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「新推理・狭山事件42 捜査本部の犯人像・犯行像」をアップしました。 |

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「新推理・狭山事件42 捜査本部の犯人像・犯行像」をアップしました。 |
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次の東京新聞記事を見つけましたので、関係する「新推理・狭山事件36 スコップと足跡と須賀地下足袋」「同37 犯人の移動経路」に加筆・修正を行いました。
「この現場には真新しい地下タビの足跡と自転車の荷台のヒモが遺留され、ヒモは4日善枝さんのものと確認された」(5月5日付東京新聞) 新聞記事の分析は、どうしても縮刷版が見られる「朝・毎・読」が中心になってしまいますが、狭山事件に関する限り、東京新聞とサンケイ新聞の記者が優秀であり、捜査本部の幹部に情報源を持ち、記者会見で中刑事部長らが公式発表する以外の情報を多く掲載しています。さらに取材力にたけているのは週刊誌の記者達ですが、朝・毎・読や地元の埼玉新聞などにも、他にない情報が見られ、当時の記者達の努力が伺われます。 また、中刑事部長(特捜本部長)が記者との接触を禁じるにも関わらず、事件直後のあわただしい時期とは言え、情報をリークし続けた刑事がいたことも特筆すべきです。上意下達で、刑事達が自由に議論できないような組織捜査=情報管理捜査=情報操作・秘密捜査こそが冤罪を生む1つの要因であると考えますが、「浮いた捜査」「お祭り捜査」「踊る大捜査」のなかで中刑事部長・将田次席らペーパーテスト幹部の捜査方針に対して批判的であった刑事達の情報に注目したいと思います。 昨日、紹介した「死体発見現場にはリヤカーの輪だちの跡がはっきり残っていた。このことから捜査本部では数人連れの犯行で、善枝さんの遺体を一時雑木林の中に隠したのち、荒ナワを持ってふたたび現場に戻り、夜になるのを待ってわざわざリヤカーで麦畑わきへ運んで埋めたものとみて目撃者の発見に努めている。しかし犯人がなぜ遺体を雑木林から運び出したかについては捜査本部もまだ見解を統一できない。」(5月5日付東京新聞)と合わせて、修正を行いました。 フジテレビの「世界法廷ミステリー」を見ていると、アメリカなど各国では、法廷にカメラが持ち込まれ、重要な現場写真や証拠物などが公開され、さらに陪審員がインタビューに応じています。公開が原則である裁判であれば、しごく当然なことですが、帝国主義段階の官僚支配の後進性丸出しのわが国では、検察官手持ちの全証拠が開示されないばかりか、取材や報道が厳しく制限されるなど、官僚支配の秘密主義が警察・検察・裁判所を支配しているように思います。 裁判の公開と警察・検察の情報公開の原則が実現されないと、冤罪を減らすことは難しいように思います。(130726 甲斐仁志) にほんブログ村 |
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この間、別件で忙しくしており、しばらく休みました。 |
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『狭山事件公判調書』に欠けていた2審の最終弁論が掲載された『狭山差別裁判 第8集 上・下』を友人から借りて読んでいるうちに、松本健男弁護士が脅迫状のソネット形式について指摘している部分を見つけ、「新推理・狭山事件41 ソネット形式から見た真犯人詩人説」としてまとめました。
亀井トム氏が主張していたようなかすかな記憶もあるのですが、『狭山事件 第1集』『狭山事件 第2集』には掲載されていませんでしたので、松本弁護士のオリジナルな提案として分析しました。 20数年前に読んだ時には、あまりにも突飛な、飛躍した推理としか考えませんでしたが、「新推理・狭山事件2 脅迫状の詩的表現技法ー真犯人は被害者に近い詩作に慣れた人物である」を書いた現在では、「ソネット形式」は面白い着想と思い、分析を行って見ました。 その結果、背筋が寒くなったような、興奮を覚えました。脅迫状がまぎれもなく「ソネット形式」の詩を意識して書かれているということが浮かび上がってきました。 14行の詩 ◆ 孱街圈檻温圈廖檗孱換圈廖宗孱街圈檻温圈廚寮阿辰森柔 頭韻の「k−k−t−t−k」−「m−k―m―k」−「k−k−k」−「m―s」に合わせ、「金二十万円」の「金」を付け、「時間」を「時が」としている表現の工夫 ぁ々堝漢字・仮名の「子―金―友―時―刑」―「も―子―も―子」とリズムをとった配置 Αゝ啀い裡狭毀椶らの「ら―ろ―ら―る」と13行目からの「ら―る」 А。街毀椶痢屬察檗廖■換毀椶痢屬ぁ−」、5行目の「死。」を合わせた「生死」の文末縦読みの言葉遊び(「おもえ」を「おもい」と言い換え、「死」を名詞止めにし、さらに「−(ダッシュ)」「。―(マルダッシュ)」「。」と句読法を変えて強調) これらの7つの詩的表現手法や言葉遊びが偶然に起こる確率は極めて低く、犯人には豊富な詩作経験があったことは明らかです。 もし、1つ1つが1/2の確率で偶然に起こるとすると、全部が偶然に起こる確率は、1/2×1/2×1/2×1/2×1/2×1/2×1/2=1/128になります。一方、15の詩的・小説的表現技法が偶然に起こる確率は、(1/2)15=1/32768になり、これらの両方が偶然に起きる確率は1/128×1/32768=1/4194304、約420万分の1となり、ありえないことになります。もちろん、22のうち、lつでも確率0があれば、全体の確率は0になります。 「犯人は詩人である」と断定したいと思います。(130716 甲斐仁志) にほんブログ村 |
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『狭山差別裁判 第3版』を友人から借りて読み直し、「新推理・狭山事件39 善枝さん像の見直しへ」を修正しました。 |