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			<title>思い付くまま、気の向くまま。</title>
			<description>文字通り[思い付くまま、気の向くまま」のブログです。友人達が今流行のブラグ作りを始めましたので、乗り遅れないようにと、始めました。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sawaka224</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>思い付くまま、気の向くまま。</title>
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			<description>文字通り[思い付くまま、気の向くまま」のブログです。友人達が今流行のブラグ作りを始めましたので、乗り遅れないようにと、始めました。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sawaka224</link>
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		<item>
			<title>回天特別攻撃隊</title>
			<description>今日、スポーツクラブで、ウオーキングマシンに乗って歩いていたら、マシンに取り付けられているテレビで、地元のケーブルテレビが流している映像が写っていた。豊田市にも、戦争中の特殊潜航艇「回天」に乗って若い命を散らした海軍士官がいた、と言う内容だった。８月になると、太平洋戦争の回想が、あちこちで繰り返される。どれも悲惨な戦争を繰り返さない為の映像だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この海軍士官は、今は豊田市だが、以前の小原村で生まれ、藤岡村で成長した若者で、秀才だったので、愛知一中（現旭丘高校）に入学、海軍兵学校に進んだ人物だそうな。私も戦時中に小学生だったから、愛知一中、兵学校と進んだ人が、どれくらい秀才だったか、良く分かる。いわば、当時の軍国少年の憧れのコースだ。しかし、大戦も末期、日本は敗戦を重ね、帝国海軍は壊滅状態。戦況の打破を、「回天」に依る特殊攻撃に賭けたのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（ウイキペディア）で、調べてみた。「回天（かいてん）は、日本海軍の特攻兵器の一つで、人が乗り組み操縦できるよう、九三式三型魚雷（通称「酸素魚雷」）を改造した人間魚雷。炸薬量は1.55トンあり、一撃で戦艦でも撃沈できるとされた。「回天」は、「天を回らし戦局を逆転させる」との意味。必死必殺の救国兵器として考案された。」とある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
更に別の記述では、「帝国海軍 が戦争に使った回天型兵器は、複雑で操作が難しく習得するまでに多くの訓練が必要であり、操縦員の任務完遂が、即自己の死であった。艦長が数時間前に「回天戦」用意の命令で、自分の確実な死を目の前にして、魚雷を三次元で冷静に操縦するのは非常に難しかったに違いない。人間がセンサーになって水面下で敵艦に突入する。珊瑚礁内に停泊してる艦艇襲撃にしても、搭乗する魚雷で露頂し位置を見定めようとしても、ランドマークなどの情報は一切教えられず、環礁内への入口を探すことさえ不可能であろう。回天戦の多くに、自爆らしき状況が米側に記録されているのは、単に「死んでこい」を実行したように思えてならない。機械的センサーで必中を期す兵器ではなく、人間を使ったところに回天の限界があった」とある。要するに、有為の若者を、あたら、無駄死にさせていたと言うわけだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この豊田市出身の若き海軍士官の出撃日は、８月１１日だったそうな。終戦の僅か４日前である。２０歳前後の、悲しくも悔しい「死」だった。しかし、当時の兵士は「祖国の為、家族の為」憎い敵を撃滅しようとの意気込みで死地に赴いたのだ。「回天」を題材にした映画も多い。歌も多い。次もその一つであろう。You Tube　から引用しよう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今日、スポーツクラブで、ウオーキングマシンに乗って歩いていたら、マシンに取り付けられているテレビで、地元のケーブルテレビが流している映像が写っていた。豊田市にも、戦争中の特殊潜航艇「回天」に乗って若い命を散らした海軍士官がいた、と言う内容だった。８月になると、太平洋戦争の回想が、あちこちで繰り返される。どれも悲惨な戦争を繰り返さない為の映像だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この海軍士官は、今は豊田市だが、以前の小原村で生まれ、藤岡村で成長した若者で、秀才だったので、愛知一中（現旭丘高校）に入学、海軍兵学校に進んだ人物だそうな。私も戦時中に小学生だったから、愛知一中、兵学校と進んだ人が、どれくらい秀才だったか、良く分かる。