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mimiの日々是好日
北のミサイルに煽られないようにしましょう。戦争に向かう「圧力」ではなく、「対話」で平和的解決の道がひらかれますように。

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今、ネットの「用語解説」のアクセスランキングのトップは「忖度」だという。
 
辞書などで調べると「他人の気持ちをおしはかること。他人の気持ちを推察すること」であり、いわば「相手の気持ちをおもんぱかって、気を利かせる」というふうに書いている。
すでに、この「忖度」。今年の流行語大賞にはノミネート間違いなしだと言われている。
 
お年寄りが、道端でたたずんでいるのを見て「具合が悪いのかな?道がわからないのかな?」と声をかけるとか、右折車が対向車の列が切れずになかなか曲がれないでいるのを見て「困っているだろうな」と、止まって先に譲ってやるとか、職場に新しい社員が入って、「わからないことばかりでとまどっているだろうな」と「何かわからないことない?」と聞くとか……私たちの日常の生活は、どの場面でも「忖度」しているといってもいいかもしれない。
しかし、それらは、広い意味での「忖度」だろうが、多くの場合「思いやり」「気遣い」という言葉で表される。
 
一方、飲食業やサービス業など接客の仕事をしている人たちは、お客さんとの関係で、常に「忖度」が求められる。まさに「忖度」と「おもてなし」の世界かもしれない。
 
 
ただ森友問題で明らかとなった、政治家・官僚がからみ、国民の資産や税金に関わる黒い闇の「忖度」は、まったく性質の違うものである。政治家や評論家の中に「日本の風習」だとか「普通にやられている」とか言っている人もいるが、「8億円もの巨額な値引き」をあまりに軽く捉えたものであり、庶民の感覚からかなりずれている。
 
 
この場合の「忖度」は、見返りがあるとか、自分の地位や身分がどうなるのかという、損得勘定とむすびついたものだ。
上下関係のある大きな組織や社会で「忖度」が行われると、「上の者」や「権力者」やのために、「下の者」や「庶民」を軽んじ、犠牲にさえすることにもつながる。
 
「忖度」構造のもとでは、「権力者」やトップが「こう考えているに違いない」と、先回りし、お膳立てしたり、自分の部下や組織を動かす。本来はルールに従えばできないはずのことも、無理無理押し通してしまうことも起きる。それに従わない者や反発するものは地位や身分などで不利益を被るので、「忖度」構造に従わざるを得ない。
 
こうした“提灯担ぎ”の集団ばかりの「忖度」社会においては、「権力者」やトップは「絶対」の存在となり、やがてそのしわ寄せは「下の者」=「庶民」に行く。
その代表例が、崩壊したソ連や、今の北朝鮮などであり、戦前のヒットラー独裁のドイツであり、天皇絶対主義だった日本である。
 
「絶対権力」のもとで「超忖度社会」がつくられ、国民はがまんを強いられ、自由や民主主義も奪われ、国家に少しでも歯向かうものは弾圧され、国民同士で監視しあう社会となる。行政が、国民・住民意見よりも、権力者や政治家の気持ちをおもんぱかって仕事をする。
社会の「忖度」のベクトルが、上に、上にと向かうといつの間にか独裁国家へとつきすすみかねない。
 
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昨日2日付の「東京新聞」の論説面で東大教授の宇野重規氏の「時代を読む」というコラムがたいへんユニークな角度で、この「忖度」について書いている。以下引用したい。
 
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「ソンタクという妖怪」
 
 日本政治の中枢に一つの妖怪が徘徊している。その名はソンタクである。この妖怪が現れると、人々は不機嫌な沈黙状態に陥る。何を聞かれても、関係者は「申し上げることはない」、「規則通りにやっている」と繰り返すばかりである。とはいえ、誰がどう見ても、何か話すべきことはあるだろうし、規則通りに物事が動いているとは思えない。誰もおかしいと思いながら、何ごともなかったように時間だけが過ぎていく。
 ソンタクと比べるならば、ケンリョクノボウソウという名の怪獣は乱暴だが、ある意味でわかりやすい。その怪獣の名前を声に出して、戦っていくしか道はないからだ。これに対しソンタクの場合は、独特な無気力が支配する。人々は低い声でボソボソとしゃべりながら、誰に明確に命令されなくても、自分に「期待されている」はずの役割を粛々と果たすのである。
 しかし、ソンタクによってもっと損なわれるものがあるとしたら、それは政治そのものであろう。政治においては、さまざまな利害がうごめく。とはいえ、だからと言って、腕力のある者ばかりが通るわけでもないし、あらゆることが馴れ合いで決まっていくわけでもない。すべての利害関係者が自分の主張をし、相互に説得を試みて、妥協し、できないところは場合によっては問題を先送りする。
 肝心なのは、政治は議論を通じて行われるということだ。それも密室において、特定の関係者だけで議論をするのではなく、あくまで衆人環視の下で物事を決めるのが政治の本質である。人々は言葉を尽くして自らの主張の正当性を主張し、その代わりに、他人の主張にもきちんと耳を傾けることがその第一歩となる。
 ソンタクに取りつかれた政治はその逆だ。多くの人には物事がどこで、どのように決定されるかわからない。それでも「そのようなものなのだろう」という諦めの思いととともに、人々は自分の思いをのみ込む。結果として、政治の舞台からは真剣な主張や説得の試みが見られなくなり、聞こえるのはただ騒がしい騒音や、あるいは真剣にものを言おうとする人間に対する冷笑ばかりとなる。
 今回の森友学園がどのような決着を見るかわからない。とはいえ、問題を通じて得られるものは少ないのではないか。普通、どれだけばかげた事件であれ、人々は何らかの教訓を与えてくれるはずである。しかしながら、今回の問題を通じて明らかになったのは、日本政治の中枢にいかに怪しげな人物が集まるかということと、妖怪ソンタクがどれほど日本政治において力を持っているかということくらいである。
 世界が不安定化し、とりわけ極東の上記用は緊迫の度を増している。欧州では重要な選挙が今後も続く。このような状況で、日本の国の指針を間違えば、取り返しのつかない事態となる。にもかかわらず、日本政治を妖怪ソンタクが支配しているのは異常である。
 「どうしようもない」、「他に選択肢がない」という言葉は、ソンタクにとって何よりの鉱物である。この言葉を安易に口にする時、妖怪が忍び寄ることを忘れてはならない。これ以上妖怪を跋扈させないためにも、この2つの言葉は歯を食いしばっても口にすべきではないと思うが、どうだろうか。
                               (以上 引用)
 
