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こんにちは、みなさんお元気ですか? さてこのブログ「筑西歳時記」では、毎年4月に茨城県筑西市内に咲く桜の記事を書いていて、今年(平成29年)は既に延命寺のしだれ桜と黒子駅の桜をご紹介させていただきました。 4月も残り数日となり季節はずれとなってしまいますが、もうひとつだけ、筑西市内に咲く桜をご紹介しますので、おつきあいください! さてさて、本日ご紹介するのは市内布川にある布川神社の桜。 桜の名所として知られているわけではありませんが、毎年春には南北に長い境内に、約30本の桜が見事に咲いています↓ この布川神社を訪れたのは、もう桜も散り始めた頃。 境内には、散った花びらが舞い落ちていました↓ こちらは一の鳥居↓ 二の鳥居↓ そして拝殿(左)と本殿(右)↓ 境内に設置されていた解説板です↓ さんのうさまと呼ばれていた神社 布川神社(布川城跡) 筑西市布川字本宿五八九番地 布川神社は、布川観音寺、法高寺と、北原新田愛宕神社、稲荷神社、女方羽黒神社と結界を形成する結城家にとって重要な神社である。 布川城(南東の敵に備えた結城氏の出城である。当時布川村は本宿、東宿、西宿、南宿、北宿の五ケ宿に分かれ戸数千戸に及んでいた。)の跡地であり、結城氏朝の族布川五郎友信)が城中の守護神として建立した。 文亀元年(1501)二月友信、秋山丹後等と戦い城遂に陥いる。以来当村の鎮守となった。境内の南方及び北方に堀土塁等が存在する、又東に山王神社(布川氏の守護神)があった。本殿南には往時を偲ぶ五輪の塔(友信の碑といわれている)がある。明治六年四月一日村社列格、大正四年十一月十二日供進、昭和二十七年九月二十二日宗教法人認証。 祭神 大山昨命(おおやまくいのみこと) 境内神社 神明両神社 大日孁貴命(おおひるめむちのみこと)天満宮 保食命(うけもちのみこと) 祭祀 例祭十一月二十五日 施設 本殿流造間口一間 奥行一.五間 拝殿間口三.五間 奥行二間 鳥居二基 五輪塔一基 境内 三〇八一平方メートル 布川村は、『杉山私記』(明治二十七年発行)によれば、往古当地大なる原野なり、下総国結城氏十一代の頃、西の方鬼怒川より新川を堀りその川当地内を通し、大宝湖に入るこの川は西鬼怒川より引来るをもってその怒文字と及の文字を置き怒之川と言う。その川の端に住むを以って怒乃川村という。 贈 下館商工会議所 管理者 布川氏子中 解説板に「さんのうさまと呼ばれていた」とあるように、以前は、御祭神である大山昨命の別名「山王(さんのう)」様と呼ばれていたようです。 下館市史には「明治6年に田河内(たこうち)の愛宕神社を合祀して布川神社と改めた」とあります。 また、この解説板によれば、ここには結城氏当主・結城氏朝の族布川五郎友信の城があったそうです。 「氏朝の族五郎友信」というのは、氏朝の子(五男?)である友信という程の意味でしょうか。 「境内の南方及び北方に堀土塁等が存在する」とも書かれていますが、現地を見たところ、もしかしたら堀跡かもしれないと思わせる農業用水が北側に流れていたものの、南側は確認できませんでした。 土塁は既に崩されてしまったのか、南にも北にもそれらしきものはみつかりませんでした。 結城氏朝といえば、結城氏が室町幕府に反旗を翻し、鎌倉公方・足利持氏の遺児である春王丸と安王丸を結城城に迎えて籠城した、結城合戦の当事者。 江戸時代と違い、いつ戦が始まるかわからない時代です。 当時の城は、土地の高低差や川の流れなどを利用し、防御を考慮して造るのが主流でした。 この平たんな土地に、本当に結城氏朝と同時代の城があったのかどうか。 