いわば、当時の軍国少年の憧れのコースだ。しかし、大戦も末期、日本は敗戦を重ね、帝国海軍は壊滅状態。戦況の打破を、「回天」に依る特殊攻撃に賭けたのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（ウイキペディア）で、調べてみた。「回天（かいてん）は、日本海軍の特攻兵器の一つで、人が乗り組み操縦できるよう、九三式三型魚雷（通称「酸素魚雷」）を改造した人間魚雷。炸薬量は1.55トンあり、一撃で戦艦でも撃沈できるとされた。「回天」は、「天を回らし戦局を逆転させる」との意味。必死必殺の救国兵器として考案された。」とある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
更に別の記述では、「帝国海軍 が戦争に使った回天型兵器は、複雑で操作が難しく習得するまでに多くの訓練が必要であり、操縦員の任務完遂が、即自己の死であった。艦長が数時間前に「回天戦」用意の命令で、自分の確実な死を目の前にして、魚雷を三次元で冷静に操縦するのは非常に難しかったに違いない。人間がセンサーになって水面下で敵艦に突入する。珊瑚礁内に停泊してる艦艇襲撃にしても、搭乗する魚雷で露頂し位置を見定めようとしても、ランドマークなどの情報は一切教えられず、環礁内への入口を探すことさえ不可能であろう。回天戦の多くに、自爆らしき状況が米側に記録されているのは、単に「死んでこい」を実行したように思えてならない。機械的センサーで必中を期す兵器ではなく、人間を使ったところに回天の限界があった」とある。要するに、有為の若者を、あたら、無駄死にさせていたと言うわけだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
この豊田市出身の若き海軍士官の出撃日は、８月１１日だったそうな。終戦の僅か４日前である。２０歳前後の、悲しくも悔しい「死」だった。しかし、当時の兵士は「祖国の為、家族の為」憎い敵を撃滅しようとの意気込みで死地に赴いたのだ。「回天」を題材にした映画も多い。歌も多い。次もその一つであろう。You Tube　から引用しよう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;a HREF=&quot;http://www.youtube.com/watch?gl=JP&amp;hl=ja&amp;v=Q7-fW2WQjG4&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://www.youtube.com/watch?gl=JP&amp;hl=ja&amp;v=Q7-fW2WQjG4&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私の家内の母親の実家も、豊田市内にある。家内の母親が、生存中によくこぼしていたのは、「実家のよく勉強の出来た息子２人とも、愛知二中（現岡崎高校）から軍人の学校へ行って、其のまま、戦争に行き、戦死してしまった。」と言う内容だった。もし、今、生きていたら、どんなにか、里の兄達も幸せに暮らせただろうに、と言う愚痴である。こうした若者の死を「無駄」にしてはならない。私は、今更のように「不戦の誓い」を新たにした事だった。私の家内の母親の実家も、豊田市内にある。家内の母親が、生存中によくこぼしていたのは、「実家のよく勉強の出来た息子２人とも、愛知二中（現岡崎高校）から軍人の学校へ行って、其のまま、戦争に行き、戦死してしまった。」と言う内容だった。もし、今、生きていたら、どんなにか、里の兄達も幸せに暮らせただろうに、と言う愚痴である。こうした若者の死を「無駄」にしてはならない。私は、今更のように「不戦の誓い」を新たにした事だった。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sawaka224/59550357.html</link>
			<pubDate>Sat, 15 Aug 2009 14:20:51 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>ホームレスの歌人</title>
			<description>「ブログ」に興味のある人なら、「きっこ」と言う女性の「きっこのブログ」とか、「江草乗」と言う人の「言いたい放題」を知らない人はいないだろう。この江草氏は、京都大学出の元高校教師で、専門は「国語」だったらしい。きっこ女史同様、痛快な語り口と、鋭い切り口で、全国的に有名だ。今日の江草氏のブログに「朝日新聞歌壇」にしばしば登場する「公田耕一」と言うホームレスの事が書かれていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
実は、この記事は、朝日関係のインターネット記事から、引用した部分を下敷きにしている。それは「朝日歌壇に「ホームレス・公田耕一」と名乗る歌人が現れた。昨年末以来ほぼ毎週入選を重ねている。経歴も年齢も不明だが、投稿数に比例して“気になる存在”度は高まるばかりだ。 」と言う書き出しで始まっており、「公田さん、何とか連絡がとれませんか。あなたが手にすべき入選一首につきはがき１０枚の“投稿謝礼”も宙に浮いているのです。」で終わっている（河合真帆）の署名記事である。江草氏はこの記事を元に、ご自身の見解を述べられているが、詳しくは、ご当人のブログをご覧頂きたい。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
