ひょうげもん

マジくんとへんてこ家族

生老病死

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]

介護の夫が心筋梗塞で死亡後、寝たきりの妻も熱中症で死亡
2007年8月28日22時16分 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20070828i314.htm

先日も、エアコンがなくて熱中症のため亡くなった老夫婦がいた。今回も老老介護の悲劇である。舛添厚労大臣が脚光を浴びているが、このような現実にどういうスタンスで向かい合おうとしているか、有権者は熱い期待を持って「命がけの仕事ぶり」を見ています。


安倍改造内閣の火種?それとも救世主!?厚労相に舛添氏就任
   http://www.sanspo.com/shakai/top/sha200708/sha2007082800.html

村の人がまた旅だった。8月になって二人目だ。25世帯の小部落である。農業一筋で生きて来られた方たちが、70代を超え、1人また1人と旅だってゆく。この村に住み着いて何人の人を見送ったことだろう。
 昨年までは、村の住民が亡くなると、村をあげての葬儀が行われていた。通夜・葬儀共に自宅で行うため、炊き出しを含め、準備が大変だった。
 世代交代により、通夜・葬儀共にJA等の葬儀屋の手に委ねるようになっていった。

 3世代同居の家の主が亡くなったときは、葬儀屋の演出なのか、その家に同居している孫が弔辞を読む。「優しかったおじいちゃん!大好きだったよ。おじいちゃんが作った野菜、とってもおいしかったよ!」と霊前で今は亡きおじいちゃんに呼びかける痛切な弔辞が、皆の涙を誘う。74歳の、まだまだこれからという、元気な方だった。

いよいよ「安倍内閣の手術の日」を迎える。

それは皮肉なことに、出張で中国に行っていた赤城農水大臣の「帰国・即・入院」
という行状に象徴される。
赤城大臣が新潟産こしひかりのセールスのため中国を訪問している最中に
新たに、政治資金の二重計上という事実が発覚した。
今回は領収書のコピーを握られているものだから
「法律に則って適正に処理しています」というごまかしが利かない事態なのである。
記者団に掴まらぬよう、逃げ回るしかない。

その説明責任から逃れるために、急に下痢となって(中国当局に失礼だと思う)
一日遅れで帰国したものの、空港で待機するメディアを避けるため
飛行場内に迎えの車を乗り入れさせ、タラップを降りて直ぐに車に乗り込んで病院へ、
という、常識では考えられないような離れ業をやってのけた。

おそらくこの離れ業は、投票日までこれ以上のマイナス材料を増やされない、
というお家の事情がそうさせたと、思わざるを得ない。
勿論赤城大臣の策略ではあるのだが、とにかく黙っていてくれ、
という厳命が下されているに違いない。

確かに自民党はこれまでも、政局に発展しかねないようなキーマンとなっている人物を、
幾たびも、ここぞという場面で入院させてきた。
自殺を装った「暗殺」もおそらくあったことだろう。
まさに今回の赤城農水相の事務諸費問題や二重計上問題は、
時期が時期だけに政局への誘因となりかねない。

自民党にはもはやかって元気だったときのような体力はない。
此処で倒れると、いつ復帰できるかわからないという、
ギリギリのところまで追いつめられているのである。
公明党を取り込んで8年間、公明党におんぶされ、抱っこされて
何とか政権を維持してきた。

衆議院では単独過半数だが、小泉マジックの郵政選挙によるものであり、
今回衆議院を解散したら、単独過半数を維持するどころか、公明の力があっても怪しいものである。
自民党の長すぎた政権にも終わりが見えてきた、と言える。

何故かその病状は、「脱腸」に似ている。

「脱腸」(鼠径ヘルニア)というのは、長い長い小腸の端っこ部分を支える「膜」が、
永年勤続で疲労し、よれよれになって締まりがなくなった筋肉組織の隙間から
腸と一緒にはみ出してしまう病気である。

