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ヴァイオリンを遊び程度練習するようになってから、
音楽を聴くときに使われるだろう感覚が変わってきたように思う。 9月の半ばから、先生に習うわけではなく、不真面目にひとり弾いてきたが、 聴くのと楽器を触っているのとは、真逆の感覚のようだ。 指揮者と奏者の関係のように、一方は脳内の感覚だけの右脳の世界、 一方は実際に音を出す現実世界なんではないかと思える。 1年前の冬、モーツァルトを、その後ベートーヴェンのごく一部の曲を CDで聴いていたが、自宅の庭の木を見ながら、 こんな木のある環境ではモーツァルトは過ごしていないな、 この曲のできたところとは違う空気だ、と思いながら過ごし、 曲を作ったところへ行ってみたい、きっと空気が同じなんだろうと確信したりしていたが、 ベートーヴェンについては、未だその人について、見えたようで見えていない。 モーツァルトには話しかければ、答えが返ってきそうで、 (実際に話しかけたらあんな調子で答えが返ってきたでしょう。) 一般的に知られている人間像の影響か、音楽から感じるからなのか、 曲を聴きながら話しかけることがある。 残念ながら答えは返ってこないが、何か言っただろう感覚は伝わってくる。 ベートーヴェンにはなぜか、話しかけようとは思わない。 Twitterなどで、全く見ず知らずの指揮者さんでも、 (相手が小澤征爾さんでもおそらく、) こんな風に音楽家さんに話しかけてしまう。 金聖響さんに『剣道の理念』をツイートして、放置されるなど、 脈略のない言葉を放ち、おかしな人だと思われていると思うが、 どう思われるかより、こちらがどう思うかだ、と思うところがある。 実際の音楽家さんは、そうはいかないかもしれないとは思いつつ。 今日は76年か79年の録音のカラヤンのチャイコフスキー交響曲第5番を聴いている。 2年前には、すごいなあと聴いていたのに、 ずれや、あらを感じるようになった。あるいは好みが変わったのかもしれない。 さすがに30年以上前のものになると、古く感じるのだろうか。 先日、カーネギーホールでの、小澤征爾さんとサイトウ・キネンの 演奏の様子をニュースでちらっとみたが、 オーケストラ全体が、小澤さんに信頼を寄せているのが分かって、 また、体を気遣っているのが分かって、居たたまれなくなった。 75歳だったか、76歳。子どものように、カラッと全快 とはいかない年齢に人はなると思うと、何だか悲しい。 両腕を、下野(トンズラー)竜也さんと、 内田光子さんに支えられていたのが心配だった。 チャイコフスキー交響曲第5番を、小澤征爾さんの指揮で聴いてみると、 第1楽章で、確たるパワーがはっきり出ているところがある。 流れも美しい。最近では、カラヤンより好みなのかもしれないと思った。 |

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そうなんですよ
音楽は 聞くと弾くでは大違いです
聞くより弾いた方が ベートーベンさんにもモーツアルトさんにもラベルさんにも よりお友達になれます。
退屈に聞く音楽も 弾いてみて下さい 必死なんですから・・・
オーケストラを 見る楽しみが増えて良かったですよねぇ
2010/12/22(水) 午前 3:22 [ もぐら- ]
ミファソラさん、こんにちは。
最初は楽しく練習していたんですけど、
最近、楽譜を見ても機械的な思考で、
今までのCDを聴いて疲れるようになりました。
弾いてみないほうが楽だったかもしれません。
いろいろ難しいです。
2010/12/26(日) 午後 5:02