実は、私も取っている新聞が「朝日新聞」なので、「朝日歌壇」はよく見るし、このブログで、実際に選ばれた歌を論じた事もある。しかし、歌を選ばれた人については、氏名のほか住所があるだけで、住所の欄に「ホームレス」とあるものについては、全く気が付かなかった。そこで、今日の「朝日歌壇」を注意深く眺めてみた。すると、驚いた事に「高野公彦選」の中に、「哀しきは寿町と言ふ地名長者町さへ隣にはあり」と言う歌が選ばれているのだ。早速、両町名が隣り合わせで存在する場所を検索してみた。ホームレス公田さんは、住所不明と言う事だが、こうした歌から「横浜市中区」が、生活の場ではないか、と推察出来る気がする。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
公田さんの歌は、成る程、人々の胸に響く歌が多い。今日の不景気、大不況で、リストラされ、心ならずもホームレスに転落した人も多かろう。そう言う人々の心情を代弁したような歌が多いのだ。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
鍵持たぬ生活に慣れ年を越す今さら何を脱ぎ棄てたのか &lt;br /&gt;
パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる　&lt;br /&gt;
日産をリストラになり流れ来たるブラジル人と隣りて眠る&lt;br /&gt;
親不孝通りと言へど親もなく親にもなれずただ立ち尽くす&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
ホームレス襲撃事件と派遣村並ぶ紙面に缶珈琲零す&lt;br /&gt;
美しき星座の下眠りゆくグレコの唄を聴くは幻&lt;br /&gt;
百均の「赤いきつね」と迷ひつつ月曜だけ買ふ朝日新聞&lt;br /&gt;
水葬に物語などあるならばわれの最期は水葬で良し&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
朝日歌壇は原則、月曜朝刊掲載である。カップ麺を我慢しても歌を取る姿が浮かぶ。日本の某大臣が、公式会見の場面で、醜態を演じ、外国人記者の憫笑を受けたとか。そう言う人もいるかも知れないが、ホームレスの中にも、逆境にあって、詩心を失わない日本人もいるのだ。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sawaka224/57846707.html</link>
			<pubDate>Tue, 17 Feb 2009 09:09:10 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>自民党はもう終わりか。</title>
			<description>渡辺喜美元行政改革担当相が、自民党に離党届を提出した。渡辺氏は離党する理由について、記者団に「命懸けで取り組んだ公務員制度改革について、天下り規制の緩和は撤回すべきだと、首相に提言したが、黙殺、否定された。私がまず外に出て、国民運動を起こしたいと決意した」と述べた、と言う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自民党の中では、一緒に離党しようと言う人はいないが、渡辺氏の心情に理解を示す人は、かなりいるものと思われる。渡辺氏が、公務員制度改革に、敢然と立ち向かった事は、記憶に新しい。国民の血税を、多数の法人や団体が、天下り高級官僚の為に無駄遣いさせている現状を、何とか打破しようとしたのだ。涙ながらに熱弁を振った姿も強烈な印象がある。渡辺氏は、単なる見せ掛けでなく、本気だったのである。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところが、福田内閣、麻生内閣と政権が移動するたびに、雲行きが怪しくなって来た。官僚の猛烈な巻き返しが始まったと言われる。渡辺氏は麻生首相に対し、国家公務員の再就職斡旋を当面の間は首相が承認するとした閣議決定や、官僚ＯＢが再就職を繰り返す「渡り」の斡旋を容認する政令の撤回を強く要求していた。９日には公開質問状を提出しようとしたが、首相側は受け取りを拒否した。情熱を傾けて取り組んできた事を、崩され、無視されては「男がすたる」。政治家としても我慢がならなかっただろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