もしかしたら、もっと古い時代の館の跡なのかもしれませんが、よくわかりません。 お参りして境内を歩くと、拝殿前に五輪塔らしきものが建っていました。 これが解説版にある布川五郎友信の碑でしょうか↓ 神輿の保管庫(?)を覗いてみると、三つ巴の家紋がついた神輿を発見↓ というわけで、今年の筑西市内に咲く桜の紹介はこれで最後とし、来年はまた違う場所の桜をご紹介できればと思います。 ■このブログで紹介したことのある筑西市内の桜 下館町役場跡(羽黒山清瀧寺跡)の桜 筑西市合併1周年記念の桜 積善院の枝垂桜 さわやかロードのしだれ桜 船玉の桜 勤行川桜づつみ 観音院のしだれ桜 延命寺のしだれ桜 延命寺のしだれ桜(ライトアップ) 母子島遊水地の桜 明野公民館の桜、明野薪能開催記念の桜 大谷川の桜と菜の花 県西総合公園の桜 二所神社の桜 下館駅南の桜並木ライトアップ 黒子駅の桜 |
■筑西の歴史・文化財
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こんにちは! 暑い日が続いていますが、みなさん夏バテしていませんか? さて、終戦記念日を前にした8月10日(土)、茨城県筑西市のしもだて地域交流センター・アルテリオでアルテリオ開館10周年協賛事業「太平洋戦争下 市民の思い出 講演会」が開催されました↓ この講演会は、「戦争の犠牲の上に今の平和が築かれたことを、しっかりと伝えていきたい」と、市民グループ「筑西郷土史を考える会」が主催したもの。 私satyriconは時間の都合で少ししか講演を聞けませんでしたが、会場前のパネル展示と戦争の記憶を後世に伝える品々を拝見させていただきました↓ 現在の筑西市域には大東亜戦争中、下館飛行場(熊谷陸軍飛行学校下館分教所、後に宇都宮飛行学校下館分校)という帝国陸軍の飛行場がありました。 戦争末期になると、ここから特攻隊が出撃しています。 また大日本兵器伊讃美工場という軍需工場もありました。 これら軍事関連施設は敵の攻撃目標となり、市内は何度も艦載機の空襲を受けたそうです。 昭和20年には、工場に女子挺身隊として動員されていた下館高等女学校(現在の県立下館第二高等学校)の生徒2名が戦死しました。 そう、ここ筑西も戦場だったのです。 というわけで、「太平洋戦争における 筑西市民の思い出を語る講演会」のご紹介でした。 |
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こんにちは! 4月なりましたが、寒い日が続いていますね。 みなさんは、元気にお過ごしでしょうか? 以前にも書いたことがある場所なのですが… その時はブログを始めたばかりで、写真が1枚だけの記事だったため、もう一度紹介させていただきます。 特に桜の名所として有名というわけではないのですが… 市内大町の羽黒神社南側にある児童遊園に咲く桜です↓ 桜と下館音頭の歌碑↓ ちなみにここには江戸時代、黒子の千妙寺の末寺であった天台宗羽黒山清瀧寺というお寺がありました。 清瀧寺は明治の神仏分離によって廃寺となり、建物の一部は小学校や下館裁縫所などに使われたそうです(参照「下館商工会議所 創立50周年記念誌」)。 また、この場所はその後、下館町役場の所在地となり、更に下館市制施行後も市役所庁舎の所在地であった時期があるようです。 今回記事を書くにあたって下館町役場の写真を探したところ、1枚だけ見つけました↓ 大正13年に発行された「茨城縣真壁郡郷土史」という本の中にあった写真です。 もうちょっとハッキリ写っている写真が見つかればよかったんですが…。 またいつか、見つかったらご紹介いたします。 というわけでみなさんは今年、何回桜をご覧になりましたか? ■このブログで紹介したことのある筑西市内の桜 下館町役場跡(児童遊園)の桜 筑西市合併1周年記念の桜 積善院の枝垂桜 さわやかロードのしだれ桜 船玉の桜 勤行川桜づつみ 観音院のしだれ桜 延命寺のしだれ桜 延命寺のしだれ桜(ライトアップ) 母子島遊水地の桜 明野公民館の桜、明野薪能開催記念の桜 大谷川の桜と菜の花 県西総合公園の桜 二所神社の桜 下館駅南の桜並木ライトアップ |

