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沖縄で全戦没者の追悼式 「集団自決」論議呼ぶ中 '07/6/23 中国新聞
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200706230322.html

「歴史教科書を作る会」の運動を支持し、推進・協力してきた安倍総理は、「集団自決」の削除修正
問題には、一言も触れることが出来なかった。前日までに県議会を初め多くの地方議会で
削除撤回要求の決議が全会一致で挙げられている沖縄県では、
教育再生に道徳教育・愛国心を強制する法的根拠を与えた総理だが、
このことに1歩も切り込むことは出来なかった。
当然のことである。

保存樹

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      樹齢何年なのかわからない。おそらくこの天満宮と同じ時を生きてきたのだろう。

釣溝

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 我が家の東側は広々とした田園地帯である。24年前にこの土地に移ってきたときは、棚田が広がり、
1枚1枚の田圃に個性的な「顔」があり、そのすべての田圃に水を運ぶ「釣溝(つりみぞ)」と呼ばれる用水路が、1枚1枚の田圃を縫い合わせるようにくねくねと曲がりながら流れていた。
 その「釣溝」は、9世紀後半に、熊野からこの地に移住してきた比丘尼が、私財を投じ、土木の知識を尽くして椎原の下臼に堰を築き開いた二本の水路、「釣溝(つりみぞ)」、「樋溝(ひのみぞ)」の一であるといわれている。
 その「釣溝」に沿って幅3メートルほどの農道が走っていたが、当初は舗装されていなかった。格好の散歩道であった。自然石を一つ一つ積み上げた石組みは、かにやどじょうやホタルの幼虫などのすみかにもなっていた。6月になると、田圃に水が入り、ホタルが飛び交う。そしてにぎやかな蛙の合唱が始まる。7月には蜩が鳴き始め、セミたちのオーケストラが喧しい。盆を迎える頃になるとツクツクホウシがやってくる。そしてお彼岸が近づくと「まんじゅしゃげ」である。
 大規模な区画整理をし、「釣溝」が三面コンクリの用水路となってからは、「ホタル」と「まんじゅしゃげ」が激減した。しかし最近再び増え始めている。自然の復元力というものであろうか。
 「釣溝」を造成した比丘尼の功績をたたえた顕彰碑が、近くの小高い丘の頂に立てられている。
大正時代の水飢饉の折にも、近隣数か村の田畑を救った比丘尼への感謝の念は、顕彰碑付近の清掃活動として、現在も「水利組合」によって引き継がれている。
 大正13年に立てられた顕彰碑のそばには、檜の古木がありその下に、小さな五輪塔や宝篋印塔(ほうきょういんとう)の一部が組み合わさった石塔も残っている。9世紀後半のものと思われる。この地は、こうした「史跡」にも恵まれた地域である。

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