こうした渡辺氏の行動は、矢張り自民党の心ある人々を動かし始めた。昨年末、発足した内閣府の官民人材交流センターは、原則１回だけ退職した国家公務員の再就職を支援する、としている。センター新設当初の３年は出身省庁の斡旋も認められているが、１回限定が前提なのだ。当然、退職国家公務員が出身省庁の斡旋で公益法人などへ天下りを繰り返す「渡り」は、認めていなかった筈である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ところが、政府は昨年末に閣議決定した「職員の退職管理に関する政令」で、国家公務員ＯＢが公益法人などへの再就職を繰り返す「渡り」の斡旋を容認する規定を盛り込み、これを閣議決定した。しかし、自民党行政改革推進本部の公務員制度改革委員会（石原委員長）が政府の方針に異を唱え、天下りに関する政令の再検討を求める方針を決めたとか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
官僚ＯＢが「渡り」を繰り返して多額の退職金を貰うことには、国民の間で批判が集中している。政府は「渡り」が認められるのは「極めて例外的」（官房長官談）として、見直しには応じない考えとか。だが「渡り」は、有権者の理解が得られないのだ。「例外」が「例外」でなくなることは、国民は先刻ご承知だ。抜け道になりかねない規定はそもそも不要であり、撤回するのが筋である、とマスコミ論調も自民党行革推進本部の考え方に同調している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自民党の衛藤衆院予算委員長も１７日朝、ＴＢＳ番組に出演し、国家公務員が再就職を繰り返す「渡り」の斡旋を可能とする政令について「党行政改革推進本部は認めない。政令を超えるため、『渡り』を認めない自民党による議員立法を用意する」と述べ、政府側が政令撤回に応じない場合、今国会に撤回法案を提出する考えを示した。しかし開会中の国会審議を見ても明らかなように、大臣連中は官僚の書いた答弁書なしでは、野党の質問に答えられない。官僚優遇は、政府の生命線に関わる。官僚の天下り一つにも、自民党と政府、体制の中がギクシャクしているようでは、もう終わりですね。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sawaka224/57491261.html</link>
			<pubDate>Tue, 20 Jan 2009 09:23:25 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>飯島愛さんの孤独死</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-55-8c/sawaka224/folder/958773/91/57199791/img_0?1230339795&quot; width=&quot;220&quot;&gt;&lt;br /&gt;
１２月２４日夜、クリスマスイヴである。楽しそうなテレビが、突然あるタレントの死を報じた。テロップが流れ「飯島愛さん、死亡」と言う。ニュースの時間にはやや詳しい情報が出た。それに依れば、２４日午後３時１５分ごろ、渋谷区桜丘町のマンション２１階の自室リビングで、飯島さんが床にうつぶせに倒れて死亡しているのを芸能事務所の知人女性が発見。女性はしばらく飯島さんと連絡がとれないのを心配し、マンション管理人に部屋の鍵を開けてもらって中に入って発見した、と言う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
室内には睡眠薬や風邪薬など数種類の薬品があったが大量ではなく、直前に薬物を服用したような形跡はなかった。遺書は見つかっていないという。警察では「自殺」と「病死」の双方の可能性があると見て、遺体を「行政解剖」した。しかし、死因の特定は出来ず、更に「病理検査」をして詳しく調べるとしている。飯島さんには腎臓病の持病もあったとか。享年３６歳。如何にも若い。スリムでチャーミングな美人で、男性との噂も色々あったようだ。「美人薄命」と言う古い言葉を思い出した。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
インターネットで飯島さんの事を調べていたら、彼女のブログの存在を知った。「飯島愛のポルノ・ホスピタル」と言うのだ。中に彼女の孤独な呟きがあった。「時々、急に、寂しくなったりしませんか？理由は、恋をしているからとか、男に振られたからとか、忙しない毎日に身を委ね、ふと気がついた瞬間とか、なんか空虚感が突然襲ってきたり、、、大好きな曲を懐かしく感じた時とき、思い出に縛られちゃって動けない事とか、、、ない？非日常でなく日常の中にポカンと穴が空いちゃっている感じ。ない？」と１１月３０日には記している。亡くなる半月前だ。華やかな生活をして来た彼女が、盛りの過ぎた後の寂しさを告白している。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（写真は、飯島愛の「ポルノ・ホスピタル」より借用）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　&lt;br /&gt;
家内がテレビで、家庭の事も報道していた、と言った。父親が厳格で、それに反抗的だったとか。何処の親でも、良かれと思って厳しく教育するが、まま、それが逆効果となることがある。彼女もそう言う１例だったのか。モデルとかアダルト映画とか、風俗とか、女優とか、とかく美人で男達に持て囃される女性は、不思議に「薄幸」である。その気になれば幾らでも結婚できたろうに、結婚もせず、勿論子供も無く、都会の高層マンションで孤独に死んで行き、一週間後に発見された美人タレントに、私は哀惜の念を禁じえないのである。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sawaka224/57199791.html</link>
