小説「彼女のいた八月・・・」

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第二八話は

この物語にはフィクションとノンフィクションが混ざっていました。
最後のシーンは先日の小生の事故と、事故で亡くなった友の亡くなっていく場面を重ねたものです。
 
目の前で起きた事故。
小生は為す術も無く、息を引き取る友人を見送るしかありませんでした。
当時は携帯電話も無く、近所の民家までバイクで走り、救急車を呼んだのですが、事故の現場も正確に伝えられず、到着はかなり遅れてしまいました。
夏の終わり、そして日の暮れる頃。
自分が我に返ったとき、もの悲しいヒグラシの声が聞こえていました。
 
保土ヶ谷バイパスでの事故で自分が気がついたときに、そんな思いが重なったのです。
友が「まだダメだ」と、耳元でささやいたような、そんな気がしました。
 
そのとき左の脇道から1台の車が飛び出してきた。
僕の映像はスローモーションに変わった。
ゆっくりと右折しようとしている。
僕はブレーキレバーに手をかけた。
グッと握りこむとフロントタイヤがキュキュッと鳴り始めた。
タイヤと路面の摩擦係数は最大になり、バイクは急激に減速した。
だが、バイクの運動量とブレーキによる制動力、そして目の前に残された距離を計算したときに、どう考えても止まれる距離ではなかった。
「ぶつかる!」そう思った次の瞬間、僕は飛んでいた。
そして地面に叩き付けられた。

息ができない・・・。
僕は意識を取り戻した。
ヘルメットのシールドは割れ、目の前にアスファルトが見えた。
うつぶせに倒れていた。
きっと大丈夫だと自分に言い聞かせた。
だが体が痺れている。
寒い、とても寒い。
震えが止まらない。
僕は手を動かそうとした。
だが、かすかに動かすことはできるが続かない。
足は?
足もかろうじて反応するだけで、動かすことは不可能だった。
そして赤い液体が目の前のアスファルトに広がっていった。
力が抜けていく。
だが、まだ僕は終わるわけにはいかない。
倒れたバイクは目の前にある。
あれに跨がることさえできれば・・・。
彼女の笑顔が目の前に浮かんだ。
嫌だ、彼女に会うまでは何としても・・・。
声を振り絞って助けを呼ぼうと叫んだ。
しかし、それは声にならなかった。

僕は、遠のいていく意識の中で、今まで騒がしいくらいに聞こえていたヒグラシの声が、徐々に小さくなっていくのに気づいた。












土曜日のオフィスで仕事を片付けると、もうお昼だった。
僕は慌ててアパートに帰ると、近所の不動産屋に駆け込んだ。
彼女と子供と3人で暮らす為の、もう少し広い部屋を探していて、良い物件が見つかったのだ。
不動産屋から詳細な案内を受け取るとアパートに戻り、その紙と用意してあった婚約指輪をバッグにしまった。

ヘルメットとグローブを取り、バイクのカギをポケットにねじ込むと、バッグを抱えて外に出た。
バイクのカバーを外し、タンデムシートにバッグを積むとエンジンをかけた。
暑い夏の午後だった。

僕は彼女に早く会いたかった。
自宅から一番近いランプで首都高速に乗った。
首都高速は相変わらず混んでいて、時間ばかり過ぎていった。
車を縫うように走り、高速道路に乗り継いだ。
アスファルトに陽炎が立つ。

僕は、ホテルに一番近いインターチェンジで高速道路を降りた。
しばらく走って喉が渇くのを覚え、自動販売機でジュースを買った。
もう陽は傾きかけていたが、熱はまだ地面を覆っていた。
あまりの暑さに一気に飲み干した。
ヒグラシがカナカナカナと鳴き始めた。
日没は近い。

あともう少しだ、僕は深呼吸をした。
再びエンジンをかけると、彼女のいるホテルに向かって走り始めた。
深い緑と蝉時雨の中をバイクで駆け抜ける。
気持ちの良いワインディングだ。
やがてホテルが見えてきた。
もう少しだ、もう少しで彼女と息子に会える。
僕は彼女に会って今までのことを全て詫び、そしてプロポーズするつもりだった。





つづく・・・





熱のある子供をそのままにしておく訳にはいかなかったし、僕も体調が悪かった。
僕は新しい住所と電話番号を手帳に書いて、そのページを破って彼女に渡した。
彼女の連絡先と住所が変わっていないのを確認し、必ず電話するからまた会ってくれと伝えた。
彼女は頷くと、子供の手を引いて病院を出て行った。
僕は薬をもらうために診療を受け、そしてアパートに帰った。

しばらくして僕たちは会った。
そして今度こそ愛を確かめた。
以前の淫靡で退廃的なものとは違い、本当に気持ちの通い合うものだった。
彼女の家と僕のアパートは同じ沿線だった。
週に何回か通ってきた。
彼女はずっと一人で来た。
それは子供のことを僕に意識させまいとする、彼女の心遣いだったかも知れない。
僕は少しずつではあるが、彼女との時間を取り戻していった。

「夏休みをあのホテルで過ごすわ」
彼女は言った。
「一緒に過ごしたいし、僕も夏休みを消化しないといけないけど、仕事もまだ分からないし、休みがうまく取れるかどうか・・・」
「前からの予定なの。あなたと知り合ったあのホテルで、毎年過ごしてるの」
「そうなんだ」
「だから、その週は東京にいないの、ごめんね」
しばらくして彼女は子供を連れて東京を発った。

彼女には内緒だった。
休暇を、彼女と子供と三人で一緒に過ごしたくて、密かにあのホテルにバイクで向かうことにしていた。
彼女の気持ちは十分わかっていたし、僕はもう何も迷うことは無かった。
ただ、あの最初の出会いを大事にするために、バイクでなければいけなかった。





つづく・・・





社会人になって2年目のある日、僕は体調を崩して午後から休みをもらった。
会社を出ると自宅近くの総合病院までタクシーを拾った。
タクシーを降りて病院の玄関を入ろうとしたとき、それっきりになっていた彼女の姿を見かけた。
そこだけ、時間が止まった。
既に遠ざかっていた記憶が僕の中に蘇り、胸が締め付けられた。
声をかけたい思いに駆られたが、このまま知らんぷりして去った方が良いのか、僕は迷った。
だが彼女も僕に気づいた。
小さな男の子を連れていた。
彼女ははじめ、僕を見てビックリしていたが、やがて笑顔に変わった。
僕は彼女の方に近づいていった。

「久しぶり。結婚したんだね・・・」
「ううん、まだ」
「この子は?」
「わたしの子。ちょっと熱を出してね、それで診てもらったの」
「いくつ?」
「2才になったばかり・・・」
「でも結婚してないのに子供って・・・」
「産んだの・・・」
「産んだって・・・」
「この子にはね、パパはいないの」
「いや、だって相手がいなければ・・・」
「いないって言ってるのよ、この子には」
彼女はそう言うと僕の目を見た。
強がっていた彼女の目に、涙が溢れてくるのが分かった。
僕は、その子の父親が誰か気づいた。

僕はその子を抱き上げ、そして彼女に名前を尋ねた。
「あなたの名前からね、一文字だけもらったわ」
「でも、何で黙っていた?知らせてくれれば良かったのに」
「だって、学生でしょ?結婚なんてできないし、それにきちんと卒業だってしなきゃ」
「でも、なぜ・・・」
「別れてから妊娠に気づいたの、でも伝えることができなくて。それに産みたかったの、あなたとの子供を」
僕はこのときに初めて、愛情というものを彼女に感じた。
欲望だけでは無い、本当の愛情というものを。





つづく・・・





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