レフト・シンチーのオペラ

昼は本を読み、歌を詠み、夜は酒を呑む。私です。

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あなたは気づかないかもしれませんが、
あなたも知らず知らずの内に、人の気持ちを踏みにじり、裏切っているのです。
だから、私があなたの気持ちをワザと知らんぷりし、逆撫でしたとしても悪く思わないでください。
無意識にする分、あなたの方が私よりタチが悪いです。

最近のテレビは本当に不愉快です。
どこもかしこも、政府内閣や国会議員はあれこれと言われて非難されているけど、
日本という国の制度や気風は、本当はすごくいい国なんだよ、と宣伝しているような内容ばかり。
ツイッターのつまらないイタズラに大騒ぎするより、もっとやることないんでしょうか。
なまじっか、ゴールデンタイムのバラエティまでもが、そんな内容だから、余計にタチが悪です。
日本はいい国でしょうとも。
何にも考えずに、昨日と今日の空腹が満たされるだけでいいなら。
日本が本当に好きなら、けなしてなんぼだと思いますけど。
本当にけなしている馬鹿どもは除いて。
最近、メディアで取り上げられる多民族性の宥和も気に入らないです。
アメリカもロシアも元から多民族国家ですし、ヨーロッパの国々も多民族性になりつつあります。
同じ一国籍を有する人間としては同国民と理解できても、民族としての仲間だとは、微塵も思っていないのは、どの国も人々も事実です。
もし、どの国家も民族が宥和できているなら、民族対立のデモや紛争が夕方のニュース番組で放送されるなんて、正気の沙汰ではないでしょうから。
それは経済差別や社会差別の残存が理由でもありますが、人間は昔から差別する生き物です。
男女でさえあるんですから、差別のない社会なんてありません。
社会という集団を作っている時点で、それは一つの差別です。
民主主義とはある同質性による、喪失者たちの政治制度なわけですから、
ある民主主義による政治的平等が促進されるほど、その同質性という他との差別が加速していくのです。
カール・シュミットはいち早くその仕組みを理解した偉人です。

カール・シュミットの『現代議会主義の精神的地位』を読んだときの衝撃は今でも覚えています。
自分が大学で習ってきた政治哲学が、全てちゃぶ台返しになった気分でした。
それ以降、私は私たちが当たり前で、美徳としている自由と権利、そして、民主主義という思想を問いつづけることになるのです。
シュミットを紹介していただいた先生からは、さらにたくさんの政治学者とその思想を教わりました。
どれも他の先生は教えてくれなくて、使用教科書にも載っていないものばかりでした。
現代では傍系に追いやられているものばかりでしたが、主系に待ったを唱えるものの必要性を理解した瞬間でした。
シュムペーターの『資本主義・社会主義・民主主義』は比較的有名で、現代でも受け入れられている著書ですが、
大衆について、あれほど明確に、しかも、大衆にとっても大衆を扇動する側にとっても、
まるで自分のことではないと勘違いしてしまうほどに、納得させられてしまう語り口はさすがです。
あと記憶してるのはロバート・ダールについてでしょうか。
ダールは現代民主主義にとって、なくてはならない政治学者ですが、
ダールの民主主義の明瞭たる理論が、そのまま民主主義の欠陥を示しているという鏡張りの指摘は、ダールに限らず、多くの思想研究において非常に有意義でした。
なんにせよ、その先生がいなければ、当時の私は何の疑問もさしはさまずに、自由民主主義の主張を謳歌していたことでしょう。
あくまで政治学についてはですから、哲学や宗教学は他の先生がきっかけでしたが。
でも、「当たり前をそのままにしない」という考え方は、政治学の経験があったからです。
私に哲学と宗教学を教えていただいた先生には、感謝の言葉すら述べるのがおこがましいです。
あの講義がなかったら、空っぽなはずの私に気づかないまま、私は空っぽであることを自覚できませんでした。
当たり前であったことがたくさんの疑問に変わり、たくさんの思想につながったときでした。
哲学はもちろんですが、宗教学について教わったことは、どんな勉学よりも素晴らしかったです。
それは私が宗教を信じるかではなく、宗教とは何であるかを考え、理解することでした。
宗教ほど当たり前になっているものの最たるものですから。
それは文化や習慣、常識全てに派生していくのです。
そして、ついには宗教をした人間とは、太古たる人間と、現時たる人間とは、果たしていかにあり、なんであるのか。
思想とはなんであるのか。
ついては私が生きている事実と、私が死んでいるという真実がなんであるのか。
これらを問う私となったのです。
ここが今の私の進捗点です。

はー。おしまいだな。いろいろと。
マカロニグラタンを頼んだつもりが、エビドリアが出てきたときぐらいに、おしまいです。
もう、私はおしまいです。葬式も近いですね。
私は呪われた人間だ。
決して、女、子供、子供をもつ男は私と話をしないように。
私が話す真実は、本当に純粋な人間にとって真実であり、有意義であっても、
恐竜以来の生命をつなぎ、生きることの喜びを共有する一般人にとっては害悪でしかない。
神の正義こそ世間は嫌う。それが私である。
毎日毎日、今日こそ交通事故に遭うか、通り魔にでも遭わないかと、
自分の死ばかりを考える毎日です。
私という生命が世界の不幸であると知った日から、私は世界のために死ぬことを願うのみです。
世界の幸福でない私に、せめてこれだけは叶えさせてください。
私の死が世界の不幸でないことを。
ああ、5年後といわず、明日にでも私殺してください。
形態は問いません。
生命の堕落をもたらした国家刑罰の罪でも、戦中の国家の治安維持の罪でも、ホロコーストでも、
死にゆく者は幸いである。
私という生命は、この世に生命を受けた時点で、その終わりを約束されているのです。

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