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こんにちはみなさんお元気ですか? 3月も中旬となり春も近づいてきましたね。 さて本日は、随分前に行って来たにもかかわらず、まだブログにアップしていなかった話題をご紹介します。 茨城県筑西市のお隣・桜川市にある真壁伝承館で開催中の第3回企画展「歴史の道 鎌倉街道と小栗道」展↓ この企画展では、『茨城県歴史の道調査事業(茨城県教育庁文化課主催、国庫補助)において調査中の古道「鎌倉街道」と「小栗道」発見の経過について、現地取材写真、考古資料、古文書、伝承など、道にまつわる様々な情報』が紹介されています。 鎌倉街道とは、鎌倉時代ごろに設置された鎌倉と御家人たちの拠点をつなぐ古道のこと。 「いざ鎌倉!」という時、御家人たちはこの道を通って鎌倉を目指しました。 桜川市内の鎌倉街道は、中郡庄木所城の推定地である橋本城から、筑西市小栗へとつながっていたようです。 ちなみに中郡庄木所城は、永享の乱で自害した鎌倉公方足利持氏の子・春王丸と安王丸が、父の無念をはらすべく軍勢を旗揚げした城で、結城合戦の発端となった場所です。 結城合戦を記した「永享記」などの軍記は、中郡で挙兵した春王丸たちが小栗、伊佐の庄を経由して結城城に入ったとしています。 小栗、伊佐はいずれも現在の筑西市域であり、鎌倉街道が設置されたであろう鎌倉時代初期にはそれぞれ、小栗判官で有名な小栗氏と、仙台伊達家の祖である伊佐氏が地頭職に補任されていたと考えられています。 今回の調査対象は桜川市内の鎌倉街道のみですが、恐らくは、小栗から伊佐を経て、結城、小山方面の中道(なかつみち、東北に至る本道)につながっていたのでしょう。 小栗道は、筑西市の小栗、新治郡衙から白壁(真壁)郡衙をつなぎ、石岡市にあった常陸国府へと向かう官道でした。 郡衙とは、日本の古代律令制度下で、郡の役人(郡司)が政務を執った役所のこと。 ちなみに2つの古道は今でも歩くことができるそうなので、足に自信がある歴史好きの方は、一度歩いてみても面白いかもしれませんね。 さてさて、真壁伝承館を後にした私satyricon一行、折しも開催中だった「真壁のひなまつり」を覗いてみることにしました! 真壁の町は、雛飾りを見に来たお客さんで大賑わいです↓ 桜川市真壁(旧真壁町)の歴史ある町割りには、見世蔵、土蔵、門などが軒を連ね、104棟が国の登録文化財に登録されています。 また、平成22年には国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。 こちらは、旧真壁郵便局↓ 石匠の見世蔵のマスコットキャラクターいしおさん↓ 旅籠ふるかわさんでは、二階の軒下にお雛様が↓ 橋本旅館さんに飾られていた、300年前の享保雛↓ とっても貴重なお雛様だそうです! 今年で11年目を迎えるという真壁のひなまつり… 古い街並みと雛飾りがマッチして、町おこしとしても良いアイディアですね。 今年から始まった「筑西雛祭り ひなめぐり」も、もう一工夫して、10年後には大勢のお客さんが呼べるようになれば良いものです。 