			<pubDate>Sat, 27 Dec 2008 10:03:15 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>使える英語を</title>
			<description>先日の新聞報道によれば、昨日公表された高校の新学習指導要領案は「英語の授業は英語で行うことを基本とする」と明記されていると言う。文法中心だった教育内容を見直し、英会話力などのアップを目指すのが狙いとか。英語を、中学入学以来大学卒業まで、何年か習ってきても、一向に実際の役に立たない事への反省があるのだろう。文部科学省は「まず教員が自ら積極的に用いる態度を見せるべきだ」と説明する。私は、これを見て、「百年、一日のごとし」と言う思いを抱いた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
長年の鎖国時代を経て、明治の新時代が到来した時、明治の知識人たちは欧米の文明に触れ、「外国病」に罹った。外国のもの全てが、素晴らしく思えたのだ。確かに日本は遅れていた。その為、オランダ語を始めとする外国語の勉強が急務となった。ドイツ語も学んだ。更に英語が全てに勝って有用な時代がやってきた。時の文部大臣森有礼は「日本語を廃して、英語を国の言葉にしよう」とさえ発案したと言う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今にして思えば、愚かな考えである。しかし、切実な思いでもあっただろう。日本語の複雑さは、世界の言語の中でも際立っている。漢字学習も負担だ。表記も縦書き横書き自在だ。文体も敬語表現など難しい。その点、英語は文字数も少ない。どんな偉い人にでも「you]で通じる。その上、全世界で用いられている。英語教育の重要性は幾ら力説しても足りないくらいであったろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
しかし、「日本語」を失った時、日本人はこの世から消える。私が「国語」教員だから言うのではない。日本古来の思想や感情は、日本語で語られ、翻訳不可能と思うからだ。発想を英語でするようになり、夢の中で「英語」で会話するようになって始めて英語が血肉になったと言える。学校教育で、そこまで到達できるのか。私は難しいと考える。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
現に、現場の教員たちは、「文科省は現場を分かっていない」と批判し、学校によっては、「アルファベットのｂとｄが区別できない生徒もいる中」では、「英語で授業なんて無理」と述べている。また、ある高校の男性教諭も「苦手意識を持った生徒が、ますます英語から離れてしまう可能性がある」と危惧し、進学校でも「難関大学の長文問題は、行間を読まないと分からない。結局、日本語で説明する必要があるので、時間のロスになるかも」と困惑しているそうな。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
大学入試の変革が先だと言う声も多い。ある英語教諭は「リスニングの問題の配点がもっと高くならない限り、現場には浸透しない」と言い切る。大学入試センター試験の英語の配点は、筆記２００点に対し５０点。この先生は「進学校では生徒に最短コースを歩かせたいのが本音。今の入試がある限り、授業のやり方は変わらないと思う」と話す。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
更に、何よりも重要なのは、果たして英語の授業時間を、全部英語で続けられる教員がどれほどいるか、と言う問題がある。実は、私も「英語教員免許状」を取得しているが、実際に教壇に立ったことはない。万一、若い時にでも、英語の授業を任され、「全部英語で」と言われたら、逃げ出すしかなかっただろうと思う。急に文部科学省がそう言う方針を立てたからといって、出来る筈が無い、と言うのが私の意見である。　</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sawaka224/57199754.html</link>
			<pubDate>Sat, 27 Dec 2008 09:57:34 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>トヨタ大幅減益</title>
			<description>アメリカの新大統領にオバマ氏がなる、と言う新しい動きの中で、経済にも一筋の光が差し込んだ気持ちだった。ところが、翌日、日本企業の牽引役トヨタ自動車が、大幅な減収減益の決算発表をした。トヨタだけではなく、自動車会社大手８社も減益発表だったのである。せっかく持ち直したと思われた東京株式も、関連して大幅な下落となった。トヨタについては、午前中、値が付かなかったくらいである。新聞等の発表に依れば、トヨタ自動車の０９年３月期の営業利益予想は前期比７３．６％減の６０００億円、世界販売台数（連結）見通しも、前期実績より６７万台減の８２４万台に下方修正した、とか。金融危機の影響による世界的な需要減と急激な円高によって、当初見通しに比べ営業利益が１兆円吹き飛んだ計算だと言う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
