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2002年の春に開催したベオレの会の3ヶ月ほど前、

Mは単身、タイ・ベトナムの両国に旅たちました。

目的は料理研修。

これは、Hと知り合った直後から決まっていたことでした。

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Mは、前年(2001年)の夏にベトナムに旅をしたのですが、

そのときに感じたこととして、日本でそれまで紹介されている

ベトナム料理が現地の味との違いを感じことだったのです。

Mは夏に感じたベトナム料理と日本で紹介されていたベトナム料理の

ギャップを再度確認しようと、冬に1ヶ月の予定での料理研修。

ベトナム・ホーチミンがメインですが、加えてタイのバンコクでも

料理を習うことになりました。


そのときにバンコクの料理教室で習った料理が

今では、店の名物料理として君臨している「自家製ペーストのグリーンカレー」

当時習ったレシピがメインですがそれから改良を重ねて現在に至ります。

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ホーチミンでMは、Q先生に執事し、途中1週間ほどベトナムを

縦断した以外はひたすら習いました。

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このときの経験が現在のサワディシンチャオの原点になっていることは

紛れも無い事実です。

つまり「現地の味を可能な限り多くの人に紹介したい」と言う思いです。

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Mの帰国後、Hのビールの会ベオレなどもありましたが、

それ以外に特にこれと言った行動はとっていませんでした。

ただ、Mが当時某飲食チェーンの非常勤顧問と言う立場で、

各店舗に客として入店して味やホールの動きなどをチェックするような

仕事をしていました。

ちょうどHとカップルで入店することでうまくマスキングもできたわけです。

そのため、業界経験豊富なMはもとより、Hも飲食業の業界

のことが徐々に理解できるようになりました。

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その中でもっとも大きなことは、2002年6月に向かった上海の調査でしょうか?

Mが顧問をしていたチェーン店の社長より上海の小龍包の調査を

することになり、自腹を切るということでHもついていきました。


ここで学んだこととして現地の状況の把握と日本での落とし込み

この経験とやり方がまた今の店に大いに活用できていることも事実です。

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そしてこれが、MとHが始めて一緒に海外に行ったことでもありました。



上海の「豫園」



しかし、当時は東南アジアというよりビールのほうに重みを置いていた

Hは、インターネットのガイドの仕事の契約が切れたあとでも

ビールとのマリアージュということでビールのサイトを立ち上げて

ビールに合う料理のレシピの紹介をしたりしました。

また6月にはホームブルワー

(自家製でビールを作る人。本来非合法ですが名目はアルコール度数1%未満の

ノンアルコールビールを作ると言うこと)

にビールの造り方を実演してもらいました。

その時に得た情報を元に、翌7月には静岡の沼津へ。

そこにまさしく自家醸造家のような設備で実際に発泡酒免許を取得している

醸造家と出会いました。

ゆえに、より飲食業や醸造というものへの憧れを持ちました。

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実はこのときのメインはベトナム。成田空港からHとしては

初めてのベトナムであり、初めての東南アジアです。

前年暮にMがバンコクに行く際においてあったガイドブックを見ながら

「将来この国に足を運ぶことがあるのだろうか」と思っていたHですが、

それから十数年この2カ国とここまで深いかかわりが続くとは

当時は全く想像すらしませんから、人生とは本当に不思議なものです。


ちなみに現地では観光をはじめ料理教室やビールの醸造所の見学なども

行いました。

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そこから帰国して1ヶ月が経過した。

2002年8月23日。MとHはついに決断したのです。

『いつかマイクロブルワリーのようなものを作るのが夢

ただ、調べると免許などの敷居が非常に高い。

でも、そのためのレストランを先に作ることなら・・・。』


こうして、飲食店を開業することを決意。

以降は開業にむけて動き出すことになったのです。

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