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[ kkf*ns* ]
2018/5/8(火) 午前 0:00
[ kkf*ns* ]
2018/5/4(金) 午後 6:20
[ あじさい川 ]
2018/4/3(火) 午後 0:18
少時様を線で消して中田江さくと書いてあり、中田という姓が書かれているわけです。これによってXは、少時というのは姓のことだよと示唆したんじゃないでしょうか。しかし、東海林、庄司はあっても少時は珍名です。前の門、後ろの門のある少時がほんとうに実在したのか?
佐野屋のかどと読ませるためなら、前の門のある少時は実在しなかった可能性もある。
Xの文は少時様を中田に変え、日付けと前をさのヤに変えたがあとは同じです。
女の人も友だちが車出いくも西武園も、子供わ1時かんごに車出ぶじにとどけるも同じです。計画も同じであり、少時様の前の門を佐野屋に変えても車でかかる距離も時間も同じだということです。
つまり、少時様が実在したとすると、犯人たちの拠点から車でかかる距離も時間も、佐野屋とだいたい同じだということになる。車ですので広域移動が可能であり、狭山市とは限りません。入間、所沢、川越、清瀬、東村山、東大和の少時様の可能性も出てきます。架空の少時様なら捜査を長引かせるのが目的で、いくら探しても無いということになるでしょう。
[ あじさい川 ]
2018/4/3(火) 午前 0:21
少時様の候補にあがったのは江畑昭司、牧田正治、長島少時でした。ところがみな姓ではなく名のしょうじなんですね。
ふつう封筒の宛名に書くのは姓であって名ではありません。少時は見え消しになって、中田江さくと書かれていました。これが江さくだけなら、少時も名のほうだと読み手はわかります。しかし、中田江さくと中田という姓がちゃんと書かれているわけです。したがって、この少時様というのは、ふつうに考えると当然姓のほうになるのではないでしょうか。
しょうじという姓だと当時は東海林太郎という有名人がおり、しょうじと聞けば東海林が浮かぶ人は多かったのではないでしょうか。
少時様が姓だとすると狭山市にはいなかったというこになり、別の市の少時、東海林、庄司の可能性が出てくるわけです。
[ あじさい川 ]
2018/4/1(日) 午後 9:10
[ あじさい川 ]
2018/3/31(土) 午後 5:01
吉沢健一は当時も今も狭山市在住ではないでしょうか。当時は堀兼中の英語教師で、その後狭山市の山王中学の校長を務めたわけです。実家は入間市の東町だったと思います。吉沢は当時32才で結婚していて妻は身重で帰省していたと思います。吉沢の手帳には事件当日の5月1日の記述として4時東町とある。4時東中という方もいますが。身重の妻が吉沢の実家にいたとすれば、吉沢は1日の4時に東町の実家に身重の妻をたづねる予定があったということになるかもしれない。もし、その通りに吉沢が4時に実家に帰っていたとすればアリバイありということになるかもしれない。甲斐さんの推理とは、ちがいますが第1ガード下で誰かをまっている風のY枝さんを主婦が目撃しており、そのY枝さんと吉沢が待ち合わせることができなくなるからです。しかし、吉沢がアリバイ工作のために手帳に後日しるした可能性もあるわけです。ただ手帳の記述が4時東中だとすれば解釈はまたちがってきます。吉沢に身重の妻がいて帰省していたとすれば、1日から2日吉沢は自宅にひとりだったわけで夜に行動の自由があり、それを他者に知られることがなかったと言えるでしょう。
[ kkf*ns* ]
2017/4/10(月) 午後 2:51