勿論、基幹企業がこの状態だから、関連する下請け企業、孫請け中小企業も、一斉に不況風が吹き始めた。県内には、デンソー、アイシン、トヨタ車体、等々下請けとは言えないような大企業も多い。しかし、矢張りトヨタへの依存度は高く、トヨタ車が販売不振となれば、途端に部品生産が減少する。アメリカの金融不安が解消されず、ローンでの自動車販売が、不振なのも要因のひとつだと言う。ガソリン価格が高騰を続け、大型車中心のアメリカの自動車会社が、「身売り」騒ぎになった。小型車中心で、あまりガソリンを食わず、且つ電気と組み合わせたモーターを開発して、トヨタの優位は不動のものと思われた。それなのに、どうして？　結局、世界を襲っている不況の嵐の影響だ、と言う他なさそうである。新しい売り手市場、新興国も、不況に曝されているのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
恐ろしいのは、このような基幹産業の不振に依って、大量の解雇とか一時帰休とかの労働者が大量に世間に吐き出されることである。職を失い、収入を絶たれた人々は、生活不安に陥り、結果、犯罪なども増加するに違いない。国や県単位でも、税収入の大幅落ち込みによって新規事業は愚か、今まで行なってきた事業も縮小せざるを得ないだろう、と言う。不況の波は、世界恐慌となって人々を呑み込んでしまうかも知れない。特に、そうでなくても、生活に不安を抱えている病人とか、高齢者にとっては、本当に住み難い世の中になるかも、と言う怖れが湧いて来る。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今まで比較的安泰だった我が家の息子達も、これら関連企業に勤めている。輸出主導で好業績を続けてきたトヨタの苦境は、日本の製造業全体の苦悩を象徴しているが、危機克服のカギは何か。ある経営コンサルティング会社は、特定市場に依存するのではなく、「世界中に散らばる成長国に競争力のあるクルマを効率的に供給し、多くの国で販売台数を少しずつ積み上げる手法が有効」と強調しているとか。その布石は、すでにトヨタの手中にある、と指摘しているそうな。日本でもトップクラスの頭脳を集めているトヨタが、そう簡単に旗を降ろすわけはない。ここは全力で危機を脱して、再び株価上昇を続けて欲しいと切に希望するものである。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sawaka224/56687382.html</link>
			<pubDate>Sat, 15 Nov 2008 18:46:21 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>旧友の死</title>
			<description>私は、戦時中、名古屋市内の小学校に通っていた。卒業をあと３ヶ月に控えた時、急遽父方の田舎に疎開した。借家だったので、事は簡単だった。父は「三菱重工」に勤めていたが、度重なるB２９の爆撃で壊滅状態になり、職場へも出勤出来なくなっていた。父は空襲の後、顔面蒼白で帰って来たが、「沢山の人が死んだ」と呟き、鳥が飛び立つように疎開したのである。真実危険を感じた結果であろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
小学校時代の友人とは、慌ただしい別れで、その後交流が途絶え、僅か３人ほどと細々と手紙など交換していた。３人とも、似たような学業成績だったし、家も近かったせいである。特にＨ君の家には、よく遊びに行って、当時食糧難だったが、時々美味しい饅頭などを貰った。母君が「お産婆さん」で、流行っていたのだ。我が家と違って裕福な家だった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
Ｈ君は秀才だったが、身体があまり強くなかった。旧制中学の時、肺結核を患い療養生活も経験した。しかし、療養しながらも「大学入試検定」を取って、大学に進学した。彼も私と同じく２年遅れの進学だった。大学卒業後は「不動産売買」で、実績を上げ、ますます資産家になって行った。しかし、友情は変らず、私の新婚生活を覗きに来たり、娘さんの結婚相談を持ち掛けられたりした。結核は鳴りを潜めたが、その後も何かと病気に纏い付かれていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そのＨ君が、昨日亡くなった。夜１１時近く電話が鳴り、「Ｈの娘ですが、父が亡くなりましたので、お知らせします」と伝えられた。まさに青天の霹靂である。私の同年者が、また一人この世を去ったのである。それも、６０年来の旧友である。悲しいとか寂しいとか、言葉では表現できない。前日までぴんぴんしていて、何処が悪いとは、気が付かなかったそうである。朝、寝ているところへ行ったら、呼吸が停止していたと言う。家族にも病気名は分からないそうだ。「脳梗塞」か、「心筋梗塞」か。お悔やみを言い、葬儀への参列を約して電話を切った。直ぐもう一人の旧友から電話が入った。深夜の電話は、悲しいものだ。その旧友の思いも、私同様痛切なものだった。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
