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「何やこの店!」古くから当店とかかわりある人や
このブログ上の記事を見た人ならばご存知だと思いますが、
これは私たちが店を続けている以上、
絶対に忘れてはいけない言葉のひとつです。

イメージ 1
(今じゃ絶対に、まあ普通の店はこんなこといきなり言われないでしょうけれど)

これを言った人は、上記の絵のようなイメージの2人組で、後でわかったのですが、
どうやら普段は、当時存在していた斜め前の洋食屋さんの常連客だった
ようです。
しかし、入っていきなりこんなことを言われるのには驚いたものです。
身なりも遊び人というか、毛染めを茶髪にして緩めのパーマをかけた様な髪型に
金のネックレスのようなものをなびらせ、金の差し歯を入れている
50歳代くらいの人物でした。一応食事はしましたが、
当然合うわけもなく完全に「小ばか」にしたような雰囲気で
帰ったのを今でも覚えています。
 ※自らが理解できないから、小ばかにするというのはどうなんだろう?
  当方知的好奇心が旺盛な人間ゆえ、逆にそういう人が理解できません。

ところでこの言葉はどこで発せられたのかといえば、
今回紹介する開業後に2週間だけ行ったランチ営業での出来事での事です。

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当初上記の弁当箱を購入していましたので、
この容器を使ったたランチを始めようということにしていたのですが、
シェフが、突然ある事をひらめきました。
そしてそちらにしたらどうかと言ってきました。

実はランチ開始の直前にベトナムから船便で来た荷物がありました。
石像さんはいったん引き返しましたが、
それ以外の荷物は、この時に引き取ります。
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そのときに到着した荷物。左側にあるのが、
今でも店の前にあるベトナムの屋台。

その中で、現地で普通に使える屋台が、ディスプレイにと思っていましたが、
これを活用しようと考えたのです。
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それは、ベトナムの屋台で行われている方法。COM屋というのが
現地にありますが、これはおかずを選んでもらってご飯と一緒に出すという
屋台の食堂で現地では大人気です。

ベトナムハノイのCOM屋
屋台に乗っている「おかず」を指差して
それがご飯が入ったさらに入れて提供されます。


これを導入しようとなったのです。
そして当日、当時手伝ってもらっていたアルバイトのベトナム人ユンさんに
ベトナムのアオザイを着てもらって、商店街でチラシを配ってもらいました。

そして、当日のお昼まで路地の外で屋台を見えるように向けてそこでおかずを
置いて待っていました。

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が、しかし最初は誰も相手にせず、路地のほかの3軒に吸い込まれて行きます。
2日目だったか、ようやく来る人が現れましたが、このシステムが理解できず
「えええー」とか言われたり、中に入ってベトナム料理店と知ると
「ベトナム料理店!!」とやや大声を発して逃げるように変える中年サラリーマン。
という具合に、散々な結果が続きました。

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時代が早すぎたというのが結論でしょう。今のサワディシンチャオがやったら
どうなっていたか?
※この当時よりは反応がいいでしょう。でも、タイの屋台だとカレーも
おかず扱いですが、それは理解されない可能性が高いですから
もうやりませんけれね。たぶん
イメージ 9
タイの卸市場「クロントゥーイ」でもカレーと
おかずが選べる用になっています。

そのランチを始めて1週間後、これはまずいということで当初の予定通り
弁当箱の定食にしました。
しかし当時は時間に対するプレッシャーが激しく、他店を見たときに、
席に座って味噌汁とご飯が出るようなシステムがこのあたりで確立されていました。
(某牛丼チェーン店でも「10秒ルール」というオーダーを受けて
 10秒で牛丼を出すというシステムを導入していた)

シェフとしては事前に作り沖したものをすぐに出すという行為に
強い抵抗があったために、から揚げでもほかのものでも
注文を受けてから始めてしまいました。

かつ当時は今と違い、スピードもずいぶん遅いので、
結果的にお客さんが苛立つ事となってしまいました。
※但し、この問題は結構長い間の懸案事項として残り
 2010年から5年間ランチバイキングを導入したときにようやく改善しました。

ご飯は、日本米とタイ米を用意していました。
どちらかが選べるのようにしていましたが、ほぼ100%日本米、
ところが日本米が品切れになってしまい、やむなく了承を得て、
タイ米のご飯を出すようなときがありました。
そうしたら「久しぶりにタイ米を食べてしまった」とはき捨てるように
言われたこともありました。
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夜が楽しそうに、みんな過ごしているのに昼はその正反対の関係に
正直ランチ営業をする意味そのものが理解できなくなり、
最初は2週間でランチ営業をやめる結果となりました。

ランチ営業始める前に簡単に「20食できますね」とある人に言われました。
その人は、チェーン店の関係者だったからということで、
ここでも私たちの経験不足があったようです。

秋にランチ営業が復活するまでの間は夜営業のみでやることにしたのです。

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結論から言えば、私たちの経験不足と当時の東南アジア料理に対する
認識不足(粗悪なタイ米に対する不信感が残っていた)がもたらした不幸でしょう。
この当時からジャスミンライスが来ていましたので、その問題は
クリアされていたはずですが、そういうわけにはいかなかったようです。

経験不足は経験で補いましたが、当時のアジア料理に対する認識は
10数年の時を経て本当に変わりました。あれだけ嫌っていたタイ米が
今では評価どころか当然の存在となったのですから。

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