人間では乳幼児も先天的にもあるのだが、50代を過ぎた身体に発生し易いという。
立ち仕事や重労働に携わる労働者に多いということだ。

自民党という組織が「組織疲労」「筋肉疲労」を起こしていることは論を待たない。
腸という内臓を支える筋肉組織が弱っていることも間違いない。
だからこそ、初の戦後生まれの宰相と、鳴り物入りで誕生した内閣が
実はよれよれの筋肉組織で構成された内閣であったことが、
数カ月も経たないうちに判明してきたのである。

「脱腸」というのは右だけではなくて左も起こるそうだ。
また、再発の可能性もあるという。
安倍内閣も閣僚の不祥事が発覚したときに、早め早めに「罷免」なり、「更迭」なり
内閣改造なりの小手術を施しておけば、此処まで酷い状態にはならなかったであろう。
「脱腸」手術は、看護師や医師に下半身をさらさなければならない。
それが恥ずかしくて、適切な処置を施すタイミングを外してしまうそうである。
また、我慢して食べ物や飲み物に気をつけたり、薬を飲んだりしていても改善しない。
なるべく早めに手術するしかないのである。

安倍内閣の「脱腸」は、「右」だけでなく「左」からも発症していた。
そして手当が遅れたために、はみ出した腸が元に戻らず固くなってしまうという
所謂「かんとん状態」 http://www.medical-plaza.com/m-hernia/05.html になっていた。
一刻も早く手術しないと、命にも係わるそうである。

自民党と安倍内閣の司令塔である安倍総理自身が、そのような危機管理意識がなかったのだ。
だからこそ、決定的な局面での、的確な対応が出来ないまま事態をいっそう悪化させ、
ついに選挙民という「執刀医」に、最も酷い状態となってから手術を委ねてしまうことになったのだ。

ところがこの「執刀医」は、気まぐれだから、天候やその時々の気分にも左右される。
また、時の内閣の顔や人気やパフォーマンスにも左右されるからなかなか厄介である。
安倍総理はそれを意識しすぎたためか、
テレビやメディアに露出しすぎてしまって、かえって嫌われてしまったようである。

肝心な問題閣僚に対する適切な対応を誤って、自分だけを露出しても
この一筋縄ではいかない選挙民を愚民化することは出来ない。
とにかく、あらゆる手を尽くし、刀折れ、矢尽きてしまった今となっては、
ジタバタせずに手術台に登って、「選挙」という「執刀」を待つしかないのである。

いよいよ手術の日を迎えた。心理的ストレスの最大のものは、
やはり人生58年にして初めて身体にメスを入れるという体験であろう。
20分から30分ほどで終わる簡単な手術だとは言え、れっきとした外科的手術である。
全く緊張感がないとは言えない。

日帰り手術センターに9時半に到着。早速着衣を全てとり、手術着に着替える。
まもなく担当の看護師が剃毛に来る。この場面の羞恥心を軽減するため
すでに昨日来、自分で済ませていたので、事は簡単に終わった。

昨夜の夕食後から、絶飲食だったので空腹は勿論だが、それ以上に、のどの渇きを覚えていた。
水分補給の為の点滴を始める。身体は動かせるので、横になって持参した最新の週刊誌5冊に目を通す。
殆どが安倍内閣の不祥事に係わるルポである。気を紛らすために丁度よかった。
やがて手術の時を迎える。もはやまな板の上の鯉である。

看護師に付き添われ、手術室へ歩いてゆく。そこで手術室専属の看護師と交代。
手術台は幅50センチほどであろうか。仰向けになると、巨大な手術灯が真上にある。
電球が7灯。別に4灯、併せて11灯。意味もなく電灯の数を数えたりしている。

血圧や心拍数が自動的に計測される装置をつける。酸素マスクも当てられる。
血圧が上がっている。緊張からだろう。
何度か測るうちに平常に戻る。看護師が緊張を和らげようといろいろ話しかけてくる。
それに応じていろいろと応答したり冗談を言って笑いをとってるうちに、気分も落ち着いてくる。