というわけで、真壁伝承館歴史資料館第3回企画展「歴史の道 鎌倉街道と小栗道」展と真壁のひなまつりのご紹介でした。 ■真壁伝承館歴史資料館第3回企画展「歴史の道 鎌倉街道と小栗道」展 日時 平成24年12月1日(土)〜平成25年3月17日(日)午前9時〜午後4時30分 入館 無料 場所 桜川市真壁町真壁198番地 TEL0296−23−8521 休館 月曜、祝日(月曜日が祝日の場合はその翌日も)、年末年始 ■真壁のひなまつり 和の風第十一章 期日 平成25年2月4日(月)〜3月3日(日) 問合せ 桜川市商工観光課 TEL0296−55−1111 |
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こんにちは。 ゴールデンウイークに突入しましたが、皆さんいかがお過ごしですか? 最近ますます更新頻度が低くなっているこのブログ筑西歳時記… もう5月になろうというのに、相変わらず私satyriconが住む茨城県筑西市内の桜めぐりの続きです。 今回ご紹介するのは市内成田にある二所神社(にしょじんじゃ)、訪れたのは4月中旬このと↓ 既に散り始めていましたが、境内に植えられた桜がとってもキレイでした↓ 枝垂れ桜もあります↓ こちらは筑西市指定文化財(建造物)の本殿↓ 二所神社の祭神は、「新編常陸国誌」によると、武甕槌命(たけみかづちのみと)経津主命(ふつぬしのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)大日霎命(おおひるめのみこと)、相殿として徳川家康、八雷神となっています。二所神社と称するのは、鹿島社(武甕槌命)と別雷神社を合祀したためで、他の祭神はその後合祀されたものと思われるそうです(参照:筑西市公式ホームページ)。 境内にある由緒を記した案内板には… 由緒 後鳥羽天皇の御宇(平安時代後期)成田五郎助忠此神を領地に勧請し成田鹿嶋神と称し近傍十八邑の鎮守と為す。寿永二年(1182)右大将源頼朝卿が平家追討の時、成田五郎助隆は義経に属し、八島発向時武運長久を奉勧請する。源平合戦の折武功を上げた助隆は源頼朝卿より養蚕川筋十二郷を賜り、郷民と共に神徳を喜び、文治二年(1186)当地に鹿嶋神社を再建し大祭事を執行した。 慶安二年(1649)十月徳川家光公の帰依により祀田五石の朱印を授かる 享保十二年(1727)八月二十一日正一位を奉授される 明治九年(1876)旧暦八月別雷大神を合祀し二所神社と改称する 明治十二年(1879)旧暦八月十日郷社に別格する …とありました。 ちなみにWikipediaによると、鎌倉御家人の成田氏の祖に助隆がおり、その孫に助忠がいるようです。 由緒書にあるのはこの成田氏でしょうか、よくわかりません… なお境内では、もうひとつの市指定文化財(天然記念物)・大榊(おおさかき)も見ることができます↓ 榊は温暖な土地を好むツバキ科の樹木で、生息範囲は北は千葉房総地域であり、茨城県では珍しい樹木とのこと(参照:筑西市公式ホームページ)。 また、二所神社では大正時代まで流鏑馬神事と煙火奉納打ち上げが行われていたそうです。 その当時使われていたのでしょうか、花火の筒がおさめられていました↓ どんな花火が打ち上げられていたんでしょうね。 というわけで、二所神社の桜と文化財のご紹介でした。 ■過去に紹介したことのある筑西市内の桜 下館町役場跡(児童遊園)の桜 筑西市合併1周年記念の桜 積善院の枝垂桜 さわやかロードのしだれ桜 船玉の桜 勤行川桜づつみ 観音院のしだれ桜 延命寺のしだれ桜 延命寺のしだれ桜(ライトアップ) 母子島遊水地の桜 明野公民館の桜、明野薪能開催記念の桜 大谷川の桜と菜の花 県西総合公園の桜 |






