ひょうげもん

マジくんとへんてこ家族

「本」の運び屋

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全1ページ

[1]

 始末に負えない本の始末は、4人の子どもたちが使った教科書や参考書・問題集から始めた。先般整理した絵本や児童読み物,図鑑類と同じく、段ボール箱10箱分以上あった。すでに長女は横浜で就職して4年、次女もこの春、大学院を卒業して東京の大手のIT企業に就職が決まった。長男は大学院の博士課程で博士論文と取り組みながら、塾や家庭教師のアルバイトをしている。末っ子の次男も21歳になったこの春、念願の東京の私立大学に合格した。男の子二人は、ともに文学部である。本を読むのが仕事という、うらやましい限りの進路選択である。我が家が所有する6万冊あまりの書籍は、この二人の学業にも貢献できることとなり、少しほっとしている。
 
 と言うことで、中学や高校の教科書や学参は必要なくなったのだが、なぜか処分をためらっている。それは、現在4歳になるマジ君が中学・高校にゆくようになったとき役立つのでは、・・・と言う思いではない。使った子どもの分身だと言うことでもない。もう一度このころの勉強を自分でしてみたい、と言う気持ちがどこかにある。だから捨てきれない。

もっとも処分しやすいはずの代物ですら、この始末だから、始末に負えないのである。
結局、ロープでくくって、倉庫にまた戻ってしまうことになった。

 学校の先生を辞めて、まず始めた仕事はマイホームのリフォームでした。2年前のことです。
道具はすでにそろっていました。その頃、19歳の次男(高校)と22歳の次女(大学)の通学や妻の通勤の便を考えて、都市部の公団住宅で生活していました。
 
 そこから車で30分、倉庫,兼ごみ屋敷と化した廃屋同然の我が家へ「通勤」していたのです。3年近くこの家を離れ、公団生活をしていたのですが、その間ずっと空き家にしていたわけではなく、半年間は近所の若き「アーティスト」に無償で住んでもらっていたのです。雨漏りもひどくなり、到底借家として貸し出せる状態ではなかったのです。すんでもらい時々空気の入れ替えをしてもらうだけでもありがたいという気持ちで、電気代も此方で負担していました。それが・・・・省略・・・・
 
 その頃(2004年9月)私は、「うつ病」という診断で1年間休職していました。2週間に1度「精神科病院」に通院していました。同年の4月、始業式の日から2週間、この病院に入院もしていました。

 その入院中の出来事です。もう症状が落ち着いてきたから、ということで外泊許可が出たのです。退院も間近い休日のことでした。その頃住んでいた公団住宅は20階建ての賃貸マンションの18階でしたが、そこから飛び降りたらどんなに楽になるだろう、という想念に囚われてしまったことがありました。幸い、様子が変だな、と夫の異変を察知した妻の介入で「未遂以前」で終わりましたが・・・・。

そのとき頭の中で流れていた音楽が・・・・・
 ♪「あの大空に つばさを広げ 飛んで行きたいな
  悲しみのない 自由なそらへ 翼はためかせ 行きたい!」♪でした。
この曲が、伸びやかな女性ソプラノで、繰り返し耳元に聞こえていました。

 そのときの心境は、文字通り「八方ふさがり」でした。次の日、妻とともに不動産屋へ足を運び5階建ての公団住宅の2階に引っ越すことを決めたのです。学生時代から数えて12回目の引越しとなります。
地下鉄の駅まで歩いて10分という交通の便が良いところでした。川沿いの遊歩道を妻とよく散歩をしました。結局、この快適な環境の公団にも1年しか住みませんでした。

 9月中旬、若きアーチストが半年間、アトリエとして使っていた我が廃屋で生活しようということになりました。翌年3月の退職を決めたのです。退職金で「廃屋」のリフォームをし、老人性痴呆(後にアルツハイマーと診断される)が進行しつつあった母を呼び寄せることにした。結果的には前途有望な若き画家を追い出してしまうこととなった。彼が退去した翌日から、「本の運び屋」稼業が始まった。

 毎朝、8時過ぎに出勤し夕方まで運び屋をして、3ヶ月が過ぎていった。
 その前に、この際「本の運び屋」の解説をしておこう。
 主に大手の新古本屋から、この15年間に買い集めた本が、数万冊(3〜4万冊)、それまでに主として古本屋から買い集めていた本が2〜3万冊、新本や雑誌をあわせると6万冊を超える蔵書がある。
十本以上はあった書架では、到底並べられる量ではないので、いつしかダンボール箱を束で買ってきては
50〜70冊単位(文庫・新書は150〜200冊)単位で詰め込んではダンボールを積み上げる。という作業を長期の休みごとにここ十数年続けてきている。7〜8年前だったかそのうち八百箱分を、2トン積みの幌付トラックで、110キロ離れた妻の実家に運んで、現在も保管してもらっている。4万冊を超える量である。単なる蔵書癖とか「本の蟲」という表現を遥かに超えている。明らかに異常であり、病気なのである。私の死後、本の始末をつける者のことを考えるとあまりにもむごい話である。本との格闘を即刻始めなければ、残された時間は少ないのだ。
  
 かくしてすばらしき秋晴れに恵まれた「体育の日」の昨日、我が家の里子となった4歳の自称「マジレンジャー」のために、今は巣立って行った4人の子どもたちにと収集していた絵本・児童書・学習参考書のプレハブ倉庫から絵本の箱(12箱分)と「学・参」20箱分を運び出した次第である。箱の中で深き眠りについていた「絵本」達が再び出番が来たと喜んでいた。手垢にまみれ、中にはぼろぼろになっているものもあったが、当時の「ヨンデ!ヨンデ!」で催促する子どもたちの声と、目を輝かせて聞き入っている姿が、懐かしく思い出される。かくして「運び屋稼業」は再び始まりそうである。今度こそ、「電脳古書店」の早期開業をめざそう!

全1ページ

[1]


.
あっくん
あっくん
男性 / B型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

標準グループ

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事