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開業編を振り返り、開業決意から物件取得などの諸手続き
その後の工事も終わり、
後は開業するだけの状態まで記載いたしました。

ここでこの店の開業に欠かせないもう一つの
「裏設定」のような存在を述べなくてはなりません。

それは「太閤エール」実はこのエールビール
(これを簡単に解説すると、「エール」というのは今の主流のビール(ラガー)
とビール発酵方式等が違う、昔ながらの古いタイプのビールの総称で、
英国などで主に飲まれているものを、近年アメリカや日本の小さな醸造所で
造られるようになった、ビールのタイプの一つ)

との関わりが店開業の裏で暗躍し、BEER&BEAR時代4年4ヶ月の間
店の名物ビールとして存在していたからです。
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私たちと太閤エールの出会いは、開業から2年ほど前になるでしょうか?
まだ臨時居酒屋リンポー亭すら始まる前の事。

後日リンポー亭を開催することになった、酒屋さんの空き物件で、
この物件の所有者の方(酒卸問屋)さんとHが意気投合し、
苦戦している酒屋の活性化策として「地ビールを使って何かできないか?」と
言うことでいろいろやりとりしていました。

その出会いのきっかけとなった東京のコンサルタントの提案で、
日本酒の利き酒会のように酒屋さんが主宰して地ビールの説明と試飲会を
人を集めて行ってみようと言うことになりました。
そして当日その場所でイベントを開いていた時の話です。、

参加者の中のある髭を生やした営業の人(Tさん)が
「この機会に皆さんに飲んでほしいビールがあります」
と持ってこられたビールは紅いラベルに豊臣秀吉が描かれていて、
勺の代わりにビールを持っているという図柄でした。

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岸和田時代のビール


その名も「太閤エール」と言うビールでした。
色はダークで非常に濃い味。
聞くところによると岸和田にある地ビール会社が
作ったビールと言うことでした。

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当時は、「町おこし」の意味合いが強かった地ビール。
ラベルに戦国武将を利用するという発想は
非常に面白く感じました。


その後、空き店舗は「リンポー亭」に引き継がれ、その流れから
結果的に店の開業に進むわけです。
しばらくしてそのTさんがリンポー亭にも現れ、
「岸和田の会社が事業を撤退することになってしまった」
と言ってこられました。
「残念だ。たとえば織田信長のラベルのビールとかで『Kingsラガー』とかも
作れば面白いと
思うし、それ以外の戦国武将シリーズを作れば受けると思ったけれど、肝心の作ってくれるところが無くなってしまった」

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当時、Hはビールの世界にどっぷりつかっておりましたので、
この「太閤エール」と言うビールをこのまま消滅させるのは
もったいないと考えたのです。

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奇しくもそのことがある少し前に、茨城県にある
木内酒造(常陸野ネストビール)でビールを作れる工房に行って
ビールを造った経験がありました。

そこで、太閤エールを再現しようと言うことになりました。
Tさんはかねてから「IPA(インディアペールエール。
英国本国から支配していたインドに船でエールビールを輸送するために
通常のエールよりホップを増量して、防腐剤としたもの結果的に通常のエールよりも苦い)
と言うビールが日本人には受けると思う」
と言っていっておられました。
(最近のクラフトビールの動向を見ていても、
 苦味の利いたIPAは人気があるようで、この時の予言は正解だったように思います)

そのIPAを実際にMとHの二人で現地に行き、サポートを受けながら作って見ました。
しかしラベルはTさんから借りた「太閤エール」を使いました。

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そして2002年にあるコンテストに出しました。
それは「BOPビアカップ」というもの。
BOPとは、本来自家醸造は免許が無いと違法という中
素人が合法的な設備(つまり免許を持っている醸造所の設備)で
オリジナルビールを作ったものを指すらしく、
正しくIPAとして再現した太閤エールはそのものに当たりますから、
これに出展をしたのです。

すると見事に入賞し、メダルまでもらいました。

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ビール工房で再現した「太閤エール」

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