 
 
 
読売テレビの「ウェークアップ!ぷらす」で、森友学園問題を取り上げて、キャスターの辛坊二郎氏が「たぶん、忖度があったのは私は間違いないと思うんですが、もし、じゃあ、忖度があったとして、それがなにが問題なんですか?」と驚くべきことを言っていた。
 
昨年、一昨年と、政府に対して批判的なテレビのニュースキャスターが、次々と降板させられた。そこには、官邸や政権党の直接の抗議もあったが、それらを受けてのテレビ局内の「忖度」や「自主規制」があったということは、すでに明らかとなっている。「忖度」や「自主規制」がされる際に、この辛坊氏は、まったくひっかからない“優秀な”キャスターだったのだな、とこの発言を聞いてある意味納得した。
 
また、日本維新の会の松井一郎代表(大阪府知事)は3月25日に、「森友学園」問題について「火に油を注いでいるのが安倍総理だ。忖度はあったと、はっきり認めるべきだ」と安倍首相の国会での答弁が、疑惑を過熱させているとの認識を示す一方、「良い忖度と悪い忖度があるが、(今回は)悪い忖度ではない」と述べ、「贈収賄のような事件はないことはっきりしているのだから安倍首相の辞任や昭恵夫人の国会招致は必要ない」と記者団に語った。
 
いわば「森友学園」疑惑の当事者と目されている松井氏が、安倍首相に「“悪い忖度”ではないのだから、忖度があったとはっきり言えばいい」と進言し、自分に対する疑惑は明らかにしない不真面目さ。
 
安倍首相と考え方の近いオトモダチは、官僚の「忖度」でトントン拍子で許認可が進み、10億円近い評価額の国有地を、8億円も値引きして超激安で払い下げをしてもらって、それを受けた本人も「神風が吹いた」「わけのわからない大きな力が動いた」とびっくりするほどの「特別扱い」を受けたわけだ。
 
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そんなことは普通の一般国民にとっては、絶対にありえないことであり、それを「良い忖度」とか「悪い忖度」とか、言うこと自身がナンセンスであり、政治家がしかも大阪府知事ともあろう人が言う言葉ではない。
 
もし、こんなことが「なんら問題がない」「違法性もない」とまかり通るとしたら、いったい社会はどうなってしまうのか。安倍首相や側近、そのオトモダチ(宇野氏が言う「怪しげな人物の集まり」たちの…)に近づき、懇意になれば、「忖度」してもらえ、優遇されるということになり、不公平・不平等が横行してしまうのではないか。
今回は、たまたま「国有地の激安払い下げ」が発覚したが、国民の資産や、税金もオトモダチの間で裏でいいようにされていくのは間違いないだろう。
 
 
一方で、「忖度」社会がいつの間にか形作られていくのと軌を一にして、安倍政権は、この間、次々と時代を逆行させるかのような施策を打ち出していることも気になる。
 
政府は、「現代版・治安維持法」ともよばれ、計画段階での処罰を可能とする「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ「組織犯罪処罰法改正案」を21日に閣議決定し、国会に提出した。
 
また、31日には、野党から出ていた質問趣意書に答える形で、戦後の衆参の国会決議で「排除」「失効」する決議がされた「教育勅語」を、「教材として用いることまで否定されない」とする答弁書を閣議決定した。森友学園が運営する塚本幼稚園で、園児たちが教育勅語を暗唱する映像が何度も茶の間に流され、中には背筋が凍りついたという人も少なくない中で、「教育勅語」をいわば「公認」した。
 
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さらに、文科省が31日に官報で告示した新中学校学習指導要領の教科「保健体育」の武道で、選択できる種目の例に「銃剣道」を加えた。銃剣道とは、小銃に似せた木銃で相手の喉や胴の部分などを突く競技で旧日本軍の戦闘訓練に使われていた「銃剣術」の流れをくむ競技であることから、波紋が広がっている。しかも、突然種目に加えられたことについて、3月9日の参院外交防衛委員会で、元自衛官の佐藤正久議員(自民党)が、学習指導要領から「なぜか銃剣道一つだけが外された」と追及していることから、教育行政に政治介入があったのではないかとの報道もある。
 
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「共謀罪」に、「教育勅語」に、「銃剣道」と、安倍政権が「オトモダチ」とともに「塚本幼稚園」で見たような光景を、日本全体に広げようとしているのではないかと疑ってしまう。
 
 
私は、こうした問題を、日本のメディアがもっと大きくとりあげるべきであると思う。
国民の間に事実を明らかにし、そして、アジア諸国をはじめ諸外国にも、日本の政府が、今言っていること、やっていることの事実をきちんと伝えるべきである。
 
そして、国民が政府に対しておかしいことに、「おかしい」という声をあげること。
さらに、次の選択では間違えないことである。

転載元転載元: TABIBITO

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