やがてエビのように身体を曲げさせられ、腰に麻酔を打たれる。
腰から下の感覚が徐々に麻痺してゆく。
エチルアルコールを浸した脱脂綿で何度も皮膚感覚を確かめられる。

確かに、臍から下の方の感覚がなくなってきた。だが、運動神経は麻痺したわけではなく、
足の先まで通常通り動かせるのが不思議でもある。

20分ほど経ったであろうか、ゴーサインが出され、手術が始まった。
場の空気が張りつめ、緊張が走る。

上半身、下半身をそれぞれベルトで固定されたうえ、首をもたげても見えないように
大きな布で視野を遮られている。すでに感覚がなくなっているので
執刀され、今切られていることもわからない。最終的な痛覚のテストはメスを入れて訊かれた。

この眼で見ておきたい気もするのだが、それも叶わずジッとしてる他はない。
20分は過ぎただろう。執刀医が「無事に終わりました」と知らせてくれる。

術後の処理も無事に終わり、血圧計や心拍計、酸素マスクも外される。ほっとする。
終わってみるとやはり緊張していたことがわかる。
丸裸となっていた躰を横に向け、手術着を敷いて再び仰向けになることで
マジックテープ式の手術着が着用でき、裸体をさらしていた羞恥心からも解放された。

これで終わった、という解放感に満たされ、心地よかった。その時は・・・。

生まれて初めてストレッチャーに乗せられ、ベッドに戻った。
時刻は1時15分だった。

此処で2時間待機しなくてはならない。経過がよければ3時半頃には退院できるそうだ。
時間が立つに連れ、あの解放感は感覚が戻ってきた患部の痛みに取って替わられる。

のどの渇きを思い出した。
看護師さんの許可がでて、抗生物質の服用のため、一緒に飲んだお茶がうまかったこと。

まもなく妻が見舞いにきてくれた。真っ先に自販機のジュースを所望した。
人心地がついた。2時間近く立ったであろうか、退院の為の必要十分条件である血圧と
排尿が可能となっていることが確認。主治医に連絡がなされ、術後の診察。退院の許可が下りる。

だが、麻酔が切れ、わずか5センチくらいとは言え、切腹しているのである。
当初、勝手に描いていた「日帰り手術のイメージ」とは異なり、そろそろと歩くのが精一杯。
とてもじゃないけど、バスの乗り降りや、階段の上り下りをして地下鉄で帰る、
なんてことは出来そうにない。それどころか車の助手席に乗り込むのも精一杯。
後はシートを倒して、横になってるだけだった。

HPには「自分で歩いて帰れます!」と書いてあったが、誇大広告か。
そんな患者もいるのであろうが、自分にはとんでもないことだった。
車で1時間近く移動し、わが家にたどり着いたのだが、その振動すら耐え難かった。

ともあれ、此処3ヶ月間、身体の不調に悩まされた病因が除去されたことで良しとしなければ。

初診は7月5日だった。市内の病院なので車を運転していった。

どの医者にかかるかは、インターネットで検索し、Webページで決めた。
「日帰り手術」が出来ると言うことが、第1条件だった。

かって、職業に就いていたときは家庭のことは妻任せでよかったのだが、
今は、一晩たりとも家を空けるわけには行かない。

「不安神経症」の母には、病気のことや、ましてや手術のことは、絶対言えない。
術後の安静のため、妻には2日間の休みをとってもらったが、
3日目からは、日常に戻り家事・育児・介護をこなさなければならないからだ。

その日は事前の検査として、主治医の診察の他に
検尿・血圧・レントゲン・血液検査・血沈検査があった。
手術に耐えられるかどうかの検査だった。
主治医の診察はまず患部を見せ、大きくおなかを膨らませた状態で触診すると言うものだった。
その時点から「まな板の上の鯉」となった。
患部から至近距離(10センチ)ほどのところに、「男性自身」がある。
この場面を想定して、すでに自分で毛剃りを済ませてきていた。
主治医は若い男性のドクターであり、幸いにこの日は女性看護師の眼にさらされることはなかった。
だが手術当日はそうもいくまい。その覚悟が、心理的ストレスの一因であったことは間違いない。
でも病を治すためには、恥ずかしがっていても始まらない。
主治医による確定診断は、やはり「鼠径ヘルニア」であった。
手術しないと直せないと言うことだった。
手術同意書にサインをし、2週間後の18日に手術することとなった。

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]


.
あっくん
あっくん
男性 / B型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

標準グループ

過去の記事一覧

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事