警察小説の旗手、横山秀夫氏(『臨場』がテレビドラマ化)の小説『影踏み』の主人公によれば、検察は警察にとって「目の上のたんこぶ程度の存在」とされ、裁判官は「刑事がこいつはクロだと裁判に差し出せば、なんでも鵜呑みにしてクロにする。自分たちの仕事の評価を懲役の年数できっちり示してもくれる。刑事連中にとってみれば、日本の判事は神か仏だろうよ」と評価されています。 もっとも泥棒の主人公の評価なので差し引いて考えるとしても、狭山事件に限って言えば、1・2審からの現在までの33人の有罪判決・再審棄却決定を下した裁判官などはまさにそのとおりでしょう。 そう考えると、「他に疑わしい人物がいる可能性」を積極的に主張することは不可欠、と私は考えます。 それは、石川さんの冤罪を晴らすとともに、被害者や警察の違法捜査によって自殺に追い込まれた人たちの無念を晴らす作業でもあります。 しかしながら、その作業では、関係者のプライバシーを守り、人権と名誉を侵すことなく事件の真相を明らかにすることでなければなりません。明白な証拠もなく、名指しである人を犯人呼ばわりすることは、見込み捜査で多くの人権侵害や冤罪事件を引き起こしている警察・検察と同じになります。そんなことはすべきではないと考えます。 殿岡駿星氏の最初の著書『犯人 「狭山事件」より』では、真犯人X氏の犯行像・犯人像をたんねんな推理で示すに止まっていますが、スリム化して再版された『狭山事件の真犯人』においては、X氏は被害者の長兄の賢一さんとはっきりと分かるように書かれています。これは、とても残念なことです。 殿岡氏が石川さんの冤罪を晴らしたいと真剣に考え、確信を持って真犯人説を提案されていることは理解できますが、真実の探求には厳しいジャッジが求められます。 賢一さんが山田養豚場が怪しいとか、残土の処理から犯人は土工とマスコミに対して発言するなど、警察の見込み捜査を煽る発言を行うとともに、石川さんを死刑にした1審裁判において、警察の万年筆、腕時計の証拠偽造に荷担するような役割を果たしたことに対し、支援者が強い怒りをもっているだけに、亀井説や殿岡説が受け入れられる下地は十分にあると言えます。 それだけに、私は殿岡説に根拠があるのかどうか、主なポイントについて、批判を行いました。 私は殿岡さんとは一面識もありませんが、ともに事件の真相を追及しようとする同志と勝手に思っています。しかし、長兄・賢一さんを真犯人と決めつけるのは不当であると考えます。 私たちは、考え得るかぎりの真犯人仮説を検討し、その中でもっとも矛盾が少ない仮説を選ばなければなりません。このような方法こそが、私たちもまた予断と偏見による誤りを防ぐことになると考えます。(121107 甲斐仁志)  にほんブログ村
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