一昨日アップした「新推理・狭山事件47 芭蕉と晶子と脅迫状」を早々と修正しました。 「徳川時代の町人文化は隠喩文化が花開く」、「『志よう(しょう)』から『晶子』に名前を変えた晶子は、芭蕉が『さみ堂礼遠あつめてすゝしもかミ川』を『五月雨を集めて早し最上川』に変えたことに敬意を表していた」「『荒海や佐渡によこたふ天河』の『天河』は『天下は』にかけており、佐渡で死んだ世阿弥や順徳上皇を暗喩した、3段重ね構造である」という部分を追加しました。 「狭山事件の脅迫状とかけて、何ととく」→「柿本人麿と松尾芭蕉と与謝野晶子ととく」→「その心は、人麿体当て字(万葉仮名的当て字)と片仮名書き表記を真似している」というと、奇をてらった眉唾もののトンデモ説という誹りを受けそうですが、「東西東西、御用とお急ぎのないお方はゆっくりご覧じろ」。 「新推理・狭山事件41 ソネット形式と詩的漢字使い」において、脅迫状の脚韻を分析していたとき、横書き縦読みで「せい死」があってびっくりしましたが、「ツ」と「ヤ」の片仮名書きを続けると、なんと「ツヤ(通夜)」になります。 「甲斐仁志」=「かいじん4=海人、諧人、解人、怪人」というような言葉遊びの大好きな私としては、ついつい犯人を同類と考えてしまうのですが、いくらなんでも、「せい死」や「ツヤ(通夜)」はあるまい、と思っていたのですが、犯人は芭蕉の「奥の細道」の「さみ堂礼」と「もかミ川」と、晶子の「ミだ礼髪」の関係に気付いているな、と思わずにはおれません。 そうすると、犯人は芭蕉と与謝野晶子の暗喩(隠喩)のレベルを知っており、あるいは「せい死」と「ツヤ(通夜)」を脅迫状に盛り込んだ可能性があるのでは、と夢想せずには折れません。しかし、これは本文には盛り込まない、あくまで裏話ですが・・・
実際の推理の経緯は、「犯人は詩人」という結論から、「犯人は『万葉集』と『奥の細道』は読んでいるにちがいない」、そこに「万葉仮名的当て字表記」と「片仮名使用表記」の手掛かりがある、と考えて、まず、学生時代に読んだ梅原猛氏の『水底の歌―柿本人麿論』の続きの『歌の復籍』を読み、人麿体漢字用法にたどり着きました。 続いて、中学校の教師の説明がどうしても納得できなかった「佐渡によこたふ」や、蝉のやかましい鳴き声とのミスマッチが気になっていた「閑けさや」、さらにカヌーの体験から「集めて早し」の句は舟に乗って詠んだ句に違いないと思っていた芭蕉の句を分析し、「さみ堂礼」と「もかミ川」から与謝野晶子の「ミだ礼髪」にたどり着きました。 芭蕉と世阿弥が同郷で、「芭蕉=はせう」が「長谷生」の芸名の世阿弥に重なるということに気付いたのは、ついでに読んだ梅原猛氏の『うつぼ舟 観阿弥と正成』の偶然のたまものです。 「詩人犯人説」は詩に興味関心がある人や実際に詩作したことのある人にはすぐに理解されるのですが、私の妻などは「できすぎ」「考えすぎ」となかなか認めません。そこで、日本を代表する詩人の柿本人麿と芭蕉から事例を見つけ、説明してみようと思ったのですが、与謝野晶子の「ミだ礼髪」にまで出会うとは思いませんでした。 犯人は「ツヤ」によって「通夜」と同時に「艶」を暗喩(隠喩)したというのは、言葉遊びが過ぎるでしょうか・・・・ (131014 甲斐仁志)  にほんブログ村
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