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mimiの日々是好日
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岩盤のように固かった、さしもの安倍1強自公政権が根底から、
ぐらついている。
その岩盤にさわやかで、強固な風穴を開けた男の姿は28日夜、
また福島にあった。
...
前川喜平さん、前文科省事務次官である。
私塾である福島駅前自主夜間中学の手弁当講師をしていた。
国会への参考人出席、メディによる取材、本の執筆…。
事務次官時代よりも時間に追われる?!だが月4回の福島の夜間中学の
授業だけは原則欠かさない。往復の新幹線の手弁当代だけでも
馬鹿にならない。

この先生は生徒にも敬語を使っていた。優しく、丁寧に接していた。
頭の毛を派手に染めた20歳代の女子中学生、40,50代の中学生、
最高齢は78歳だった。
「前川さん」と敬愛と親しみを込め呼ばれる。
先生というより、夜間中学生の仲間の雰囲気が漂う。
戦争、貧困、離婚、いじめ、登校拒否、引きこもり…。
いろいろな理由から中学に行けなかった。
形式の卒業証書をもらっただけの年配者もいた。

☆昨2016年12月の第62回全国夜間中学校研究大会―。
前川さんは文科省事務次官として初めて大会に出席した。
事務次官が出席したのは前川さんが初めてだった。
30歳代の女性中学生が半生を語った(体験記を小林が要約しました)。
両親の夫婦げんかが絶えなかった。母に連れられ、兄(10歳)
彼女(7歳)と家出した。新しい町で学校に行けると思っていたが
入学の知らせは来なかった。母が住民票を移していなかったからだ。
最初は自由に外で遊んでいた。そのうち母は世間体が悪いからか、
外での遊びを禁止した(他人に分からないようにか?)。
家でも静かにしていろと注意された。
酷い病気やケガでも医療機関に行けなかった(保険証がなかったため?)
家庭内ではほとんど会話が消えた。引きこもり状態が続いた。
子供でもストレスはたまる。母がいない時、兄は彼女に暴力を
振るようになった。力では勝てない。ひたすら耐えた。
ガラスの破片などを使い、自分の手首や体に傷を
つけるようになった。

母は「死にたい、死ななければいけない」と口癖のように言った。
その言葉を聞くたびに「私もやっと死ねるんだ」と心待ちにしていた。
学校にも行けず、仕事もせず、20歳過ぎまで家にこもった。
私たち家族のことを世間は、誰も知らない。
この世に存在していないと同じ、と考えたこともあった。
25歳の時、家を出た。死に場所を探してひたすら歩いた。
すっかり暗くなった。公園のある、小さな山に辿り着いた。
飛び降りるつもりだった。勇気が出ず、逡巡した。
疲れからうとうとした。

「子供がこんな時間に、こんなところで何をしている?」。
見ず知らずのおじさんから心配そうに声をかけられた。
何年も、ほとんど話さなかった。そのためすぐには声が出なかった。

世間と“隔絶”した20年は肉体の成長も遅らせた。
子供と間違いわれた理由がそこにあった…………。
壮絶なまでの夜間中学生の半生だった。会場は静まり返った。

 前川喜平文科省事務次官が来賓あいさつに登壇した。
前川事務次官は声を詰まらせ語ったという。
「申し訳ない。(学びの機会を逃したことは)文部科学省の責任です」。

会場は再び静まり返り、感動が覆った。
誤謬を認めない官僚組織にも心の通じる事務次官がいる…。

☆その前川喜平さんが8月2日午後6時から福島市の県文化センターで
講演します。加計学園疑惑、夜間中学の必要性、憲法などについて
語ります。マスメディアの焦点まで話すのはこれまでで、
ほぼ初めてのことです。どんな話が飛び出すか。どんな方なのか。

入場無料です。夜間中学を作る会のメンバー、元大手、地元紙記者、
経営者、ITボランティア、9条の会員などで作る「実行委員会」の
主催です。
会場の小ホールは379席です。ロビーでの中継をしますが聴衆が
多すぎる場合は最悪、お断りすることもあります。
その際は平にお許しください。
独立系メディアのIWJでは講演を中継します。
録画を後で鑑賞することも出来ます。
28日には奈良の退職教員ら7人が視察に訪れました。
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 大衆居酒屋日本海庄やで歓迎懇親となり、写真はその時挨拶する
前川さんです。

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別の写真は手作りチラシです。
福島県文化センター http://www.culture.fcp.or.jp/
前川さんの話をきく会実行委員 小林富久壽

転載元転載元: しあわせの青い鳥

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