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真珠湾攻撃から、たった3ヶ月昭和17年(1942)2月には、日本軍の最前線は中部太平洋のマリアナ群島を押さえ、南太平洋全域に拡大し、ニューギニア、ジャワ、スマトラ、マレー半島、ビルマ(ミャンマー)にまで広がっていました。

● ジャワ沖海戦・・
194224、日本軍の偵察機がバリ島の北を航行中の連合軍艦隊を発見した。
これは重巡ヒューストン、軽巡マーブルヘッド、デ・ロイテル、トロンプ、駆逐艦7隻からなるドールマン少将指揮の連合軍艦隊で、日本軍の上陸船団攻撃に出撃したものであった。
この艦隊に対し、日本海軍第11航空艦隊(司令長官:塚原二四三中将)はセレベス島ケンダリー基地航空部隊の一式陸攻36機、九六式陸攻24機にて攻撃した。
この攻撃でヒューストンは250kg爆弾の命中弾が1発、マーブルヘッドは250kg爆弾の命中弾2発と至近弾4発を受け損傷した。

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  ジャワ沖海戦 (昭和17年2月4日)  米重巡洋艦オーガスタ及び蘭印軽巡洋艦トロンプ型撃沈

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  海軍航空隊の奥地爆撃行 (97式爆撃機)    吉田  博 画

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https://www.youtube.com/watch?feature=endscreen&NR=1&v=Dx-BBg0AgP4 

↑【照らされた日本の誇り】アムステルダムにて・・

● バレンバンに空挺部隊降下・・
スマトラ島のパレンバンは蘭印最大かつ東南アジア有数の大油田地帯であり、ロイヤル・ダッチ・シェルが操業する製油所とともに太平洋戦争における日本軍の最重要攻略目標であった。
パレンバンはムシ川の河口からおよそ100キロの内陸に位置するため、我が軍が川を遡上している間に油田設備を破壊されるおそれがあり、これを避けるためにはまず空挺攻撃によってこれを奇襲占領し、次いで地上部隊をもって確保する作戦が望ましいと考えられた。
昭和17年(1942)214、降下部隊第1悌団の挺進兵らは、一〇〇式輸送機やロ式輸送機に搭乗しマレー半島を飛び立ち、直掩機の飛行第64戦隊と飛行第59戦隊の一式戦闘機「隼」などと共にパレンバンに向かい降下部隊は降下した。
降下部隊は逐次集結しつつ飛行場へ殺到したものの、飛行第98戦隊の九七式重爆撃機から別投下した火器・弾薬が入手できず、携行した拳銃と手榴弾のみで戦闘せざるを得ない挺兵も多かった。市街地からは連合軍の装甲車部隊約500名が到着し激戦となったが、降下部隊は21時までに飛行場や油田、製油所を確保した。

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  神兵パレンバンに降下す     スマトラ方面陸軍派遣 鶴田 吾郎

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 大空に花と咲く、挺身落下傘部隊の活躍(パレンバン)   藤田 嗣治 

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  落下傘部隊、パレンバン精油所を攻撃  スマトラ方面陸軍派遣 中山 魏 筆

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  感状(感謝状)上聞に輝く海軍落下傘部隊     宮本 三郎 筆

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        神兵の救出到る       藤田 嗣治 
落下傘部隊の活躍を記念して当時歌われた・・・
「空の神兵」(実写あり)     歌・・灰田 勝彦 
 藍より蒼き  大空に大空に     世紀の花よ 落下傘落下傘 

 たちまち開く 百千の        その純白に 赤き血を
 真白き薔薇の 花模様               捧げて悔いぬ 奇襲隊 
 見よ落下傘  空に降り              この青空も   敵の空
 見よ落下傘  空を征く              この山川も   敵の陣 
 見よ落下傘  空を征く              この山川も   敵の陣 



● ニューギニア沖海戦・・
1942年(昭和17年)220午前、日本軍の哨戒中の九七式飛行艇がアメリカ艦隊を発見した。1220分、日本軍はラバウルから第24航空戦隊の一式陸上攻撃機17機を発進させた。
零戦の増槽や対艦攻撃用の魚雷は到着していなかったため、戦闘機の護衛はなく、武装も爆装のみであった。1435分、第2中隊9機が攻撃を開始したが命中弾はなく、F4F戦闘機の迎撃と対空砲火で第2中隊は全滅した。  15時、第1中隊8機が攻撃を開始した。
レキシントンに至近弾が1発あったのみで、攻撃隊は4機を失った。さらに2機は不時着した。
日本軍は空母1、艦型不詳1を撃沈したとし、この戦いをニューギニア沖海戦と呼称した。
 
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 我が海鷲、米航空戦隊を強襲・・ニューギニア沖海戦(昭和17年2月21日)


● スラバヤ沖海戦・・
日本船団は東西に分かれて進撃し、東部ジャワ攻略部隊として第48師団と坂口支隊が輸送船40隻に分乗していた。これを護衛する艦艇も含めると、総数67隻に及ぶ大規模な船団であった。
これらはスラバヤ西方のクラガン海岸を上陸目標としてマカッサル海峡を南下、ジャワ海を航行していた。
スラバヤ沖海戦は、1942年(昭和17年)227から31日にかけて、インドネシア・スラバヤ沖で日本軍のジャワ島攻略部隊を連合国軍が迎撃した海戦である。
日本海軍が連合軍の艦隊を撃破し、これにより日本軍のジャワ島へ上陸・占領が進むこととなった。
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        スラバヤ沖海戦     奥瀬 英三 画

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 帝国海軍伝統の威力を発揮したスラバヤ沖海戦   古嶋 松之助 画

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   夜戦における蘭印軽巡洋艦旗艦デ・ロイテル及びジャバの最期  スラバヤ沖海戦(2月27日)

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   スラバヤ沖海戦、ヒューストン号撃沈     松添  健 画


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       出征を送る         石川 寅司 筆


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転載元転載元: 泰弘さんの【追憶の記】です・・・

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