋美術館蔵) 」↓ ちなみに私satyriconは以前、東京のブリジストン美術館で開催された「青木繁 海の幸100年」という展覧会を観にいったことがあります。 その時この「海の幸」の実物を観ました! 同展には「大穴牟知命」も展示されていたのですが、「大穴牟知命」は、恋人たねと当時川島で砂利採集をしていた労働者をモデルに描かれたとのこと。 つまり、筑西市内で描かれた作品ということです! おおー、すごい! というわけで、青木繁「海の幸」「大穴牟知命」のセラミックアート、お近くまでお越しの際にはぜひご覧ください。 |
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