歴史は繰り返す。私の父親は、その後疎開先の郷里で、９１歳まで長生きした。故郷で生活していたので、古い友人たちの消息に詳しかった。同年の１０人ほどの名を上げ、「あれも、これも、皆死んだ」と寂しそうに話すのを、何度聞いた事だろう。長生きは有り難い事に違いないが、後に残されていく悲しさも、やはり大きいのだ。結局父親は同級生の最後の一人となった。家内の父親も１００歳の長寿を享けたが、晩年には「香典を出すばかりで、貰わずに逝きそうだ」と冗談を言っていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私の友人たちも、半数近くがこの世を去っているだろう。私が疎開した田舎の小学校の同級生は、実際、数えるほどしか残っていない。せめて「日本男性の平均寿命までは生き長らえたい」と健康保持に努力を重ねているが、果たしてどうなるやら。そうなると、もっと希望を縮小して、せめて来年、「喜寿の祝い」、「金婚式の祝い」は経験させて欲しい、と願っている次第だ。尤も兼好法師は「命は、人を待つものかは」と言っている。「死」は個人の都合や願いなど関係なく訪れると言うのだ。恐ろしくも悲しくも、考え方に依っては、嬉しくもある事実だ。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sawaka224/55729705.html</link>
			<pubDate>Sun, 31 Aug 2008 18:08:37 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>マンション販売広告</title>
			<description>東京など大都会のマンションブームも、一時のような勢いが無くなったと聞いた。随分の売れ残りがあって、値引き合戦になっているとか。大体、そんなに需要がないのに、マンションばかり造って、どうなるのだろうと思っていた。田舎の土地付き一軒家を売り払って、都会のマンション暮らしを希望する高齢者夫婦が増えた、と聞いた事もある。子供達は都会暮らしに慣れて、田舎に帰って来ないそうだ。都会暮らしに慣れると、その便利さや文化的雰囲気が忘れられないのだろう。そこで、子供たちも帰って来なければ、自分達も何かと煩わしい田舎暮らしをやめて、都会に出ようと言うことになるらしい。&lt;br /&gt;
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豊田市は、まあ、田園都市と言ってよい田舎である。トヨタ自動車のお蔭で、人口が激増し、市の税収も日本有数で、最近では、あちらこちらに高層のマンションが建設されているのだ。こう言うマンションは、高齢者対象ではなく、勤労者が対象だと思われる。新聞のチラシによく広告が挟まれているので、私は、全くその必要はないが、しっかり読んでみた。立地条件は、名鉄豊田線の「ある駅」まで、徒歩２分。豊田市駅まで７分。名古屋の「伏見」まで、３８分で行ける、とある。いよいよ豊田市も、名古屋のベッドタウン化したのか、と言うところである。&lt;br /&gt;
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価格の低い物件で、検証してみる。「２LDK」約２０坪（バルコニー約４坪付き）で、約２５００万円也。まあまあの値段だな、と納得した。内部は洋室１（７．８畳）洋室２（６畳）ダイニング・リビング（１２畳）、それに、勿論バストイレが完備している。キッチンは約４畳。狭いと言えば狭い。あまり家具は持ち込めないだろう。息子達も、以前、中古マンションをそれくらいの値段で買っている。（勿論、月賦だから、支払い総額は、幾らになるか見当が付かない）問題なのは、２５００万円支払って済み、と行かない点である。&lt;br /&gt;
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管理費がいろいろ必要なのだ。月額７８００円、修繕費月額４７００円、駐車場利用料月額２０００円と、毎月約１４５００円が出て行くのだ。（その他に引渡し時には修繕積み立て資金として約２３万円を一括払いしなければならぬらしい。）意我が家は、築４０年以上の「ボロ家」だが、広さは、このマンションの３倍近くある。庭もある。車は３台駐車可能である。それで、先日、来た「固定資産税、都市計画税」の合計は約１２万円だ。一ヶ月にすれば、約１万円だ。その昔から、営々と借金をして築いてきた「我が家」が、今、安住の地を約束してくれているのだ。大都会は便利だろうし、文化的だろう。しかし、わざわざ田舎の家を売り払って、都会のマンションには暮らせない。息子達が、そんな家は売り払って、新しく家を建てたら、などと馬鹿げた事を言う。何が無駄だと言って、未だ充分住める家を壊して、新しい家を建てるくらい無駄な事はない。虚栄心を満たすなど、愚かな事で、必要はない。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sawaka224/55045365.html</link>
