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(本の紹介より)
捨てたものではなかったです、あたしの人生――。男二人が奇妙な仲のよさで同居する魚屋の話、真夜中に差し向かいで紅茶をのむ「平凡」な主婦とその姑、両親の不仲をじっとみつめる小学生、裸足で男のもとへ駆けていった魚屋の死んだ女房……東京の小さな町の商店街と、そこをゆきかう人びとの、その平穏な日々にあるあやうさと幸福。川上文学の真髄を示す待望の連作短篇小説集。
無くなった妻の愛人と一緒に暮らす、魚屋の平蔵さんの話(「小屋のある屋上」)とか、
女好きで相手をとっかえひっかえする父を持って苦労する譲君の話(「午前6時のバケツ」)とか、
その譲君のお父さんと恋に落ちて不倫してしまう母を持つ、三田村さっちゃんの話(「夕つかたの水」)とか、
全部で11の短編が、少しずつどこかでつながり、時間は行きつ戻りつしながら、
小さな商店街の、市井の人たちの生活を・・・というか人生を? 丹念に描いた、というか。
いわゆる「不運なめぐり合わせ」で続けて4つの会社を辞めることになった、今は38歳のホームヘルパー、
谷口聡君の話(「蛇は穴に入る」)の中に、
「人生は、いつだって、しり切れとんぼだ。」
という一文があるけど、この本の中の短編はどれも、
ある部分、ありそうもなくて、でもなんかリアルで、はっきりしないんだけど、でも事件は起きたりして
生きてる限り「答え」にはなり得なくて、
そういうところが、高齢の方たちの思い出話を聞いている時のような、
すっきりまとめるのは、なんか違う感じ、という人生のわかりづらさを前面に押し出している。
今高齢の方たちは、人生が戦争と無関係ではなく、
その思い出話一つでも、今聞いてみると信じられないような話ばかりなわけで、
目の前でニコニコしているこの人が、そんな目にあってたの?そんな経験してたの?
って思っても、だからって、
「生きてて良かったですね。」とか
「今はご家族やお孫さんに囲まれて、お幸せですね。」とか、
そんなまとめ方をするのは、違うなあ、と思う。
だって、まだみんな生きてるし。
生きてる限り、そんな簡単にまとめることって出来ないと思う。
お愛想として言うことはできるけど。
受け取る方もそれわかってて、お愛想言われた方が楽だしスムーズ、ってこともあるけど。
事件が起こって、その前後だけ切り取ればすごいドラマになるようなことでも(素敵なことでも、ひどいことでも)、
もしも自分に起こったら、
やっかいなのは、そのあとも人生は続いて行くってこと。
そういう小説・・・かな。
でもそのはっきりしないとこが、リアルで、好き。
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