![]() 石牟礼道子さんが「苦海浄土[くがいじょうど]」を書いた場所を見に行ったことがある。水俣川河口近くの古い納屋を改装した質素な旧宅の隅にそれはあった。窓際の半畳にも満たない板張りに小さな木の机を置いただけ。チッソの城下町の一主婦だった石牟礼さんは家族が寝静まった後、ここに明かり一つを付け、水俣病の悲劇を生んでもなお経済発展に突き進む国家と時代を根底から問う作品を書き続けた。
「昔なら打ち首もんぞ。その覚悟はあるのか」と父親に問われながら、水俣病闘争の先頭にも立った。自伝のあとがきには、精神を病んだ祖母を引き合いに「私にも、狂気の血が伝わっているに違いない」と記し、狂うことを恐れず自らの衝動に真っすぐに生きた。水俣病という重い十字架を背負った主婦作家は、妻や母として生きる運命にも抗[あらが]い、やがて水俣を離れる。
水俣病闘争の象徴的存在として国家権力と闘い、「石牟礼文学」という世界を築き上げる一方、日々の営みをこよなく愛した。手料理にこだわり、着る物を手縫いした。既製服も端切れを使って自分の好みに作り替えた。食べ物や物を粗末にすることを嫌い、食べ残しやちり紙一枚さえ取っておく。便利で豊かになる中で、人がどんどん手放していく手仕事に貪欲なまでに執着し、捨てることをいとわなくなった物をことごとく大切にした。日常の暮らしの中でも時代の流れに抗いながら紡いだ文学は、それ故に胸を打つのだろう。
「苦海浄土はまだ終わっていない」と語っていた石牟礼さんは、パーキンソン病を患い、ほぼ寝たきりになった後も食事の介添えを嫌い、自力で生きようとした。体力も食欲も限界まで落ちながら、生きるために震える手で食べ物を口に押し込み、最後は「死ぬ」ことにも抗った。
「ここが水俣湾。ここが天草。ここが私のいる熊本市。とても遠い」。入院先のベッドで発作でもうろうとしながら宙に地図を描いた。「天草の見える水俣に行きたい。私の手を引っ張って連れて行ってください」と、点滴につながれた手を差し出され、ただただ握り返すしかなかった。
命尽きる直前まで言葉を紡ぎ続けた石牟礼さんは、社会や時代だけでなく、自分に対しても抗い続けた。「抗う」ことの意味と難しさを、身をもって教えてくれた、とてつもなく大きな時代の炎が消えた。(浪床敬子)
(2018年2月11日付 熊本日日新聞朝刊掲載)
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大切な人
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「昔なら打ち首もんぞ。その覚悟はあるのか」と父親に問われながら…立派です、末永くたたえられますね。
本当に権力者、チッソなど大企業は汚いです、国民もなかなか理解しない!
ベッドに寝ていても飛びあがる患者の映像を昔、観ました。誰がなってもおかしくないです。
2018/2/20(火) 午前 9:06
> hitomiさん
石牟礼さんのテレビ特集ご覧になりましたか?
私は深夜だったので見られませんでした。でもhitomiさんなら彼女の本をたくさん読んでいらしゃいますよね。
父親でさえ心配したくらいなのに、毅然としてなすべきことを果たした彼女は素晴らしいです。
水俣も足尾銅山も福島原発事故も、皆同じ構図です。
政府と結びついて、国民の危険を軽視、御用学者で押さえ込み、安いお金で片付けようとする…いつも被害者は国民や弱者ですね。これだけいろんな事故や公害あっても少しもその体質が変わらない日本、悲しい現実です。
2018/2/21(水) 午前 7:11