			<pubDate>Tue, 08 Jul 2008 21:12:23 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>知立神社の「菖蒲園」</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-55-8c/sawaka224/folder/958773/19/54678819/img_0?1213243359&quot; width=&quot;400&quot;&gt;&lt;br /&gt;
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豊田市周辺で。菖蒲の名所と言うと、隣町知立市の知立神社境内にある菖蒲園が、先ず挙げられるだろう。私も過去に何回も見学に出かけている。我が家の庭の菖蒲も、何株かは、この菖蒲園に縁がある筈である。知立も最近では、大きな道が出来たりして、神社に入るのに全く違った道から入り込んだ。何か違う場所へ来たみたいだった。そう言えば、５年くらいは、ご無沙汰だっただろう。菖蒲を見学していた人は、今年は綺麗に咲いている、と言う。未だ、八部咲きの感じだが、広い庭園は色とりどりの菖蒲で彩られ、鮮やかだった。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sawaka224/54678819.html</link>
			<pubDate>Thu, 12 Jun 2008 13:02:39 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
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			<title>ささゆりの里</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-55-8c/sawaka224/folder/958773/76/54575076/img_0?1212659787&quot; width=&quot;400&quot;&gt;&lt;br /&gt;
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豊田市総合企画部広報課が送ってくれるメールがある。「きてみてわくわく豊田市メール」と言うのである。この週１回のメールには、豊田市で催される色々な行事やイベントが載せられていて、参考になることが多い。同じ豊田市に住みながら、全然知らなかったと言うようなことも多い。今回載っていたものの中に、「ささゆりの里」に関するものがあった。我が家から比較的に近い場所に、「ささゆり」が群生しており、今度の日曜日に「ささゆり祭り」があると知らせていた。&lt;br /&gt;
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日曜日で、且つメールで発表したとなると、混雑が予想される。そこで、急遽、今日少し天候が気掛かりだったが、家内と出掛けた。狭い道を想像して軽自動車で行った。大正解だった。曲がりくねった山道を上がっていくと、少し広い場所で行き止まりとなった。臨時の駐車場だった。下りてなだらかな山道をゆっくり進む。道の傍らに早くも可憐な「ささゆり」が、ちらほら咲いていた。淡いピンクなもの、真っ白なもの、の２種類のようだ。こんな深い山の中にも住居がある。駐車場で尋ねたら、「ずっと以前から豊田市だ」との事。旧石野村は、今回の町村合併以前から豊田市に合併していたのだ。&lt;br /&gt;
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「ささゆりの里」と言う道標があり、道に迷うことはなかった。しかし、想像していたよりは「ささゆり」は、少なかった。ところどころで４本、５本と咲いているが、足助町の「かたくりの花」群生のような圧倒的な数はなかった。それでも、山深くひっそりと清純な姿で咲いている「ささゆり」は素晴らしかった。何処かの小学生が、先生に引率されて来ていた。道ですれ違った時、一斉に「今日は」と挨拶してくれた。&lt;br /&gt;
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駐車場では、五平餅を食べ、お土産に「ふくろう」を買った。老人クラブのお年寄り達の手細工だと言う。家内も老人クラブ手製の布袋を買った。家内も老人クラブに入っており、参考にするらしい。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/sawaka224/54575076.html</link>
			<pubDate>Thu, 05 Jun 2008 18:56:27 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
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