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2審では、石川さんの犯行現場不存在(アリバイ)を証明する下校時刻と最終目撃者、最終食事が争点にならず、証拠開示の不徹底と法廷での証人尋問が不十分であり、未だに、下校時刻や最終目撃者について、再々修正を行いました。
前回の修正に加えて、新たに「それに善枝さんはあの日は誕生日だというので、みんなより一足さきに帰ってそれがあんなことになってしまった」(北川校長:5月5日朝日新聞)、「教室を一番最初に出て行った」(桑田良子。1972年8月の2審第64回公判)という2人の証言を追加しました。 兄の賢一さんが善枝さんを車で迎えに行った時の小使い(学校用務員)さんの「1年生なら3時頃帰った」(5月9日付供述調書)という話しや、1審第2回公判での賢一さんの「おばさんと話したら、2時か2時半にはみな帰ってしまいだれもいないよというわけだったんです」という証言は、英語授業の終了が2時35分であり、学校用務員の証言は30分ずれていることが明らかですが、2時半から3時半頃に生徒が帰り、これと北川校長・桑田良子さんの供述と合わせると、善枝さんはその最初に帰ったことが証明されます。 「新推理・狭山事件49 下校時刻」として再度、まとめたいと思いますが、淺野とよ子さんは、家まで30分で、途中、雨(2時02分〜55分3時26〜39分)に遭わず、帰ってから雲がでて強い雨(4時20分)が降ったというのですから、下校時刻は2時55分頃となります。淺野さんは善枝さんの30分後に帰ったのですから、善枝さんの下校時刻は2時半頃で、英語授業が終わった2時35分の直後となります。 これは、桑田良子さんの「授業が終わってすぐ」「教室を一番最初に出て行った」、北川校長の「みんなより一足さきに帰って」という証言ときれいに符合します。 従来、利根敏子さんの「3時23分頃下校証言」を動かせないものとし、さらに福富孝さんの「3時頃」「2時30〜40分頃」の出会い時刻については、これを事実とする見方(亀井トム・野間宏・伊吹隼人氏の下校後引き返し再下校説)、日にち違い・別人の見誤りとする捜査本部の判断、時間だけが嘘とする私(甲斐仁志)の3つの見方がありましたが、私の最終的な結論は、利根敏子さん・福富孝さんのどちらもが「目撃時刻について小さな嘘」を付いた、というものです。また、上神教諭の運動服を配ったというのは、「大きな嘘」と言わざるをえません。 みなさんは8人対2人の証言のどちらを信用されるでしょうか?(131205 甲斐仁志) にほんブログ村 |

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